コラム:イスラム文明を歩く のページです。
イスラム・アラブのページ
イスラム教諸国家 |
イスラム圏の広がり |
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イスラム教徒の総数は15億(2003年)といわれ、世界全人口の5分の1を占める。 地理的にはフィリピンのミンダナオ南部から、インドネシア、マレーシア、バングラデシュ、インドの一部、パキスタンを通り、西アジアから北アフリカのモロッコまで含む。 中国の新彊(しんきょう)ウィグル自治区もトルコ系のイスラム圏である。バルカン半島の△△△△△、旧ユーゴ、ブルガリアにもイスラム教徒が多い。 *Muslimが1億人以上の国 Indonesia 1.9 India 1.5 Pakistan 1.4 Bangladesh 1.3
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タイの南4県はイスラム県である。質屋の看板にもアラビア語がみられる。1993年。(マレーシアのコタバルからタイのソンクラまでバスで北上) Muslim
population 《A》 アルバニア |
マホメット |
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イスラム教は、マホメットが7世紀のはじめに説き始めた教えである。マホメットは570年頃うまれた。40歳をすぎた頃から20年間にわたり、アラー(神)からお告げを聞いた。マホメットがアラー(神)から聞きあずかったことを文書にまとめたのが、△△△△で、これがイスラム教の聖典である。 マホメットは聖徳太子(574ー622)とほぼ同様の時期に生まれた。 《A》 コーラン |
| マホメットは□□者であって、 予 言者ではない |
| マホメットは、アラー(神)の言葉を預かった□□者であって、未来の予言者ではない。ユダヤ教、キリスト教にでてくるイエスやその他のヨゲンシャも□□者であって、予言者ではない。□□者とは、いわば神のことばを記録し伝えるテープレコーダのようなものだ。 イスラム教徒と英語ではなすときは、マホメットのことをThe Prophet(預言者)という。 《A》 預 言 |
コーラン(Quraan) |
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コーランは、「読誦されるもの」という意味で、クルアーンというのが原語に近い発音である。神(アラー)から△△△△△が、天使を通じて、読み聞かされたものである。それゆえコーランを読誦するときは、アラビア語で読誦しなければならない。 キリスト教の福音書に「こうしろ、ああしろ」という規範はないが、コーランは戒律だらけである。 《A》 マホメット |
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コーランかクルアーンか |
アラー Allah: 原音ではアッラーに近い イスラム Islam :原音ではイスラームに近い コーラン Koran :原音ではクルアーンに近い マホメット Muhammad: 原音ではムハンマドに近い △△△ :現地ではマスジッドmasjidとよばれる またイスラムとは、宗教の名前であるので、厳密には「イスラム教 」と「教」をつける必要がないが、一般向けにはつけた方がわかりやすい。 《A》 モスク |
アラビア半島 |
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アラビア半島は、爪先をイタリアとは反対に上に向けた太い長靴の形で、日本の7倍の大きさがある。半島全体は、西に高く東に低い高原状台地からなる。 かかとにあたる△△△△(国名)が一番高い。かかとの△△△△から両方の海岸に沿って山脈がのびており、内陸部は砂漠となっている。 《A》 イエメン |
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アラビア半島のイスラム化 |
