コラム: 奄美を歩く

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コラム『奄美を歩く』です。 奄美のページ

アマミノクロウサギなどの貴重種が住む奄美(#15,2004年11月4日)

鹿児島、奄美、沖縄をまたぐ58号線 (#14,2004年10月28日)

奄美のことばは、琉球方言の一種 (#13,2004年10月25日)

加那は「愛(かな)し」から:加那の唄(#12,2004年10月21日)

恋しい人「加那」:西郷の妻 愛加那(#11,2004年10月20日)

奄美での「聞き取り学」 (#10,2004年10月19日)

釣り、スポーツ合宿で奄美を売る向井俊夫 (#9,2004年10月17日)

一村の好んだ奄美の風景 (#8,2004年10月14日)

一村「アダンの木」に三分法(さんぶんぽう)をみた! (#7,2004年10月13日)

奄美観光の目玉は田中一村 (#6,2004年10月12日)

奄美の代表料理 鶏飯(けいはん)(#5,2004年10月9日)

自然と観光をジョイントする「ばしゃ山」の奥篤次 (#4,2004年10月8日の2)

奄美に多い1字姓 (#3,2004年10月8日の1)

大手には地場産で対抗の地元スーパー :グリーンストア里 泰慶(#2,2004年>10月7日)

鹿児島ー奄美大島 は、船賃タダ? (#1,2004年10月6日)

◆鹿児島ー奄美大島 は、船賃タダ? (#1,2004年10月6日)

アマミは鹿児島から400キロの所にあります。船は鹿児島新港を夜6時にでて、朝5時に名瀬に着きます。

マリックスラインの「クイーン コーラル(サンゴの女王)号」で11時間、8000円です。船中泊ですから宿泊費を差し引くと、タダってことになります。

*名瀬
「なぜ」が公式の読み方です。地元では「なせ」という人がふえてきています。

*クイーン コーラル号の内部 【画像】


船内には、レストラン、売店があります。


2等は大部屋に数十名が寝ます。布団、毛布、枕がそなえてあります。地元の人からお話をうかがいたいときは、1等や2等寝室よりこちらの方がよろしいです。

アイマスクが役に立ちました。部屋は真っ暗ではありません。


隣の漁師風の人は、クラシックの本をたずさえていました。「アマミの人は、すぐわかるよ。人なつっこくって頭大きいよ」


途中下船はOKです。船内で「途中下船証明書」をもらうだけです。


大島運輸の「ありあけ号」は、東京ー鹿児島ー奄美ー与論ー沖縄を走っています。東京ー沖縄、22000円です。

名瀬から沖縄にくだるにはこの船がいいです。与論島以外には寄りませんので、早いです。ほぼ週1便です。

*大島運輸


奄美への航空賃の問題点は、東京ー奄美は、東京ー沖縄より高いことです。奄美が沖縄より行きにくいのは、この点にあります。正規運賃で5000円高いです。

*東京ー奄美  39500円
  東京ー那覇  34500円




錦江湾で噴火中の桜島



鹿児島→奄美大島→徳之島→沖永良部→与論島→沖縄・本部(もとぶ)→沖縄(那覇)




マリックスライン



切符と途中下船証明書

鹿児島ー沖縄は12300円です。


【メモ:追加  浴室 部屋  アイマスク】
◆大手には地場産で対抗の地元スーパー :グリーンストア里 泰慶(#2,2004年10月7日)

鹿児島からの船は、名瀬に朝5時に着きました。大船でゆれることなく、快眠できました。

*鹿児島の離島 鹿児島県庁


24時間オープンのグリーンストアにでかけました。グリーンストアは、地元のスーパーで、3店あります。


島外からの大手スーパーのタイヨー、だいわ、ダイエーを相手に健闘しています。

10年前から24時間オープンです。

総菜(そうざい)に力を入れています。天皇陛下来島の際のご一行の食事も、田中一村の映画「アダン」のロケ隊の食事も担当しました。


大手に対抗するために、何よりも手間暇をかけて、小回りのきく経営をしています。

地もの(地場産)の販売に力をいれています。この日もアラ(ネバリ)、アサヒガニ、ホタ(ワンギャルマツ)、レンコ鯛、赤ウルメなどの奄美の魚には、

   地もの

  鮮度抜群

のキャッチフレーズが付されていました。


スーパーの経営環境は、刻々かわります。新しい企画が成功すると、他店がすぐまねをします。一つ解決すれば新たな問題がまた発生します。

商品、売り方、業態を変更し、innovation(イノベーション、革新)を繰り返す必要があります。

毎日がスクラップ アンド ビルドです。


日本の大手企業の経営者は、パイオニア精神を欠き、リスクをとりません。

地元のスーパーの経営者は、十字軍の意識で、雄々しく進撃し続けます。






グリーンストア 里 泰慶(やすよし)社長




24時間営業のグリーンストア


2階は百均のダイソー



総菜コーナー

きめ細やかに手間暇かけてつくります。




地もの鮮度抜群

地物は鮮度、安さ、他店にない、が売り物です。



豚皮付き三枚肉

奄美は鹿児島県ですが、「鹿児島県産」とうたいます。




島バナナ

モンキーバナナです。黄色くなったところからもぎとっていきます。7800円。



黒糖各種

カルシウムたっぷりです。お茶受けにします。

◆奄美に多い1字姓 (#3,2004年10月8日の1)


