自宅付近の散歩がてらのコラム、スナップ集です。 ふだん見過ごしがちな身近なもの、場所を深く掘り下げていくと、その地域ばかりでなく、日本全体、世界を理解するための共通の層に突き当たることがあります。そんな発見への期待もこめて綴っていきます。(2004年7月7日)
川越を歩く 目次
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| ◆川の名は流れる (#1,2004年7月7日) | |
![]() ▼ 上の川の名は、流れています。 1 はじめは「こはぜかわ」でした。 2 次に「こあぜかわ」になりました。 3 今は「こあぜがわ」です。 *小畦川は、荒川の支流です。 ▼ 桑の原→ 桑・原(くわはら)→ 桑原(くわばら)のような変化でしょうか。 ▼ かつてインドネシアのジャカルタのイミグレーションで、ある書類が Kuwaharaになっていて、Kuwabaraとは別人ではないかと、疑われ往生したことがありました。 Kohazekawa Koazekawa Koazegawa では、外国人には別名に思えるでしょう。いつの間にか変名しているようです。 ▼ 1965年頃アジア会館で渋沢さん主催のアジア関係の催し物がありました。パスポートをもって沖縄からやってきた仲宗根美樹が歌ったのが、一世を風靡(ふうび)した「川は流れる」でした。その場にもとNHKの高橋圭三が飛び入り参加したのを思い出します。 表題の「川の名は流れる」は仲宗根美樹からお借りしました。 *川は流れる 【歌詞】 *仲宗根美樹 【画像】 *アジア会館 |
![]() 1 こはぜかわ ![]() 2 こあぜかわ ![]() 3 こあぜがわ |
| ◆ジバーとは、ジー(爺)とバー(婆)のこと (#2,2004年7月14日) | |
| ▼ 小畦川近くに「じばあー舎」という法人が、老人ホームらしきものを建てています。 オジーさんとオバーさんをあわせて、「ジバー」です。 新語になりそうです。 ![]() |
| ◆八幡神社のわき水:南方熊楠 (#3,2004年7月21日) | |
| ▼ 八幡(はちまん)神社は川越市小堤、。名細(なぐわし)小学校横にあります。1199年に奈良県から移されたものです。 八幡神社は武道の神です。 ▼ 樹林は、県のみどりの森となっています。鳥居下の泉は、1000年以上の風雪に耐えて、コンコンと水を送り続けています。 7月20日は東京は最高気温39.5度でした。泉は水温18度です。よい涼み場所です。鯉が気持ちよさそうに泳いでいます。 *南方熊楠(みなかた くまぐす) 南方熊楠は、伐採破壊されようとした神社を命をかけて守り通しました。1918年神社合祀令を廃案に追い込みました。日本で最初の環境保護運動の成果でした。「エコロジー」という語を最初に使ったのは、熊楠でした。 *南方熊楠の合祀反対運動 *「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産となりました。南方熊楠は紀伊の田辺の出身です。 *紀伊山地の霊場と参詣道 【地図】 |
![]() 八幡神社のこんもりとした樹林 ![]() 八幡神社の泉 1000年以上も清水をコンコンと ![]() 気持ちよさそうに泳ぐ鯉 |
| ◆カブト虫、オス・メスで500円 (#4,2004年7月28日) | |
| ▼ カブト虫の看板がありました。看板の向こうの森にいるのでしょう。 川越にはカブト虫がなんとか生きられる環境も残っているようです。 *Living Jewels(生きている宝石) beetleのなかまのきれいな写真です。自然環境の大事さがわかります。 |
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| ◆篤志家が無料開放する森 (#5,2004年8月4日) | |
![]() 川越市民の森 第1号 ▼ 篤志家(とくしか)の好意により無料開放されている森です。東京ドーム(4.5万平米)の3分の1の大きさです。東洋大学川越キャンパスに隣接しています。川越市の「市民の森 第1号」となっています。13000平米 森林浴に適したところです。 *市民の森第1号 名細(なぐわし)中学の下【地図】 ▼ このあたりは、東洋大学川越キャンパス、市民の森からの涼風と小畦(こあぜ)川からの川風で、過ごしやすくなっています。 |
![]() ![]() |
| ◆河越重頼の娘は義経の正妻:河越館跡 (#6,2004年8月11日) | |
