桑原政則オンラインのアルバムのページです。


赤尾の豆単
ハワイ[ハワイイ、Hawai'i]大学MBA学位授与式

沖縄とハワイの位置関係
Wikipedia などの語源となったウィキは、ハワイ語で「速い」という意味です。
ハワイ語ウィキペディア
ハワイウィキペディア

≪オレゴン州の自動車免許証≫
≪広いバックヤードに10台ほどのクルマ≫
下に和製自動車英語を記します。


ジャック・マイヨールの海底に埋められたプレーク
2003年3月23日、沖縄の与那国島で58名のダイバーにより、ジャック・マイヨール メモリアル プレーク設置式がしめやかに、海底でおこなわれました。
人面岩(Moai face)の足下に設置したプレーク(銘板)に、ダイバーは一人一人バラの花を手向(たむ)けました。

与那国島の位置
ジャック・マイヨールは、1927年生まれです。30才の時イルカ から長時間の素潜りや水中遊泳を学びました。1976年、素潜りで水深100mを超える記録をつくりました。
ヨガ、禅などにより、人間は超人になりうることを身をもって示しました。
映画『グラン・ブルー』のモデルは、ジャック・マイヨールです。

立神岩(たてがみいわ)
上の立神岩(たてがみいわ)の海底に人面岩(Moai face)が鎮座(ちんざ)しています。ジャック・マイヨールはことのほか、このポイントがお気に入りでした。

立神岩(たてがみいわ)。 View Pointより
(2003年3月23日午後6時)

人面岩(Moai face)
Photo by Kihachiro Aratake

ジャック・マイヨールのTシャツ
左のTシャツのMayolのyが海底深く100メートルまでのびています。yのあとのolは、海底にもぐったままです。
ジャック・マイヨールのTシャツの英訳、和訳
フランス語
Si l'Esprit et la Pensee des Hommes pourraient
seulement s'inspirer un peu de ceux de nos cousins marins les Dauphins, notre
Planete commune pourrait redevenir le Paradis Terrestre qu’elle fut...
Jacques Mayol
英語
If the Mind and the Thinking of Men could only be inspired by those of our maritime cousins, the Dolphins, our common Planet could once again become the Terrestrial Paradise it used be...
Jacques Mayol
(Translated by Karianne Christensen, 2003-03-23)
もし人類の精神と思考が、海に住む人類のいとこのドルフィンによって感化されるならば、この惑星は、ふたたび昔のようなパラダイスになるでありましょう。
ジャック・マイヨール


<アオザイが制服。1996年>

<カオダイ教の本部にて>
アオザイは、ベトナム女性の外出着です。中国風の立てえりと前開きの丈の長い上着にゆったりした白無地のスラックスからなります。外出時にはこれに麦わらの笠型の日除け帽などをかぶったりします。
アオザイとは、長い(ザイ)、ころも(アオ)という意味です。アオザイは2世紀前に、中国に対抗した民族服として考案されました。中国の伝統をベトナムの風土に同化させた好例といえます。
上着の脇が腰の上まで切れているので、竹のようなしなやかなベトナム女性によく似合います。ネグリジェのよう透ける素材なので、革命政府は堕落服として、廃止を考えたことがあったが、すさまじい抵抗にあってかないませんでした。

<お店の文字:左上から、タイ語、中国語、マレーシア語、
アラビア語。1993年>

<向こうの看板は質屋さん。アラビア文字も。
タイでは質屋さんは表通りに>
1993年マレーシアをバスで北上し、川をわたり、南タイへたどり着きました。南タイの4県の住民のほとんどはマレーシア系です。これら4県はかつてマレーシア領でした。お店の看板も、タイ語、マレーシア語、中国語、アラビア語が混在しています。

<新谷弘実。71歳。「学生さんには清涼飲料水を買わないようにお伝えください。」 2007年1月>

<ウィキペディアの創始者ジミー・ウェールズ。
2007年3月16日、新宿。>
ウィキペディアの創始者ジミー・ウェールズは、2007年内にグーグルを超えるオープンソースの検索サイトを開設します。
2003年設立のウィキペディアは、無料の多言語オンライン百科事典(a free multilingual online encyclopedia)です。桑原政則オンラインのトップページ上段に「ウィペ」で登録されています。
世界一の百科事典ウィキペディアは251言語で書かれ、項目数は600万件を超えています。英語では170万項目、日本語版では34万項目が登録されています。

