- 1894年
日清戦争 日本海軍の海戦に加わる艦船
- 1900年
義和団事件(北清事変) 李鴻章、外国の守備兵、軍隊
- 1904年
日露戦争(1904年-) 東郷提督と、日本海海戦
- 1905年
日露戦争でロシア降伏 乃木将軍
- 1905年
ポーツマス条約 小村寿太郎、ポーツマスでの日露講和会議に出席
- 1909年
伊藤博文、暗殺 初代韓国統監の伊藤博文がハルピンで暗殺される
- 1910年
白瀬中尉南極探検 出港を見送る人たちと雪原で移動する探検隊員
- 1912年
中華民国成立 三民主義をとなえる孫文
- 1914年
サライェヴォ事件 暗殺されたオーストリア皇位継承者夫妻についての新聞と葬儀
- 1914年
第一次世界大戦 ドイツ軍の砲撃、陸戦
- 1917年
第一次世界大戦にアメリカ参戦 執務中の米ウィルソン大統領と行軍訓練中の米軍
- 1917年
ロシア革命 演説するレーニン
- 1918年
日本軍 シベリア出兵 記念撮影中の将校たち
- 1918年
日本軍 ハバロフスク占領 駐屯地での日本兵士のようす
- 1918年
第一次世界大戦終わる ニューヨークで凱旋行進する米軍
- 1915年
大正時代の東京 市電も通りにぎわう日本橋と浅草
- 1919年
中国五・四運動 孫文と抗日運動を進める大衆。孫文は1925年に58歳で死去
- 1919年
ヴェルサイユ条約調印 ドイツが講和条約に調印。国際連盟の設立、軍備制限、賠償金支払い、ドイツ領の割譲
- 1919年
ムッソリーニ ファシスト政権の成立 黒シャツのファシスト戦闘団とムッソリーニがローマに進軍。群衆の前で演説するムッソリーニ、少年兵の行進。
- 1923年
関東大震災 死者4万人、被災者340万人。壊滅状態の東京市街、設置された臨時郵便箱。 被災者を乗せた救援列車 :関東大震災 コミック版
- 1926年
蒋介石 北伐開始 広州を出発する兵士10万人を閲兵する蒋介石
- 1928年 張作霖爆殺事件北方軍閥の首領、張作霖の乗った列車が満州奉天付近で爆破され、張作霖は死亡。息子の張学良は抗日の立場をとり、中国国民政府へ合流。
- 1928年 昭和天皇即位大礼式天皇裕仁の即位礼が京都御所で行われ、群衆は数十万人に達した。同日、東京でも奉祝行事が盛大に行われた。
- 1928年 昭和初期の世相モボ、モガと呼ばれる若者たちのあいだでジャズが流行。映像は当時の失業者を雇ったサンドイッチマン、銀座のネオン街、ダンスホールのようすと踊り子。
- 1929年 スターリン、トロツキーを追放1929年、スターリンはトロツキーを追放し、更に対立者らを次々と追い、30年代初頭には事実上独裁権を掌握した。
- 1929年 フーヴァー、大統領に就任 アメリカ資本主義の「永遠の繁栄」を公約にした。
- 1929年 世界恐慌始まる ニューヨークの株式市場で突然株価の暴落に見舞われ、アメリカで空前の大恐慌がおこり、世界へと恐慌が拡大していった。
- 1930年 ロンドン軍縮会議、ロンドンに英・米・日・仏・伊の代表が集まり、海軍軍縮会議が始まる。映像は各国全権と日本の若槻全権。条約にもとづき戦艦を爆破。
- 1930年 ガンディー反英独立闘争 マハートマ=ガンディー指導の反英運動、第二次非暴力抵抗運動が起こり、「塩の行進」などで、非暴力・不服従を貫く。映像は「塩の行進」と国民会議派の集会に参加したガンジーと民衆。
- 1930年 ナチス第2党に躍進ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)は、前回の12議席から107議席と大躍進をとげ、社民党に次ぐ第2党となる。映像はベルリン市内、演説するヒトラー。
- 1930年 浜口雄幸(おさち)首相狙撃さる 浜口雄幸首相が、東京駅で拳銃で腹部を撃たれ重傷を負い、翌年死亡。
- 1931年 スペイン共和国の成立 スペイン国王が亡命して君主制が崩壊、第2共和国が成立。映像は、革命指導者、よろこぶマドリード市民。
- 1931年 柳条湖事件 関東軍は奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で南満州鉄道を爆破。これを張学良の行為として軍事行動を開始、満州事変が勃発。映像は進軍する騎馬隊、城壁を登る日本軍、行進する日本兵。
- 1931年 満州事変 柳条湖事件をきっかけに関東軍は満州へ戦線を拡大。翌年3月には全満州を占領した。映像は破壊された街、古北口に入城する日本軍
- 1931年 関東軍 錦州爆撃 関東軍が奉天を失った張学良政権の移転先である錦州を攻撃、入城。関東軍の軍事行動はさらに拡大し、翌月には天津で日中両軍の衝突事件が起こる。映像は行進する日本兵、検問、突撃する中国軍。
- 1931年 発明王エジソン 死去蓄音機、印刷電信機、投票記録機、白熱電球、X線透過装置など電気関係の諸機具を発明し、発明王とうたわれた。映像は弔問に訪れた人々、生前のエジソンの姿。
- 1931年 アメリカ飢餓行進 米の失業者が800万人を突破。職を求める失業者たちの“飢餓行進”がホワイトハウスに押し掛ける。翌年、ニューヨーク他でも“飢餓行進”。映像はニューヨークのトラックのデモ隊、1セントレストラン。
- 1931年 犬養内閣成立 若槻内閣の総辞職で政友会の犬養内閣が成立。最後の政党内閣となった。映像は総選挙のようすと結果発表のようす。
- 1932年 上海事変上海で日本人僧侶が殺されたのをきっかけに、各所で日本人と中国人との衝突事件が起こる。日本軍は上海市内へ進入し攻撃を開始。映像は上海市街の混乱、逃げ惑う人々。
- 1932年 満州国」成立 日本軍が中国東北部に「満州国」を建国。皇帝溥儀が執政につく。首都は新京(長春)。映像は溥儀と新興満州国建国祭のニュース映画。
- 1932年 リットン調査団 満州事変調査のリットン調査団が「リットン報告書」を日中両国政府に公布、日本の主張を退けた。日本は報告書を全面的拒否。映像は、調査団、リットン卿、報告書を報じる日本の新聞、荒木陸相が反論するニュース映画。
- 1932年 上海 天長節祝賀会場爆弾事件 上海の天長節祝賀式場に朝鮮独立党員が爆弾を投げ、白川軍司令官らを死亡させた他、野村艦隊長、駐華公使・重光葵らに重傷を負わせた。この映像は雛壇の白川、野村、重光、混乱する会場の状況。
- 1932年 ナチス第1党に進出 国会選挙で、流血事件が続発するなど共産党と激しく争った結果、ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)は第1党の地位を獲得。翌年3月末には独裁を確立した。映像は大統領選に出馬するヒトラー、ビラを配る人、ポスター、開票のようす。
- 1932年 天皇の観兵式 代々木練兵場(現代々木公園)の観兵式で白馬にまたがる天皇。
- 1933年 熱河作戦 関東軍司令官武藤大将は万里の長城以北である熱河省の経略計画を表明、国連総会で批判された日本は脱退。映像は万里の長城、退去する中国軍。
- 1933年 ヒトラー内閣誕生 ヒトラー内閣が成立。首相に就任したヒトラーは直ちに議会を解散。3月の総選挙では政治集会・団体、また共産党をあらゆる手段で弾圧し非合法化した。映像はヒトラーの演説、党大会のヒトラー。
