ヒンドゥー教を歩くコラムです。
ヒンドゥー教を歩く
まとめ 桑原政則 |
キーワード: ドラビダ人 インダス文明 モヘンジョダロ遺跡 ハラッパー遺跡 アーリア人 インダス川 バラモン ヒンドゥー教 ビシュヌ派 ビシュヌ神 アナンタ ガルーダ ラーマーヤナ ラーマ クリシュナ ラクシュミー ハヌマン ケチャックダンス シバ神 ジャイナ教 シーク教徒 カースト制度 菜食主義 ナン チャパティ サリー ビンディー ドーティ インドの公用語 ヒンディー語 ウルドゥー語 タミール語 バリ島 |
| インド亜大陸とは Indian sub-continent |
| * インド亜大陸は、パンゲア(Pangae)大陸から分離・移動して、ユーラシア大陸に衝突し、ヒマラヤ山脈が隆起しました。現在もインド亜大陸は北上し続けています。
http://www3.aa.tufs.ac.jp/~kmach/map.htm インド亜大陸には、バングラデシュ、インド、パキスタン、ブータン、シッキム、ネパール、およびインド半島の南東に位置する△△△△△の7ヵ国が含まれる。「亜」とは、「次」のことで、亜大陸とは準大陸のことである。 《A》 スリランカ |
| インド亜大陸の住民4種 |
| インド亜大陸の住民は大まかに四つに分類できる。 第一は最古の原住民であるムンダ人、 第二はドラビダ人、 第三は△△△△人、第四はインド周辺から移ってきた少数民族、 である。 《A》 アーリア |
| ドラビダ人は、△△△△文明の担い手 |
| インド最古の原住民は、ムンダ語を話す人達などで、今では山間へき地に固有の素朴な文化を保って、少数民族として住んでいる。 その後に移動してきたドラビダ人は、BC2500年からBC1500年にかけて栄えたモヘンジョダロ遺跡とハラッパ−遺跡で名高い△△△△文明の担い手だったといわれている。 北インドに住んでいたドラビダ人は、次第にアーリア人に征服同化された。しかし南インドのドラビダ人は、アーリア文化の影響をつよく受けながらも独特の高い文化を育ててきている。 《A》 インダス |
| アーリア人によるインド支配 |
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http://www.infoaomori.ne.jp/~sakamoto/indo.html
http://www.infoaomori.ne.jp/~sakamoto/indo.html ドラビダ人のあとにアーリア人がインドにやってきた。アーリア人はインド・ヨーロッパ語族に属する。インド・ヨーロッパ語族は、もともとウクライナあたりに住んでいて、人口がふえすぎて、方々へ拡散移住していったと考えられる。 ヒッタイト人、ギリシャ人、ローマ人、ゲルマン人(アングロサクサン人もここに入る)、ケルト人(アイルランド人など)、アーリア人などのいわゆる白人種(Caucasoid)はいずれもインド・ヨーロッパ語族である。インド・ヨーロッパ語族の人々のうち、△△△とパキスタン、インドに入ったのがアーリア人である。彼らはBC1500年からこれらの地域に移住を開始し、BC500年までに北インドの全域を支配下に治めた。その後もアーリア人の南進は続きドラビダ人との混血も進んでいる。今ではインドでは北ほどアーリア色が強く、南へいくほどドラビダ色が強くなっている。 《A》 イラン |
| インド北部の少数民族 |
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インドの北にはチベットがあり、チベット人は日本人と同じモンゴロイド系である。チベット人などのモンゴロイド系の人達がヒマラヤを越えて、△△△△、ネパールやカシミール地方(パキスタン、中国に接するインドの西北部)に移り住んでいる。 これらの人は日本人によく似た顔付きをしており、とくに△△△△国はごく最近まで鎖国状態にあったので、その住民は純粋にモンゴロイドで、古い日本人にその挙措動作がよく似ている。 筆者(桑原)は、2001年2月南インドを旅したとき「ネパールから来たの?」とたびたび訪ねられた。 《A》 ブータン |
| インダス文明の遺跡 | |
インダス川は中流域で、手の指を広げたように5つの大きな支流を合わせている。都市遺跡ハラッパーは、この5つの川(5・川=パンジ・アーブ⇒パンジャーブ)地域にある。 《A》 モヘンジョダロ |
www.fujilight.co.jp/pc/pakistan/ pakistan_main.htm |
| アーリア人のインド征服 |