| ▼ 河越重頼(しげより)が居城としていた河越館(かわごえやかた)跡は、霞ヶ関駅の東京国際大学の反対側にあります。 *河越館の位置 東武線の霞ヶ関駅の怪 *河越館跡住所:上戸(うわと)194 ![]() 河越館跡(常楽寺) 館(やかた)とは、公私の性格をそなえた官舎のようなものです。 ▼ 河越重頼(しげより)は、幕府の要職にあり、頼朝から重用(ちょうよう)されていました。頼朝の命令で17歳の娘を義経の妻にさしだしました。 また、重頼の妻は頼朝の子頼家の乳母でした。 ▼ 後年、頼朝は、義経(1159-1189)と仲違いしました。すると、重頼は、義経の縁者ということで、所領を没収され、命までも奪われました。 ▼ 東上線の越生(おごせ)町には、顔振(かあぶり)峠があります。その昔、義経と弁慶が、顔を振り返りながら景色に見とれて、この峠を越えたというので、この名があります。 |
![]() 工事中の常楽寺 2004年7月 ![]() 京都の会社が施行 設計者は、○○社寺設計という特殊な会社です。施行者は、京都の会社です。 *源義経 ウィキペディア *義経武蔵国紀行 *河越、川越と河肥 河越、川越は、北からおりてくる場合、入間川を越えるので、名づけられたとおもわれます。 また、河肥と記される場合もありますが、川に囲まれた肥えた所のことでしょう。 |
| ◆赤坂の日枝(ひえ)神社の本家は川越 (#7,2004年8月18日) | |
▼ ▼ ▼ 上戸の日枝神社> といった系統になります。 |
![]() 川越の日枝神社 *線路をはさんで東京国際大学の反対側です。 #6の河越館跡へは、歩いて10分です。 |
| ◆川越の河畔はゴールデン プロムナード (#9,2004年9月1日) | |
| ▼ 川のマチ 川越では、河畔(かはん)が最適のプロムナード(散歩道)になっています。 私のお気に入りコースは、散歩専用で、車はシャットアウトです。 人にも会いません。1時間歩いて5〜6人に出会う程度です。 ▼ このプロムナードは、東京なら1回2000円の価値があります。歩くたびにありがたく感じます。 *お金に換算する ▼ 何かことがらをなすのに、お金に換算すると物事がよくわかり、態度が変わることがあります。 学生諸君にホームページ作成技術をマスターしたら、50万円の価値があるよ、って伝えると、「勉強ではないんだ、資格習得なんだ」ととらえ、がぜんやる気をだす集団がいます。 ▼ 今、学生に人気がある大学は、職業訓練、資格習得に力を入れている大学です。 基礎教育は高校までに、家庭、学校でしっかりおこなってほしいものです。呼吸の仕方、歩き方、座り方、立ち方、ハシの持ち方、作法、常識。四字熟語、運転免許、家計簿、バランスシート。日常の法律などがそれにあたります。 ▼ 大学では専門技術を、 大学院ではアカデミズムを が、合い言葉になりつつあります。 専門技術を持たない知識人の出番は、なくなりつつあります。 |
![]() いつも人っ気(ひとっけ)のない河畔のプロムナード ![]() ウォーキングの仲間は鳥、サカナ |
| ◆入間(いるま)川沿いをポタリング: 入間川サイクリングロード(#10,2004年9月8日) | |
| ▼ 入間(いるま)川サイクリングロードが、東京国際大学第2キャンパスの川向かいを走っています。全長23キロです。 出発点は入間市の豊水(ほうすい)橋です。東京国際大学第2キャンパス近くの初雁(はつかり)橋を通り、上尾(あげお)近くの入間大橋までです。 *入間川から臨海公園へ ▼ ポタリング(pottering)とは、自転車でぶらぶらすることです。輪行ともいいます。 お金をかけないで、ゆったりした自分好みの散歩やポタリングなどのレジャーが、河畔で楽しめます。西欧では普通のことです。日本でもますます盛んになると思われます。 ▼ 入間川は荒川の支流です。荒川の河川敷は日本一広く、埼玉県の3分の2は、荒川流域です。 荒川は入間川と新河岸川からなります。 入間川には、越辺(おっぺ)川が流れ込んでいます。 越辺川には、都幾川、高麗(こま)川、小畦(こあぜ)川が流れ込んでします。 (>_<) ↓ *東上沿線の川 ![]() 入間川サイクリングロード |
![]() 初雁橋付近のサイクリングロード ![]() 水源からも海からも約60キロの地点 ![]() 向こうは東京国際大学第2キャンパス |
| ◆時代逆行の自転車置き場の縮小 (#11,2004年9月16日) | |
| ▼ 霞ヶ関駅近くの市営自転車置き場は縮小されました。時代に逆行しています。 日本の市町村はまだ自転車への施策がありません。 ▼ 自転車置き場がないなどの理由で、これらの自転車がクルマに変わった場合、交通事故、騒音、振動、排気ガス、交通渋滞、駐車場不足は、さらに甚大になるでしょう。 自動車1台にかかる社会的費用は、1000万円以上です。 健康な社会、地域活性化のためにも、自転車利用者優遇対策を講じてほしいものです。 ◆自転車がいい、のページ ◆自転車専用レーンを (#018,2003年8月) ◆電動自転車 アドミー(Admy 亜土魅)号 (#027,2003年8月) ◆自転車時代が来たりぬ (#025,2003年8月) |