- 1933年 日本 国際連盟脱退国際連盟臨時総会で、リットン調査団報告にもとづく満州撤兵などの対日勧告案が採択されると、日本の首席全権松岡洋右はこれに抗議し、議場から退場。映像は議場での松岡洋右。
- 1933年 ニューディール政策ローズヴェルトは農業調整法、全国産業復興法の制定、テネシー川流域開発公社(TVA)設立。ニューディール政策を図る。映像は、ジョージア州を訪れたローズヴェルト、歓迎する市民、大統領の演説、公共住宅。
- 1933年 ナチス焚書事件ナチスは「非ドイツ的」書物を次々と焼却。映像は火に投げられる書物、対象となった書物、ヒトラーのポスター。
- 1933年 アメリカ禁酒法を撤廃1920年から14年近く続いた禁酒法時代が幕を閉じた。映像は、ローズヴェルトが法案にサイン、ビール工場の出荷、酒場の賑わいを伝えるニュース。
- 1933年 当時の皇族の様子映像は愛馬で閲兵する昭和天皇、大正天皇陵を参拝する良子皇后、ドイツを訪問する秩父宮夫妻ほか。
- 1934年 東郷元帥国葬 1934年5月、日露戦争でバルチック艦隊撃破を果たした元連合艦隊司令長官、東郷平八郎が86歳で死去。6月に日比谷公園で国葬が行われ、184万人が参列し、葬儀模様はラジオで実況された。映像は新聞記事、弔問に駆けつける人々、永井柳太郎、高橋是清、近衛文麿、弔砲。
- 1934年 ヒトラー・ムッソリーニ初会見 1934年6月、ヒトラーとムッソリーニがヴェネツィアで初めて会見し、2日に渡る会談が行われた。出迎えたムッソリーニはヒトラーを冷遇。会談でも利害の食い違いが表面化し、何の成果もないまま終わった。映像は飛行機から降りるヒトラー、ムッソリーニとの握手、閲兵。
- 1934年 中国共産党「長征」開始 1934年10月、4次にわたる江西解放区包囲戦に敗れた蒋介石が、大規模な第5次包囲戦を展開し、共産党は紅軍「長征(大西遷)」を決行。多大な犠牲を払いながら陝西・甘粛方面に移動、36年まで続いた。37年、共産党の主導権は毛沢東に移った。映像は共産党集会のようす。
- 1935年 「満州国」皇帝溥儀来日 1935年4月、満州国皇帝溥儀(はくぎ)が日本を公式訪問。天皇が東京駅まで足を運び、駅頭で握手を交わし、赤坂離宮へ。日本に感謝を表明し「日満親善論」を展開、関東軍の要請に応じて鄭総理大臣を引退させるなどした。映像は東京駅に到着するお召列車、迎える秩父宮、昭和天皇。
- 1936年 二・二六事件 1936年2月26日、北一輝を思想的指導者とする日本軍の急進派(皇道派)将校が約1,400人の兵を率いて決起し、高橋是清蔵相らを暗殺。映像は、生前の高橋是清。
- 1936年 イタリア エティオピア併合 1936年5月、ムッソリーニは80万の兵力をアジスアベバに送り、エティオピアの併合を宣言した。エティオピアでの被害者は50万人を数え、毒ガスも使われた。映像は、イタリア軍と投降するエティオピア人
- 1936年 満蒙開拓団 満州国建国に伴い、1932年から日本政府は「満蒙移植民計画」を作成、積極的に満蒙開拓に乗り出す。36年、広田弘毅内閣によって「20ヶ年100万人移民計画」が実施された他、満蒙開拓団を満州に派遣。映像は、開拓団の村のようす。
- スペイン内乱 1936年7月、スペインにできた人民戦線政府に対し、フランコを中心とする保守派が反乱をおこす。ベルリン・ローマ枢軸を結成したドイツ・イタリアは反乱軍を、ソ連は政府軍を支持。39年、フランコ側の勝利。映像は、フランコ軍によるマドリッド市内での戦闘。
- 第11回ベルリン オリンピック 日本選手 1936年、ベルリンで開催されたオリンピックに179人の日本選手が参加。三段跳びで田島が世界新記録で優勝、男子200平泳で葉室が、女子200平泳で前畑が優勝するなど、陸上・水上競技で日本選手が活躍。映像は聖火、ベルリンのスタジアム、開会式、日本選手団。
- 第11回オリンピックとヒトラー 1936年8月、第11回オリンピック大会がベルリンで開催された。49ヶ国4,000余人の選手が参加し、ナチスドイツが大会を全面的に支援。新たに聖火リレーや記録映画の製作が企画された。映像は、メインスタジアムに入るヒトラーの車列、入場行進するナチスの旗。
- 西安事変 1936年12月12日、中国共産軍討伐の督促のため西安にはいった蒋介石を、張学良・楊虎城らが武力で監禁した事件。これにより、中国の抗日運動は統一へと向かうことになる。映像は蒋介石が25日に釈放され、飛行機で帰還したときのもの。
- 第一次近衛内閣成立 1937年6月4日、第1次近衛内閣が成立。第1次近衛内閣は日中戦争に当面し、軍部の強硬策に押し切られたうえ、38年1月の“近衛声明”で戦争解決の道をみずからふさぐ。映像は官邸から出てくる近衛文麿、内閣成立記念撮影。
- 盧溝橋事件 1937年7月7日、中国北京郊外の盧溝橋でおこった日本と中国の軍事衝突事件。日中戦争の発端となる。日本軍部は停戦や不拡大の方針を破り、侵略を拡大した。映像は列車にのる日本兵、北支を進む日本兵。
- 第2次上海事変 1937年8月13日、中国で日本海軍の将校2人が車で共同租界外の付近にさしかかったところ、中国の保安隊に射殺される事件が起こる。この事件をきっかけに、日本軍が上海に上陸、中国軍は南京へ退去した。映像は日本軍の艦砲射撃、上陸する日本軍。 上海爆撃
- 上海爆撃で逃げる人々 1937年。上海の人々は、外国人への被害を恐れて日本軍が爆撃しない共同租界(英・米・日の各国警備隊の居留地区)へ逃げてきた。しかし、多くの群衆は門外に閉め出された。映像は上海市内、共同租界に押し寄せる人々、閉め出される人々。
- 南京占領 1937年12月10日、中国において日本軍が、華北、華中の主要都市についで首都南京を占領。国民政府は首都を重慶に移して抗戦をつづけ、共産党は農村で解放区を広げた。映像は突撃する日本軍、南京城門攻略、市内での攻防、砲撃。
- 【ヒトラー オーストリア併合】 1938年3月、ヒトラーは英・仏・ハンガリーの反対を排し、オーストリアに軍隊を進入させ、オーストリア併合を強行。映像は、ドイツ軍のウィーン入城、歓迎する人々。
- 【ヒトラーユーゲントの隊生活】 1938年。映像は、ナチス公認の唯一の青少年組織、ヒトラーユーゲント(ヒトラー青年団)の隊生活のようす。14〜18歳のドイツ人によって構成され、この頃団員は700万人といわれた。
- 【ミュンヒェン会談】 1938年9月、独(ヒトラー)・伊(ムッソリーニ)・英(チェンバレン)・仏(ダラディエ)の4首脳がミュンヘンで会談。30日に「ミュンヘン協定」調印、チェコ政府のズデーテン地方のドイツへの割譲が決定。映像は会談のようす、調印するムッソリーニ、各首脳たち。
- 【ナチス ユダヤ人迫害】 1938年11月、ドイツで後に「水晶の夜」と呼ばれるようになる、反ユダヤ暴動が起きる。ユダヤ人やユダヤ人商店の襲撃、シナゴーグ(ユダヤ教会)の放火。以降、更に反ユダヤが強まる。映像は、ナチスがユダヤ人を迫害するようす。
- 【チェコスロヴァキア解体】 1939年3月15日、ドイツ軍がボヘミアとモラヴィアを占領し、独立国チェコスロヴァキアを解体。ヒトラーはスロヴァキアを保護国とし、ボヘミア・モラヴィアを保護領とする旨を宣言。映像は、プラハでパレードするドイツ軍。