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マホメットは、情熱的な宗教家であるばかりでなく、たぐいまれな政治家であり軍事指揮者であった。イスラム教を説き始めてから10年後に、△△△△半島のメディナで、多神教を信じていた住民を説き伏せて、はじめてイスラム教の共同体をつくった。 その後メッカにイスラム勢を率いて入り、多神教の神像を破壊し、唯一神アラーのみを信仰することを高らかに宣言した。この後、オアシスや草原で生きる部族たちも次々にイスラムになびかせ、マホメットが632年に世を去るまでには、△△△△半島全体をイスラムにみちびいた。 《A》 アラビア |
![]() saudiarabiamap.gif |
△△△△教の拡大の基盤 |
内部闘争についやしていたエネルギーは、外に向けられるようになった。△△△△教の拡大の基盤は、こうして整えられた。 《A》 イスラム |
イスラム教帝国の成立 |
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イスラム教徒はその後、アラビアの北方に位置したササン朝ペルシャ(226ー651)とビザンチン(東ローマ帝国)に果敢な攻撃をしかけ、圧倒的な勝利をおさめた。住民はイスラム圏に組み入れられると、税金が数分の1に軽減され、行政、裁判も簡明公正に行われたので、清新質素なイスラム勢の進出を歓迎した。 こうしてイスラム帝国は、ウマイヤ朝(661-750)、アッバース朝(750-1258)を経てさらに領土を拡大していった。8世紀後半には、イスラム圏の領土は、インダス川から西は△△△△半島(スペイン、ポルトガル)にまでおよんだ。 《A》 イベリア |
ササン朝ペルシャ Sasanian Empire |
ビザンチン帝国 Byzantine Empire |
ウマイヤ王朝 Umayyad Empire :グリーンの部分 |
アラブの凋落 |
繁栄をほこっていたアッバース朝(750-1258)も10世紀後半には凋落しはじめ、この後イスラム圏は△△△系が支配者となっていく。 イスラム圏がオスマン・△△△(13C〜1922年)に支配されていた頃、ヨーロッパは大航海時代の真っ直中にあった。コロンブス、ガマ、マゼランなどが次々と新しい航路を発見していった。そのためアジアとの中継地として栄えた地中海、さらにはアラブ地域は重要性を失っていくようになる。 《A》 トルコ |
イスラム文化 |
アラブ人は、征服地△△△△(イラン)や国境を接していたビザンチン帝国(東ローマ帝国のことで、ビザンチンはトルコのイスタンブールの旧称)の文化をどん欲に吸収、発展させ、9〜12世紀には世界最高水準のイスラム文化を築きあげた。このイスラム文化は、ペルシャ人、シリア人も担い手となった。イスラム文化は18世紀頃から停滞期に入った。 《A》 ペルシャ |
イスラム文化の母はペルシャ文化 |
アラブ人は、武力でペルシャに侵入し、文化でペルシャに征服されたといわれる。 とくに、建築においてペルシャの影響を著しく受けた。南スペインのグラナダにある△△△△△△宮殿は、世界有数の名建築、イスラム建築の白眉とされるが、その様式の根源はペルシャに発している。 Alhambraは、the Red のいみである。al はtheをあらわす。algebra(代数学),alcohol
のalも同様である。 * 《A》 アルハンブラ |
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www.ucalgary.ca/.../tutor/islam/
fractured/spainMaghrib.html |
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ほこりたかいペルシャ人 |
《A》 イラン |
トルコ語 |
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トルコは、オスマン・トルコ帝国の時代には、アラビア語でなく、ペルシャ語を宮廷用語や詩文用語に用いた。 トルコ語は、蒙古語などとおなじく、△△△△語系統に属する。「てにをは」を有し、動詞は最後に来る。朝鮮語や日本語も文法的には、△△△△語系統に属する。 《A》 アルタイ |
絶頂期のオスマントルコ Ottoman Empire |
アラブ・イスラエル問題の発端=イギリスの三枚舌外交 |