![]() 縮小された自転車置き場 *フジテレビ番組における自転車蔑視発言を弾劾する」 *NHK番組「妙案コロシアム」批判 *NHK番組「ご近所の底力」批判」 放っておけない自転車敵視番組 *自動車社会を根本的に見直す会 * 上岡直見『自動車にいくらかかっているか』 |
| ◆ 多自然型川づくり:小畦(こあぜ)川 (#12,2004年9月23日) | |
| ▼ 小畦川もそこここで堤防工事がおこなわれています。今は、コンクリートが見えない多自然工法によっておこなわれています。 ▼ かつての国の河川管理の考え方は、川を直線にして、降った雨は一刻も早く海に流す、というものでした。河川敷の中にある樹木も流れの障害になるので、削除する、というものでした。護岸工事は「百年確率」で設計されていました。 ▼ 中国では、川を治めるものが皇帝になるというぐらい昔から河川工事は大事な国家事業でした。 ▼ 愛媛県の五十崎(いかざき)でも、河原の榎の大木や林を撤去し、コンクリートの無機的な護岸の改修工事をはじめるところでした。 ▼ コンクリートの護岸では、水生植物も育たず、水の自然浄化作用もはたらかず、魚もすまなくなります。 ▼ 住人の亀岡徹は、「よもだ塾( いい加減塾)」をおこし、川について勉強を始めました。スイスに行ったり、人口6000人の町で、「国際河川シンポジウム」を開いたりしました。 川は、洪水対策のためにあるのではなく、生物の生きる場であり、散歩、スポーツの場であり、美しい自然環境によって地域の風土や文化を育てる場でもあると、結論づけました。 ▼ 五十崎町の住民が、建設省の河川行政を転換させました。 今はなき、建設省の関正和もキャッチャー役として政策転換を推し進めました。 *関正和『大地の川』『天空の川』 ▼ こうして現在、国は河川には多自然型工法でのぞむようになりました。■ cf. 田村明『まちづくりの実践 』岩波新書、1999年 |
![]() 小畦川の多自然工法 赤丸の部分には木のヤグラが埋め込んであります。高さは家ほどもあります。 水草も生え始め、魚も鳥も集まるようになりました。手前のコンクリートの部分は、従来のコンクリート工法。いずれすべての川が緑でおおわれることが期待されます。 ![]() 河川敷の中の木 川中の木も切られることなく、保存されるようになりました。「まちと水辺に豊かな自然を」と五十崎(いかざき)の住民が声を上げ、国を動かした成果です。 *多自然型工法 【画像】 *多自然型護岸工法 . *ARCS TECHNICAL REPORT No.8-1多自然工法の歴史。近自然工法とは多自然工法のことです。 *多自然型川づくり 国交省 |
| ◆霞ヶ関駅の怪 (#13,2004年10月28日) | |
? 川越市駅から霞ヶ関駅へ向かう途中、なぜ急カーブするの? ? 的場(まとば)にあるのに、なぜ遠くの霞ヶ関という地名から駅名をえらんだの? ? 交番の横に枕木が塀になっていて、そこの路地だけがまっすぐなのはなぜ? ![]() 鶴ヶ島駅← 霞ヶ関駅← 川越市駅← 川越駅 |
| ▼ もともと埼玉の霞ヶ関駅は「的場(まとば)駅」になるはずでした。的場にあるからです。 しかし東京からのゴルファーにわかりやすいようにと、「霞ヶ関カンツリー倶楽部」の名をとって、「霞ヶ関駅」にしたのでした。 *霞ヶ関カンツリー倶楽部 *外出時に Yahoo!路線で「霞ヶ関ー羽田空港」を検索しようとすると、東京の霞ヶ関か埼玉の霞ヶ関かたずねられ、毎回余分なクリックを強いられるのは、このためです。 ▼ また駅の所在地ももっと東(地図の上)よりでしたが、ゴルフ場に少しでも近づけようとしたためにひん曲げました。 ▼ 電車が川越市駅を過ぎ、入間(いるま)川をわたると急に横揺れがはげしくなるのは、このカーブのためです。 ▼ 霞ヶ関交番の横の塀は、枕木でできています。交番横の路地だけが、まっすぐです。ここに軽便鉄道の線路が通っていたからです。 *霞ヶ関駅前地図 ▼ その昔、入間川の砂利を沖縄に軍用空港をつくるために運んだ跡です。沖縄の読谷(よみたん)飛行場の建設には、ここからの砂利も使われました。 *読谷飛行場 【画像】 *川越も読谷もイモで有名です。それ以外に、上のようなつながりもあります。 *嘉手納飛行場の砂利は多摩川から運び出されました。 |
![]() 霞ヶ関駅前駅前通り 駅は、向こうに見える自動車の左側 駅前にはファーストフード店、コンビニ、居酒屋チェーン店、パチンコ店が乱立しています。これらの業種は、マチづくりに関わりません。 |