- 【スペイン内乱終結】 1936年にソ連国民義勇軍が指示する人民戦線政府と右翼のフランコ将軍との内戦が起こったが、1939年3月28日、独・伊ファシズム両国に支持されたフランコが勝利し、スペインの内戦は終結した。映像は、押収した武器、車から降りてくるフランコと祝賀のようす。
- 【ノモンハン事件】 1939年5月11日、満州西北部満蒙国境にあるノモンハンで起こった日本とモンゴル軍の衝突事件。ソ連軍戦車部隊により日本軍は死者2万人の壊滅的打撃を受け大敗し、対ソ開戦論は後退。9月に停戦協定を結んだ。映像は、進軍する日本軍戦車隊、疾走する日本軍騎兵隊。
- 【ヒトラー ポーランド進撃開始】 1939年9月1日、ヒトラーがポーランドとの戦争開始を告げ、ドイツ軍がポーランドに侵攻を開始。映像は、演説するヒトラー、ポーランド国境に侵攻するドイツ軍。
- 【英・仏 ドイツに宣戦布告 第二次世界大戦】 1939年9月1日から始まったドイツのポーランド侵攻に対し、同9月3日イギリス・フランスがポーランドの同盟国としてドイツに対し宣戦布告。これにより第二次世界大戦が始まる。映像は、イギリスの戦時体制の記録。
- 【ソ連軍 フィンランド侵攻】 ソ連は対ドイツ戦略として、中立国であったフィンランドに国境再画定を含む諸要求をしたが、受け入れられなかったため、1939年11月30日にソ連・フィンランド不可侵条約を破って、フィンランドに侵攻した。映像は雪上での戦闘、戦車、暖をとるソ連軍。
- 【汪兆銘 和平建国宣言】 1940年3月12日、親日反共を主張していた汪精衛が主席となり、南京に国民政府を樹立した。11月に日本は日華基本条約を結び正式に承認したが、日本の傀儡政権にすぎず弱体であった。映像は汪兆銘、国民政府樹立式典のようす。
- 【ドイツ軍 スカンジナビア半島侵攻】 1940年4月9日、ドイツ軍は中立国のノルウェー、デンマークに侵攻。映像は、北欧の街、ドイツ軍侵攻の新聞報道、ニュースに見いる人々、ドイツ軍兵の編隊と飛行機。
- 【イギリス チャーチル内閣成立】 1940年5月10日、もと英国海軍軍人で保守党員であるチャーチルがチェンバレンにかわり、首相となった。チャーチルは強力な統率力を発揮し、ポツダム宣言まで戦争を指導し、連合軍の勝利に力をつくした。映像は、チャーチルと英国海軍。
- 【ドイツ軍 西部戦線攻撃】 1940年5月10日の朝からフランス侵攻を始めたドイツ軍は、フランス軍の守備隊を粉砕、フランスを占領した。連合軍側はドイツ快速機動兵力をさえぎるような本格編成の部隊は配置しておらず、壊滅的打撃を受けた。映像はオペラ座、エッフェル塔、ドイツ軍の進撃、戦車、歩兵。
- 【ダンケルク撤退作戦】 1940年5月27日、英仏軍がフランス北部のダンケルクから撤退作戦(ダイナモ作戦)開始。6月4日までに約34万人が脱出。映像はダンケルク港と兵士たち。
- 【重慶爆撃】
1940年、作戦が終了するまでに72回に及ぶ長期連続の空襲が行われ、とりわけ6月24日から29日までの6日間は記録的な連続爆撃が行われたが、重慶はそれに耐え、1941年9月、日本軍は作戦を打ち切る。映像は、日本軍航空部隊の爆撃弾投下のようす。
- 【ドイツ軍 パリ入城】 1940年6月14日、急進撃してきたドイツ軍が「無防備都市」パリへ入城開始。マイヨー門から入り、凱旋門を巡りコンコルド広場へ向かう。パリには三色旗に代わりハーケンクロイツ旗がひるがえる。映像は、パリ凱旋門を進軍するドイツ軍、エッフェル塔に掲げられるナチスの旗。
- 【第2次近衛内閣成立】 1940年7月22日、第2次近衛文麿内閣が成立。26日、政府は閣議で「基本国策要綱」を決定。日本・満州・中国の強固な結合である「東亜新秩序の建設」「国防国家体制の充実」などを定める。映像は、近衛文麿が日独伊同盟について演説しているもの。
- 【トロツキー暗殺】 レーニンと並ぶロシア革命の重要な指導者で、1929年に国外追放されていたトロツキーが、1940年8月20日、亡命先メキシコの自宅書斎で暗殺者メルカデルに頭部をピッケルで一撃され、死去(60歳)。映像はベッドに横たわるトロツキー、病院から運びだされる柩。
- 【ロンドン夜間爆撃】 1940年9月7日、独軍は英本土上陸作戦の一環として、900機によるロンドン夜間爆撃を開始した。ロンドン市内各所で大火が起こった。映像は、夜間爆撃によって炎上するロンドン市街のビル。
- 【日本軍仏印進駐】 1940年、日・仏印軍事協定が調印され、日本軍はフランス領インドシナに仏印軍の抵抗を排除して進駐した。映像は、仏印(フランス領インドシナ北部)に進駐した日本軍。
- 【イタリア ギリシャ侵攻】 1940年10月28日、イタリアのムッソリーニが自らの念願であった「地中海のイタリア化実現」と、ヒトラーへの牽制のため、イタリア軍のギリシャ侵攻を開始させる。映像はムッソリーニと観呼の人々、アテネでのパレード。
- 【日独伊3国同盟】 1940年9月27日、日本はドイツと提携し、英米との対戦を覚悟、南進政策の声が高まり、政府内部の親英米派の抵抗を受けながらも日独伊三国同盟が結ばれた。映像は、イタリアのチアノ外相とヒトラーの握手、日本の栗栖駐独大使とヒトラーの握手、ヒトラー総統官邸での調印。
- 【ビルマ援蒋ルート爆破】 1940年、日本は仏印(中国とフランス領インドシナ、現在のベトナム北部)に進駐。再開されたビルマからの援蒋ルートに対して日本の海軍航空部隊が空襲し、平和的な進駐から戦闘状態へと移行した。映像は、現地のイギリス軍守備隊が砲撃するもの。
- 【ナチス ワルシャワにゲットー設立】 1940年、ユダヤ人約45万人がワルシャワのユダヤ人隔離地区ゲットーに押し込まれ、飢えと病に苦しんだ。1943年4月19日、生き残った7万人が叛乱を起こしたがドイツ軍に完全に制圧され抹殺された。映像は、隔離地区ゲットーのようす。
- 【Uボート大西洋の戦い】第二次世界大戦勃発以来、大西洋でドイツのUボートが連合軍艦隊を次々と攻撃。大西洋の戦いは、1940年から3年間続いた。この映像は、Uボートによる魚雷発射、撃沈させるようすのプロパガンダ映像。
- 【松岡外相訪欧】1941年3月、松岡洋右外相が欧州を訪問。12日に日本を出発した松岡は26日、ベルリンに到着、大歓迎をうける。27日、ヒトラー総統と会談、日独伊枢軸の強化や対ソ関係について協議した。映像は、ベルリン市内のパレード、松岡洋右、ヒトラー、ゲーリングの握手。
- 【日ソ中立条約調印】 1941年4月、訪欧中の松岡外相が帰途、ソ連に立ち寄り、モスクワで日ソ中立条約に調印。期限は5年。南方進出をめざす日本と、ドイツによる侵攻にそなえたソ連とが相互不可侵・中立維持などを約束。映像は、挨拶する松岡洋右、列車での移動。
- 【独ソ戦前のソ連軍・スターリン閲兵】 1941年、独ソ戦前のソ連軍。高射砲隊、戦車隊、航空部隊が行進し、スターリン、モロトフらがそれを閲兵。爆撃演習やバラシュート部隊の降下演習なども行われた。映像は、閲兵台に立つスターリン、モロトフ、ソ連軍兵士の行進。
