コラム: インドネシアを歩く

インドネシアを歩くページです。

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ジャカルタ ジョクジャカルタ ボロブドゥール バリ島 チモール バティック インドネシア語、ちょっぴり カルティニ スカルノ ガルーダ ガムラン音楽

インドネシア略史

  7世紀 スマトラを中心に仏教王国シュリウィジャヤ王国が成立
13世紀 イスラム教がスマトラ島最西北のアチェ地方に伝来
1512年 ポルトガル、モルッカ諸島のアンボンを占領
1602年 オランダ、ジャワに東インド会社を設立
1945年 スカルノ、インドネシア独立宣言
1967年 スハルトが大統領に
2001年 メガワティ大統領就任

インドネシア とは? 


インドネシアとは、“△△△の島々”という意味である。インドとはかつては今の東南アジアをも含んだ言葉であった。インドネシアは東南アジアで面積と人口が一番大きい。人口は2億人である。島の数は世界一多く13000を数える。 巨大な三日月形に広がる。

横幅は5600kmで、アメリカ合衆国と同じである。ちなみに日本列島の長さは3000kmである。フィリピンを含めた形は、「込」に似る。

《A》 インド 

 

 

 

インドネシアの5地域  


インドネシアは、スマトラ島、△△△島、カリマンタン、スラウェシ島、イリアンジャワ(ニューギニア島の西半部)の5地域からなる。カリマンタンは、ボルネオ島の東南部で、全島の2/3を占める。西よりの島には人口の多い民族が住む。

アチェ人150万、バタク人400万、ミナンカバウ人600万、マレー人600万、スンダ人2000万、ジャワ人4300万、バリ人200万である。

西寄りに住む民族の方が、イスラムの信奉度が強い。イスラムは、西から広まったからである。

バリ島から東よりの島へ行けば行くほど、民族の規模は小さくなり、従って文化、言語が多様性を増す。

《A》 ジャワ 

 

 

 

スマトラの△△△△△△人


スマトラの△△△△△△人は、敬けんなイスラム教徒で、世界最大の母系制を採用する。教育熱心で知識人を輩出する。

《A》 ミナンカバウ 

 

 

 

ジャワ島は、インドネシアの中心島  


ジャワ島は、□□□□火山帯とアルプスから続く地中海火山帯とが出会う位置にあり、多くの火山がある。火山性土壌のため土地が肥沃で、古くから水田経営が発展している。また風景が美しく保養地や観光地が多い。日本の本州の半分に過ぎないが、豊かな自然、風土に恵まれ、古くから高い文化を発展させてきている。

人口は、全インドネシアの2/3、1.2億を集める。人口密度も600人を越え、世界有数の人口過密地である。インドネシアの中心をなす島である。  

《A》 環太平洋

 

 

 

ジャカルタ    


インドネシアの首都は、ジャワ島内の西にあるジャカルタである。住民は、ジャワ語を話す。インドネシア語とジャワ語の関係は、東京弁と沖縄弁のようなものである。文法はよくにているが、互いに理解しあえない。

ジャワ人は、インドネシア人口の70%を占める。地名は、サンスクリット語のジャイア・ケルタ(勝利の土地)に由来する。雨季は10月〜 4月、乾季は 5月〜 9月である。ジャカルタはまた、△△△△植民地時代はバタビアとよばれた。

ジャカルタは、アジアの中で唯一南半球にある首都である。

*Jakarta 【画像】

《A》 オランダ 

 

 

 

△△△△△はジャカルタから     


△△△△△の名は、ジャカルタの異名ジャガタラに由来する。ジャガタラはジャカルタがなまったものである。


オランダ人が東洋貿易の根拠地(こんきょち)としていたジャカルタから来たことから「じゃがたらいも」となり、これが後につまって「じゃがいも」となった。


《A》 じゃがいも

 

 

 

ジョクジャカルタ


ジョクジャカルタは、ジャワ島中部にあるインドネシアの京都といわれる人口50万の都市で、36もの大学を有す。メラピ火山(約3000m)南麓の沃野にあり、古くからジャワ文化の中心地である。日本の平安朝のころに作られた仏教遺跡△△△△△△△が、40キロの郊外にある。