![]() 霞ヶ関交番横のまくら木の塀 ![]() ここだけまっすぐな路地 この路地の道だけが直線です。その他の駅周辺の路地道は曲がりくねっています。 |
| ◆川越から間近に見える富士山(#14,2003年11月4日) |
![]() 小畦(こあぜ)川からの富士山 からりと晴れあがると、富士山の白い勇姿にであうことがあります。 *駅から富士山の見える東武線の駅 |
| ◆ダイダラボッチのトゲでつくられた刺橋(とげばし) (#15,2004年11月11日) | |
| ▼ 小畦(こあぜ)川にかかる刺橋(とげばし)は、ダイダラボッチのトゲでつくられました。 *小畦川【地図】「川越市」の上 ▼ 昔、ダイダラボッチ(大太法師)というでっかいカミサマがいました。茨城県の筑波山から富士山までたった36歩で歩くことができました。 *ダイダラボッチ 【画像】 ▼ ある時、ダイダラボッチが小畦(こあぜ)川を通りかかったとき、足にトゲがささってしまいました。痛くて前へ進めないので、土手に腰をおろしてトゲを抜きました。ダイダラボッチ(大太法師)の抜いたトゲは小畦川の中にささったままでした。 ▼ そのころ小畦川は、曲がりくねって流れも速く、川を渡ることができませんでした。村人が橋をかけようと杭を打っても、すぐに流されてしまいました。 ところが、ダイダラボッチ(大太法師)のトゲはいっこうに流されません。村人達は、大勢でおそるおそるトゲをクイにして橋をかけました。いざ工事に取りかかると、万事うまく運び、橋は立派に完成しました。 ▼ 村人たちは大喜びで、ダイダラボッチ(大太法師)の神に感謝し、橋の名前を刺橋(とげばし)と名づけました。 ▼ また、ダイダラボッチ(大太法師)がわらじのドロを落としたところは、立派な丘になり洪水の時の避難場所や農作業時の休憩場所になりました。 cf.新井博『川越の民話と伝説』(有峰書店新社、1990年) |
![]() 刺橋(とげばし) ![]() ![]() 団らん中のしらさぎ一家 |
| ◆「九里よりうまい13里」って? (#16,2004年11月13日) | |
| ▼ 「九里よりうまい13里」という江戸時代のキャッチコピーの心は 栗よりうまい ということです。 何が栗よりうまいかといえば、13里です。 ▼ 13里とは、川越のことです。江戸から川越までは13里(52キロ)あるからです。つまり、川越イモは栗より甘くてホクホクしてうまいですよ、という意味です。 ▼ また 九里+四里(より)=13里 との かけことば にもなっています。 ▼ 川越イモは江戸のファストフードでした。 サツマイモは、新河岸川を通り江戸へ下っていきました。 帰りの船には石焼きイモの屋台で出た灰や、糞尿のような肥料が積まれていました。 環境にやさしい資源のリサイクルがおこなわれていました。 |
▼ 1937年、300年にわたる新河岸舟運(しゅううん)は、陸上交通網の発達に太刀打ちできず、幕をとじました。 *新河岸舟運 *新河岸川河岸場跡 *新河岸川舟運史年表 *新河岸川の位置 【地図】河川局 *新河岸川流域川づくり連絡会 【地図】 *川越イモ 【画像】 * 斉藤貞夫『武州・川越舟運―新河岸川の今と昔』さきたま出版会、1990年 *大久保洋子『江戸のファーストフード』講談社選書メチエ、1990年 |
| ◆童謡「とおりゃんせ」は、なぜコワーイ? :三芳野神社(#17,2004年11月14日) | |
| ▼ 「通りゃんせ」は江戸時代の遊び歌です。 こども二人が腕を高く上げてアーチをつくり、「通りゃんせ」をうたいます。この歌を歌いおわったときに、アーチをくぐった子が鬼になるという遊びです。 *uta_l.wav/1,027KB ▼ この歌の発祥地は、川越市の三芳野(みよしの)神社だといわれています。 *三芳野神社 *三芳野神社の位置 ▼ 川越は、江戸の北の守りであり、豊富な物資の供給地だったため、天領になり、有力な大名が殿様になりました。そのため川越城の警備は厳重でした。三代将軍家光も川越で生まれました。 ▼ 天神様(菅原道真)をまつる三芳野神社は、その川越城内にあり、4つの門をくぐって行く必要がありました。年に1回だけ入ることができました。 子どもが7つになるとお参りする習慣がありました。昔は幼児死が多く、7歳まで育つのは僥倖(ぎょうこう)でもありました。それで感謝をこめ、さらに学問の神さまの天神様(菅原道真)に行く末をたくしたのでした。 *沖縄に残る古い和語: 東風(こち)桑原 *菅原道真リンク * 昔は、お城をまもるために川の堤防の高さもたがえていました。洪水時には、東京国際大学側に流れるようになっていました。 ▼ 年に1回ようやく城内に入ったものの、見張りの監視の目は鋭く、キョロキョロまわりを見回そうものなら、「何をしている。さっさと歩け」と庶民はどやされました。 これが ♪行きはよいよい 帰りはこわい になったものです。 |