- 【ナチ副総統ヘス 英国へ単独飛行】 1941年5月10日、ドイツのナチス副総統ルドルフ=ヘスがアウグスブルグ郊外の飛行場からメッサーシュミット戦闘機に搭乗、スコットランドに単独飛行。映像は、ナチ副総統ヘスがイギリスに到着したところ。
- 【独ソ戦始まる】 1941年6月、ドイツがソ連を奇襲攻撃し、独ソ戦が開始される。イタリア、ルーマニア、スロヴァキア、ハンガリー、フィンランドがソ連に宣戦布告。イギリス、アメリカは対ソ援助を表明。映像は、ソ連国境に侵攻するドイツ軍の戦車、空爆、陸戦のドイツ軍将兵。
- 【ドイツ軍 ソ連に侵攻】 1941年6月22日、ドイツ軍がソ連国境を越えて大砲を打ち込み、ソ連を奇襲攻撃。「バルバロッサ作戦」として、300万のドイツ軍将兵を動員し、ソ連へ大進撃を開始。映像は、ドイツ軍の攻撃に対するソ連軍の騎馬兵、戦況のようす。
- 【ドイツ軍の進撃停止 ソ連軍の反攻】 1941年12月、モスクワ防衛のソ連軍がドイツ軍への総反撃を開始。10月5日に開始されたドイツ軍によるモスクワ攻撃に対する反攻。これによりドイツ軍はモスクワへの進撃を停止。映像は、ドイツ軍を迎撃するソ連軍のようす
- 【ドイツ軍の進撃停止 ソ連軍の反攻】 1941年12月、モスクワ防衛のソ連軍がドイツ軍への総反撃を開始。10月5日に開始されたドイツ軍によるモスクワ攻撃に対する反攻。これによりドイツ軍はモスクワへの進撃を停止。映像は、ドイツ軍を迎撃するソ連軍のようす
- 【大西洋憲章】 1941年8月14日、英のチャーチル首相と米のローズヴェルト大統領が大西洋上の英艦プリンス・オブ・ウェールズ号上で「大西洋憲章」を発表。内容は民族の自決、領土獲得の断念、国際平和機構の再建などの8項目。映像は、机に座って並ぶチャーチルとローズヴェルト。
- 【東条英機内閣成立】 1941年10月18日、陸軍大将だった東条英機が組閣。16日の第3次近衛内閣の総辞職を受けて、17日に木戸幸一内大臣が主宰した重臣会議が指名した。東条は陸相、内相も兼任し、事実上の独裁体制をしいた。映像は、閣僚と東条英機、声明文を読みあげる東条。
- 【真珠湾攻撃に備える日本海軍】 1941年11月、日本海軍機動部隊が真珠湾攻撃に備え、千島列島の択捉島単冠湾に集結。26日、連合艦隊命令により、ハワイ沖に向け出航。映像は、当時のニュース映画の一部で、日本連合艦隊が写されているもの。
- 【真珠湾奇襲攻撃太平洋戦争始まる】 1941年12月8日、連合艦隊司令長官山本五十六の作戦構想の下に、日本海軍の機動部隊が航空機を主力にハワイの真珠湾にある米海軍基地を奇襲。アメリカ・イギリスに宣戦し、太平洋戦争に突入した。映像は、真珠湾攻撃で爆破された米国戦艦。
- 【マレー戦線】 1941年12月、英軍撤退により、日本軍がマレー半島西部ペナン島を無血占領。続いて東岸のクワンタンを占領、半島を横断しクアラルンプールへ向かった。映像は、自転車で進軍する日本軍。
- 【日本軍 マニラ占領】 1941年12月、日本軍はアメリカ・フィリピン軍の撃滅と、主要基地の制圧および主なフィリピン諸島の占領を目的として、台湾から3日連続の空襲を行い、米軍機の大半を撃破。翌年1月2日マニラを占領。映像は、炎上する家屋、破壊された街。
- 【シンガポール陥落】 1942年2月15日、日本軍がシンガポールを占領。山下泰文司令官が、英軍司令官パーシバルと会談、降伏を確認。映像は、山下泰文とパーシバルの会談の記録。
- 【在米日系人強制移住】 1942年2月19日、アメリカ政府が太平洋岸に居住する日系人の強制退去を決める。11万2千人の日系人は、内陸の砂漠にある再居住センターに収容された。脱走者は即座に射殺される事実上の強制収容所だった。映像は、バスで移動させられる在米日系人。
- 【バターン半島の戦い】1942年4月9日、フィリピンのバターン半島の戦いで、米軍が日本軍に降伏。後に日本軍は、捕虜に収容所までの約100kmを炎天下徒歩行軍させ、多くの死者を出し、「バターン死の行進」と呼ばれた。この映像は、バターン半島で降伏した多数の捕虜の状況をつたえるもの。
- 【米陸軍機本土初空襲】 1942年4月18日、ドゥリットル中佐指揮のB25、16機によって日本本土が初めて空襲された。被害は軽微だったが、国民にあたえた心理的影響は大きく、これがミッドウェー攻撃の原因となった。映像は、日本を空爆する米軍機。
- 【マニラ湾コレヒドール島の米軍降伏】 1942年1月2日、米軍はマニラを放棄して、バターン半島の先端コレヒドール島を死守したが、5月7日、日本軍の増援部隊が進撃し、マニラ湾コレヒドール島の米軍は降伏。映像は、上陸する日本軍、コレヒドール攻撃に向かう日本の重砲部隊。
- 【連合艦隊司令長官山本五十六】 山本五十六は、1939年に連合艦隊司令長官となり、海軍内部の統一につとめた。連合艦隊司令部は独立性を強め、マリアナ沖・レイテ沖海戦で主要な艦艇を失い、事実上壊滅した。映像は、航行する連合艦隊の戦艦。
- 【ミッドウェー海戦】 1942年4月の本土空襲をきっかけに、日本は太平洋正面の防衛強化のため、6月にミッドウェー島攻略を行った(ミッドウェー海戦)。その結果、アメリカの海・空軍戦力の優勢が決定的になった。この映像は、日本艦隊をアメリカの航空機・機動部隊がとらえたもの。
- 【アリューシャン戦線】 1942年6月から43年にかけて、日本軍は防衛線拡大のためアリューシャン作戦を行った。いったんアッツ・キスカ両島を占領したが、次々と撤退を余儀なくされた。以降各地の離島日本軍は玉砕の運命をたどった。映像は、米軍機による空襲のようす。
- 【ブラジル 独伊に宣戦布告】 1942年8月、ブラジルは連合国側につき、ドイツ・イタリアに宣戦布告。44年、イタリア戦線に遠征軍を派遣した。連合国側の勝利が明白になる。映像はブラジル軍の兵士。
- 【東部戦線スターリングラード攻防戦】 ヨーロッパの東部戦線では、1942年夏以来再び独ソ両軍の死闘が繰り返されていたが、翌年2月、ソ連軍はスターリングラードで大反撃を開始する。独ソ戦の転機となり、ドイツ軍の敗退への道が始まった。映像は、スターリングラード攻防戦のようす。
- 【北アフリカ戦線】 1942年10月、エジプトのカイロ目前のエルアラメインでモンゴメリー率いる英軍が、ロンメル率いるドイツ軍に反撃開始。11月、英軍の圧倒的戦力でドイツ軍は撤退。映像は、ドイツ軍兵器の残骸、敗退するドイツ軍兵士。
- 【米英連合軍 アフリカ上陸】 1942年11月、アイゼンハワーの指揮するアメリカ、イギリス連合軍の10万人を超える兵力が、北アフリカのカサブランカ、オラン、アルジェに上陸。映像は、進軍する連合軍の戦車とアフリカの子供たち。
- 【カサブランカ会談】 1943年1月、連合国の北アフリカ作戦の成功が確実となったのを受けて、ローズヴェルトとチャーチルがモロッコのカサブランカで戦争遂行の会談を行った(カサブランカ会談)。シチリア島上陸作戦が決定された。映像は、ジロー将軍、ローズヴェルト、ドゴール、チャーチル。
- 【日本軍ガダルカナル島から撤退】 1943年2月1日、日本軍が太平洋南西部のガダルカナル島からの撤退を開始。映像は、日本船を砲撃する米艦、救助される場面、捕虜となった日本兵の姿。