1) 1915年イギリスはアラブとの間に、アラブの独立を約束する書簡(フセイン・マクマホン書簡)を取り交わして、同盟を結んだ。 2) この間、1916年イギリス、フランス、ロシアは、戦後アラブの重要地域を三者で分割支配する秘密協定(サイクス・ピコ協定)を結ぶ。 3) さらに、1917年イギリスはユダヤ人が△△△△△(今日のイスラエルとヨルダン西部)の地にイスラエルを建国することに賛成する書簡(バルフォア宣言)をユダヤ人の大富豪ロスチャイルドにおくっていた。この宣言は、アラブとの約束を無視するものであった。 第一次大戦後ドイツには過酷な講和条約が押し付けられた。また、ドイツに組したオスマン・トルコ帝国は解体された。エジプト、サウジアラビアは独立を認められたが、シリア、パレスチナ地方は、メソポタミア油田からのパイプライン確保のため、イギリス、フランスによる統治が依然続けられ た 。 1948年ユダヤ人は、パレスチナ人が先祖代々にわたり、何百年も住んでいたところへ、武力侵入し、何百万というパレスチナ人を追放し、イスラエルを建国した。その当時△△△△△の地にはユダヤ人はわずか10%しかいなかった。 アラブ・イスラエル問題の発端は、アラブとユダヤの双方におなじ土地での独立を約束したイギリスの三枚舌外交にある。イスラエルの建国はイギリスの国内になされるべきであった。 《A》 パレスチナ |
ヨーロッパのイスラム観 |
ヨーロッパは、イスラム世界から、近代以前に、化学、文芸、政治、社会、法、産業、技術などの面で、多くの恩恵を受けながらも、イスラム世界から、△△△△(国名)の例を見てもわかるように、直接の脅威を常に受けており、そのためイスラムとは、破壊や恐怖をまき散らすやからとみなす傾向が強い。 《A》 スペイン |
イスラムは西欧の師 |
イスラム文化で進歩が著しかったのは、△△△△古典学、科学、医学、薬学、数学、天文学、化学、農業であった。アラビア科学は、750年に始まるアッバース朝下において、ギリシャ科学の精華をすべて吸収した。 西ヨーロッパが△△△△(国名)の原典を研究するようになったのは、やっと16世紀になってからで、プラトン、アリストテレスなどの△△△△古典を知ったのは、アラビア語の翻訳を通じてであった。それまでは西ヨーロッパと△△△△の交渉はなかった。17世紀後半までヨーロッパのほとんどの大学で使われた医学書は、ラージー、イブン・シーナらの手になるイスラム医学書であった。 アラビアの科学者は、多くは全体的知識人で、断片的知識人を価値ありとはしなかった。 《A》 ギリシャ |
南スペインにイスラム文化の花咲く:600年のイスラム支配 |
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イスラムは、南スペインのコルドバを都とする帝国を756年に創始した。コルドバの黄金時代は10世紀前後であった。イスラムが、スペインを去ったのは△△△△△がアメリカを世界に紹介したのと同じ年1492年であった。イスラムはスペインを600年間支配した。 その頃ヨーロッパはまだ中世の低迷期にあり、多くのヨーロッパ人がコルドバにイスラム文化を学びにやってきた。 《A》 コロンブス |
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スペインでイスラム文化を |
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スペインにでかけるときは、△△△△(地名)やアルハンブラ宮殿のあるグラナダを旅程にいれれば、イスラム文化の一端にも触れることができる。 さらに足を延ばして、スペイン南端のアルヘシラスからジブラルタル海峡をわたりモロッコのタンジールまで行けば、アフリカの匂いを嗅ぐことができる。船で2時間ほどで地中海が横断できる。 《A》 コルドバ |
スペインとモロッコの地図 |
イスラム教と近代化 |
イスラム教はなにからなにまで行動を規制する。だから近代化を強行すれば、至るところで、イスラム教のドグマ(教義)と衝突する。イランでパーレビ国王が追放されたのは、近代化をやり過ぎたからであり、エジプトの△△△大統領が殺されたのも、近代化のやりすぎからであった。 《A》 サダト |
コーランと聖書は同じ物語が多い |
イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教を母胎にして登場した。「唯一神の信仰」、「預言者」、「最後の□□」(この世の終わりに神が人間を裁くこと)など共通項が多いのはそのためである。ユダヤ教の聖典は旧約聖書(神との古い契約)であり、キリスト教の聖典は新約聖書であるが、次のような聖書の有名な話はコーランにも登場する。 「アダムとイブが禁断の木の実を食べた話」、「天地創造の話」、「大洪水とノアの箱船の話」、「モーセ(ユダヤ民族の最大の指導者)のエジプト脱出の話」、「ソロモンとシバの女王の話」、「悪徳の町ソドムとゴモラ」、「マリアの懐胎」、「イエス(コーランでは神アラーのしもべ)の降誕」。 イスラム教徒は、ユダヤ教とキリスト教の内容についてよく知っているが、それはこのように共通の話が多いからである。 《A》 審判 |
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は兄弟 |
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は兄弟である。彼ら兄弟は、『旧約聖書』を聖典とし、△△△△△を聖都の一つと考え、唯ひとつの神を信じる。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は、名称は異なるが、同じ神である。 神は、ユダヤ教ではユダヤ民族だけの神とされているが、キリスト教、イスラム教では、全人類の神である。 《A》 エルサレム |
ユダヤ教、イスラム教の共通点 |
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ユダヤ教、イスラム教では、「唯一神の信仰」、「偶像禁止」の思想が徹底している。この点キリスト教では、神以外に、イエスやマリアその他多数の聖人の偶像を拝んでいる。イスラム教は、キリスト教が原点から逸脱したのを、ユダヤ教に基づき、きびしく引き締めたものといえよう。豚を食べないのも、□□をおこなうのもユダヤ教徒とイスラム教徒だけである。 □□(circumcision)とは、男子が性器の包皮の先を切除することである。7歳前後が適齢とされ、外科医が多くおこなう。女児の陰核切除は数が少ない。近年□□不要説が高まっている。 あいさつは、ユダヤ人は「シャローム・アレイヘム」、アラブ人は「サラーム・アレイクム」といっておこなう。「平和をあなたの上に」という意味である。 一神教徒は、唯一絶対神を盾に強い自我を形成し、自己の普遍性を主張する。一神教同士がぶつかりあったら、血みどろの戦争になる。一神教は人類の癌であると主張する人もいる。
《A》 割礼 |
![]() レバノンにて 1995年 |
イスラム教はユダヤ教、キリスト教を完成したもの |
コーランは、偉大な預言者としてアダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエスの5 人をあげる。しかし、これらの預言者は、神の啓示(お告げ)を不完全にしか伝えず、マホメットこそ神の啓示を最終的に完全に伝えた最大の預言者であるとする。 コーランによれば、同じ一つの神がずっと昔に、ユダヤ教やキリスト教の預言者につたえたことを、うまく理解されないので、マホメットに何度も繰り返して完全になるまで説き明かした、といわれている。コーランの中に□□と同じ話が出てくるのはこのためである。 イスラム教徒は、キリスト教徒がイエスを「神の子」と呼ぶことには強く反対する。というのは、神が子どもを生むはずがないからである。 イスラム教徒によれば、旧約聖書、新約聖書の不完全なところを補って、完成させたのがコーランであり、イスラム教はユダヤ教、キリスト教を改革して、完成品としたものである。 《A》 聖書 |
イスラムはユダヤ教徒を保護 |
イスラム圏ではユダヤ教徒を、伝統的に保護する政策をとってきた。イスラム教徒にとり、ユダヤ教徒やキリスト教徒は自分たちと同じ神を信仰する仲間であり、親しみの目で見て」いた。イスラム教徒が目の敵にしたのは、偶像を崇拝するアフリカの宗教、ヒンズー教、仏教であった。 1453年コンスタンチノープル(いまのイスタンブール)をマホメットU世が征服したが、△△△△正教(コンスタンチノープルを中心とする東方教会)は生き残ることが許された。このようにイスラム圏においては他の宗教も存立が許された。イエスの神人一如を主張したコプト教は、キリスト教にさんざん迫害された。コプト教が安住の地を乱したのはイスラム圏においてであった。宗教的寛大さは、イスラム教の中にビルト・インされている。 《A》 ギリシャ |
ユダヤ教徒を迫害してきたのは、キリスト教国家 |