| アーリア人は後世に残るような文化はもちあわせていなかったが、ドラビダ人などの先住民などよりはるかにすぐれた武器、それに馬をもっていた。彼らは馬にひかせた二輪車の上から矢を射かけるという戦法により、先住民を征服同化しながら、BC500年にはインド東岸の△△△△川下流域にまで進出した。 《A》 ガンジス |
| インド亜大陸の気候 |
| インド亜大陸の大部分では、11月から6月までが乾季である。11月から2月までは爽快で、旅行には最良の季節である。3月から次第に暑くなり、4月から6月までは乾暑季で最悪の季節である。この時期には雨は降らず、内陸部では気温が45度にものぼり、草は黄色になり、木は落葉する。これは雨が降るまで水分が奪われることを最小限に抑えるためである。植物ばかりでなく、人間も動物もじっと耐え忍ぶのが乾暑季である。 7月になると,△△△△△が雨をもたらし、草も木も生き返る。△△△△△は7月から10月いっぱいまで続く。ヒンドゥー教の輪廻思想は、植物のこの生死のくりかえしに影響されたものであろう。 六道輪廻とは? 桑原政則 《A》 モンスーン |
| ヒンドゥー教 Hinduism |
ヒンドゥー教はいわば、何物をも包み込む多神教的一神教であるといえよう。この点、自分外のものはすべて排除するユダヤ教、キリスト教、イスラム教とは、明確にことなる。 ヒンドゥー教徒の数は、7億人を数え、キリスト教、イスラム教に次ぐ人口をほこる。古い段階のヒンドゥー教は、△△△△教(Brahmanism)ともよばれる。Hinduとは、Indus地方に住む人、つまりインド人のことである。 《A》 バラモン |
| ビシュヌ派と△△派 |
インド神話 画像多数 《A》 シバ |
| ビシュヌ神 | |
ビシュヌ神を信奉するヒンドゥー教徒はビシュヌ神こそが7月から10月までの4か月のモンスーンの間、生命の糧であり五穀豊饒のもととなるめぐみの雨をもたらしてくれると信じている。 ビシュヌ神には4本の腕があり、△△貝、蓮の花、チャクラ、棍棒をもっている。 左の上手では△△貝を握っている。これは説法(仏陀の教えを聞かせること)の時に、△△を吹いて、人を呼び寄せるためのものである。「△△を吹く」とはかつては「ありがたい説教を聞かせる」という意味であった。
《A》 ホラ(法螺) |
www2u.biglobe.ne.jp/ ~india/god3.jpg |
| アナンタ:ビシュヌ神の座臥する多頭の蛇 | |
カンボジアの△△△△△・ワットにもこの多頭の聖蛇アナンタの彫刻が至る所に見られる。この蛇は、東アジアでは、竜として敬われている。
《A》 アンコール |
http://www3.aa.tufs.ac.jp/~kmach/vishnu.htm |
| 霊鳥△△△△ | |
ビシュヌ神は日常座臥する時は多頭の聖蛇アナンタに乗り、外へ出掛けるときは霊鳥△△△△に乗る。 インドネシアの△△△△航空の名もこの霊鳥に由来する。インドネシアはバリ島を除いてイスラムになってしまったが、紀元後から15世紀までヒンドゥー文化圏にあったことの名残がこのようなところにも見られる。 《A》 ガルーダ |
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| ビシュヌ神は変身上手 | |
ヒンドゥー教では、さらに、仏陀もビシュヌ神の化身であるとして、仏教をヒンドゥー教の中にのみこんでしまっている。したがって、ヒンドゥー寺院に仏陀の彫像があっても驚くにあたらない。 《A》 馬頭 |
ナラシンハ(人獅子) http://www3.aa.tufs.ac.jp/~mmine/indspace/dcs2.html |
| ラクシュミー=△△△△神の妃 | |
画像ではラクシュミーは、森に囲まれた青い湖の中に、吉祥(きちじょう=めでたいこと)をあらわす赤いサリーをまとって立つ。その手からは金貨がばらばらとほとばしりでている。涼しげな環境のもとでお金がどんどん入ってくるというインド人の夢をあらわしているのであろう。 ラクシュミーは富と幸運、美の女神である。 デリーのラクシュミーナラヤン寺院はラクシュミーを祭る有名な寺院である。 ラクシュミーは大乗仏教にも取り入れられて、吉祥天とよばれる。 《A》 ビシュヌ |
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| ラーマーヤナ物語は民衆のためのヒンドゥー教の聖典 | |
王族の甘美な恋物語や、妖怪変化が人間と入り乱れて闘う勇壮な物語などに、ヒンドゥー教の神々や信仰についての話しが多く盛り込まれているため、民衆のためのヒンドゥー教の聖典の働きをするようになった。 《A》 バラモン |