- 【カチンの森虐殺事件】 ロシアのスモレンスク郊外にあるカチンの森で、第二次大戦中虐殺されたポーランド軍将校捕虜数千人の死体が発見された。ソ連はドイツ軍による行為としていたが、1990年ソ連内務人民委員部によるものと認め謝罪した。映像は掘り起こされた遺体、悲しむ遺族、埋められる墓穴。
- 【最前線に偲ぶ在りし日の山本五十六】 1943年4月18日、連合艦隊指令長官海軍大将山本五十六がソロモン上空で乗機を撃墜され戦死(59歳)。海軍兵学校を卒業以来、39年間の海軍生活を送り、真珠湾奇襲攻撃の成功で国民的英雄とされた。映像は、生前の演説する山本五十六。
- 【米軍ソロモン諸島上陸】 1943年、米軍がソロモン諸島に次々と上陸し、日本軍に対する反攻作戦を展開。映像は、米軍の上陸するようす。
- 【伊号潜水艦ドイツ到着】 1943年、日本とドイツとの連絡が連合国によって断たれたので、物資、技術交流のため伊号潜水艦が日本とドイツ間の輸送に使われた。しかし、ドイツ軍の基地まで到着する潜水艦はわずかだった。映像は、艦上で整列して歓迎を受ける日本兵。
- 【戦時下の日本 天皇】 戦時中、天皇は紀元2600年の式典、奉祝会、大観兵式、陸軍航空士官学校卒業式、靖国神社臨時大祭などに巡幸、閲兵、参拝した。天皇の前には歩兵隊、戦車などが分列行進し、国民も参加。映像は海軍軍服の昭和天皇、最敬礼する日本国民、勤労奉仕の婦人たち。
- 【戦時下の日本 靖国神社】 靖国神社では、臨時大祭がとり行われる。戦地に散った軍人の遺族、陸軍部隊の将兵が参拝する。映像は、靖国神社を参拝するようす。
- 【戦時下の日本 学校教育】 映像は、戦時下の日本の学校のようす。そろばん、読み書き、授業風景。黒板には日本という文字が大きく書かれ、子供たちは書き順を学んでいる。
- 【戦時下の日本 訓練する生徒】 映像は、国民学校の校庭で、飛行機操縦の基礎訓練をする国民学校児童のようす。模型飛行機、木製の操縦かんを操作、飛行機の絵を瞬間的に見て当てる訓練のようす。
- 【戦時下の日本 陸軍航空整備学校】 1943年、学童による空の体験入隊が行われ、所沢の陸軍航空整備学校に一日入校した。この映像は、隊列を組んで学校に入り、飛行機を見学し、説明を受ける学童のようす。
- 【戦時下の日本 軍需工場】 映像は、戦力増強のために、軍需生産の工場で工作機械を操作しながら戦車を製造しているようす。
- 【戦時下の日本 軍需工場増員】 映像は、戦車工場で組み立てられる戦車、溶接やドリルで兵器を生産する動員学徒、造船所でもボルトをしめて船体の組み立て作業を行っているようす。
- 【戦時下の日本 兵器増産】 映像は、戦時下の兵器増産のために、旋盤で部品をつくり、ドライバーでネジをしめ、飛行機工場でプロペラの取りつけ作業を行っているようす。
- 【戦時下の日本 国民生活】 映像は、国民精神総動員本部、東京市内に「ぜいたくは敵だ」という立看板を配置し、装飾品や生活用品や文房具など販売制限された状況。
- 【連合軍 シチリア島に上陸】 1943年7月、北アフリカに上陸した連合軍がシチリア島に進撃。のち、たちまち全島を制圧し、イタリアのファシズム政権を動揺させた。映像は、イタリア戦線の連合軍、米軍上陸、戦闘機から攻撃するようす。
- 【ムッソリーニ失脚】 1943年7月、連合軍のシチリア上陸によりファシズム政権が動揺。反ファシズム運動が激化。ムッソリーニは失脚し、バトリオ政権設立。9月連合軍に無条件降伏。映像は、独裁下のムッソリーニの演説、ナチスに救出され、飛行機から降りるムソッリーニと出迎えるヒトラー。
- 【出陣の早大生壮行会】 1943年9月10日、早稲田大学専門部工科の学生が入隊、上野公園で壮行会が開かれた。映像は、早稲田大学の制服に学帽姿の学生が、日の丸のたすきをかけ、学徒を送り出すところ。
- 【学徒出陣】 太平洋戦争の激化に伴い、学生の徴集延期制度が撤廃され、1943年10月21日、神宮外苑競技場で、見送りの家族など6万5千人を動員して出陣学徒壮行式が挙行された。この映像は、その状況を報じる当時のニュース映画。
- 【日本軍守備隊全滅】 1943年、ギルバート諸島の日本軍守備隊、次々と全滅。映像は、米兵の火炎放射器、進撃する兵士。
- 【戦時下のアメリカ 国民生活】 戦時生産局をはじめ行政機関によって、アメリカ国民の生活物資の配分、物価にまで及ぶ規制が行われた。ガソリン不足、労働力の不足が深刻となる。映像は、ガソリンの無いスタンドとバスに乗る市民。
- 戦時下のアメリカ 軍事訓練】 この映像は、実弾による砲台射撃演習を行うアメリカの女性を記録したもの。
- 【英軍 ベルリン夜間大空襲】 1943年、英軍はベルリンほか、ドイツ各地に爆撃を続ける。11月18日から大規模な攻撃「ベルリンの戦闘」を開始、12月3日までに5回にわたりベルリンを夜間空襲した。この映像は、英空軍の爆撃機が飛びたち、夜間空襲するもの。
- 【空襲下のベルリン】 1943年、ベルリンは連合軍の空襲を受けた。特に英軍の夜間大空襲により、壊滅的な被害をうけた。映像は、連合軍による空爆のようす。
- 【カイロ会談】 1943年11月、ローズヴェルト、チャーチル、蒋介石による日本の戦後処理についての討議。日本の無条件降伏、日本が獲得した太平洋の島の放棄、中国東北地方と台湾の中国への返還、朝鮮の独立などを規定。映像は、カイロ会談の蒋介石、ローズヴェルト、チャーチル。
- 【テヘラン会談】 1943年11月、12月、ローズヴェルト、チャーチル、スターリンによる会談。連合軍による北フランス上陸作戦を翌年5月に実行することを決定。また、ソ連の対日参戦も約束された。映像は、テヘラン会議場の前に座るスターリン、ローズヴェルト、軍服姿のチャーチル。
- 【古賀峯一連合艦隊司令長官 殉職】 1944年3月31日、司令部を置いていたパラオが大空襲を受けた。連合艦隊司令長官古賀峯一の乗る飛行機が、フィリピンのパラオに向かう途中消息不明になる。映像は、大本営発表で古賀長官の殉職が告げられたもの。
- 【連合軍ドイツ空爆】 1944年4月、イギリス空軍元帥テッダーが連合国軍に空爆強化を指示。これにより、イギリス空軍とアメリカ空軍はドイツおよびその占領地に対し、連日のように空から爆弾を浴びせる。映像は、アメリカ軍機の攻撃、破壊されるドイツ軍機、空中戦の記録。
- 【連合軍ローマ入城】 1944年1月、連合軍はイタリアのアンツィオに上陸。続いてモンテカシノの攻防戦が開始され、4ヵ月後に連合軍がドイツ軍を陥落。さらに同年6月4日、連合軍がローマへ入城。映像は、連合軍がローマに入り、それを歓迎するローマ市民。
- 【ノルマンディ上陸作戦】 1944年6月6日、連合軍によるノルマンディ上陸作戦開始。アイゼンハウアーを最高司令官とする米軍主体の連合軍がドーバー海峡を渡り、ヨーロッパ側に進出しドイツ軍を攻撃、第2次世界大戦を勝利に導いた。映像は、上陸用舟艇に乗り込む兵士、上陸する連合軍。
- 【米軍マリアナ諸島上陸】 1944年6月19日から20日にかけて、マリアナ諸島西方海域で日米機動部隊による航空海戦となる。日本側の完敗に終わり、米軍はマリアナ諸島に上陸し、B29による本土空襲の出撃基地を確保した。映像は、攻撃する米兵、捕虜となる日本軍のようす。