![]() 「♪行きはよいよい 帰りはこわい」 ∇ 「通りゃんせ」 uta_l.wav/1,027KB 通(とお)りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細道じゃ 天神(てんじん)さまの 細道じゃ ちっと通して くだしゃんせ ご用の無いもの 通しゃせぬ この子の七つの お祝いに おふだをおさめに まいります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ *英訳 *川越の100冊(本の中の川越) *川越観光スポットの位置 |
| ◆『伊勢物語』のなかの川越 (#18,2004年11月15-2日) | |
| ▼ 800年代に成立した伊勢物語には、三芳野についての項があります。 ▼ 1 昔、ある男が武蔵の国までぶらぶら歩いて行きました。 2 そしてその国の女に求婚をしました。 3 父親はちがう男と結婚させようと言ったけれど、母親は高貴な人に執着していました。 4 父親は普通の人で、母親は藤原氏だったからでした。 5 それで(母親は)高貴な人に、と思ったのでした。 6 (母親は)この婿の予定者に(次の歌を)詠んで渡しました。 7 この女の住む所は入間郡の三芳野の里です。 ♪ 三芳野の 田の面(む)の雁も ひたぶるに 君が方(かた)にぞ よると鳴くなる <三芳野の田の面にいる雁も、 (何かがあるとひたすら 一方へ寄っていきますが、そのように私の娘も) ひたすらあなたの方へ 心を寄せていると申しているようです。> ▼ 8 婿の予定者は返しました。 ♪わが方に よると鳴くなる みよし野の たのむの雁を いつか忘れん <私の方に心をよせると言ってる 9 と詠んだことだった。京をはなれた他国においても、やはりこのような(風流じみた)ことはやまなかったのでした。 |
∇伊勢物語 第十段目 1 むかし、おとこ、武蔵の国までまどひありきけり。 みよし野の たのむの雁も
わが方によると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れん 9 となむ。人の国にても、猶かゝることなんやまざりける。 *岩波書店『新日本古典文学大系・伊勢物語』*伊勢物語 京都大学 *『伊勢物語』の武蔵野 *伊勢物語と川越 |
| ◆2004年は、家光が川越で生まれて400年目 (#19,2004年11月15日) | |
| ▼ 2004年は、家光が1604年に川越で生まれて400年目にあたります。喜多院を中心に生誕400年記念事業がいとなまれています。 三代将軍 家光(1604-1651)は幕藩体制の完成者です。 *喜多院 *家光公生誕400年記念事業 *徳川家光 ウィキペディア ▼ 喜多院には家光を育てた「春日局化粧の間」があります。春日局は家光の乳母で、家光を将軍に押し立てた立役者です。 *春日局(かすがのつぼね) ウィキペディア *春日局 【画像】 *川越めぐり/本丸御殿/喜多院/三芳野神社 * 義経、伊勢物語、太田道灌、江戸城、家光などを通して歴史を実感できる学生諸君はしあわせです。北海道出身のある人が言っていました。 「藩、武士、寺、城とかが、北海道では遠い宇宙の出来ごとのようで、どうしても歴史が好きになれませんでした」 |
![]() 喜多院正門 ![]() 喜多院境内 2004年11月14日 ![]() 家光生誕の間 |
| ◆義経に関係する河越館と顔振(かあぶり)峠 (#28,2005年2月4日) | |
| ▼ 大河ドラマ「義経」がはじまりました。 *大河ドラマ「義経」 NHK ▼ 川越近辺は、義経に関係するところが2カ所あります。 〇河越重頼の娘は義経の正妻:河越館跡 〇義経が振りかえりながら登った顔振(かあぶり)峠 *「河越」は江戸時代から「川越」になりました。 ▼ 河越重頼(しげより)は、源頼朝が挙兵したとき、今の横須賀市を攻略したりして、鎌倉幕府から重く用いられるようになります。 頼朝は、川越のある武蔵一帯を検地し、広大な肥沃な平野であることから重要視します。武蔵の国は武士の発祥の地でもあります。 このとき、頼朝は都幾川村の慈光寺に銅鐘を奉納しています。 *都幾川・慈光寺について |
▼ 頼朝は、京都にいる義経の妻に、重頼(しげより)の17歳の娘をすすめ、媒酌(ばいしゃく)もしました。頼朝が媒酌したのは、北条時政とこのときだけです。美人画から抜け出たような義経の妻は、京姫といわれました。 ▼ 頼朝はのちに義経を追討します。義経、京姫一行は、奥州平泉まで逃げます。 この間、疑心暗鬼にかられた頼朝は、河越重頼(しげより)を誅します。 のちに、頼朝は義経は無実であったことを知り、没収した領地を遺族に返しました。 |