ラーマ、シーター、ハヌマン http://www3.aa.tufs.ac.jp/~kmach/rama.htm |
| ラーマーヤナ物語の大筋 @ | |
ラーマ王子は学問、武芸とも衆にすぐれた若者に成長し、他の異母弟とも仲がよかった。 やがて、ラーマは他の国の王女シーターと結婚し幸福な日々を送る。シーター妃は、今日では、こよなく夫につくし、また完全な母であるとしてヒンドゥー婦人の理想像となっている。 時がたち、王はラーマ王子に王位を譲ろうとする。しかし、第二妃が王との古い約束をもちだし、わが子を王位につけるように迫る。かつて王は危ないところを第二妃に救われ、その時第二妃の子を王位につけること、ラーマを14年間森に追放することを約したのだった。 《A》 ビシュヌ |
ラーマを運ぶハヌマン http://www3.aa.tufs.ac.jp/~kmach/rama.htm |
| ラーマーヤナ物語の大筋 A | |
猿軍の大将の△△△△は自由に空を飛び、怪力を発揮したりして大活躍をする。 《A》 ハヌマン |
悪魔ラーバナ http://www3.aa.tufs.ac.jp/~kmach/rama.htm |
| ラーマーヤナ物語は東南アジアにも |
ケチャック・ダンスは通称モンキー・ダンスとよばれる。100人近い半裸の男達が舞台を取り囲むようにして座り込み、松明の明りの中で両手をさしのべて上体を動かしながら、不思議な叫び声のコーラスをかなでる。舞台ではラーマ王子、△△△△妃、猿将ハヌマン、悪魔ラーバナらが華麗な衣装に身を包んで物語を展開するという神秘的な迫力に満ちた芸能である。 なお、タイ現王朝の王はラーマと呼ばれる。プミポン王はラーマ9世である。 三蔵法師、孫悟空などがでてくる西遊記もラーマーヤナ物語の影響を受けてできたものである。 《A》 シーター |
| 破壊と再生の神△△神 | |
△△神は、苦行の神であり、ビシュヌ神よりもひとびとにとって怖い存在である。南インドに多くの信徒がいる。△△神は仏教に取り入れられて大自在天になった。 《A》 シバ ![]() www.gokokuji.or.jp/ NewFiles/New6.html |
http://www3.aa.tufs.ac.jp/~kmach/shiva.htm |
| シバ神は苦行者の守り神 |
《A》 ヨガ |
| シバ神の乗り物は〇□ |
《A》 お牛 |
| ガネーシャ | |
シバ神とその妻パールバティーの間に生まれた。知識と財産の神として商人や学生に崇拝されている。象の顔、波打つ太鼓腹のガネーシャとは、「ガナ(群衆)」の「イーシャ(主)」という意味である。 ある時、母パールバティーがガネーシャに「お母さんが庭で行水をするので、誰も家に入らないように見はっていてちょうだい」と言いつけた。お父さんのシヴァが帰宅したが、ガネーシャは、お母さんの言いつけを守って、行く手をはばんだ。シバ神は激怒し、ガネーシャの首を切り落としてしまった。 シバ神は嘆き悲しんでいる妻パールバティーを哀れに思い、家の前を最初に通る動物の首を付けて生き返らせてやることにした。その時悠然とやってきたのが象だったのである。 ガネーシャは△△△にのって外出する。 *Ganesha 【画像】
《A》ネズミ |
http://www3.aa.tufs.ac.jp/~kmach/ganesha.htm |
| カーリー神 | |
しかし、パールバティーは、魔神にヨーニ(秘所)を見られた羞恥に耐えかね、真っ黒になりカーリー神となり、出会うものすべてを殺し、破壊しながら世界を歩きまわるようになった。 その後△△神と再会し、おだやかな顔に戻った。 カルカッタにまつられており、カルカッタという地名はカーリー神に由来する。 *Kali 【画像】 《A》シバ |
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| リンガ linga | |
シバ神の寺院にはリンガ(男根)が祭られてあり、熱烈な信仰の対象となっている。リンガはシバ神のなりかわりだとされている。 リンガの受け盤はヨーニ(女陰)となっており、これは□□が豊かに実り、家畜が増え、人間が富み栄えるようにとの万物生成の摂理を象徴するものである。 《A》作物 |
http://www.soubunsha.co.jp/nepal_3.jpg |
| ヒンドゥー教徒が牛を殺さなくなったのはイギリスとの対抗上から | |