- 【日本の学童疎開】 1944年、本土空襲に備えて国民学校初等科児童の疎開が促進される。映像は、疎開先の寺で授業を受けたり、広い縁側で並んで昼寝をしている児童。
- 【英仏の学童疎開】 日本だけでなく連合国側のイギリス、フランスなどでも、空襲を避けるため、都市では学童の集団疎開が盛んに行われた。映像は、ロンドンの学童疎開、列車に乗り、親と別れる子供たち。
- 【サイパン島日本軍玉砕】 1944年7月7日、島の北端へ後退していた日本守備隊は、最後の万歳突撃をして玉砕。共に後退していた非戦闘員達の多くは死を選び、兵士と民間人約4,000人が死亡した。映像は、砲撃・銃撃戦後の日本軍兵器の残骸を米国が記録したもの。
- 【ヒトラー暗殺未遂事件】 連合軍の進撃が強まる中、1944年7月10日、シュタウフェンベルク大佐らドイツ陸軍の将校達によるヒトラー暗殺未遂事件が、東ドイツのラシュテンブルクにあるヒトラーの本営で起こる。映像は、ロンメルドイツ軍元帥が疑いを受けた裁判のようす。
- 【フランスへ侵攻する連合軍】 1944年8月15日、連合軍が南仏の地中海沿岸カンヌ・ツーロン間に上陸(ドラグーン作戦)。同月23日、連合軍最高司令官アイゼンハウワーは仏第2装甲師団のパリ進軍を命じ、25日、パリのドイツ軍が降伏。映像は、連合軍の砲撃、銃撃戦、捕虜となるドイツ軍兵士のようす。
- 【パリ市民武装蜂起】 1944年8月、パリ市民が蜂起。19日パリ警視庁、20日パリ市庁がレジスタンスによって解放。21日、パリ解放委員会・全国抵抗評議会がパリ市民に対し一斉武装蜂起を指令、全面的市街戦へ。映像は、武器をとりだすフランス市民、武装する人たち、銃撃戦、爆破されるようす。
- 【パリ解放】 1944年8月25日、パリ駐留ドイツ軍司令官フォン・コルティッツがフランス第2装甲師団のルクレール将軍と会見し、ドイツ降伏文書に署名。パリが1,500余日ぶりに解放される。映像は、解放されたパリ、兵士、連合軍の入城を歓ぶ市民。
- 【ド=ゴール将軍の行進】 ドイツ降伏文書署名から1時間後、自由仏軍のド=ゴール将軍がパリ入城。1944年8月26日、ド=ゴールはじめレジスタンスの戦士達は、凱旋門からノートルダム大聖堂間を凱旋パレード。映像は、パレード、戦士の墓に献花するド=ゴール、歓ぶパリ市民のようす。
- 【ヨーロッパ戦線日系二世部隊】 1943年2月、アメリカの日系二世志願兵らによって442戦闘隊が結成され、ヨーロッパ戦線に出兵。翌年10月、ドイツ軍の包囲に遭い退路を絶たれたテキサス141歩兵連隊救出に成功。映像は、日系二世部隊の日常風景で、新聞を読み、タバコを吸うなどのアメリカ側の記録。
- 【ノルウェー オスロ解放】 1944年、連合軍がノルウェー、オスロを解放。映像は、解放を報じるもので、オスロ市民の喜ぶ姿、国会議事堂前の人々と議事堂に翻る国旗。
- 【ギリシャ解放】 1944年、連合軍がローマに続いて、ギリシャを解放。映像は、ギリシャが解放され、海軍が上陸、解放を祝う群衆。
- 【ナチス ダハウ強制収容所】 1944年の連合軍とソ連軍の進軍にともない、強制収容所は次々と解放された。1945年、米軍はミュンヘン郊外のダハウ収容所を解放。ナチスによって建設された最初の収容所だった。映像は、収容所の空撮、収容所の生存者たち。
- 【ナチス アウシュヴィッツ強制収容所】 1944年11月以来、独軍の戦況不利が明らかになると、ナチスはアウシュビッツ強制収容所のガス室使用をやめ、隠滅を図る。翌年、ソ連軍によりアウシュビッツ収容所が解放される。映像は、収容所の建物、鉄条網。
- 【レイテ沖海戦】 1944年10月23日、フィリピンのレイテ島沖で、日本の連合艦隊と米太平洋艦隊が戦闘開始。映像は、空母から飛び立つ米軍戦闘機、空からの攻撃、空母への着艦。
- 【神風特別攻撃隊編成】 1944年10月、日本海軍は神風特別攻撃隊を編成。特攻隊とは爆弾を装備した飛行機や潜行艇などに乗った搭乗員が、敵艦などに体当たりして攻撃を行う特別部隊であり、神風特攻隊は中でも航空機による特攻を指す。映像は、神風特攻隊のようすを報じる当時のニュース映像。
- 【神風特別攻撃隊出撃】 1944年10月25日、神風特別攻撃隊の敷島隊が、レイテ沖海戦に出撃。米空母に体当たりし、一隻撃沈、一隻大破させる。以降、終戦までに290回出撃し、2,500人以上の犠牲者を出す。映像は、神風特別攻撃隊が突入するようすを米国が記録したもの。
- 【汪兆銘 死去】 1944年10月、南京国民政府主席の汪兆銘が入院中の名古屋帝国大学付属病院で死去(59歳)。映像は、飛行機で南京に到着した汪兆銘の遺体。
- 【ドイツ反撃 バルジ大作戦】 1944年12月16日、ドイツ軍が西部戦線のアルデンヌ付近で、総反撃を開始(バルジ大作戦)。24日、失敗に終わる。映像は、ドイツ軍の砲撃、進攻するドイツ軍の戦車。
- 【最後の観兵式】 1945年1月8日、宮城前広場にて8年ぶりに陸軍始観兵式が行われた。将兵は戦闘帽をかぶり、整列し行進する。映像は、宮城前を行進する日本陸軍部隊、閲兵する昭和天皇。
- 【米軍 ルソン島に上陸】 1945年1月9日、米軍がルソン島リンガエン湾南岸に上陸。映像は、マッカーサー将軍が上陸してくるところ。
- 【東部戦線】 1943年2月、スターリングラードの戦いにドイツ軍が降伏してから、東部戦線でソ連は反撃に転じ、広大なドイツ軍の占領地を奪回して東欧諸国を解放しつつ西進し、1944年春にはドイツ領内に入った。映像は、ワルシャワ市街、通信筒投下、空襲。
- 【台湾 徴兵制】 朝鮮では1938年から、台湾では1942年から、陸軍志願兵制度を導入。さらに特別志願兵制度によって、朝鮮では1943年から、台湾では45年から、徴兵制を適用した。映像は、入営する台湾の青年、見守る家族、庭に整列する台湾青年、日本軍のラッパ隊。
- 【ヤルタ会談】 1945年2月、ローズヴェルト、チャーチル、スターリンはクリミア半島のヤルタで会談しヤルタ協定を締結。対独戦争処理と秘密協定でソ連の対日参戦などを決め、戦後の新国際秩序の基本方向を確認した。映像はチャーチル、ローズヴェルト、スターリン、大円卓を囲んだ会議場。
- 【米軍 硫黄島に上陸】 1945年2月19日、米軍がサイパンから東京空襲を行う中継基地とするため、硫黄島に上陸作戦を決行。映像は、上陸する米軍、戦車のようす。
- 【硫黄島 日本軍守備隊全滅】 1945年3月17日、27日間の戦闘の末、硫黄島の日本軍守備隊が全滅。映像は、米国の艦砲射撃、進軍する米兵。
- 【米軍 マニラ占領】 1945年3月3日、米軍は日本海軍との1カ月にわたる戦闘ののち、マニラを占領。映像は、米軍の攻撃と日本人の捕虜が撮影されたもの。
- 【米軍ドイツ中部進撃】 1945年3月、米軍がドイツ軍を追撃し、ライン川に到達。ボン南方のレマゲンでライン川にかかるルーマンドルフ橋を急襲し、占領。続いて、ドイツ中部へ次々と進撃を開始。映像は、砲撃、橋を渡り進攻する米軍のようすと戦地の状況。
- 【東京大空襲】 1945年3月10日未明、334機のB29が東京上空に飛来し、無差別絨緞爆撃を約2時間半おこなった。江東地区を中心に約10万人の死者を出し、東京の4割(約23万戸)を焼いた。映像は、日本上空の米国爆撃機、爆弾投下の記録。