| 〇川越の中の沖縄【画像】 (#29,2005年2月17日) | |
| ▼ 川越にも沖縄があります。画像で紹介します。 写真を撮るときには、お店の人にことわったほうがよろしいです。ホームページに掲載しますというと、OKです。業者を警戒しています。したがって、ベレー帽をかぶったりして業者らしくない服装をします。 ![]() 泡盛の品ぞろいも豊富です。酒屋さんにて 「残波(白)」の一升瓶2500円 ![]() 川越の石敢当(イシガントウ) 欄干のたもとに沖縄名物の石敢当(イシガントウ)という文字がかすかに見えます。3年ごしで発見しました。小畦川の八幡橋にて。 ![]() ゴーヤー 5センチほどのゴーヤーがなっていました。ゴーヤーブームにのって植えたのでしょうが、今回は残念賞です。徐々に腕は上達していくでしょう。 2004年夏 |
![]() 沖縄食品コーナー。食材市場にて 沖縄食品には不自由しません。豆腐ようもあります。 ![]() チラガー(面皮)も ![]() 人口30万の川越にも沖縄物産店が |
| 〇小畦川(こあぜがわ)の桜で英気をやしなう (#31,2005年4月10日) | |
| ▼ 家の近くの小畦川(こあぜがわ)の桜は満開です。 澄んだ川には鯉が泳ぎ、水鳥が遊び、せせらぎが聞こえます。 ▼ 1週間は月曜からではなく、日曜からはじまります。 散歩がてら、花見をし、弁当を楽しみ、ゆったりとすごし、明日の英気を養うのは日曜の正しい過ごし方です。 お金をかけ、長時間かけ、ディズニーランドへでかけ、並び、ぐったりして帰るのは、日曜には避けます。 ▼ 日曜は半日は娯楽、半日は明日からの仕事の準備にあてたいものです。こうすると月曜が楽しくなります。 *小畦川の位置 livedoorマップ 小畦川 川の名は流れる (#1,2004年7月7日) ![]() |
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川越を歩く 目次
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| ◆川の名は流れる (#1,2004年7月7日) | |
![]() ▼ 上の川の名は、流れています。 1 はじめは「こはぜかわ」でした。 2 次に「こあぜかわ」になりました。 3 今は「こあぜがわ」です。 *小畦川は、荒川の支流です。 *荒川流域図および支川(しせん) :同 横2000ピクセルの拡大図 国土交通省荒川上流河川事務所 ▼ 桑の原→ 桑・原(くわはら)→ 桑原(くわばら)のような変化でしょうか。 ▼ かつてインドネシアのジャカルタのイミグレーションで、ある書類が Kuwaharaになっていて、Kuwabaraとは別人ではないかと、疑われ往生したことがありました。 Kohazekawa Koazekawa Koazegawa では、外国人には別名に思えるでしょう。いつの間にか変名しているようです。 ▼ 1965年頃アジア会館で渋沢さん主催のアジア関係の催し物がありました。パスポートをもって沖縄からやってきた仲宗根美樹が歌ったのが、一世を風靡(ふうび)した「川は流れる」でした。その場にもとNHKの高橋圭三が飛び入り参加したのを思い出します。 表題の「川の名は流れる」は仲宗根美樹からお借りしました。 *川は流れる 【歌詞】 *仲宗根美樹 【画像】 *アジア会館 |
![]() 1 こはぜかわ ![]() 2 こあぜかわ ![]() 3 こあぜがわ |
| ◆ジバーとは、ジー(爺)とバー(婆)のこと (#2,2004年7月14日) | |
| ▼ 小畦川近くに「じばあー舎」という法人が、老人ホームらしきものを建てています。 オジーさんとオバーさんをあわせて、「ジバー」です。 新語になりそうです。 ![]() |
| ◆八幡神社のわき水:南方熊楠 (#3,2004年7月21日) | |
| ▼ 八幡(はちまん)神社は川越市小堤、。名細(なぐわし)小学校横にあります。1199年に奈良県から移されたものです。 八幡神社は武道の神です。 ▼ 樹林は、県のみどりの森となっています。鳥居下の泉は、1000年以上の風雪に耐えて、コンコンと水を送り続けています。 7月20日は東京は最高気温39.5度でした。泉は水温18度です。よい涼み場所です。鯉が気持ちよさそうに泳いでいます。 *南方熊楠(みなかた くまぐす) 南方熊楠は、伐採破壊されようとした神社を命をかけて守り通しました。1918年神社合祀令を廃案に追い込みました。日本で最初の環境保護運動の成果でした。「エコロジー」という語を最初に使ったのは、熊楠でした。 *南方熊楠の合祀反対運動 *「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産となりました。南方熊楠は紀伊の田辺の出身です。 *紀伊山地の霊場と参詣道 【地図】 *南方熊楠関係の本 |