民族運動、教育、宗教運動の中心地でもある。スハルト政権を崩壊にみちびいたのも、ジョクジャカルタにおける50万人のデモといわれる。

王宮を中心に、バティック(ジャワ更紗)、ワヤン(影絵芝居)、ガムラン音楽、舞踊、銀細工、木彫品の保存や開発をはかっており、ジャワ文化の中心である。

*ジョクジャカルタ 【地図】
*Yokyakarta【画像】

《A》 ボロブドゥール 

 

 

 

ボロブドゥールは世界最大の□□遺跡         


ボロブドゥール寺院は、世界最大の華麗な□□遺跡である。ジャワ島中部の古都ジョクジャカルタ郊外にある。8世紀後半から9世紀にかけてシャイレンドラ王朝のもとで、インド文化が満開の花を咲かせた頃に造営された。シャイレンドラ王朝は□□を信奉していた。

一片約120mの四方形の基壇の上に、5 層の方形層と3 層の円形層が階段形のピラミッド状を示す。高さは約32m ある。仏座像が500体以上もおさめられている。第1層から釈迦の生誕を描いた1500のレリーフ(浮き彫り)が続く。回廊は10kmにもおよぶ。半分近くが地中に埋没したままになっていたが、1991年に復元工事が完成した。 

このあたりは、噴煙を悠然とたなびかせるメラピ山の広大な裾野にあたり、ジャワ島で最も美しく豊かな穀倉地帯に位置している。ボロブドゥールは、椰子や熱帯独特の木々や花々、一面の稲穂の織りなす田園風景のなかにみごとに溶け込んでいる。


*borobudur【画像】

《A》 仏教

 

 

 

小スンダ列島    


小スンダ列島とは、ヒンドゥ―文化一色で有名な△△島から元ポルトガル領で住民の大半がキリスト教のチモ―ル島までの鎖のように連なる小さな島々をいう。

《A》 バリ 

 

 

 

バリ島は、ヒヨコの形


バリ島の形は、横向きになったヒヨコに似る。頭は△△△島に、尾はロンボク島を向いている。

《A》 ジャワ 

 

 

 

観光のメッカ、バリ島    


ジャワ島の東隣の島は、観光地で有名なバリ島である。島都はデンパサ―ルで、住民の90%はイスラム教徒ではなく、土俗信仰を包摂した△△△△教を信奉する。住民はバリ語を話す。△△△△△教徒は、牛を食べない。バリ島で行なわれる打楽器による合奏音楽はガムラン(gamelan) と呼ばれる。ウダヤナ国立大学の他に私立大学が五つある。

バリ島一の山は、グヌン・アグン(Gunung Agung、山・大→大山)である。世界の中心に位置する聖山とされている。

バリには、厳然とした階級制度がある。僧、王族、農、労の四階級に分かれる。婚姻は必ず同階級の者と結ばれねばならないとされている。

*日本でも手にはいるバリ バリの舞踊、音楽CD、料理、気候、服装

《A》 ヒンドゥー 

 

 

 

バリの自然は豊か  


バリは自然が豊かなところである。人里の至るところに水路が開かれ、人々はそこの水を飲料水にし、そこで水浴し、洗濯する。豊かな水とあふれる太陽にめぐまれて、水田が多く、米は年3回収穫できる。黄金の波打つ水田に、たわわに実ったバナナ、椰子の林がとけあって、豊かな景観をかもしだしている。

*バリ島  自然【画像】

 

東チモール


チモール島は、小スンダ列島の東端にあり、インドネシア語で「東」を意味する。チモール島は、△△△△△の植民地で1975年に独立したが、翌年インドネシアに攻略され、インドネシア領に75万人の島民共々組入れられた。チモール人は、キリスト教徒で反インドネシア意識が強い。2000年に独立した。

《A》 ポルトガル 

 

 

 