18世紀からイギリスは、近代合理主義の旗のもと、インドの悪習と思われたヒンドゥー教の改革に乗り出した。 これに対抗して、ヒンドゥー教徒は、不殺生、□□主義の行動様式を全面に打ち出して対抗した。とくに、牛を殺さないこと、食べないことは、「牛食い人種」であるイギリス人を見下すシンボルとなった。これが、ヒンドゥー教徒が牛を殺さなくなったいわれである。 《A》 菜食 <インドの街角> 浅野哲哉さんによるインドの街角のスケッチです。下のサイトにジャンプし、画像の部分部分をクリックすると、さらに詳細なクルマの画像があらわれます。 |
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| 世界最長の□□詩△△△△△△△ |
△△△△△△△はBC10世紀の話をもとにして4世紀に完成した約10万頌に及ぶ世界最長の叙事詩である。 *マハーバーラタ Mahabharata ウィキペディア 《A》 マハーバーラタ |
| ジャイナ教徒 Jainism | |
ジャイナ教はBC5世紀からBC4世紀に仏教と同じ頃興った宗教で、不□□、苦行の実践を重視する。二派あり、裸形( らぎょう)派は半裸で一年を暮らす。白衣派は、白衣を着、顔には虫を吸い込むのを防ぐため、白いマスクをつける。農業をするとスキやクワで地中の虫を殺してしまうので、商工業に従事する。このため、ジャイナ教徒は300万人にも満たないのに、経済力に優れ、インド社会において大きな勢力をもっている。 *Jainism 【画像】 《A》 殺生 |
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| シーク教徒 Sikhism | |
シーク教は15世紀末に創設されたイスラム教を取り入れたヒンドゥー教の一派である。18世紀にはパンジャブ地方に独立王国を建設した。20世紀に入ると反英闘争を展開し、インド独立の重要な推進力となった。 シーク教徒はヒゲや髪の毛を切らず、ターバンを頭に巻き付ける。毛は神から与えられた生命の一部であり、力の源泉であると信じているからだ。 シーク教は形式的にではあれ、カースト制を無視しているので、新しい時代の新しい仕事に適応するのが早い。ジェットパイロットから自動車の運転手に至る新しい旅行関係の職業にもカースト制度の制約がないので、つくのが早く、目立つのはそのためもある。 《A》 ライオン |
![]() *Sikh 【画像】 |
| カースト制度の誕生 |
インドでは、カースト制度を含む社会の仕組みが、古代において、極限にまで完成の域に達してしまったため、カースト制度だけを崩すことはできず、今日に至っている。 四大カーストは、さらに2700余りの職業別サブカーストに細分され、子は親と同一の職業につくことが決められている。しかし現代では近代産業の発達につれて、桶作りなどの職業は、プラスチックの出現で成り立たなくなってきており、実情にあわないサブカーストの一部は崩れてきている。 《A》 クシャトリア |
| カースト制度の廃絶は、かぎりなくむずかしい |
仏陀は、すべての人間は平等である、と説いたために、仏教はインドから衰滅してしまった。 ジャイナ教はカースト制度と今では妥協しているために今日まで命脈を保っている。 イスラム教においては、△△△の前ではすべての人は平等であるはずであるが、インドやパキスタンのイスラム教にはカースト制度が存在する。 シーク教は、△△△の前ではすべての人は平等であるとするイスラム教に刺激されて15世紀末におこった宗教で、カースト制度の廃絶を目指したが、妥協を強いられ建て前に終始している。 このように、カースト制度はヒンドゥー教、インド社会とわかちがたく結び付いているので、カースト制度の廃絶はかぎりなくむずかしい。 《A》 アラー |
| 新仏教の創始者アンベードカル: 佐々井秀嶺 |
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| インドのイスラム教徒 |
《A》 パキスタン |
| インド料理の肉は魚かチキンか△△△ |
煮込み料理の具の肉類には、チキンか△△△を使う。ヒンドゥー教徒にはビーフはタブーであり、またポークをタブーとするムスリム(イスラム教徒)も住んでいるので、両者のタブーの肉は使わないのである。 《A》 マトン |
| インド料理の主食=米、△△、チャパティ | ||
△△は平べったいパンで、あまりイースト菌をきかせていないため腰がある。△△でおつゆの煮込みをすくって食べたりする。 チャパティは、小麦粉を練ってごく薄くのばし、せんべいのようにぱりぱりに焼いたものである。 《A》 ナン |
