カフカスを歩く ページです。
赤がチェチェン共和国、黒線が石油のパイプライン |
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チェチェン問題とは、石油パイプライン問題である
カフカス(Kafkas)とは、右はカスピ海、左は黒海に囲まれた旧ソ連の南の部分をさします。英語ではCaucasus(コーカサス)です。
カフカス地域の面積は日本ぐらいで、中央部をカフカス山脈が右下がりに横切っています。ここに50以上の民族がひしめきあっています。統一国家は存在したことがなく、古くからロシア、トルコ、イランの攻防の場でした。カフカス山脈の北に7つの共和国と南に3つの共和国が位置します。
北カフカスの中央に位置するチェチェン人の歴史は、ロシアに対する憎悪の歴史です。
18世紀以来、南進をめざすロシアは、トルコ、バルカン半島(ギリシャの上)、ギリシャを駆逐する拡張主義をとっており、その過程で多くの小さな民族を翻弄(ほんろう)してきました。ロシアは、特に勇猛果敢なチェチェン人を一掃したがっていました。
ロシアがカフカスの制圧に乗り出してから40年間以上も、チェチェン人は大国ロシアを相手に熾烈(しれつ)な抵抗戦をいどみ、ロシアに併合されてからも、彼らイスラム教徒は反乱を続けました。
1991年ソ連邦の崩壊後、チェチェンは独立を宣言しましたが、ロシアはこれを認めず、1994年に軍事侵攻し、数万人の市民を犠牲者にしました。ロシア軍は1999年にも侵入しました。
実は、ロシアが、チェチェンの独立を認めない最大の理由は、カスピ海のバクーから黒海の北への石油パイプラインを確保したいからです。このパイプラインの通過地点に人口100万人のチェチェン共和国があるので、ロシアは独立を認めないのです。
チェチェンのリンク集
カフカス山脈の南にある3国は、すでに第1次大戦末には独立を果たしていました。3国のまん中に位置するのがアルメニア人です。
アルメニアは世界最古の文明の発祥地であり、ローマ帝国よりも300年も前にキリスト教を国教に定めていました。かつてはトルコ、イラク、イランにわたる広い地域を領有していました。11世紀にはビザンチン帝国とセルジュークトルコに侵入され、多くのアルメニア人は母国を捨てました。15世紀にはオスマントルコ領とペルシア領に分断され、ロシアの介入も招きます。
トルコ領にいたアルメニア人は、第1次大戦中にロシアを後ろ盾にして、トルコからの解放運動を起こしますが、100万人の死者と50万人の逃亡者を出します。アメリカ在住のアルメニア人はこの時の移民の子孫です。大国の狭間(はざま)で歴史に翻弄され続けたきたアルメニア人は、アルメニア国外に650万人います。
アルメニア人はユダヤ人とよく比較されます。虐殺、離散といった受難の歴史を背負い、宗教を団結のよりどころにし、また商売上手でもあります。
アメリカにも富裕なアルメニア人は多く、「ユダヤ人3人がかかっても、一人のアルメニア人にはかなわない」といわれます。
アルメニアのリンク集
サファビー朝をおこしたアゼルバイジャン人
アゼルバイジャンは11世紀にセルジュークトルコに領有され、トルコ化、イスラム化が進みました。16世紀にはアゼルバイジャン人はサファビー朝をおこし、ペルシアを支配するようになります。今に至るもアゼルバイジャン人は、みずからの先祖がサファビー朝をおこしたことを誇りにしています。イラン領内にもアゼルバイジャン地域があります。
キリスト教徒のアルメニア人とイスラム教徒のアゼルバイジャン人は、仲が悪いです。アゼルバイジャン国内には、ロシア、トルコ、イランの圧制をのがれてきたアルメニア人が多く住んでいます。アルメニア人は商売上手で、アゼルバイジャン人の上に立っていることも、対立の原因です。1918年から2年間にわたりアルメニア・アゼルバイジャン戦争も起こりました。
いまアゼルバイジャン国内にアルメニア人が多く住む地域ではアルメニアへの帰属を要求しています。ふたつの誇り高い民族の対立は、ロシアが多分に意図的にあおったこともありますが、終わることがないようです。
cf. 21世紀研究会『民族の世界地図』文春新書、2000年
リンク集他
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