マレーシアいろいろ事典:新井卓治

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マレーシア地図 abcmalaysia.com
写真はことわりがない限り、新井卓治の撮影になるものです。
マレーシアいろいろ事典 目次 :新井卓治

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◆世界遺産へひとっ飛び  日本から5時間のコタキナバル  (#1,2004年3月25日)    

マレーシアはマレー半島の西マレーシアとボルネオ島北部の東マレーシアからなります。

ボルネオ島の北端のサバ州のまでは、成田からの直行便では5時間弱です。機内で映画を観て、ひと眠りすると着いてしまう程よい距離です。


州都コタキナバルには、美しいビーチと、キナバル山があり、リゾート地として人気が高まってきています。4010mのキナバル山は、東南アジア最高峰で世界遺産でもあります。

*マレーシア地図 abcmalaysia.com
*マレーシア地図CIA



キナバル山

*写真は新井卓治氏の撮影になります。
*参考:写真のサイズは横300ピクセルです。


◆マレーシアにもある一村一品運動 (#2,2004年3月29日

大分県は一村一品運動で世界的に有名です。マハティール前首相も、この運動に強い関心を示しました。

*一村一品運動


東マレーシア ボルネオ島サバ州の北端にクダット(Kudat)という地域があります。そこにはルングス(Rungus)人が住んでいます。ルングス人は、ロングハウスに住み、素朴な農業をいとなんでいます。

*ロングハウスの画像
*ルングス人の画像
*サバ州地図
*クダット地方の地図



クダットのある村では、蜂蜜農園の経営に精を出しています。隣村では伝統楽器のゴン(大きな銅鑼のような楽器)をつくりはじめました。

別の村ではロングハウスをゲストハウスに転用しはじめました。



ゴン


どの村にも入り口に「One Village, One Product」という看板が立っています。政府が肩入れをしていることがこんなところからもうかがわれます。

*One Village, One Productの画像(あとで)


日本とマレーシアの意外な接点です。


◆クアラルンプール空港では日本語を含む5カ国語の表示が (#3,2004年4月13日

クアラルンプール国際空港は1998年に開港した世界で2番目に大きい美しい空港です。

黒川紀章氏の設計によって、建物と森林の調和が随所に見られるつくりになっています。


筆者が元駐マレーシア日本大使から聞いたエピソードでは、「空港が広すぎてわかりにくいと観光大臣に伝えたところ、すぐに日本語表示を追加してくれた」とのことでした。

地方空港に行っても日本語表記があり、日本人観光客誘致への意気込みが感じられます。


その後、さらに中国語、アラビア語が加わりました。中国、アラブ諸国からの観光客が増えているからです。



マレーシア語、英語、日本語、アラビア語、中国語の表示

2003年5月に訪馬の際、日本語表記の間違いに気づきました。筆者はマレーシア政府に写真を送って訂正方をお願いしました。8月に再訪した時には「ゲート」と直っていました。

cf.
『クアラルンプール新国際空港』 日経アーキテクチュア、1998。100点以上の写真と解説。英文併記。


◆マレーシアの新首都プトラジャヤ(#4,2004年4月20日)

マレーシアは、「ビジョン2020」のもと、長期的な視野に立って国家建設を進めています。

*アジア的な発展をめざすマレーシア
坪内隆彦


その計画の一つが、新行政都市プトラジャヤへの首都機能移転です。

1995年に建設が開始され、1999年には首相官邸、2005年には各省庁が移転し、2010年には住宅などのすべての開発が完了する予定です。


筆者は毎年訪れてその変化を見ていますが、現在は公務員住宅に多くの住民が入り、ショッピングセンターもできて、近代と伝統とがミックスした新たな街が出現したという印象です。


プトラジャヤとは、成功(ジャヤ)の王子(プトラ)という意味です。

*Putrajaya Wikipedia



プトラジャヤ。2003年10月

付近はクアラルンプール市民の憩いの場所ともなっています。

ジャヤはサンスクリット語からの借用語で、サイバージャヤといった新しい地名や、メトロジャヤといったショッピングモールの名前などによく使われています。


◆南タイはマレー世界 (#5,2004年5月12日

2004年4月、タイ治安当局はモスクを襲撃し、100人以上を射殺しました。


タイ南部のパタニ、ヤラ、ナラティワットにはムスリムのマレー人が多く住んでいます。

*南タイ地図


彼らは国境を接するマレーシア・クランタン州と同じマレー語方言を話し、親族が2つの国に分かれて暮らしているケースも少なくありません。


筆者が南タイ・マレー人文化の中心地パタニを訪れたのは1996年が最後ですが、街のタイ語表示以外はクランタン州と似たような雰囲気でした。


ただ、南タイからマレーシア北部に入ると道路や車、家々が目に見えて立派になり、経済格差がはっきりと感じられました。



パタニにある南タイでもっとも美しいといわれるモスク


タイというと微笑みの仏教国と言われますが、南部にはイスラム教マレー世界があり、私たちが抱くタイとは別世界があるのです。


有名なリゾート地プーケットも実はマレーシア語です。マレーシア語ではブキット(bukit)といい、丘のことです。


◆ボルネオ島北端の岬 (#6,2004年7月14日)