イスラム教  


インドネシア、マレ―シアの人々が主として、信奉する宗教はイスラム教である。インドネシア人の90パーセントは、イスラム教徒である。毎週□曜日の午後は、官庁、学校、商店などは休みとなり、人々は礼拝する。イスラム教徒は、1日5回礼拝することが、教典コーランで定められている。

しかし、東南アジアのイスラム教は戒律がゆるいので、1日5回礼拝するようなことはまずない。とくに、ジャカルタから東の方へ行けば行くほどその傾向が強い。イスラム教は、7世紀の初め、マホメットがアラビアのメッカではじめたアラーを唯一の神とする宗教である。

《A》 金 

 

 

 

イスラム教の風習     


イスラム教には、一夫多妻、□肉を食べない、飲酒しない、女性はチャドル(黒布)で顔を覆うことなどの風習がある。

《A》 豚 

 

 

 

イスラム教徒が豚を食べない理由


イスラム教徒もユダヤ教徒も、豚を食べない。それは次ぎの理由によるという。

かつては、彼等も豚を飼育して食べていた。しかし、やがて肉よりも穀物の方が、エネルギー効率がよく、より多くの人間を養えることに気が付いた。それで家畜の飼育地を農地に替えた。ただ、牛や羊は人間が食べない草を餌にしているので、そのまま残した。牛や山羊は乳を出し、羊毛は衣類にもなるという意味でも人間に役に立つ動物であった。

しかし、豚は人間と同じように穀物、野菜を食べ、人間と競合する。そのために、豚は排除されるようになったのだ、というわけである。

 

 

 

犬 


犬は、イスラム教では悪魔の使いとしてきらわれる。逆に、猫は、神の使いとして大事にされる。

 

 

 

イスラム教の普及の理由    


イスラム教がインドネシアに普及したのは、次の理由による。

  • イスラム到来時、ヒンドゥー教や仏教がそれほど勢力を持っていなかったこと。
  • イスラム商人の模範的な振舞いが多くの信者をひきつけたこと。
  • イスラムの教義が素朴で、合理的で、平等主義的だったこと。

イスラム教は、東南アジアではインドネシアの他に、マレ―シア、ブルネイおよび△△△△△南部の人々が主として、信奉する。今世界で一番成長率が高い宗教である。

《A》 フィリピン 

 

 

 

ゴトンロヨン


ゴトンロヨン(Gotong Rojong )とは、ムシャワラ(Musyawarah全員協議)からムファカット(Mufakat 全会一致)を経て行う□□労働のことである。

《A》 共同 

 

 

 

ジャワ更紗 


ジャワさらさは、インドネシア語でバティック(batik)とよばれ、インドネシアを代表するろうけつ染めの織物である。ジョクジャカルタがその中心である。

*バティック【画像】

 

 

 

インドネシア語とマレーシア語


インドネシア語とマレーシア語は□□関係にある。マレーシア語が英語、インドネシア語が米語にあたる。

《A》 親縁 

インドネシア語、ちょっぴり

インドネシア語 記憶法  

 

 

 

シュリウィジャヤ(7世紀半ば-11世紀後半)


シュリウィジャヤは、7世紀半ばから11世紀初めにかけて、マラッカ海峡に近い要衝パレンバンを中心に栄えた王国である。何世紀もの間、インドネシアにおける海洋貿易を制圧した□□国家である。

国力のおおくは、船の建造に費やされた。経済はほぼ全面的に商業に依存した都市国家であった。宗教は仏教を信奉した。シュリウィジャヤは、8世紀後半よりジャワのシャイレンドラ王国の影響下におかれるようになる。

《A》 港湾 

 

シャイレンドラ国(750-832)   


シャイレンドラ王国は、750 年から 832年までジャワ島に君臨した王国である。大乗仏教を信奉したシャイレンドラ国は、△△△△△△△△近郊にボロブドゥ−ルの仏教遺跡をのこした。

《A》 ジョクジャカルタ 

 

 

 

インドネシアの旧宗主国


インドネシアは1606年から1946年まで 350年間△△△△の植民地であった。


《A》 オランダ

 

 

 