ナン (インドパン) |
チャパティ(インドせんべい) |
| 民族衣装△△△ | |
△△△を着るには、左回りに巻き付けて、体の前の部分でプリーツ(ひだ)をつくり、ペチコートの内側にさし込み、残りの布を左肩にかける。 △△△の末端を右下から左肩に回すのは、右腕の動きを自由にするためである。これは偏袒右肩(へんだんうけん)という。偏袒右肩とは、もともと僧が貴人に対して最高の礼を表すために、右側の袈裟を外して肩をあらわにしたことをいう。袒(たん)とは、着物を脱いで肌を表すことをいう。 《A》 サリー |
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| 額の□いしるしビンディー | |
これは単なる飾りで、普通は赤だがサリーの色調に合わせて緑や青のビンディーをつけることもある。□は吉色とされており、いろいろな神像には赤い粉が信者によってつけられている。 仏陀の白毫(びゃくごう=白い毛)は、仏陀の眉間にあって常に光明を発していたといわれるが、インド女性のビンディーはこれとは何の関係もないおしゃれである。 《A》 赤 |
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| 男性の民族衣装ドーティ | |
《A》 白 |
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| インドの公用語は14言語 |
http://plaza19.mbn.or.jp/~h_satoh/menu.html
http://www.askasia.org/image/maps/india4.htm インドの紙幣は14種類の言葉で示されている。この14種類の言葉が、インドの公用語である。この他にインドには1500以上もの言語が、方言を含めて、ある。 首都デリーを中心になされるヒンディー語を国語にしようという運動は根強い。インド北東岸のインド最大の都市△△△△△でなされるベンガル語もヒンディー語と似たの言語である。 ヒンディー語の国語化に対しては、1億5千万の人口をかかえるドラビダ系の話者は、「ヒンディー語をしゃべる者は全国民の3割にもみたない」といって猛反対する。 ヒンディー語圏の北インドを始めとするインドの大部分が数百年間イスラムの支配にあったときも、南インドのドラビダ人たちは最後まで自分たちのヒンドゥー教王朝を守り通した。そのことも、彼らの言語と文化に対する誇りとなっている。また、ドラビダ系の者は海外で活躍する者も多く、海外インド人の間ではドラビダ系のタミール語が重要な言語となっている。マレーシアやシンガポールなどで話されているのや、タミール語である。 このような訳で、今のところ、英語がインドで唯一の共通語となっている。インド人同士話が通じ合わない時は、ごく自然に英語に切り替える。国会や公式の席でも英語が使用される。 <ガンジー Gandhi 《A》 カルカッタ |
| インドから西では□□□□が大切 |
| 作家の堀田善衛は「日本からビルマまでは謙譲の美徳が支配し、インドから西は□□□□の美徳が支配する」といった。インドからヨーロッパ、アメリカにかけて旅行する者は、日本人としての誇りと自分の考えをしっかりもって、□□□□できるようにしておくことが重要である。 《A》 自己主張 |
| 東南アジアの国家原理はヒンドゥー教から |
ヒンドゥー王朝では、王はシバまたはビシュヌの化身と考えられていた。例えば、カンボジアのアンコール朝では、王は神でもあったので、各地の精霊信仰、祖先崇拝を王のもとに統一した。王都には世界の中心である寺院が建設された。このアンコール朝の思想はタイにも受け継がれた。今でもタイの国王は、ラーマの称号でよばれる。現国王はラーマ9世である。 《A》 インド |
| 東南アジアのヒンドゥー文化 |
東南アジアでは、ヒンドゥー教の神概念がいきわたっており、ビシュヌ神、シバ神、ガルーダなどがよく崇拝されている。また、ヒンドゥー神話やマハーバーラタ、△△△△△△の物語は、東南アジアの舞踊、絵画、文学の中に生き続けている。宗教としてのヒンドゥー教は、上座部仏教、イスラムが浸透するにつれて衰退していった。 《A》 ラーマーヤナ |
| 東南アジアのヒンドゥー教徒 |
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ヒンドゥー教を歩く 問題 桑原政則
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