サバ州州都コタキナバルから車で約3時間のところにあるKudatの街からさらに30分で、ボルネオ島最北端の岬Tanjung Sempang Mengayauに着きます。

*ボルネオ島 【画像】
*Kudatの位置


ここは、近年サバ州政府によって新たな観光地として紹介されている場所で、南シナ海とスールー海がぶつかる雄大な眺めが最大の魅力です。


人はどこでも先端が好きなようで、マレーシアにはこの他にもマレー半島ジョホール州の南端にユーラシア大陸最先端Tanjung Piaiというのがあります。


南シナ海とスールー海のぶつかるこの岬は、かつてこの地域に暮らすルングス族が敵の侵入を防ぐための要衝でしたが、現在は静かな観光地となっています。



ボルネオ島北端の岬 Tanjung Sempang Mengayau

*上空からの写真


◆ルングス人のロングハウス (#7,2004年7月21日)

ボルネオ島の北端にある町Kudat周辺は先住民ルングス(Rungus)の人々のエリアです。ルングスは元来農業を生業し、織物やビーズ細工などの工芸に優れていることで知られています。


ルングスの人々の伝統的な住居は数世帯が同居するロングハウスですが、社会が開発されるに従って、昔ながらの住居は少なくなってきています。


竹で組んだ床と壁、ニッパ椰子でふいた屋根のロングハウスは通気性が良く、筆者の体験では、朝夕は涼しく感じられるほどで、大変過ごしやすいものでした。



ロングハウス

*ロングハウス【画像】Google


◆サバ州のカダザン語 (#8,2004年7月28日)

サバ州の先住民カダザンは人口の約3分の1を占める同州最大のエスニックグループです元来、平地に住み農業を生業とする人々で、キリスト教が浸透し、華人と混血したシノ・カダザンと呼ばれる人たちも州都コタキナバル周辺に多く住んでいます。

*カダザン


マレーシアの国語はマレー語、公用語は英語ですが、サバ州ではカダザン語も主要な地域語として社会で認知されています。


収穫祭が近づくと、Kotobian Tadau Tagazo Do Kaamatan「収穫祭(カーマタン)おめでとう」の文字をあちらこちらで見かけますが、これはマレー語ではなく、カダザン語です。


◆ランブータンの実の取り方 (#9,2004年8月18日)

ランブータンは、マレー半島原産の、表面にひげを生やした果皮が特徴の果物です。果皮をむくと中に種を包んだみずみずしい白い果肉があり、さわやかな酸味と甘みがやみつきになります。

*ランブータン rambutan:毛を意味するマレー語rambutが語源

*ランブータン 【画像】


ランブータンの木は10年もすると10メートル近い高さに成長し、8月と12月頃に大量の実をつけます。手の届かないところになっているランブータンの実を取るときは、先が割れた長い竹棒を使い、実がなっている枝ごとねじ切ります。


筆者は昨年8月にサバ州コタブル(Kota Belud)近郊のドゥスン族(Duzun)の村を訪ねた際にランブータン取りを体験し、数日間食べまくりました。村ではどこでもランブータンの木を植えているので、好きなだけ食べることができます。



ランブータン採取風景


今、タイ産ランブータンの輸入が可能になり、日本でもナマの実を食べられるようになりましたが、1個数百円も出して食べたいとは、思えなくなってしまいました。


◆ゴムの樹液の抽出 (#10,2004年8月25日)

天然ゴムは、かつてマレーシアの主要な輸出品でしたが、今ではマレーシアの主要産
業は製造業となり、ゴム林も油ヤシ農園へ姿を変えるなど、少しずつ、少なくなって
います。


ゴムの木は朝、木の幹にナイフで筋をつけ、削った木の部分から流れ出る白い樹液が木の下に置いてあるポットに溜まるようにします。翌朝、ポットの中で凝固したゴムの樹液を集め、熱して一枚の板状に変え、出荷します。


そうして集められた天然ゴムの樹液は工場で精製され、輪ゴム、医療用ゴム手袋、そしてゴルフのボールなどの原料として使用されています。写真は筆者が昨年8月にサバ州コタブル近郊のドゥスン族の村にて撮影したものです。





ゴム樹液抽出中の新井卓治


田舎では裏庭に1ヘクタールぐらいの天然ゴ
ム林を所有している人がけっこういて、主にリタイアしたおじいさんたいが管理しています。天然ゴムから得られる収入は1ヶ月に1万5千円ぐらいで、年金暮らしの人たちには毎朝のちょとした運動プラス収入源となっています。


◆ゴム樹液の出荷 (#11,2004年9月1日)

ゴムの木から流れ出た白い樹液は、下に供えてあるポットに溜まり、それを集めて熱して1枚の板状にしたから出荷されます。出荷といっても、大抵の場合、華人の仲買人が集めに来て、精製工場に持って行きます。


サバ州ドゥスン族の村では、それらの
ゴム板は1枚10リンギ程度だと聞きました。筆者にとっては、田舎に行って垣間見
た、植民地社会経済の名残りでした。


今やマレーシア=ゴム、錫、ではないのと同じく、若者にとって、彼らの未来には農園労働者という文字はありません。ゴム樹液の
出荷も、田舎でひっそりと行われているようです。