(2004年10月8日)(2006年9月20日)

奄美は日本復帰50周年を2003年にお祝いしました。50年前までは、2字姓は許されませんでした。


スーパー「グリーンストア」の社長 サトさんは、

   里 泰慶(やすよし)

が本名です。

*この地域の「佐藤」さんは、里さんの改名である可能性があります。


田中一村を語り継ぐための「一村会」の会長

     美佐 恒七

さんは、もともと「佐(さ)」という姓でした。


「ばしゃ山」「奄美民俗村」の経営者

   奥  篤次

さんは、「おくさん」とよばれますが男性です。 「サトさん」「美佐さん」も女性にまちがえられることがあります。


緑さんもいます。
もとNHKの宮崎緑さんは、奄美パークの園長です。下の緑さんは全日本空手道連盟 新極真会代表です。

緑 健児  新極真会代表


この日10月4日には、

   祷(いのり) 敏郎  (奄美民俗村取締役)
   叶  隆典  (ライオンズクラブ副会長)

両氏にも、お会いしました。


龍郷(たつごう)という町があります。

龍(りゅう)という姓と西郷の郷を組み合わせたものです。

西郷隆盛は、この町に流され、龍(りゅう)家の娘を妻にしました。


*龍郷町の位置Mapion

【メモ:西郷宅画像挿入】


元(はじめ)という姓もめずらしくありません。
*元(はじめ) ちとせ(歌手)


*10月5日、宮崎緑さんは名瀬市の大島高校で奄美に誇りをもつよう次のように話しました。
「島ごとに独特の習慣があるにもかかわらず、中和のとれたまとまりになっている奄美は、国際社会のモデルです」
◆自然と観光をジョイントする「ばしゃ山」の奥篤次 (#4,2004年10月8日の2

奄美では、芭蕉を「ばしゃ」といいます。芭蕉の群生する山は、水源地であり、生活の場でもありました。ばしゃ山をもっていることは、資産家であることでした。

昔、娘のムコが見つからない長者が、娘にばしゃ山をつけてムコ探しをしたことから、「ばしゃ山」とは、不美人をも意味するようになりました。


空港のすぐ南にホテル、レストランを含む「ばしゃ山村」がありました。

*ばしゃ山村  
 

ばしゃ山村AMAネシア を経営する奥篤次社長は、「とうとがなし」(ありがとう )という自然塩をつくりあげました。

サンゴ礁の海は、底もサンゴ礁でできています。海底サンゴ礁の下にはさらに10数メートルの海が広がっています。そこの海水をポンプでくみ上げて、釜炊きしたのが、「とうとがなし」です。甘みがあり、おにぎりに合います。

マグネシウム、カリウム、カルシウムなどの80種のミネラルをたっぷり含んでいます。マグネシウムはカルシウムの吸収を助けます。市販の食卓塩は、これら人体に大事なものを不純物として除去しているので、アトピーなどのやっかいな現代病を招いている可能性があります。

サンゴ海の天然塩からの塩アメも製造しています。

*とうとがなし


奥篤次社長は、体験観光のための「奄美民俗村」を最近オープンしました。

*奄美民俗村


今から15年前に、海岸の木を切り倒してのコンクリートやテトラポッドによる護岸工事に、奥篤次さんはひとりで反対しました。公共工事により、雇用が増え地元がうるおうときでした。

強風時にはテトラポッドに波が衝突することにより、高波がおこり、数百メートル先の林や畑に塩害をおこします。

テトラポッドのまわりの砂は、沖合に流されてしまいます。

また、テトラポッドは海流を変え海を荒らしてしまいます。

今やっと社会は、奥篤次さんの正しさを認めるようになりました。しかし、ここの消波ブロックはまだ除去されていません。


社長の次の計画は、2万本の木を有する50ヘクタールの海岸地域を自然と環境にやさしいリゾート地にすることです。

*奄美・沖縄文化経済交流連携イベント



奥 篤次さん



ばしゃ山(芭蕉の山)

3回の台風で被害を受け、やっと新しく生えはじめたところ



AMAネシアの入り口




奄美民俗村のなかの民家

風を取り入れるためまわり廊下になっています。



ばしゃ山の海岸

自然の風景をこわす消波ブロックの離岸提
強風時にはテトラポッドが跳躍台になり、潮風を数百メートルも内陸に運び、塩害をおこします。
ダイヤモンドヘッドの向こう(赤四角)の500万平米の海岸地域を自然と環境にやさしいリゾート地にすることを計画中
キーワード:コンクリート護岸、ウォーターフロント

◆奄美の代表料理 鶏飯(けいはん)(#5,2004年10月9日)

(2004年10月9日)


レストラン「AMAネシア 」で「鶏飯(けいはん)」をいただきました。

ご飯の上に、糸のような鶏肉、シイタケ、錦糸玉子、青ねぎ、奈良漬などの具をのせ、熱い地鶏のだし汁をかけていただくお茶漬け料理です。

奄美地域だけが製造を許されている黒糖焼酎を飲んだ後には、あっさり味の鶏飯(けいはん)がぴったりです。

*レストランAMAネシア


鶏飯は、少しでも薩摩の役人に年貢をおさえてもらおうと笠利の人が生み出したもてなし料理です。そのころ代官所は、名瀬ではなく、笠利にありました。琉球王国の役所も笠利にありました。