- 【名古屋空襲】 1945年3月12日から5月にかけて、名古屋市街地はアメリカ軍による焼夷弾爆撃を受けた。被害は死傷者1万8,500余、被災家屋13万6,500余を数え、市域の24%の3,860haが焼土化した。映像は、空爆後の街のようす。
- 【台湾空襲】 1945年、米軍の艦載機が連日のように台湾を来襲。日本軍の補給路の切断がねらいだった。映像は、上空の飛行機、炎上する市街。
- 【米軍 沖縄本島に上陸】 1945年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸。ただちに北・中両飛行場を占領する。映像は、米兵による手榴弾、銃撃のようす。
- 【沖縄戦】 1945年6月23日、沖縄で日本軍約10万名が玉砕。現地招集の郷土防衛隊や男子・女子生徒も戦闘に参加。映像は、星条旗を立てる米軍、米軍の砲撃、火炎放射器、激しい戦闘のようす。
- 【ローズヴェルト大統領死去】 1945年4月12日、フランクリン=ローズヴェルト大統領が脳溢血のために63歳で急逝した。戦後彼の政策であった米ソ強調体制は、米ソ対立の顕在化とともにトルーマン大統領によって冷戦構造に転換されていった。映像は、悲しむ米国市民、大統領の柩、葬列。
- 【エルベの誓い】 1945年4月25日、東西から進撃したソ連軍とアメリカ軍が、エルベ川のトルガウで出会う。両軍は夜更けまでアコーディオンを鳴らし、ウイスキーや、ウオッカで祝杯をあげ、ここにヒトラーの望みは打ち破かれる。映像は、両軍兵士の交歓、握手、記念撮影などの状況。
- 【ムッソリーニ処刑】 1945年4月28日、独裁者ベニート=ムッソリーニと愛人クララ=ペタッチがパルチザンに捕えられ、イタリア北部の小村ドンゴで処刑された。20年以上にわたるイタリア・ファシスト支配は幕を閉じた。映像は、ムッソリーニ、ファシスト党幹部の死体、逆さ吊にされるようす。
- 【ヒトラー自殺】 1945年4月30日、ヒトラーが愛人エヴァ=ブラウンとともに、ベルリンの地下壕で自殺(56歳)。映像は、爆破された司令部内部と遺留品。
- 【ベルリン陥落】 1945年5月2日、ベルリン守備隊がソ連軍に降伏し、ベルリンが陥落。映像は、破壊されたベルリンのようす。
- 【ドイツ降伏文書に調印】 1945年5月7日、フランス、シャンパーニュ地方のランスでドイツ側代表ヨードル将軍が、連合軍に対する無条件降伏文書に署名。8日、ベルリン郊外のカルルスホルストにてカイテル元帥も署名。映像は、ドイツ軍首脳陣、ヨードル、カイテル、調印するようす。
- 【ドイツ無条件降伏】 1945年5月、ドイツ軍が連合軍に無条件降伏。建物から手をあげて出てくるドイツ軍将官たち。映像は、降服して手を上げながら出てくるドイツ軍将校、最後のシーンの一番右側はヨードル。
- 【VEデー ヨーロッパ戦争終結】 トルーマン大統領は1945年5月8日をヨーロッパにおける第二次世界大戦終結の日として、戦勝記念日、VE(Victory in Europe)デーと宣言。この日はドイツに支配されていた国々の「解放の日」となった。映像はトルーマンの声明、電波塔、ラジオを聞く人々。
- 【ポツダム宣言】 1945年7月発表の米・英・中3国の対日共同宣言。軍国主義の絶滅、領土制限、民主化促進などを終戦の条件とし、無条件降伏を勧告。日本政府は8月14日これを受諾。戦後、占領政策の基点となった。映像は、会談の出席者、英代表のアトリー、トルーマン、会議のようす。
- 【広島原爆投下】 1945年8月6日、中部太平洋のテニアン基地から飛来した米戦略爆撃機B29エノーラ・ゲイは、広島に原子爆弾<リトル・ボーイ>を投下した。爆弾は上空580mで炸裂、一瞬にして広島を廃墟の町に変えた。映像は、上空から撮影された原爆キノコ雲。
- 【原爆後の広島】 爆心地から半径500mにいたほとんどの人々が即死し、1950年までに、原爆症も含め約24万7,000人が原爆のために死亡している。映像は、被災した瓦礫の市内、原爆ドーム。
- 【ソ連 対日宣戦布告】 1945年8月8日、ヤルタ協定によってソ連は対日宣戦を通告。翌日、ソ連極東軍がソ連国境を越えて進攻し、中国東北地方全域を制圧。映像は、チャーチル、スターリン、トルーマンらの会談、ソ連の軍事パレード、トルーマンの声明。
- 【長崎原爆投下】 1945年8月9日、アメリカは長崎にも原子爆弾を投下。熱線と熱風は川沿いの工場・学校・教会、そして爆心地から南へのびる街々を破壊し、約7万人の命が奪われた。今なお多くの人々が原爆後遺症で苦しんでいる。映像は、上空から撮影された原爆雲と壊滅した工場地帯の状況。
- 【玉音放送】 1945年8月15日、日本ではラジオ放送で、天皇自らが録音した終戦詔書「玉音放送」が流れ、国民に敗戦が伝えられた。映像は、昭和20年9月6日に上映された「聖断拝す
大東亜戦争終結 昭和二十年八月十四日」のニュース映画。
- 【終戦を告げる米マスコミ】 1945年8月、米大統領トルーマンが、日本が無条件降伏したことを宣言。米国の記者たちが世界中にニュースを伝えた。また米国内では”V−J Day”(日本に勝った日)として、祭りが行われた。映像は、戦勝を喜ぶ米国市民、勝利を報じる新聞、紙吹雪、抱き合う兵士。
- 【インドネシア独立宣言】 1945年8月17日、国民党のスカルノを指導者として、インドネシアが独立宣言。翌日、大統領にスカルノ選出。武力により独立を阻止しようとしたオランダと4年間闘争を展開、1949年、完全に独立。映像は、独立交渉の会議のようす。
- 【マッカーサー厚木到着】 1945年8月30日、連合軍最高司令官ダグラス=マッカーサー元帥が厚木に到着。C54輸送機「バターン号」から、コーン・パイプをくわえて厚木基地に降り立ち、日米両将校らがそれを迎えた。映像は、乗機バターンで到着するマッカーサー。
- 【米戦艦ミズーリ号】 1945年9月2日、日本側の重光外相と梅津参謀総長、連合国側の最高司令官マッカーサー元帥および各国代表が、米戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印を行う。映像は、ミズーリ号、調印式に向かう重光外相、取囲む報道陣。足の不自由な重光に用意された椅子。
- 【日本側代表降伏文書に調印】 米・中国・英・ソ連・オーストラリア・カナダ・フランス・オランダ・ニュージーランドが降伏文書に署名。指令第1号として、マッカーサー元帥が朝鮮半島の日本軍に対し、38度線を境に、米ソ各軍への降伏を司令。映像は、調印にサインする重光葵外相、参謀総長の梅津治郎大将。
- 【中国で降伏調印】 1945年9月9日、南京で日本軍の支那派遣軍総司令官岡村寧次大将らが、中国陸軍総司令何応欽に対し、降伏文書に調印。映像は、調印の会場、サインする今井武夫中将、日本代表の退席後、手をとりあう中米軍将官。
- 【米兵士母国へ凱旋】 1945年9月、第二次世界大戦で勝利を収めた米軍兵士が母国へ凱旋帰国した。兵士たちの乗る帰還船が自由の女神像の前を通過し、上陸。出迎える家族たちの歓迎を受けた。映像は、自由の女神、帰還船、出迎える家族、上陸して大地にキスする兵士。