◆コタバルの市場 (#12,2004年9月8日)

マレー半島東海岸北端にありタイと国境を接するKelantan(クランタン)州は、マレー文化のふるさとと言われ文化・芸能の盛んな土地柄です。

*クランタンの位置@@


州の人口の95%近くがマレー系で占められ、マレーシアの人口の約3割を占め、都市部に多い華人の姿は州都Kota Bahru(コタバル)ではそれほど多く見かけません。それでも、コタバルの街は活気に溢れ、中央市場(Pasar Raya パサーラヤ)は毎日、食料品や衣料品などを求める人で賑わいます。


中央市場は女性の世界です。野菜、果物、衣料などの店はどこも威勢のいい女性たちが仕切っています。筆者が初めて訪れた12年前も、久しぶりに訪れた昨年も、それは変わっていませんでした。




近年、表向きはイスラム色を強める同州ですが、マレー系の人々が元来持っている特質はなかなか変わらないものなのです。

*コタバル市内地図


◆不気味な雨雲 (#13,2004年9月16日)

マレーシアなどが位置する東南アジアの亜熱帯地域、熱帯地域では、1日に1回から2回程度のスコールと呼ばれる強い集中雨が降ることがあります。

日本の夕立のように、1時間程度の間にバケツの水をこぼしたような大量の雨が一気に降ります。


スコールの予兆は雲行きでだいたい分かります。地元の人々は、スコールを降らせる不気味な雨雲の流れから雨を予測し、スコールを避けるようにしています。


写真はマレー半島東海岸クランタン州都コタバル市内を流れるSungai Kelantan(クランタン川)上空に迫ってきた雨雲の様子です。


こんな雲が出てきたら、私たちは帰路を急ぐか、予定を変えて屋内でくつろぐしかありません。



風雲急を告げるスコール雲


◆コタバルで王宮舞踊を観る (#14,2004年9月23日)

マレー半島東海岸北部のクランタン州(Kelantan)とタイ南部のパタニ(Pattani)、ヤラ(Yala)、ナラティワット(Naratiwat)地方は、類似のマレー文化を持つマレー人が多く暮らす一つの文化圏です。


コタバルにあるGelanggang Seni(グランガンスニ、演芸場)にあるホールでは月に1,2度、クランタン州の伝統舞踊を鑑賞することができます。

最も有名な舞踊にAsyik(アシッ、情熱の意)と呼ばれる、かつてパタニのスルタン家にて踊られていて、それが民衆にも広まった王宮舞踊があります。


衣装やアクセサリーにタイの影響が見られるのが特徴です。PAS(汎マレーシア・イスラム党)が州の政権を握るクランタン州では、近年、外来文化(主にタイやインド)の影響が見られる芸能を演じない傾向にあり、Asyikダンスを見られる機会も少なくなりましたが、民間の愛好家によってその文化的遺産は今でも受け継がれていっています。



コタバルの王宮舞踊


◆サバ州の朝市「タム」 (#15,2004年9月30日)

ボルネオ島サバ州の州都コタキナバルから車で約1時間北に走るとKota Belud(コタブル)という街に着きます。コタブルは、昔からこの地域の海岸沿いに住むバジャウ族と平地から山間の地域に暮らすドゥスン族の人たちが食料や生活物資を交換する場でした。

*Kota Belud


今でも毎週日曜日の朝に「Tamu」と呼ばれる市が立ち、海山で採れた食材などや生活雑貨を求めて大勢の人が集まります。タムは(Tamu)は語源はマレー語のTemu「トゥム、会うの意」で、人々が出会う場所という意味なのだと思います。


写真は筆者が昨年8月に訪れたコタブル郊外の市の様子ですが、ドゥスン族の人たちが山で採れた色鮮やかな野菜を並べていました。







◆辛いだけがマレーシア料理ではない (#16,2004年10月7日)

マレーシア料理というと「辛い」というのが一般的な印象でしょう。マレーシア人の中のマレー系とインド系の食べ物に香辛料が大量に使われるので、辛いということになっているのでしょうが、マレーシア人の中には辛くなく、スパイシーでもない食べ物を常食とする人たちもいます。


筆者が昨年8月に訪れたボルネオ島サバ州Kota Belud(コタブル)近郊のタギナンブー村は、Dusun(ドゥスン)人の村ですが、彼らの食事は野菜や鶏肉を塩味で頂くもので、素材の素朴な味を活かした日本人にも通じる味覚です。多民族社会のマレーシア、料理は辛いものだけではないのです。

*Dusun(ドゥスン):dusunとは、「農園」のことですが、「田舎者」という含意があるので、同じDusun系でも、街の近くに住む人たちは、DusunではなくKadazan(カザダン)と自称しています

*Indonesia-English Dictionary dusunと入力して、しばらくお待ちください。



Dusun人の食事



◆ココナツは万能 (#17,2004年10月14日)

南国の象徴のようなココナツですが、人の暮らしにこれほど役に立つ植物はありません。


実の中にはジュースがあり、殻を割って飲みます。ジュースを飲んだ後、種の内側の白い部分をスプーンなどですくって食べることができます。この部分はココナツミルクの成分を含むので栄養があります。