鶏飯は、奄美に豊富な魚ではなく、貴重なニワトリを使って作られた料理です。昔はトリニクは万病にきくといわれました。

*笠利町位置図 奄美大島の最北端の町


奄美の芸能や食文化は、王府があった沖縄とは違い質素素朴です。1968年、今の天皇皇后両陛下が、おかわりを所望されたことで有名になり、島民も自信をもって奄美の郷土料理として紹介するようになりました。

奄美の学校給食のナンバーワン メニューともなっています。


*
笠利町役場のホームページには、奄美空港、奄美パーク、奄美民俗村、ばしゃ山村がぬけています。笠利町にある施設は、国のものでも、ワタクシのものでも案内していただきたいものです。公私融合の時代です。観光客は、国、県、町、私の施設を区別しません。

*笠利(かさり)町役場

*奄美空港

*奄美パーク田中一村記念美術館

*奄美民俗村

*ばしゃ山村

*みなとや 鶏飯の老舗

*笠利町の観光 笠利町商工会


鶏飯(けいはん)

左上は自然塩とうとがなしからつくった塩飴、自然の甘さが特長です。左下はパパイヤの漬け物です。



ご飯に乗っけた具

糸のようなトリニク、シイタケ、ショウガ、肉、錦糸卵(糸たまご)、青ネギ



地鶏のスープ

このあっさりしたスープを鶏飯にかけます。



*パパイヤの漬け物みそ汁

奄美・沖縄の人はパパイヤの漬け物を食べます。亜熱帯の夏には、野菜は暑すぎて生育しません。パパイヤが野菜の代わりになります。パパイヤは台風時には、床下にでもおいておけばひと月は、もちます。みそ汁の具にもします。あっさりしていて、夏バテにききます。

インドでは、夏は草木はいったん死にます。夏が終わり涼しくなってくると、また若芽を吹き出すようになります。「生→死→生」をくりかえす草木を見て、インド人は輪廻(りんね)思想にごく自然に行き着いたのだなあ、ということが夏のインドを体験すると、実感されます。

*六道輪廻とは? 【画像】

◆奄美観光の目玉は田中一村 (#6,2004年10月12日)

田中一村の巡回展に小泉首相は、真っ先にかけつけています。

1926年、一村18歳の時に一村の「賛奨会」がありました。30余名の名士の中に、小泉又次郎参議院議員の名もありました。小泉首相のおじいさんです。

一村は、幼少の頃から画材を発揮し、7歳で文部大臣賞を受賞する神童でした。


1958年50歳の時、奄美に移りました。それから約20年間ツムギ染色工をしながら奄美の自然をえがきつづけました。

植物や花鳥を画面いっぱいに細密にえがき、デフォルメした幽玄な作風で、独自の日本画の世界を生み出しました。

1977年69歳で孤高の生涯を閉じました。

1984年NHKが紹介し、一躍多くの人を魅了しました。



奄美にくれば「一村に会うことができるようになりました。旧空港が奄美パークとなり、その中に田中一村記念美術館があります。

*田中一村記念美術館


1987年、「一村会」が結成されました。

1994年、劇団文化座が「夢の碑  私説田中一村伝」を公演しました。

2003年、一村の作品が教科書に採用されました。


2003年、奄美群島復帰50周年記念郵便切手に一村の絵が採用されました。

*田中一村の記念切手 【画像】
「奄美の杜〜ビロウとブーゲンビレア〜(部分)」 


2005年の年賀状に田中一村の「ビロウとアカショウビン(部分) 」が採用されます。

田中一村の紹介は、奄美の復帰後初ホーマーといわれています。


*一村の終焉の家

一村は、新しい家に引っ越すにあたり、「大きくて、まるで、御殿のようだ」と喜びました。この廃屋のような小屋に移って1週間後になくなりました。この家のそばには、小川がせせらぎ、濃いもりが控えています。また大島ツムギのドロ染め用の泥田があります。


*田中一村に関する本




田中一村

田中一村記念館で許可を得て撮影



一村の家

写真の「一村会」の会長 美佐 恒七さんは、この家の保存に尽力しました。

*美佐 恒七「奄美に憑かれた男 画家・田中一村」『九州ざいむ』No.80, 2000年



大島ツムギのドロ染め

日を変えて5回染めます。回数が多ければ多いほど、光沢が出ます。この作業の前に、車輪梅(テーチギ=鉄木)に80回ほど染めます。

向こうに見えるのは一村宅



大きい蜘蛛

一村宅近くに大きい蜘蛛がいました。自然が豊かなあかしです。
◆一村「アダンの木」に3分割法をみた! (#7,2004年10月13日)

奄美パークの主、悦田さんに奄美パークの中にある田中一村記念美術館を案内していただきました。

奄美パーク

田中一村記念美術館

*一村の生涯
1908年、栃木市に生まれました。7歳で文部大臣賞を受賞し、18歳の時には「田中一村賛奨会」で日本の重鎮から激励されるなど、将来を嘱望(しょくぼう)されましたが、中央画壇とは一線を画し、清貧の中で画業に励みました。