ユダヤ教徒を歴史的に迫害してきたのは、ヨーロッパのキリスト教国家であった。キリスト教国家は、商売や金貸しを悪いことと考えたが、マホメットはもともと□□だったので、この点でもユダヤ人にとってはイスラム圏での方が住みやすかった。 ユダヤ教徒は、商人、手工業者として活躍した。イスラム教徒は利息を禁止されているので、銀行業務にたずさわる者はユダヤ教徒が多かった。 後年のヒトラーのユダヤ人迫害は、ヨーロッパのキリスト教圏の長年にわたる反ユダヤの歴史に支えられてなされたものである。 《A》 商人 |
キリスト教原理主義者とイスラム教原理主義者 |
キリスト教の原理主義者(fundamentalist)とは、奇蹟や病気なおしを信ずる人々のことで、社会、政治に無関心である。 イスラム教の原理主義者とは、「コーラン(イスラム法)を守れ。政治は、ウラマー(法律家)にまかせよ」と主張する人々のことである。イスラム教においては、宗教=□□である。それゆえイスラム教原理主義者の正面の敵は、宗教をゆがめる近代主義者である。 《A》 法律 |
イスラム教の2大宗派=△△△派、シーア派 |
イスラム教には、△△△派、シーア派の2大宗派があり、昔から激しい抗争をくりかえしてきた。△△△派は、正統派でイスラム世界の大部分を傘下におさめている。 全イスラム教徒の1割を占めるシーア派は、イラン、イラクが中心である。他にイエーメン、アフガニスタン、パキスタンにもひろがっている。 この他に、純正な原初イスラム信仰への復帰をはかろうとするワッハーブ派が、アラビア半島全域を制している。 《A》 スンニ |
救済されるための条件は、「□をなせ」 |
イスラム教においては、救済されるための条件は、「信仰を抱き、かつ□をなす」。これにつきる。コーラン全体が、「□をなせ」の明言でみちみちている。 救済とは、死後、楽園に行けることである。魂ではなくて、生身の人間が行けるのである。一度は死んだ人間も、最後の審判のときは、もう一度完全な肉体をもらって復活する。善人は楽園へ行き、楽園では酒とご馳走と贅沢品と美女が供される。一方、悪人は地獄(ジャハンナムjahannam)で火で苦しめられる。 《A》 善 |
天国での生活 |
天国では、こんこんと水がわき出る泉があり、そのまわりには緑したたる樹木がおいしげる。木陰の元ではうるわしい乙女がおいしい食べ物や酒をもてなしてくれ、毎日満ち足りた生活をたのしむことになる。 イスラム教徒は、天国で酒をあびるほど飲めるので、この世ではがまんするわけである。かれらの最高の喜びは□をこの目で見ることができることである。 《A》 神 |
「□かコーランか」はうそ |
イスラム教徒が、□を右手に、左手にコーランを携えて侵攻していったことはない。なぜならば左手は不浄の手だから聖なるコーランを持ってよい訳がない。「□かコーランか」は、キリスト教徒とによる誹謗である。 《A》 剣 |
イスラム教徒=△△△△ |
イスラム教徒のことを△△△△という。したがって、「△△△△」の後に「教徒」をつける必要はない。 《A》 ムスリム muslim |
インドの△△△△△△△はイスラム建築 |
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世界屈指の建造物インドの△△△△△△△はイスラム建築である。 また、パキスタンは、イスラム圏に入るが、仏教の素晴らしい遺跡や美術が数多くある。このように現在の国境は、かつての文化圏と一致せず、かつては文化の相互乗り入れが盛んに行われていたことがわかる。 《A》 タージマハール |
2000年。Mas Kuwabara |
今に残るイスラム起源の用語 |
今なお世界中で使われている次のような用語は、イスラム文化と共にヨーロッパに伝えられたもので、アラビア語やペルシャ語起源のものだ。 アルカリ、アルコール、△△△△△△(代数学)、アンモニア、オレンジ、ガーゼ、コトン(綿)、ショール、シロップ、ゼロ、ソファー、パジャマ、ソーダ、レモン、アサシン(暗殺者 assassin)、大麻(ハッシシ hashish ) 《A》 アルジェブラ |
算用数字もアラビアから |
それまでは、たとえば234はCCXXXIVと記され、計算などまともにできなかった。後年、イタリアで簿記が発達するようになったのも△△△△数字のおかげであった。
《A》 アラビア |
モスク mosque |