<ジミー・ウェールズの名刺>
ジミー・ウェールズの話

<名刺の裏の写真>
ジミー・ウェールズは仲間内では「ジンボー」とよばれます。本の街 神保町との関連で、親しみやすく、すぐ覚えられるようです。
タイには数十の少数民族が山岳地帯にいます。タイ政府はタイ語の普及運動を進めています。子供たちはふだんは自分の言葉をしゃべっていて、タイ語は外国語です。下は、わたしがタイ語を教えているところです。(1997年)

<教室。壁がなく、近くで鳥や豚の鳴き声が>

<あかるく行儀のよい生徒たち。3学年合同>

<九九表。12×12まで教えていました。>
1997年、ミャンマーに近い西北タイのメーホーンソーンの山奥に首長族(くびながぞく、long-neck people)を訪れました。チェンマイからバスでほぼ10時間かかりました。バスのひとり旅で、車中で多くの人と知り合うことができ、村々で歓待されました。
首輪は、コイル状の真ちゅうの輪でできています。腕や足にもこの輪をつけます。ここでは美人とは首が長い女性のことを言います。



<首長族の少女たち>

<タイの最北地チェンライ県メーサイ。下段中央はミャンマー文字です。1997年>

<メコン河畔。対岸はラオス >

<ラオスの船のお店にて。ラオス人と。ゴールデントライアングルにて>
タイには数十の少数民族がいます。山岳少数民族は、好きこのんで山に住んでいるのではありません。優勢な民族に追い上げられてしまったのです。また特異な服装は部族意識を固め誇示するためです。こうしないといつか他民族のなかに溶けて込んでしまうからです。
チェンライは、世界3大美人産地チェンマイのさらに北にあり、バンコクから1000キロの地点にあります。チェンライのチェンは「町」という意味です。チェンライは1262年王国の首都になったが、首都はそのあとチェンマイ(新町)に移されました。
メーサイは、チェンライから70キロ北にあります。すぐ北がミャンマーのタチレクで、日帰りで入国できます。

<チュラ大の卒業式当日のガウン #1。 1971年>

<チュラ大の卒業式当日のガウン #2>
大学の卒業式は学生諸君や家族一族にとって一生の大ごとです。35年前の1971年には、プミポン国王から1人1人が卒業証明書をいただくことになるからです。【画像】何回もリハーサルをおこないます。ガウンは大学、学部によってことなります。式後には仲間や家族などと盛大なパーティを催します。

<普段の制服。4年生と。チュラ大政治学部>
女子学生の方が数が多いです。大学の先生も女性の方が多いです。しっかり屋の女性にたいして、男性は家庭でも実権がなく、口が軽く、外で遊びがちです。

<海浜へのハイキングの途中にて>
南部のチャアム=フワヒン海岸へバス旅行をしました。浜辺ではバーベキューをエンジョイしましたが、泳いだのはわたしだけでした。タイでは海はまずながめるものです。(2007年2月14日)
<桑原政則の出家前のナーガ(龍)の姿>

<パクナムパーシーチャルン寺にて。バンコク。1972年>
得度式(とくとしき、僧侶になる儀式)にはパーリー語の試験があるので、パーリー語の問答を、意味はわからずとも、丸暗記する必要があります。これらの問答の一部はいまでも口をついて出てきます。
僧になると、朝早く托鉢(たくはつ、鉢をもって食のほどこしを受けること)にでかけます。家の前などで飲食物を用意して待ち構えている人々から托鉢を受けます。
この時僧は礼もいわず、頭も下げず、そうするのは一般の人のほうです。僧に飲食物を提供することにより、一般の人は功徳(くどく。仏からのめぐみ。ごりやく)を受けるからです。
托鉢で得た飲食物は寺へ持ち帰り、皆で分けていただきます。僧の食事は朝と昼、あるいは派に寄っては朝だけです。その後は一切食べ物を口にしません。
タイでは男子は原則として一生に一度は出家して仏道に入ります。普通は結婚前に1週間から3か月ぐらいの仏門に入り、還俗(げんぞく。僧が俗人に戻ること)してからは元の職場に戻ります。この間役所や会社からは給与は支給されます。結婚前に出家するのは、功徳が両親に向かうからでする。既婚で出家した場合は、功徳は妻に向かいます。(2007年2月12日)

<タージマハルにて。1997年>
タージマハルは、ムガール(モンゴル人)帝国時代(1526-1858)の世界屈指のイスラム建築。インドにて。(2007年2月10日)