飲んで食べた後の実を乾燥させると別の使い方ができます。その繊維を利用してたわしのような清掃用具を作ることができます。


また、よく乾燥させたココナツの実はとてもよく燃える燃料ともなります。実だけでなく、ココナツを葉をふいて小屋の屋根を作ることができますし、幹は柱となります。


ココナツは単に南国風の景観を演出するために植えられているのではなく、生活に密着した万能の木なのです。


逆に言うと、ココナツがあるところは、既に人の手が入った土地であるとも言えます。そういう視点で風景を眺めると人々の暮らしぶりの一端が見えてきます。



ココナツの実を割ってジュースを飲む


▼サイト紹介

日馬プレス
マレーシアの日本語新聞


◆クアラ・セランゴール川の夕暮れ (#18,2004年10月21日)

マレーシアの首都クアラルンプールから車で約1時間半北上したマラッカ海峡沿いの小さな漁村があるもので結構有名な観光地となっています。


それは「ホタル」で、Kuala Selangor(クアラ・セランゴール)川をやや内陸に向かって遡ったところでは、夜になるとたくさんのホタルを見ることができます。自然保護のため、10人乗りのボートで決められたコースを約15分ばかり見て回るだけですが、川沿いの木にクリスマスツリーのようにきらきらと瞬くホタルの姿はなかなか感動的です。


それにも増して、ホタルを見る前の夕暮れ時、クアラ・セランゴール川の下流にある海鮮レストランで、涼しい川風に当たりながら食事をし、夕焼けを眺めるひと時も、クアラ・セランゴール・ホタル観光の大きな楽しみの一つです。




クアラ・セランゴール川の夕焼け


*クアラセランゴール


◆クアラルンプール日本人墓地 (#19,2004年10月28日)

マレーシアには戦前から戦後まで、マレーシアで暮らしこの地で亡くなった日本人の墓地が各地にあります。日本から遠く離れ、マレーシアの地で眠っている人々の中には、戦前に様々な事情から南方まで流れてきた、からゆきさんと呼ばれる女性たちなど、ほとんどは民間人です。


各地の日本人墓地の多くは、草生し、朽ち果てたような状態でしたが、1980年代の半ばから進出企業が増加し、在留邦人が多くなると、先人のお墓をきれいにしようと、日本人会や有志が中心になって少しずつ整備され、今では主要都市にある日本人墓地は大切に管理されるようになりました。


クアラルンプールの日本人墓地は、昔は郊外だった場所が今では一等地なので、周辺の華人や西洋人の墓地と共に移転する話が持ち上がっていましたが、複雑に入り組む各民族宗教団体の合意を取り付けることは出来なかったようで、現状維持されています。日本人学校の生徒たちも墓地の清掃を行い、昔、困難辛苦の中、この地で暮らし、人知れず亡くなった先人たちを弔っています。






*クアラルンプール日本人墓地


◆美味「サバベジ」 (#20,2004年11月4日)

サバ州に行くと筆者が必ず食べるのは、通称「サバベジ(サバのベジタブルのこと)」と呼ばれるマレー語名Sayur Manis(サユーマニス、甘い野菜の意)という野菜です。このSayur Manisという野菜自体はマレーシアのどこにでもあるものですが、サバ産のものは特別です。


通常のSayur Manisは菜っ葉のような茎から葉をたくさん付けた形状のものですが、サバ州のものは写真のように葉よりもしっかりした茎が特徴で、シャキシャキした歯ごたえとほんのりとした甘みがあり、ニンニクと塩又はブラチャンと呼ばれる小エビのペーストで炒めて食すと大変美味です。


地元の人の話では、サバ州の土壌の特性がSayur Manisを他の地域とは違うこのような形状にするとのことで、サバ州では特にLahad Datu(ラハダト)産のSayur Manisが最もおいしいとして人気があります。




サバベジの炒め物


マレーシア国王 (#21,2004年11月11日)

マレーシアは日本と同様、立憲君主制の国で、国家元首として国王を擁します。これも日本と同じく、国王は国民統合の象徴的な存在で、実際の国政には直接関与しません。


ただ、日本と異なるのは、国王はイスラム教の長、スルタンであることです。スルタンが国王であることに、マレーシアは多民族国家であっても、イスラム国であることが伺えます。その国王は世襲制ではなく、全国13州の内の9つの州のスルタンによる5年任期の輪番制になっているところがユニークです。


現在のサイド・シラジュディン(Tuanku Syed Silajudhin Ibni Almarhum Sultan syed Petra Jalallailu)第12代国王はPerlis(プルリス)州のスルタンです。写真は筆者が昨年12月にサラワク州クチンで行われたハリラヤ・オープンハウスに参加した際に撮影したものです。向かって左隣はブルネイのスルタンで世界一のお金持ちとして有名なハサナル・ボルキア国王です。


マレーシアは日本と同様、立憲君主制の国で、国家元首として国王を擁します。これも日本と同じく、国王は国民統合の象徴的な存在で、実際の国政には直接関与しません。


ただ、日本と異なるのは、国王はイスラム教の長、スルタンであることです。スルタンが国王であることに、マレーシアは多民族国家であっても、イスラム国であることが伺えます。その国王は世襲制ではなく、全国13州の内の9つの州のスルタンによる5年任期の輪番制になっているところがユニークです。