![]() 八幡神社のこんもりとした樹林 ![]() 八幡神社の泉 1000年以上も清水をコンコンと ![]() 気持ちよさそうに泳ぐ鯉 |
| ◆カブト虫、オス・メスで500円 (#4,2004年7月28日) | |
| ▼ カブト虫の看板がありました。看板の向こうの森にいるのでしょう。 川越にはカブト虫がなんとか生きられる環境も残っているようです。 *Living Jewels(生きている宝石) beetleのなかまのきれいな写真です。自然環境の大事さがわかります。 |
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| ◆篤志家が無料開放する森 (#5,2004年8月4日) | |
![]() 川越市民の森 第1号 ▼ 篤志家(とくしか)の好意により無料開放されている森です。東京ドーム(4.5万平米)の3分の1の大きさです。東洋大学川越キャンパスに隣接しています。川越市の「市民の森 第1号」となっています。13000平米 森林浴に適したところです。 *市民の森第1号 名細(なぐわし)中学の下【地図】 ▼ このあたりは、東洋大学川越キャンパス、市民の森からの涼風と小畦(こあぜ)川からの川風で、過ごしやすくなっています。 *森林浴の5つの効果 |
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| ◆河越重頼の娘は義経の正妻:河越館跡 (#6,2004年8月11日) | |
| ▼ 河越重頼(しげより)が居城としていた河越館(かわごえやかた)跡は、霞ヶ関駅の東京国際大学の反対側にあります。 *河越館の位置 東武線の霞ヶ関駅の怪 *河越館跡住所:上戸(うわと)194 ![]() 河越館跡(常楽寺) 館(やかた)とは、公私の性格をそなえた官舎のようなものです。 ▼ 河越重頼(しげより)は、幕府の要職にあり、頼朝から重用(ちょうよう)されていました。頼朝の命令で17歳の娘を義経の妻にさしだしました。 また、重頼の妻は頼朝の子頼家の乳母でした。 ▼ 後年、頼朝は、義経(1159-1189)と仲違いしました。すると、重頼は、義経の縁者ということで、所領を没収され、命までも奪われました。 ▼ 東上線の越生(おごせ)町には、顔振(かあぶり)峠があります。その昔、義経と弁慶が、顔を振り返りながら景色に見とれて、この峠を越えたというので、この名があります。 |
![]() 工事中の常楽寺 2004年7月 ![]() 京都の会社が施行 設計者は、○○社寺設計という特殊な会社です。施行者は、京都の会社です。 *源義経 ウィキペディア *義経武蔵国紀行 *河越、川越と河肥 河越、川越は、北からおりてくる場合、入間川を越えるので、名づけられたとおもわれます。 また、河肥と記される場合もありますが、川に囲まれた肥えた所のことでしょう。 |
| ◆赤坂の日枝(ひえ)神社の本家は川越 (#7,2004年8月18日) | |
| ▼ 東京の二大祭りは、浅草の三社祭(さんじゃまつり)と山王(さんのうまつり)まつりです。 *浅草・三社祭 ▼ 山王祭は、国会議事堂の近くにある日枝神社の祭りです。日枝神社は江戸城、皇居を守る神社です。 *日枝神社 山王まつり ▼ 川越城を築いた太田道潅は、江戸城の守り神として、川越の日枝神社の分家を今の地に築きました。 *太田道灌の眠る龍穏(りゅうおん)寺 ▼ 赤坂の日枝神社の本家の日枝神社は、川越の霞ヶ関駅西口から歩いて10分のところにあります。旧称を山王社といいます。 |
![]() 川越の日枝神社 *線路をはさんで東京国際大学の反対側です。 #6の河越館跡へは、歩いて10分です。 |
| ◆川越の河畔はゴールデン プロムナード (#9,2004年9月1日) | |
| ▼ 川のマチ 川越では、河畔(かはん)が最適のプロムナード(散歩道)になっています。 私のお気に入りコースは、散歩専用で、車はシャットアウトです。 人にも会いません。1時間歩いて5〜6人に出会う程度です。 ▼ このプロムナードは、東京なら1回2000円の価値があります。歩くたびにありがたく感じます。 *お金に換算する ▼ 何かことがらをなすのに、お金に換算すると物事がよくわかり、態度が変わることがあります。 学生諸君にホームページ作成技術をマスターしたら、50万円の価値があるよ、って伝えると、「勉強ではないんだ、資格習得なんだ」ととらえ、がぜんやる気をだす集団がいます。 ▼ 今、学生に人気がある大学は、職業訓練、資格習得に力を入れている大学です。 基礎教育は高校までに、家庭、学校でしっかりおこなってほしいものです。呼吸の仕方、歩き方、座り方、立ち方、ハシの持ち方、作法、常識。四字熟語、運転免許、家計簿、バランスシート。日常の法律などがそれにあたります。 ▼ 大学では専門技術を、 大学院ではアカデミズムを が、合い言葉になりつつあります。 専門技術を持たない知識人の出番は、なくなりつつあります。 |