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礼拝の時はイマーム(導師)もミヒラーブの前で平伏する。ミヒラーブとは、メッカの方向を表す壁の窪みのことである。 異教徒も入ることが許されるモスクの場合、訪問時刻は11時半頃か夕方5時半頃がよい。30分程かけて見学し終わった頃、礼拝の場に立ち会うことができるからである。しかし、欲をいえば、夜明け前の礼拝時が最も感動的である。 世間がまだ寝静まって物音しない夜明け前に流れてくるアザーンは最も美しく聞こえ、旅の者の心を揺さぶる。アザーンとは、礼拝の時が来たことを人々に知らせ、礼拝をすすめる詠唱である。モスクは、現地ではマスジッドmasjidとよばれる。(追加. ミナレット) 《A》 礼拝 |
ジャカルタのモスクで身を清める人たち。 |
礼拝 |
日の出前、午前中、正午、□□前、就寝前である。礼拝の時は額と両手、両膝を地面につけ、尻をもちあげておこなう。 金曜日正午の礼拝はとくに大事で、モスクでおこなうのが原則である。 シーア派は1日3回の礼拝を、額の前にモーフルとよばれる直径4〜5センチの石をおいておこなう。 《A》 日没 |
アザーン adhan |
アッラーは偉大なり。 アザーンを聞く アラブ イスラーム学院 《A》 成功 |
キブラ=礼拝の方向 |
またホテルでは、メッカの方向に足を向けて寝ることのないようにベッドがしつらえられている。 《A》 メッカ |
ラマダンRamadan=□□月 |
□□月には、皆いらいらしており、交通事故が起こりやすく、旅行はさけたほうがよい。イスラム圏へでかけるときは、事前に□□月かどうかを確かめたほうがよいであろう。 地域によっては、□□を厳格に守らないナマクラ信徒も見受けられ、そこでは禁酒は必ずしも厳格に守られていない。また日本などの非イスラム圏に滞在中は、それほどきびしく戒律を守らないムスリム(イスラム教徒)もいる。 《A》 断食 |
妻4人の真意は女性救済 |
マホメットの時代には、戦争がかさなり、男の戦死者が続出し、未亡人や孤児が増えた。女性が自立して生活していくことは、極めて困難だったので、亡き友人の妻や子供たちをなどをひきとる□□婚の制度が生まれた。また□□婚は、戦争後の女性人口が多すぎることの解決策でもあった。 また、もともとの習慣として、財力のあるものはあまりにも多数の妻をめとる傾向があったので、数を4人以下に制限したのであった。しかし、今では、たとえ経済力があっても一夫一婦制が普通になってきている。コーランでは「すべての妻を平等にあつかうこと」を規定している。チュニジアでは、一夫多妻は禁じられている。 《A》 多妻 |
性への抑制が強いイスラム教 |
家屋内の婦人専用の部屋は△△△△とよばれる。バスなどでも男女別席となっている。これは、人間は誘惑に弱い存在であり、性的混乱を未然に防ごうという考え方から来ているという。 《A》 ハーレム |
イスラム婦人のスカーフ=△△△△ |
イスラムでは、手首と顔以外は、恥部とされている。顔は、恥部ではないが、コーランでは、見知らぬ人に見せてはならないとされている。イスラム世界では「女は災いの元」という考え方があり、これが隔離やチャドルの風習に結びついたものである。この風習は、じょじょにすたれつつある。 《A》 チャドル |
ひげ |
イスラム教徒は、あごひげや口ひげをよくはやす。あごひげは、△△△△△やその他の予言者たちがはやしたので、立派な人間のあかしとされる。それだけに、若者や召使いがたくわえるのは、いきすぎだとされる。 口ひげは、男性の威厳の徴であるので、年齢や身分にかかわらずたくわえることが多い。若者でも、男色家に間違えられたくない場合にも、はやす。 《A》 マホメット |
右手優先 |
靴は右からはき、ぬぐときは左からおこなう。家やモスクには右足からはいる。着物の袖は右から通す。髪の毛は右側から刈る。食べ物は、たとえ左利きであっても、右手で食べる。 左手は、□□の時に用いる不浄の手である。 《A》 用便 |
イン・シャー・アッラー In sha’a Allah |
《A》 神 |
もてなし |
《A》 徳 |
モスクには神の像も人間の像もない |
南スペインのグラナダのアルハンブラ宮殿には獅子の像があるが、イスラムの戒律がややゆるんだ頃に現れたものであり、例外的なものである。 《A》 偶像 |
モスクは写真うつりがよい |