1958年50歳の時、奄美に移りました。それから約20年間ツムギ染色工をしながら、不遇の中で、奄美の自然をえがきつづけました。1977年、69歳で孤独のうちになくなりました。


一村は、アダンをこのんでモチーフにしました。アダンは、パイナップルのような大きな果実を実らせます。常緑のままで真冬でも色鮮やかな花を咲かせます。波打ち際に群生し、貴重な防風、防潮、防砂林ともなっています。

一村は、樹木を通して海の彼方を見るのが好きでした。奄美の山は濃く、また雲をよぶので、海や空もたそがれた感じになっています。山高く緑豊かなところの特徴的な風景です。


「アダンの木」をみたとき、グリーンストアのさんは全身がふるえたそうです。私は覚えず「わっ、3分割法だ」とさけびました。

3分割法とは、井の字に画面を分割し、十字にフォーカスをあてることです。3分割法は、黄金分割ともよばれる撮影技術で、すでに一村は独学で無意識にマスターしていたようです。

一村は孤高のカメラマンでもありました。

*3分割法




奄美パーク

奄美空港の跡地に建設されました。左は奄美の郷、右が田中一村記念美術館。宮崎緑がヘッドです。



田中一村記念美術館

建設費 20億円


【メモ:要撮影】

*イジュ 〔ツバキ科〕
梅雨時に白色と黄色の花を咲かす。

*コンロンカ 〔アカネ科〕
梅雨時に、緑、白、黄色の三色の花を咲かす。

*クロトン 〔トクダイグサ科〕
低木で観賞用として庭にも植えられる。

*ダチュラ〔ナス科〕
いたるところで、白い花を咲かせています。

*ノボタン 〔ノボタン科〕   
 梅雨時に径約6cmで広開します。

*ゲットウ
白色・黄色・赤色の花を咲かせます。葉には抗菌作用があります。



「アダンの木」の3分割法

アダンの実にフォーカスをぴったりあてています。




名作「アダンの木」

一村は、人気(ひとけ)のない縦長の絵を好んでえがきました。大きな絵は4畳半ではかけませんでした。

画像の出典:『奄美群島日本復帰50周年記念  奄美を描いた画家  田中一村展』2004年



*栃木県は、修学旅行先に奄美を

栃木県は、修学旅行先に鹿児島、奄美はいかがでしょう。

鹿児島で明治をつくった人たちをしのび、産業観光をし、船で奄美へむかいます。海のない栃木県の諸君には船中泊はいい経験になるでしょう。

奄美では、栃木にはない独特の風景を郷土の生んだ偉大な画家とともに味わうことができます。また、今後の人生行路のはげみにもなります

風景の他に、素晴らしい人情、独特の地域文化にふれることもできます。

山手線ほどの面積ですから、自由行動をしても安全です。


*田中一村について

*栃木の名所、歩き方:満福寺 一村の墓

◆一村の好んだ奄美の風景 (#8,2004年10月14日)

奄美は山深く、緑濃く、森林はうっそうとしています。大きな雲が上をおおっています。

熱帯のマレーシアの平均気温は27度です。ジャングルの蒸気が雲になるからか、いつも曇っています。奄美、石垣島も似通ったところがあります。

一村がこのんだ濃い沈んだ風景がいたるところにあります。




一村宅のパパイヤ

青い実を漬け物にしたり、みそ汁の具にしたりします。野菜の代わりになります。一村は農作業が得意でした。




一村宅のクワズイモ(食わず芋)

芋は食べられないのでその名が付きました。




一村宅上の林

山深く、緑濃い奄美の林はジャングルのように鬱そうとしています。





アダンの群生林

波をかぶってもアダンは枯れません。コンクリート堤がないところでは、うしろの土砂を海に流れでないようにまもります。




台風で運ばれた海の砂

塩害に耐えれる作物だけが海岸に生き残ることができます。100メートル以上離れていても海の砂は波に乗って舞ってきます。




ヒカゲヘゴ(日陰ヘゴ)

他の植物のために、日陰をつくるので日陰ヘゴといいます。ヘゴは、ワラビなどと共にシダの一種です。新芽を食べることができます。名瀬市の金作原(きんさくばる)原生林にて。

ここは、映画ゴジラの舞台ともなりました。




マングローブの原生林

この木々の下をカヌーで遊ぶことができます。行き交います。マングローブとは木の名前ではありません。湿地帯に生えているいろいろな樹木群の総称です。住用(すみよう)村にて。




止めどなくのびる木のツル

ウジルカンダというマメ科の木です。ずっと画面の先までのびています。

この付近には、「もだま(藻玉)」というさやの長さが1メートル以上、マメの直径が10センチにもなる世界最大の豆がありました。


この他の植物

*ビロウ樹 :シュロに似たヤシ

*フクギ 塩害に強い木。空に突き上げるように高く、真っ直ぐにのびます。

◆釣り、スポーツ合宿で奄美を売る「ホテルビックマリン奄美」の向井俊夫(#9,2004年10月17日)