サイド・シラジュディン国王とボルキア国王(左後ろ)




現在のサイド・シラジュディン(Tuanku Syed Silajudhin Ibni Almarhum Sultan syed Petra Jalallailu)第12代国王はPerlis(プルリス)州のスルタンです。写真は筆者が昨年12月にサラワク州クチンで行われたハリラヤ・オープンハウスに参加した際に撮影したものです。向かって左隣はブルネイのスルタンで世界一のお金持ちとして有名なハサナル・ボルキア国王です。


*スルタン ウィキペディア


◆ 国民的歌手となったシティ・ヌルハリザ (#22,2004年11月18日)

マレーシアは多民族社会であることや、国土が日本の8割ある中に人口が約2500万人(台湾とほぼ同数)と多くないこともあり、映画、TV番組、本などの芸能や娯楽のコンテンツはアメリカやイギリスなど英語圏から多くを輸入しています。

*Siti Nurhaliza 【画像】


英語以外ではマレー人やインド人はインドから、華人は香港、台湾からの娯楽を楽しんでいます。


地元のマレー人による映画や歌はあるものの、50、60年代のP.ラムリー以来、国民的なスターは現れませんでしたが、今、25歳の歌手、シティ・ヌルハリザ(Siti Nurhaliza)がマレー人社会を超えた幅広い支持を集めています。


ルックスと歌唱力を兼ね備え、ポップスからマレー歌謡までの豊富なレパートリーが世代と民族を超えたファン層を獲得しており、そのマーケットはインドネシアにまで広がっています。


◆川沿いの美しい街「クチン」 (#23,2004年11月25日)

サラワク州の州都「クチン」はマレー語でKuching(猫)を意味し、猫は街のシンボルとして目抜き通りに猫のオブジェが3箇所飾られています。

*Naomy's マレーシア > クチン

*Kuching Online (英)クチン市公式ページ


クチンは南シナ海からサラワク川を30分ほど遡ったところに発展してきた川の街で、川に沿って古い商家やマーケットなどがある落ち着いた佇まいの街です。


クチンの地名の由来はいくつか諸説ありますが、一般的に周辺にMata kuching(マタクチン、竜眼)の木が多くあったことからクチンと呼ばれるようになったと言われています。


別の説では、イギリス人が上陸当時、地元の人にここはなんという土地かと尋ねたところ、イギリス人が指差している方向にたまたま猫がいたので、地元の人がクチン(猫)と勘違いして答えたことから、クチンと呼ばれるようになったといったユニークな説もあります。


◆「森の人」オランウータン (#24,2004年12月2日)

オランウータンの原語はマレー語でOrang(人)Hutan(森)といい、その意味は森の人です。

*オランウータン:英語では orangutan


オランウータンは現在、ボルネオ(カリマンタン)島とスマトラ島に約3千頭生息するだけと言われ、絶滅の危険がある希少動物です。


東マレーシアのサバ州、サラワク州では捕獲されたオランウータンの子供を野生に戻るためのリハビリテーション・センターがあります。サラワク州はSemengoh(セメンゴ)という州都クチンから車で約30分の保護センターにてリハビリを行っており、毎日午前と午後の1回ずつ、餌付けの時間にオランウータンを見ることができます。


餌の時間を知らせるセンター職員の合図の後、木々を揺らしながらオランウータンがどこからかやってきます。その姿を人間は見学用の物見台から眺めます。子を抱えた母子のオランウータンの姿はまるで人間の母子のようで、その姿はまさに森の人であると実感させられます。






*オランウータン ウィキペディア


◆サラワク川の渡し舟 (#25,2004年12月9日)

サラワク州州都クチンの中心部を流れるサラワク川では、カラフルなデザインのイラストや広告が描かれた屋根を持つ小船が両岸を行き来しています。クチン市街に面した岸辺から反対側の岸へほんの数分間でたどり着きます。


両岸をつなぐ橋が市中心部から離れているため、対岸のマレー人村から街にやってくる人々は、この渡し舟をよく利用しています。一船約10人乗りで、人がそろい次第出発します。


費用は30セント。ゆるやなか流れのクチン川をゆったりと行き来する様は、サラワク州を代表する風景にもなっています。船頭は船尾のエンジンをかけた後船首に移動し、2本のカイを十字にして水中に差込み、方向を調整します。クチンを訪れたら、風物詩の渡り舟をぜひ一度は試してみてください。


◆ビダユーの伝統的住居 (#26,2004年12月16日)

かつて陸ダヤクと呼ばれていたビダユー(Bidayuh)の人々の多くは、西カリマンタンに起源をもつと言われています。サラワク州州都周辺で多数派を占める人々で、クチンから車で1時間以内のバウ (Bau)やスリアン (Serian)といった丘陵地域に暮らしています。