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しかし、イスラムでは偶像や動植物の絵画が禁止されているので、かわりに、建物全体が美的であるように、設計されている。 一般にイスラム建築は、すかっとしたさわやかな感じを与え、写真うつりがよいが、それは人や動物などのごてごてした偶像や絵がないこと、装飾が整然として△△△△△模様であること、また建物全体が左右対象で、美しい幾何学的な構成原理で建てられているからである。たとえば、インドのタージマハールは、外形の比類ない美しさで有名である。 《A》 アラベスク Arabesque |
タージマハール。97年 誰もがここで写真をとる。向こう側が低くなっているので、全景が写りやすい。 |
アラベスク模様 |
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幾何学模様は、時代により、また場所により千変万化している。草花模様は、ササン朝ペルシャ(イラン)で開花したものをイスラム世界が発展させたもので、イランに圧倒的に多い。イラン西方のインド亜大陸でも草花模様は幾何学模様を圧倒している。 アラビア文字には、さまざまな書体が生まれ、建造物の装飾の他に、陶器などの器類、木彫品、織物などの工芸品にも応用されている。アラビア文字の書道家は、中国や日本におけるのと同じ様に、尊敬されている。 《A》 幾何 |
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象眼の木箱 |
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地中海沿岸のイスラム圏では、象眼細工(ある材質の表面に、色違いのものをはめ込み、模様などをあらわすこと)をほどこした木箱をよく売っている。大きさは、テーブルの上におけるぐらいのものである。シリアが本場で、かつてはシリアはレバノン杉の産地として名高かった。 木箱の象眼には、幾何学模様があしらわれる。△△△△文字の模様、草花模様がほどこされていることもある。 「象眼」とは、一説によれば、象の目のように模様が細かいところから付けられたという。 《A》 アラビア |
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イスラムの庭園 |
イスラム庭園の中心は、水である。イスラム圏は、酷暑乾燥地域にあり、水は生命の綱であり、涼しさ、快適さ、また豊かさのシンボルであるからである。噴水は、中庭や建物の内部にあって涼をとる装置となっていることが多い。水しぶきがどんどん蒸発して□□熱を奪うため、気温を適当に下げる働きをする。 イスラムの庭園として有名なのは、インドのタージマハールの庭、パキスタンのラホールのシャリマールの庭、スペインのグラナダのアルハンブラの中庭であろう。どの庭も、イスラム建築と同様、左右対称を基調とする幾何学的な様式を守っている。スペインのアルハンブラ宮殿の噴水はおおむね室内にある。 《A》 気化 |
なぜ□□方式か |
イランなどでは、住宅に地下室を設けるが、これは外からの風が通らない地下室の方が涼しいからである。 《A》 中庭 |
体をおおう服装は、□□、砂ぼこりから身を守るため |
こういった地域を旅する場合には、実際には思ったよりはるかに多量の発汗をしているので、水分と塩分をしょっちゅう補うことが必要である。顔を手でさわってみると、汗が塩の結晶となっているのがわかる。 □□が45度以上になり、車などに乗っていたり、強い風をまともに、素肌に受けると、暑いのを通り越して、痛く感ずるようになる。この地域の人々の服装が長袖、長すそで、頭にターバンや頭巾をかぶっているのは、□□から身を守るためである。人々は強い□□に対しては、ターバンや頭巾で頭から首筋までをすっぽりおおって、熱と砂ほこりから身を守る。 《A》 熱風 |
△△△△△=オアシスの生命の糧 |
△△△△△は成長すると高さが20メートルにもなり、親指ほどの実を鈴なりにつける。年に100〜200キロほどの実がなる。色も味も干し柿に似る。この実は、栄養価が高く、小麦が知られるうまでは、オアシスの住民の主食であった。 △△△△△は、どこも捨てるところがなく、オアシスの住民の生活と深く結び付いている。幹は、砂漠地帯では唯一の建築材であり、樹皮からはロープが、葉は編んでかごになる。枝葉は、砂風を防ぐ垣根、ほうき、あるいは大切な燃料になる。 アラブ諸国の紙幣やコインによく△△△△△が描かれているのは、このように生命の糧になっているからである。△△△△△は、大きさ、色づき、柔らかさにより、17段階もの名称で呼ばれる。