釣りとスポーツ合宿で冬の奄美観光を立ち上げた男が「ホテルビックマリン奄美」の向井俊夫さんです。

*ホテルビックマリン奄美


向井俊夫さんは、30歳の時から25年間奄美のパワーアップに尽力してきました。

誰も思いつかなかったワン ストップ ホテルを開業したのもその一つです。いそがしくぜいたくな釣り客のために、

   宿泊、空港送迎、釣り場送迎、魚拓作成      、写真、えさ、釣り、船、飛行機手配、弁      当  、観光案内、レンタカー、サウナ

など、そのころばらばらにおこなわれていた仕事を自分のホテルで、全部できるようにしました。

24時間営業で釣り客のわがままなオーダーにもこたえられるような、誰もがかんがえ及びも付かないシステムをつくりあげました。


テレビの釣り番組に奄美は年間10本はとりあげられますが、この奄美釣りブームの仕掛け人も向井俊夫さんです。ゴルファーは年2回がせいぜいですが、釣り師は気に入ると年4回訪ねてくれます。

往時には、1部屋に3人、4人の相部屋にしていただきました。釣り客は趣味を同じくするので、相部屋もいといませんでした。すべてのサービスをコミコミで、お一人3万円近く落としていただきました。ホテルだけですと、一部屋5000円の売り上げにすぎませんが、ワンストップにしますと、10万円以上になります。


釣り客にすると、「ホテルビックマリン奄美」に泊まると、えさ、船、弁当、釣り場までの足などわずらわしいことがはぶけるので、ありがたいことでした。


また、奄美は温度が石垣より4度低い、沖縄本島より2度低い、だから「陸上の冬期合宿には最適だ」とキャンペーンを貼りました。アテネオリンピックには、ここから12名の選手が参加しています。

野口みずきがインタビューの中で奄美に感謝するのは、高校卒業以来、冬季合宿などで奄美をたびたび訪れ世話になっているからです。

向井俊夫さんは、冬の奄美観光を救った男ともいわれます。

*野口みずき選手の金獲得たたえ名瀬市庁舎に懸垂幕 南海日々新聞、2004年8月26日



向井俊夫さん

向井俊夫さんのレストラン・郷土料理店「あさばな」の和室にて



人の頭大のカンパチのカブト煮


奄美に求められるの情報化促進

奄美が乗り遅れているのは、情報社会化です。情報の遅れで(=知らないために)奄美は、昔も今もハンディキャップを背負わされています。

1888年から1940年までの50年間以上、奄美は独立予算を強いられました。「奄美独立予算」は、内地の産業基盤整備に莫大な資金を必要とするために、奄美を切り捨てることでした。

第二次大戦では、海軍の要塞とされました。沖縄の後に、集団自決することも、場所までも決められていました。

また、戦後、政府は米軍が沖縄奄美を軍事占領することはのぞましいとのメッセージをアメリカに伝えていました。

*cf.神谷裕司『奄美、知りたい』南方新社、2004年


今の時代、情報の遅れは、取り返しの付かないことになります。

大学、研究所などを誘致すれば、キャンパス外の居酒屋などを通じてでも、最新の情報がとびかいます。アメリカのシリコンバレーは、人(=才能ある人)、カネ、情報を呼び込んでアメリカの再生に寄与しました。奄美も人の導入が必要でしょう。独自の奄美文化があって奄美大学がないのが不思議です。

* デジタルデバイド(情報格差、digital divide)が加速する 桑原政則


向井俊夫さんは、社長業の他に、市会議員、ライオンズクラブの会長として、奄美を一周遅れのトップランナーにすべく思索をめぐらしています。

*名瀬市議会議員当選者 2004年8月24日

◆奄美での「聞き取り学」 (#10,2004年10月19日)

10月4日クイーン コーラル号で鹿児島から船中泊で名瀬港に朝5時に着きました。

この日の日程、内容は次のようでした。



里 泰慶   グリーンストア社長 :  
朝5時より、終日案内をいただく


グリーンストア 総菜づくり所 見学 朝6時:新鮮さを保つために、終日休みなし。


グリーンストア 見学:
24時間オープン。ウリは 「地(じ)もの」、「鮮度抜群」です。毎時間が大手との戦い。


奄美看護福祉専門学校  見学 : 
薬草(藻)学科あり。奄美で唯一の専門学校


古田町マリア協会 カソリック  見学:
大島には教会が目立つ


日高賢二:
町村会事務局長  挨拶


松原昇司 奄美群島観光連盟主査 :
奄美全島博物館構想について聞き取り。奄美観光の資料を受領。


鹿児島県大島支庁  見学:
奄美で一番大きい建物。奄美でエライひとは、1が支庁長(しちょうちょう)、2が名瀬市長、3が鹿銀(かぎん)支店長。鹿銀とは、鹿児島銀行のこと。


名瀬市役所  見学:
名瀬市の要覧をいただく。どの市町村も要覧にはお金をかけています。2000〜3000円はするのではないでしょうか。要覧は一覧性があるので、瞬時にマチの特長がわかります。インターネットでは無理です。


美佐 恒七   一村会会長:朝10時より終日案内をいただく。美佐氏は夕刻東京へ。


田中一村終焉(しゅうえん)の家  見学:
付近には一村の画題がいたるところにあります。上の田んぼでは、大島ツムギのドロ染めの最中でした。、ツマベニチョウが舞っていました。