- 【天皇 マッカーサー訪問】 1945年9月27日、天皇が東京赤坂の米大使館にマッカーサー元帥を訪問、35分間にわたって会談した。会見に先立ち撮影された二人の写真は日本の各新聞社に配布され、29日づけ各紙一面トップに掲載された。映像は、米国大使館をあとにする昭和天皇。
- 【日本共産党幹部など政治犯釈放】 1945年10月4日、GHQによって公布された政治的・市民的・宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書によって、10日、日本共産党幹部をはじめ、計2,500人の政治犯・思想犯が釈放される。映像は、府中刑務所の外観、釈放前の人たち、徳田球一と出所を歓迎する人々。
- 【国際連合発足】 1945年6月、50カ国によって調印された国連憲章の批准国が過半数の26カ国になったため、10月24日に国際連合が正式に発足。本部はニューヨークで、第二次世界大戦後の平和確保、戦争発生の防止が目的。映像は、国連会議場、会場と討議のようす。
- 【ニュルンベルク裁判始まる】 1945年11月20日、西ドイツ南東部ニュルンベルクで「ニュルンベルク裁判」開始。第二次世界大戦における戦勝国によって、ナチスドイツの戦争責任を追及し、国際法によって裁こうとする史上初の国際軍事裁判だった。映像は法廷のようすで、左側被告席のヘス、右側は判事。
- 【横浜BC級裁判】 1945年から横浜でおこなわれた、連合国による軍事裁判。戦争責任について、B級は通例の戦争犯罪、C級は一般住民に対する殺害や虐殺など非人道的行為を犯した罪に問われ、起訴された。映像は、法廷内の記録。
- 【天皇巡幸】 1946年2月19日、天皇の全国巡幸が始まる。同年1月に出された「新日本建設に関する詔書」に明示された、「天皇の人間宣言」にともなったもの。国民と直接触れ合い、「人間天皇」をイメージづけた。映像は、巡行する天皇、男性と話す天皇、小学校を訪問するようす。
- 【中国 国共内戦】 中国国内では、第二次世界大戦末期から国共両党の対立が再燃しはじめた。マーシャルを特使とする調停の結果、1946年1月に停戦協定が成立。しかし、4月以降再び内戦状態となり、49年まで続いた。映像は、国共停戦協定、張群、マーシャル特使、周恩来、調印するようす。
- 【引き揚げ者】 1946年になって、米軍のリバティ型船舶、LSTの貸与によって、ようやく復員・引き揚げが本格化し始めた。なお、外地にいた660万人の日本人のうち、約95%が帰国できたのは1950年のことである。映像は、帰国した船から降りてくる引き揚げ者たち。
- 【チャーチル「鉄のカーテン」演説】 1946年3月5日、イギリスの前首相チャーチルはアメリカの要人を前に、ソ連がバルト海からアドリア海まで「鉄のカーテン」をおろしていると語って、ソ連の閉鎖性と危険性を示し、不信感を表した。映像は、チャーチルの演説。
- 【婦人参政権が実現】 1946年4月、婦人参政権が認められて以来、はじめての総選挙が行われた。映像は、選挙で投票する男女のようす。
- 【東京裁判開廷】 1946年5月3日、東京裁判(極東国際軍事裁判)が東京市ヶ谷の旧陸軍省大講堂にて開廷。東条英機ら28人の「A級戦犯」が入廷し、オーストラリアのウエッブ裁判長が開廷を宣言。映像は、市谷法廷正門前、東条英機らがバスから降りて入廷、被告席、傍聴席のようす。◎
- 【東京裁判 大川周明退廷】 裁判にパジャマ姿で裸足に下駄を履いた格好で出廷した被告・大川周明は、ウエッブ裁判長が休憩を宣告すると、突然、前列の東条英機の頭を平手で叩き、翌4日の公判で精神鑑定のため退廷させられる。映像は、法廷内、判事席、被告席の東条英機の頭を叩く大川周明。◎
- 【米よこせデモ】 敗戦後、衣食住の不足は深刻をきわめた。とくに都市では食糧の配給がとどこおり、食糧危機は大きな政治問題になった。1946年5月、食料メーデーとして大規模な民衆運動がおこり、デモが繰り広げられた。映像は、街中のデモ、首相官邸前のデモ、国会前のデモのようす。
- 【ビキニ環礁で原爆実験】 1946年7月1日、アメリカが南太平洋のビキニ環礁で、初の原爆実験を行った。B29から長崎型原爆が投下されると海域は一瞬にして火の海と化した。映像は、投下準備のためサングラスをかける兵士、顔をふせる兵士たち、投下機、乗員、爆発、立ち上がるキノコ雲。
- 【フィリピン独立】 抗日運動がもっとも激しかったフィリピンは、すでに1934年にアメリカから10年後の独立を約束されていたが、46年に独立宣言を発してフィリピン共和国となった。しかしアメリカは経済的に強い影響力をもった。映像は、独立を祝うパレード。
- 【パリ平和会議】 1946年7月29日、パリ平和会議が始まる。連合軍とイタリア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランド5ヶ国との講和条約を取り決めるための、第二次世界大戦講和会議。映像は、会場に入る各国代表、会議場のようす。
- 【ナチスドイツ指導者判決】 1946年10月1日、「ニュルンベルク裁判」で判決が下る。ゲーリング、リッペントロップら12被告に絞首刑、ヘスら7被告に終身刑から禁固10年の判決が下り、16日執行。なお、ゲーリングは15日服毒自殺。映像は法廷内のようす。
- 【戦後東京の焼け跡】 敗戦直後の日本の住宅状況は劣悪をきわめ、廃虚となった東京にはいたるところにバラックが建てられた。敗戦直後の東京では、焼け跡の仮小屋等に住む戦災者は約9万3,000世帯、31万人であった。映像は、廃墟の中を作業する人々。
- 【戦後 闇市】 敗戦直後、日本は深刻な食糧難に陥る。特に東京の食料不足は絶望的な様相を呈する。公的な流通機構「配給制度」はほとんど壊滅状態にあり、実質的には「闇市」や、地方への「買出し」によって食糧が調達された。映像は、戦後の闇市での売買のようす。
- 【戦後民主主義の始動】 1946年、11年ぶりにメ−デ−が復活し、急激なインフレと食糧難のため、各企業の労働組合が続々と結成された。全日本映画演劇労組もストライキに突入するなど、「民主化」が合言葉として広がっていった。映像は、戦後の労働組合のデモのようす。
- 【男女共学の実施】 1946年10月9日、日本で文部省が国民学校令の一部を改正し、国民学校での男女共学の実施を指示。即日施行された。映像は、戦後の学校教育、男女共学で学ぶ教室のようす。
- 【インドシナ戦争】 1946年12月、仏軍がベトナムのハノイで軍事行動を開始。それに対し、ホー=チ=ミンが反仏解放闘争を宣言し、第1次インドシナ戦争勃発。以降、1954年7月にインドシナ休戦協定が成立するまで続く。映像は、仏軍の兵士、砲撃、負傷する兵士。
- 【戦後の復興】 1946年7月、戦災復興院が1946年度住宅対策要綱を決定。不急不要の大建築の停止、約1万6,000邸宅を解放するなどした。また同月、衆議院議員本会議において、戦災復興促進決議を全会一致で可決。映像は、戦後の復興作業、印刷所のようす。
- 【東京裁判 判決】 1946年に始まった東京裁判(極東国際軍事裁判)が1948年11月12日に最終判決。ウエッブ裁判長が25被告の有罪判決を宣告。東条以下7名に絞首刑、ほか16名に終身禁固刑が下った。映像は、判決を聞く東条英機。