《A》 ナツメヤシ |
〇〇〇〇〇は遊牧民の生活必需品 |
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イスラム諸国では、〇〇〇〇〇は、実用品であるばかりでなく、伝統工芸品でもある。新品よりも年数のたったもののほうが値打ちがあることがある。一枚で何千万円もするものもあり、人々は伝統的に〇〇〇〇〇にお金をかける。よその家を訪問したら、日本で花器をほめるように、敷いてある〇〇〇〇〇をほめるのが客の礼儀とされる。 《A》 じゅうたん |
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ラクダ |
ラクダには、砂嵐に対処できるように、長くて丈夫なまつげが二重に生えており、また鼻の穴は自由に閉じられるようになっている。 ラクダには、ヒトコブラクダとフタコブラクダがある。 ヒトコブラクダは、西アジア、アフリカに生息する。足も首も長く、走るのが速い。気性が荒く、扱いにくく、寒さに弱い。 フタコブラクダは、□□とその西方に主としてすむ。背が低く、首が太く、脚はがっしりしている。体毛がふさふさ密生しており、寒さに強く、性格はおとなしい。 《A》 中国 |
トイレ |
これらの地域では、左手はトイレの手なので、不浄の手であり、食事はすべて右手でおこなう。人に物を渡したりするときも右手を使う。そのさい、左手は右肘に添えるようにすると上品である。 《A》 小石 |
イスラム圏の中のキリスト教諸派 |
ヤコブ派は、シリア、レバノン、パレスチナ、ヨルダン、東トルコに広がる。 △△△派は、エジプト、エチオピアでおこなわれる。エジプト人口の1割が△△△教徒である。△△△とはエジプトのことである。前国連事務総長のブトロス・ブトロス・ガリは△△△教徒である。ブトロスとはキリストの弟子ペテロのことである。 アルメニア派は、旧ソ連のアルメニア、グルジアでおこなわれる。 イスラム圏では、歴史的に、これらキリスト教に迫害を加えるようなことはなかった。これら宗派の教会は、こじんまりしており、また訪れる人に親切である。 《A》 コプト |
ローマ字とアラビア語の起源は同一 |
牛のことを、セム系の言語(ヘブライ語=イスラエルの言語、アラビア語、アラム語、エチオピア語)ではアリフ、家のことをベトという。アリフ・ベト(牛、家)がローマ字のアルファベット、アラビア文字のアリーフ・バーとなった。 《A》 象形 |
アラム語=イエス・キリストの言葉 |
アラム語は、今日の英語のように、西アジアの国際語の役割を果たした。アラム文字も、どんな国の言葉でも表記できる音標文字なので重宝され、アラム語と同時に広まっていった。 アラム文字は古代エジプトのヒエログリフ(hieroglyph)に起源を発するが、アラム文字からアラビア文字、ヘブライ文字、インドの△△△△△△△文字が生まれた。 イエス・キリストやマリアはアラム語を話していたが、シリアの首都ダマスカスの北東には、今なおアラム語を話している村があり、観光名所となっている。 《A》 サンスクリット |
アラビア語とアラビア文字の世界 |
イスラム圏のうちアラビア語を国語にしているのは、アラブ諸国である。アラブ諸国とは、イラクからモロッコに至る国々のことである。イランやトルコはアラブには含まれない。 イラクから東の国々は、イスラム化され、アラビア文字を用いるが、アラブ化、アラブ語化はされなかった。イラクから東の国々とは、イラン、△△△△△△△、パキスタン、インド、バングラデシュのことである。△△△△△△△の言葉、インドのウルドゥ語などは、アラビア文字で表記されるが、アラビア語ではない。 ただ、全イスラム圏を通じて、宗教用語だけはアラビア語を用いることになっている。 《A》 アフガニスタン |
犬 |
《A》 不浄 |
人名 |
アラブでは、自分の名前は「本人の名、父親の名、父の父の名」からなる。女性も、結婚後も、自分の父親の名、祖父の名を名のり続ける。 本人の名には、次のようなものがある。アブドラ(アブド・アッラーの短縮形で、アブドは下僕のこと)、ムハンマド、アリ(国家の最高権威者の名)
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