安木屋場(あんきゃば)の蘇鉄群生林 見学:飢饉の際の蘇鉄地獄が思い出される。蘇鉄の幹からは、デンプンがとれるが、よくさらさないと死に至ることもある。 龍郷(たつごう)町


西郷隆盛の流謫(るたく)跡  見学:
西郷は妻「愛加那」との間に二人の子供をもうけました。男児は後に京都市長なりました。龍郷(たつごう)町の「郷」は、西郷の郷より。西郷は奄美には冷たかった。


「島のブルースの碑」「渡久地政信先生顕彰の碑」  見学:

三沢あけみの「島のブルース」の碑。
「奄美なちかしゃ  蘇鉄のかげで  
泣けば揺れます  サネン花よ」

今でもシマでは飲み会の最後に歌い、そして踊る。渡久地政信作曲


奄美大島紬村 見学:
説明上手なガイド嬢。ガジュマルにいた「木登りトカゲ」をつかむ。同行の見学者のシマの女子小学生にキノボリトカゲを渡そうとするが、女の子はこわがって拒絶。シマの現実。

三回の台風のため、狂い咲きの花あり。狂い咲くと生命力が弱る。


奥 篤次   奄美民俗村 ・ ばしゃ山村経営者:
:レストランAMAネシア にて鶏飯をいただきながら、お話しをうかがう。


祷(いのり) 敏郎  同専務取締役 :奄美民俗村を案内していただく。


悦田 末和  案内:  鹿児島奄美パーク 次長:
田中一村記念美術館奄美パーク を案内していただく。


向井俊夫  ホテルビッグマリン奄美社長  名瀬市議会議員  名瀬ライオンズクラブ会長

叶  隆典  ライオンズクラブ副会長

里 泰慶   グリーンストア社長
三井光一郎  グリーンストア取締役
三井綾子  グリーンストア取締役:
夕食をいただきながら、お話しをうかがう。




聞き取り学

お話しをうかがう際には、三つの情報をいただいたら、(その場でお返しする時間はないでしょうが)、十の情報をお返しする普段の営為が必要です。

私は、ホームページでもお返しするようにしています。


お話しは、私は5×3.8センチのペタンコにキーワードを記します。

*ペタンコのサイズ


どなたにどこでお会いしたか、どこを見学したかは、デジカメで確認します。そのためデジカメには、訪問先、人をかならず写しておきます。

また、ホテルに帰館したら、その日のまとめとホームページ用に、ペタンコをならべかえ、写真の編集を翌朝にかけてします。旅の仕事は、皆さんのお話を聞き終わりホテルに帰館してからはじまります。


帰埼(きさい)後もペタンコを整理しながら、ホームページの更新を続けます。

奄美関係の本を注文し、読みます。

それ以外に、旅の間にたまった日常業務が山になっています。


旅の仕事は、帰宅後に本格化します。

帰宅後の一月間は3倍ほどいそがしくなります。



*聞き取り学文献

聞き取りの仕方に関する文献は、2冊あります。


小池和男『聞き取りの作法』東洋経済新報社、2000年 

大学教員としては、もっとも多くの企業から聞き取りをおこないました。ノウハウがつまっています。


関満博『現場主義の知的生産法』ちくま新書、2002年  

現場調査の準備から結果のまとめ方,生産性の上げ方,フィールドの育て方まで。


次回以降予定:

書店
あまみ庵(郷土誌)  楠田書店

県立図書館奄美分館

名瀬市以外の町村役場の要覧

植物の撮影:小便の木
動物の撮影:

大島以外の島々を訪問

島尾敏雄関係

南海日日新聞社

*奄美大島探検図 業者一覧

◆恋しい人「加那」:西郷の妻 愛加那、奄美方言(#11,2004年10月20日)

奄美の言葉で「加那」は恋しい人という意味です。シマではよく使われます。


田端義夫が、1962年(S37年)うたった「島育ち」に

♪   赤い蘇鉄(そてつ)の 実も熟れる頃

   加那(かな)も年頃 加那も年頃

   大島育ち ♪

と加那がうたわれています。


名瀬港から沖縄への船の売店で「沖縄へのみやげは?」とたずねたら、黒糖せんべい「愛加那」を真っ先に推薦されました。→写真


「加那」という黒糖焼酎があります。黒糖焼酎は奄美だけに許された焼酎で、毎年10%売り上げがのびています。

*黒糖焼酎 加那  40度


西郷さんのシマの妻は、愛加那です。

流謫(るたく)の身であった西郷隆盛は、島の娘 愛加那を33歳の時に妻にしました。愛加那は22歳でした。二人の子供、菊次郎、菊子は、島妻制度の掟にしたがい、西郷本家に引き取られ、愛加那は孤独な生涯を送りました。


西郷さんは、菊池源吾とシマでは名乗っていました。長男に菊池の「菊」をとって菊郎とつけました。菊次郎は、台湾の知事をやり、京都市長にもなりました。

西郷さんは、鹿児島にもどり別の女性と結婚して、次男が寅年に生まれました。寅郎です。 ( *荒木博之


シマ生まれの長男が次郎で、鹿児島の次男が太郎です。また二人の子供を、愛加那から鹿児島へとり去りました。

そのころの本土人のシマ観があらわれています。



「島育ち」 [演奏]