キリスト教を信仰する人々で、元々ロングハウスと呼ばれる高床長屋式の集合住居に暮らしていたが、今ではビダユーのロングハウスは少なくなりました。


ビダユーの伝統的住居の一つにバロック (baruk)と呼ばれる、高さ1.5mほどの円形筒形の建物があります。そこではかつて首刈の習慣があったころに集めたしゃれこうべを天井に祀って、一日中、かまどの火を絶やさないようにしていました。


社会が近代化するにつれ、そういった建物は無くなっていきましたが、街中の建物のデザインに用いられ、民族の伝統建築様式を未来に引き継いでいるようです。
 


クチン市内にあるビダユー・バロック様式のレストラン



*@@ビダユー


◆白人王国の残照「アスタナ」 (#27,2004年12月23日)

ボルネオ島に位置するサラワク州は、マレーシアで最も面積の広い州です。しかしその人口は200万人程度と少なく、また土地の7割は森林に覆われています。

*サラワク州の位置 【地図】


そんなサラワク州には、かつてジェームズ・ブルック(James Brooke 1803年 - 1868年)が建国した白人王国があり、その時代の王宮がクチンのウォーターフロントの対岸に建つ「アスタナ」です。


19世紀半に、サラワクで発生した原住民の反乱を、英国海峡植民地政庁の協力で鎮圧に成功したイギリス人冒険家ジェームズ・ブルックは、褒賞としてブルネイのスルタンよりサラワクのラジャ(藩王)に任じられ、白人王(White Raja)の称号を与えられました。




アスタナ


その後、王国は2代チャ−ルズ・ブルック、3代ヴァイナー・ブルックに継承されたましたが、1941年には日本軍に占領され、ヴァイナー王はオーストラリアに亡命。日本降伏後、ヴァイナーは王位を辞退し、サラワクは英国の直轄植民地となり、三代続いた王国は消滅しました。


◆マングローブの森を行く (#28,2004年12月30日)

マングローブは、熱帯、亜熱帯の河口や海水から汽水域の海岸(潮間帯)に成立する森林を構成する樹木の総称です。マングローブ植物は世界で100種あまりあると言われます。


サラワク州都クチンから車で1時間のダマイからボートで巡る、クチン・ウェットランド国立公園は、手軽にマングローブの生態を見られる場所です。クチン・ウェットランドには野生のワニが多く、クルーズの途中、水辺にじっとしているワニを見ることができます。


マングローブは種子から長い芽が出ると、その重みで下に落ち、泥地に突き刺さります。そこから木として成長していきます。実際に目の当たりにすると、自然の不思議さに心を打たれます。






◆サラワク州で人気の麺「コロミー」 (#29,2005年1月5日)

麺好きの日本人にとってありがたいのは、マレーシアではいつでもどこでも手軽に麺類を楽しめることでしょう。

麺の本場中国系料理ではもちろん、マレー料理でも麺料理は欠かせないメニューになっています。


日本のラーメン同様、マレーシアでも地方名物の麺があります。サラワクでは「コロミー」と呼ばれる麺が、屋台や食堂で人気のメニューです。


コロミー(マレー語の綴りではKolo Mi)は、中国の福建省出身の華人が持ち込んだ麺のようで、漢字では干労麺と書きます。文字通り「汁なし麺」で、ゆでた麺を醤油と油を入れたボールでさっとからめて、肉や野菜を添えた一品です。


半島やサバ州と違い、福州出身の華人が多いサラワク州でよく見かけるコロミーは、漢字の原音コンローミー(福州発音?)がなまった言い方で、他の地域でも似たようなスタイルの麺を見かけますが、コロミーとは呼ばれていないようです。 



あっさりしていて何杯でもいけそうなコロミー


* サラワクの旅情報 

インサーツアーズ(日本語あり)
http://www.insar.com/jp/index.html


◆マレーシアの焼き鳥「サテ」 (#30,2005年1月13日)

マレーシア各地の屋台や市場を歩いていると、かならず見かけるのが「Sate サテ」と呼ばれるマレーシアの焼き鳥です。

焼き鳥といっても、サテには鶏肉のほか、牛肉と羊肉があります。


ターメリックとスパイスなどで下味を付けた肉片を楊枝に指して、炭火で焼くところはまさに焼き鳥そのものなのですが、日本の焼き鳥との違いは、サテの味付けは甘いということです。

また、合わせて食べるソースが独特で、すりづぶしたピーナッツとたまねぎ、ニンニクなどを調合し、スパイスで炒めて水を入れてのばし、砂糖で味付けしたピーナッツソースと一緒に食べるのがサテのスタイルです。


肉の味付けよりも、ピーナッツソースの味付けに作り手の特徴が出ます。お気に入りのピーナッツソースを食べさせる行きつけの屋台を見つけられれば、サテ通といえます。



サテ、ピーナッツソース、ご飯を固めて作ったクトゥパット



わたしの行きつけのマレーシア料理店は、池袋駅近くのマレーチャンです。

◆サラワク州の山菜「ミディン」 (#31,2005年1月20日)

筆者がサラワク州に行くと必ず食べるのが、ミディン(Midin)と呼ばれる、日本のゼンマイによく似た山菜です。

チリとブラチャン(Belacan)というエビペーストとともに炒めて食べるのがポピュラーで、独特の香りとしゃきっとしているもののやや粘着感のある食感がやみつきになります。