ジャワ戦争      


ジャワ戦争は(1825-30)は、ジョクジャカルタ王家の後継者となるはずであったディポヌゴロが、その地位を得られなかったために△△△△に対し起こした反乱に端を発し、ジャワ全土でオランダの植民地支配に反対する暴動となった。

《A》 オランダ

 

 

 

カルティニ  


△△△△△は、女性の解放をとなえ、女学校を設立した。社会の変革と民族の独立は、女性の自覚とその地位の向上にあるという彼女の信念は、盛り上がりつつあったインドネシアの民族運動に大きな刺激をあたえた。彼女はわずか25歳でこの世を去った。

*カルティニ【画像】

《A》 カルティニ

 

スカルノ    


1945年 8月17日、スカルノがインドネシアの独立を宣言し、インドネシア初代大統領となった。1945年スカルノは、パンチャ・シ―ラを唱えた。パンチャ・シ―ラとは、インドネシア独立五原則で、唯一神の信仰、人道主義、民族主義、議会主義政府、社会主義をさす。

スカルノは、失脚したが、いまではにインドネシアの□とよばれる。

*スカルノ【画像】

《A》 父 

 

 

 

スハルト


68年大統領に就任した。一貫して経済開発を第1の国家目標にかかげ、国軍の支持と国家官僚を政治的基盤として、30年にわたり国家を支配してきたが、永年の独裁政治による腐敗で98年退陣を余儀なくされた。

 

 

 

アジア・アフリカ会議    


アジア・アフリカ会議(AA会議)は1955年、インドネシアのジャカルタ南東にある△△△△で開かれ、この会議の別称にもなっている。


*バンドン 【画像】

《A》 バンドン 

 

 

 

インドネシアは複合文化国    


今日のインドネシア文化は、固有の文化基盤の上に、インド化、△△△△化、西洋化が加わってできあがったものといえる。インド化は、紀元前後から15世紀までおよぶ。 

《A》 イスラム 

 

インドネシアの国章ガルーダ          


インドネシアの国章ガルーダは、△△△△神を乗せて空を駆ける鷲に似た霊鳥で、宇宙の秩序と平和を守るとされる。しばしば蛇神ナーガと対をなし、生命と死、天界と冥界といった対立を象徴する。インドネシアの国営飛行機会社はガルーダ航空とよばれる。△△△△神は宇宙の守護神である。

ガルーダ

《A》 ビシュヌ 

 

 

 

ガムラン音楽      


ガムラン音楽は、インドネシアの代表的な音楽で、ゴングとドラムの合奏からなる。青銅の□□楽とも呼ばれる。いにしえの銅鐸の響きにも似て、神々と交信しているかのように聞こえる。ゴングには、超自然の力があると信じられている。インドネシアでは、音楽演奏は、神とのコミュニケーションをはかる宗教活動の一部である。


《A》 交響

 

インドネシアを歩く  問題  桑原政則

  1. インドネシアは、スマトラ島、△△△島、カリマンタン、スラウェシ島、イリアンジャワからなる。
  2. 小△△△列島とは、バリ島からチモ―ル島までの鎖のように連なる小さな島々をいう。
  3. ジャワ島は、アルプス・ヒマラヤ火山帯□□□□火山帯とが出会う位置にある。
  4. シュリウィジャヤ(7世紀半ば-11世紀後半)は、△△△△海峡に近い要衝パレンバンを中心にインドネシアにおける海洋貿易を中心に栄えた王国である。
  5. △△△△△△(シャ…)王国は、750年から832年までジャワ島に君臨した王国である。
  6. シャイレンドラ王国は、大乗仏教を信奉し、ジョクジャカルタ近郊に△△△△△△△(ボ…)の仏教遺跡をのこした
  7. インドネシア文化は、固有の文化基盤の上に、△△△化、イスラム化、西洋化が加わってできあがっている。
  8. △△△△△(カ…)は、女性の解放をとなえ、インドネシアの民族運動に大きな刺激をあたえた。
  9. 1945年、△△△△(ス…)はインドネシアの独立を宣言し、初代大統領となった。
  10. △△△△△△(ゴ…)とは、ムシャワラ(全員協議)からムファカット( 全会一致)を経て行う共同労働のことである