1
赤い蘇鉄(そてつ)の 実も熟れる頃
加那(かな)も年頃 加那も年頃
大島育ち

2
黒潮(くるしゅ)  黒髪(くるかみ) 
女身(うなぐみ)ぬ  かなしゃ
想い真胸に 想い真胸に
織る島紬(つむぎ)

3
朝は西風 夜(よ)は南風
沖ぬ立神(たちがみゃ) 沖ぬ立神
又 片瀬波

夜業(よなべ)おさおさ 織るおさの音
せめて通わそ せめて通わそ
此の胸添えて

(有川邦彦作詞・三界稔作曲)



黒糖せんべい  愛加那

ゆれる船上にて撮影のため、ピンぼけ




西郷隆盛の流謫(るたく)の家



*田端義夫の思い出


田端義夫は、三重県松阪市の出身です。今から60年ほど前、わたしも疎開で松阪(まっつぁか)のさらに山奥に住んでいました。20代の田端義夫が名古屋で美空ひばりと共演中、何者かにほほを切られました。


地元の松阪(まっつぁか)では「バタやんが、えらいことにおうたんや」と大騒ぎでした。この事件は新聞種にはなりませんでした。

1962年の「島育ち」は、東京の学生時代に昔のバタやんを思い浮かべながら、口ずさみました。「加那」は人名だと今回の奄美訪問まで40年間おもっていました。


奄美合宿で金メダルを獲得した野口みずき選手も、三重県出身です。バタやんの「島育ち」が無言の追い風になったのでしょうか。

*田端義夫


◆加那は「愛(かな)し」から:加那の唄(#12,2004年10月21日)

加那は「恋しい人」のことです。 「愛(かな)し」は、接尾語では「(愛する)…様」になります。「医者がなし」は、お医者様となります。【メモ:次回、聞き取り】

「 とうとがなし」は、「尊・様」で「ありがとう」となります。


郷土料理の店「喜多八」で、下の唄を採集しました。

♪   十五夜の  御月(みつき)  美(きょ)らさ
   照りゆり  

   加那が 門(じょ)に  立ちば  
   曇(くも)てたぼれ  ♪

<十五夜の月が  きれいに照っています。
けれども、恋しい人が家の門に立つときは、曇っておくれ。>


このような唄もあります。

♪  沖や(うちじゃ) 北風(にし)  
吹きゅり
(ふちゅい)

根瀬や(にしじゃ) 南風(ふぇー)  
吹きゅり
(ふちゅい)

加那が  懐や(ふちゅくるじゃ)
真南風(ふぇー)  吹きゅり(ふちゅい) ♪

<沖は北風が  吹く
   浜は南風が  吹く
   恋しい人のふところは  真南の(あたたかい)風が  吹く >

*北は「にし」、南は「ふぇー」です。




*奄美の代表的島唄 :

いきゅんにゃ、加那 【唄、5秒後】

♪ 行きゅんにゃ加那 

わぁきゃくーとぅ  忘(わし)りて、

行きゅんにゃ  加那−   ♪

<行ってしまうんですか? いとしい人。わたしのこと、忘れて、行ってしまうんですか? いとしい人>

♪ うったちゃがうったちゃが 
いきぐるしゃ ソラ行きぐるしゃ ♪
◆奄美のことばは、琉球方言の一種:ことば (#13,2004年10月25日)

琉球方言は、北琉球方言と南琉球方言にわかれます。

北琉球方言は、奄美方言と沖縄方言に分かれます。

奄美方言は、琉球方言のひとつです。奄美のことばは、宮古や八重山のことばよりも、沖縄本島の沖縄語に近いです。

北琉球方言 奄美方言
沖縄方言
南琉球方言 宮古方言
八重山方言
与那国方言

*奄美大島地図 Mapion

沖縄本島の人は、南琉球方言(宮古、八重山、与那国)を全く聞き取ることができません。


奄美方言の分類

奄美方言は、2分されます。

奄美大島方言
喜界島方言
徳之島方言
奄美方言
沖永良部方言
与論方言

沖永良部と与論は沖縄方言に近いです。唄でも、琉球方式です。

奄美の唄は、裏声が特長です。


奄美大島方言の分類

奄美大島の方言は、北部方言と南部方言に分かれます。

北部 笠利方言
龍郷方言
名瀬方言
大和方言
奄美大島方言 住用方言
南部 宇検方言
瀬戸内方言

宇検や瀬戸内では、

   釘  kuk
   首  kup

のように、子音でおわる語があります。

また、
   高さ  tahasa
と、語中の-k- が、-h-になります。

*方言コーナー(奄美本島南部版)




*奄美方言音声データベース 琉球大学

*危機に瀕した伝統的琉球語奄美方言の緊急調査研究



沖縄タイムス「残さびらな・島くとぅば」

*森本真一郎の語り 【音声】  <2001年10月3日>  語りの訳


*[残さびらな・島くとぅば](44)/琉球方言の北限(上)/息づく古語の時代/大和・琉球交差する島/奄美・佐仁の「八月踊り」 <2001年11月14日>

* [残さびらな・島くとぅば](45)/琉球方言の北限(下)/「p音残る」など特徴/今帰仁より古い佐仁言葉 <2001年11月21日> 
◆鹿児島、奄美、沖縄をまたぐ58号線 (#14,2004年10月28日)