もともと、イバンやビダユといったかつてダヤクと呼ばれていたサラワク先住民が自生していたものを食べていたものが、マレー人や華人との交流によって次第に食材として広まり、中華の調理方によってマレーの味付けで食べられるようになったのではないかと思います。

サバ州のサバベジ同様、サラワク州ではミディンを食べるのが、筆者の密かな楽しみとなっています。
 
 


ミディンのブラチャンソース炒め

市場で売られているミリのブラチャン


サラワク州の珍味「ダバイ」 (#32,2005年1月27日)

サラワク州第2の街シブからボルネオ島奥地まで延びているラジャン川上流が原産地といわれる「ダバイ(Dabai)」という果実はサラワク州の珍味です。

ダバイの実は卵を一回り小さくしたぐらいの大きさで、表皮の色は黒く、果肉は黄色で、ダイヤモンド型をしている大き目の種子の周りについています。


ダバイの実は、ぬるま湯に浸してやわらかくなったところを塩をつけて食べますが、デザートというよりおかずとして食べる果物であると言えます。

筆者はサンデーマーケットで売っていた、初めて見かけるダバイを購入し、ビダユの家庭でご馳走になりました。

レストランでは食べられない一品ですが、ロングハウス・ツアーなどで田舎の家庭を訪ねれば、お目にかかれるかもしれません。

 
 

ごはんのおかずにダバイの実を食べる
 


◆クアラルンプールの新しい足「KLモノレール」 (#33,2005年2月3日)

2003年8月31日にクアラルンプール(KL)市民の新しい「足」として、KLモノレールが開通しました。

これまで高架鉄道(LRT)が2本開通していたものの、KLの繁華街ブキ・ビンタン(Bukit Bintang)周辺を通る路線がなかったので、観光客にとってそれほどKLの鉄道は便利ではなかったのですが、モノレールはターミナル駅のKLセントラルからティティワンサまでの間にインビ、ブキビンタン、ラジャチュランなど、ショッピングセンターやホテルに周辺を通るので、とても便利です。


観光客にとってだけでなく、仕事や通学で移動する人々にとっても同様で、多くの人に利用されるようになっています。

マレーシアは自動車社会なので、一家に数台も当たり前になり、当然交通渋滞が多くなっていますが、モノレールは常時渋滞エリアを通るので、まさに市民にとって新しい足として定着しつつあります。 
 
KL Monorail
http://www.monorail.com.my/index.htm
 

車中からの街を眺めるのも楽しい

車両は2両編成
 

下の道路は交通渋滞
 


◆古くてモダンなKLの街並み (#34,2005年2月10日)

クアラルンプールの中心部を貫くスルタン・イスマイル通りをブキ・ビンタン方面からブキ・ナナス方面に行き、トゥアンク・アブドル・ラーマン通りにぶつかる直前のエリアは、かつてはコロニアル様式のショップハウスが立ち並ぶ地域でしたが、今ではオフィルビルやシェラトン・インペリアル・ホテルなど大きなビルが立ち並ぶようになりました。


高層ビルの合間にひっそりと残っているショップハウスを、街の文化遺産として残しながら、新たに活用しようという試みが各地で行われていて、KLモノレールのメダン・トゥアンク駅近くのドライサミー通りでは、ショップハウスをきれいに改装し、Aisan Heritage Row(アジア遺産通り)としておしゃれに蘇られました。


各店舗はアジア各地の料理を出すレストランやバーなどに生まれ変わり、新たな観光スポットとして、モノレール利用客の増加とともに、知られるようになっていくかもしれません。
  
Asian Heritage Rowの外観

*
Asian Heritage Rowのレストラン案内


マレーシアのポルトガル料理レストラン。となりはレストランバー
 

タイ風のオブジェもあったりする
 


〇地域で愛飲されているボーティ (#35,2005年2月17日)

マレー半島の中心部にある標高2000メートルほどの避暑地キャメロンハイランドは、日本人の海外長期滞在先として人気を集めるようになりましたが、何よりも良く国内外によく知られることになったのは、マレーシア産紅茶の「BOH TEA ボーティ」です。

ボーティを生産する会社は、英国人植民地官僚の息子ラッセルによって1929年4月に設立されたBoh Plantations Sendirian Berhadです。

*Cameron Highland 【画像】


1200ヘクタールの土地に4つの農園が拡がり、ヘクタールあたり3000キロ、年間で400万キログラムを生産しています。それはなんと1日あたり550万カップの分量となります。

総生産量の7割は国内で消費され、残りは輸出されますが、近頃は日本でも輸入業者が取り寄せるようになってきています。


BOHは、高原地域に暮らすマレー半島の先住民「オランアスリ」の言葉で川という説と、Best Of Highlandsの頭文字であるというような説を地元で聞きましたが、雄大なお茶畑のパノラマを見ていると、Best Of Highlandsであることが理屈ぬきで理解できました。

http://boh.com.my/pl/pubdoc/1912 (英語)
 
 
 
 
 
 
 







〇高原はイチゴの産地 (#36,2005年2月24日)