国道58号線(ゴッパチ)は、鹿児島県、奄美群島、沖縄本島をはしっています。

海上区間も含めると日本で一番長い国道です。


鹿児島のホテルできいても、タクシーにきいても58号はどこにあるか知りませんでした。短かすぎるからでしょう。中央公民館前から鹿児島港までの700メートルしかありません。

*鹿児島の58号線 【地図】


奄美大島では、多くのトンネルをくぐりぬけます。奄美大島はトンネルの島です。


*奄美 国道58号の旅 【地図】


沖縄の特産物はゴーヤー(にがうり)です。5月8日は、ゴーヤーの日です。

また、国道58号線は、沖縄本島の背骨です。というわけで、沖縄のキーナンバーは58です。

*沖縄の国道58号線 【地図】

国道58号線の終点は、那覇市の明治橋です。

*明治橋 【画像】



*沖縄の地名の読み方の検索

勢理客の読み方を調べるには、「勢理客  地名」とキーインします。ジッチャクです。

沖縄には、保栄茂という地名もあります。保栄茂で「ビン」とよみます。「保栄茂  地名」でサーチしてください。

北谷は、沖縄の原宿です。 「北谷  地名」でアクセスしてみてください。



西郷隆盛の銅像前が起点:鹿児島県

隆盛は錦江湾の方面を向いています



新和瀬トンネル前にて:奄美大島

新和瀬トンネルは、2500メートルあり、奄美最長です。



勢理客(ジッチャク)交差点:沖縄県

勢理客(ジッチャク)に国立劇場おきなわがあります。

*国立劇場おきなわ

◆アマミノクロウサギなどの貴重種が住む奄美 (#15,2004年11月4日)

島のほとんどが森林や原野におおわれている奄美大島には、特異な動物相を保有しています。


2003年11月「奄美日本復帰50周年記念式典」に出席の天皇陛下は、このことに特に言及しました。

「奄美群島はアマミノクロウサギルリカケスをはじめとして、群島にのみ生息する生物が多くいることで特長づけられています。しかし、島の生物は個体数が限られ、絶滅が心配されています。

特にオオトラツグミは、100羽程度しかおらずきわめてきびしい状況にあります。これらの貴重な生物を守っていくのはきわめて大切なことだと思います。」

*天皇陛下のおことば 上から16番目。宮内庁。奄美人には皇室ファンが多いです。


アマミノクロウサギ(奄美の黒ウサギ)は、世界でもここにだけ住んでいます。ふつうのウサギよりはるかに小さく、耳も短いです。ハブやマングースのいる中で、たくましく生き続けています。湯湾岳(ゆわんだけ)頂上付近に多くいるようです。

*アマミノクロウサギ(奄美の黒ウサギ)【画像】


ルリカケス(瑠璃カケス)は、羽毛がルリ色をしているのでその名があります。カラス科の珍鳥で、奄美地域のみに生息し、ガジュマルにあつまります。「ギャーギャー」とだみ声でなきます。

*ルリカケス(瑠璃カケス)【画像】


アカショウビン(赤翡翠)は、カワセミの一種で4月中旬から9月頃まで見ることができます。くちばしがアンバランスなほど大きいです。「キョロロー。キョロロー」となきます。田中一村が好んで題材にしました。

*アカショウビン 【画像】


ツマベニチョウ(褄紅蝶)は、白い着物に、紅色のそでをつけたチョウです。「田中一村終焉の家」にも飛んでいました。一村の画題でした。

*ツマベニチョウ 【画像】


キノボリトカゲ(木登りトカゲ)は、色を変えます。危害を加えることはなくかわいい顔をしています。マスコットになりそうです。


土地の人は、縄を見たらハブだとおもい跳び逃げます。

ハブは夜行性で、湿ったところが好きで、ネズミなどが好きなので人家近くにも徘徊(はいかい)します。10年で2メートルにもなります。

水だけで3年間も生きたのがいます。

ハブにかまれることをハブアタリといいます。

いずれ動物愛好家はハブの捕獲にも異議をとなえるでしょう。

ハブ 【画像】


その他、リューキューアユも貴重種です。



* 一村のオーストンアカゲラの謎

一村 最後の絵オーストンアカゲラには、謎が含まれています。

首から上は、本土にしかいないアカゲラです。胴体は天然記念物の奄美のオーストンアカゲラです。基(モトイ)武雄さんがこのことを紹介しています。







ガジュマルにとまっているキノボリトカゲ



キノボリトカゲ(木登りトカゲ)

奄美大島紬村のガイドさんが子ども達のためにひょいとつかんでくれましたが、奄美の子ども達はつかむことができませんでした。ガイドさんの説明で、奄美の植物、自然、生活、歴史がよくわかります。

*ツムギの特長

ツムギは、渋みがあり、軽くて暖かい、しわがよらない、着崩れしません。



一村が好んだアカショウビン




ツマベニチョウ




ハブ捕獲棒

山好きの叶  隆典さん(ライオンズクラブ副会長)は、左の四輪駆動にハブ捕獲棒を常備しています。