マレーシア屈指の高原リゾート、キャメロンハイランドが避暑地としてだけではなく、外国人、特に日本人の長期滞在先として冬場や花粉の季節などは大いに賑わうことは前回述べました。


キャメロンハイランドの地名の由来は、1885年に同地に目をつけ、紅茶の栽培地などとして開拓を始めたイギリスの国土調査官ウィリアム・キャメロンの名にちなんでいます。


以来、紅茶のプランテーションやゴルフ場の開発だけではなく、この涼しい気候を利用した平地では育たない作物の栽培も、この地の大きな特徴の一つとなっています。


ハイランドの最高部、エクアとリアル・ヒルリゾートの近くにはいくつかのストロベリー・ガーデンがあり、赤々としたイチゴがハウスの中でたわわに実っています。


採れたてのイチゴはもちろん、乾燥イチゴやジャムなど、熱帯の暑さが一年中続く平地では得られない味覚が人気で、地域や外国からの観光客でいつも賑わっています。







〇金色のサナギ (#37,2005年3月3日)

ご紹介してきた避暑地キャメロンハイランドは、珍しい植物や昆虫の宝庫でもあります。昆虫ファンなら垂涎の、三本角のカブトムシや大きなクワガタが生息しています。


山の気候は変わりやすく、密林は人を寄せ付けませんが、キャメロンハイランドにあるバタフライ・パークで珍しいカブトムシ、クワガタ、蝶などを観察することができます。


中でも目を引くのが、羽を広げると全長20センチほどになるマレーシアの国蝶「ラジャ・ブルック」です。ひらりひらりと舞う姿は、なんとも優雅なものです。


蝶が飛び交うバタフライ・ハウスの中で、なんとも珍しいものを発見しました。金色のサナギです。残念ながら何のサナギか確認しそびれてしまいましたが、自然の不思議さには感嘆するばかりです。
 

金色のサナギ


ラジャ・ブルック



*
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A Basic English-Malay Dic
E> Malay dic


〇リゾート・シティに変貌するミリ (#38,2005年3月10日)

東マレーシアの中央部に位置し、ブルネイ王国に隣接するサラワク州第3の都市ミリは、1910年にマレーシアで初めて油田が発掘されて以来「オイルタウン」と呼ばれ、石油産業によって発展してきました。未だにミリは石油並びにLNGの輸出拠点としての機能を果たしています。


ここ最近、エコツアーへの関心の高まりから、自然の宝庫サラワク州の中でも名所中の名所である世界遺産「ムル国立公園」や、太古の鍾乳洞「ニア洞窟」、熱帯雨林研究でも知られる「ランビール・ヒルズ国立公園」への起点であるミリは、世界中の観光客がアクセスするようになってきました。


サラワク州では、ミリを大自然へのゲートウェイと位置づけ、今年中に、ミリを国際観光都市「リゾート・シティ」として大々的に打ち出すべく、都市整備を行っています。

すでに完成した新空港ビルは地方都市とは思えない立派なもので、街中も着々と整備が行われています。

ミリがどのように変貌していくのか、今年は大いに注目してみようと思います。

* ミリ市概要
http://www.clair.or.jp/j/forum
/forum/jititai/139/INDEX.HTM
 
 




きれいになったミリ国際空港




街はゆったりとして、静かな佇まい


〇伝説の島は免税の島 (#39,2005年3月24日)

ランカウイ島(pulau langkawi)は、マレー半島西海岸のタイとの国境近くに浮かぶ100前後の大小の島々から構成されているランカウイ郡島の中で最も大きな島です。ランは鷲、カウイは大理石を意味すると言われています。若き日のマハティール前首相が、医師として診療に訪れた頃は、島民の暮らしは大変貧しいものだったと回顧されています。そんなランカウイ島も、80年代後半から観光地として開発され、今ではマレーシアを代表するビーチリゾートとして知られるようになりました。

*ランカウイ 【地図】
 
ランカウイは賑やかなビーチリゾートではなく、熱帯雨林やマングローブなどの自然が残り、のどかな田園で水牛が草を食んでいる風景があちこちで見られる静かな島です。自然の中に身を置き、時の流れを忘れたい人に最適のリゾート地です。
 
島の北側にあるダタイ・ビーチ一帯は、手付かずの自然と最高級リゾート・ザ・ダタイとが共存するもっともランカウイらしい場所で、リゾートは静かな滞在を好む欧米人に人気があります。
ランカウイ島の名所の一つに、伝説の皇女マスリの墓(Makam Mahsuri)があります。島の中ほどの田園風景の中にポツリとある墓の周りは、マレーの伝統的な家屋などとともに整備され、墓は大理石で造られています。


今から約200年前のこと。タイのプーケット出身のマスリはランカウイ島の王子マット・デリスと結婚しましたが、旅人との不貞の疑いをかけられ、処刑されました。その時、潔白を証明するために真っ白な血を流したという伝説が島に語り継がれています。その後、島では7代にも渡って相次いで災害が起こり、人々は苦難の生活を送ったと言われています。マスリ王妃の呪いとして、今でも人々の間で語り継がれています。
 

ランカウイ空港内にあるマスリの肖像画


ダタイ・ビーチ



免税の島ランカウイ



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〇 (#,2005年月日)



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