![]() いつも人っ気(ひとっけ)のない河畔のプロムナード ![]() ウォーキングの仲間は鳥、サカナ |
| ◆入間(いるま)川沿いをポタリング: 入間川サイクリングロード(#10,2004年9月8日) | |
| ▼ 入間(いるま)川サイクリングロードが、東京国際大学第2キャンパスの川向かいを走っています。全長23キロです。 出発点は入間市の豊水(ほうすい)橋です。東京国際大学第2キャンパス近くの初雁(はつかり)橋を通り、上尾(あげお)近くの入間大橋までです。 *入間川から臨海公園へ ▼ ポタリング(pottering)とは、自転車でぶらぶらすることです。輪行ともいいます。 お金をかけないで、ゆったりした自分好みの散歩やポタリングなどのレジャーが、河畔で楽しめます。西欧では普通のことです。日本でもますます盛んになると思われます。 ▼ 入間川は荒川の支流です。荒川の河川敷は日本一広く、埼玉県の3分の2は、荒川流域です。 荒川は入間川と新河岸川からなります。 入間川には、越辺(おっぺ)川が流れ込んでいます。 越辺川には、都幾川、高麗(こま)川、小畦(こあぜ)川が流れ込んでします。 (>_<) ↓ *東上沿線の川 ![]() 入間川サイクリングロード |
![]() 初雁橋付近のサイクリングロード ![]() 水源からも海からも約60キロの地点 ![]() 向こうは東京国際大学第2キャンパス |
| ◆時代逆行の自転車置き場の縮小 (#11,2004年9月16日) | |
| ▼ 霞ヶ関駅近くの市営自転車置き場は縮小されました。時代に逆行しています。 日本の市町村はまだ自転車への施策がありません。 ▼ 自転車置き場がないなどの理由で、これらの自転車がクルマに変わった場合、交通事故、騒音、振動、排気ガス、交通渋滞、駐車場不足は、さらに甚大になるでしょう。 自動車1台にかかる社会的費用は、1000万円以上です。 健康な社会、地域活性化のためにも、自転車利用者優遇対策を講じてほしいものです。 ◆自転車がいい、のページ ◆自転車専用レーンを (#018,2003年8月) ◆電動自転車 アドミー(Admy 亜土魅)号 (#027,2003年8月) ◆自転車時代が来たりぬ (#025,2003年8月) |
![]() 縮小された自転車置き場 *フジテレビ番組における自転車蔑視発言を弾劾する」 *NHK番組「妙案コロシアム」批判 *NHK番組「ご近所の底力」批判」 放っておけない自転車敵視番組 *自動車社会を根本的に見直す会 * 上岡直見『自動車にいくらかかっているか』 |
| ◆ 多自然型川づくり:小畦(こあぜ)川 (#12,2004年9月23日) | |
| ▼ 小畦川もそこここで堤防工事がおこなわれています。今は、コンクリートが見えない多自然工法によっておこなわれています。 ▼ かつての国の河川管理の考え方は、川を直線にして、降った雨は一刻も早く海に流す、というものでした。河川敷の中にある樹木も流れの障害になるので、削除する、というものでした。護岸工事は「百年確率」で設計されていました。 ▼ 中国では、川を治めるものが皇帝になるというぐらい昔から河川工事は大事な国家事業でした。 ▼ 愛媛県の五十崎(いかざき)でも、河原の榎の大木や林を撤去し、コンクリートの無機的な護岸の改修工事をはじめるところでした。 * 五十崎町役場 たこ揚げで有名です。五十崎凧博物館 ▼ コンクリートの護岸では、水生植物も育たず、水の自然浄化作用もはたらかず、魚もすまなくなります。 ▼ 住人の亀岡徹は、「よもだ塾( いい加減塾)」をおこし、川について勉強を始めました。スイスに行ったり、人口6000人の町で、「国際河川シンポジウム」を開いたりしました。 川は、洪水対策のためにあるのではなく、生物の生きる場であり、散歩、スポーツの場であり、美しい自然環境によって地域の風土や文化を育てる場でもあると、結論づけました。 *亀岡徹 *小田川をめぐる町づくり 亀岡徹 ▼ 五十崎町の住民が、建設省の河川行政を転換させました。 今はなき、建設省の関正和もキャッチャー役として政策転換を推し進めました。 ▼ こうして現在、国は河川には多自然型工法でのぞむようになりました。■ cf. 田村明『まちづくりの実践 』岩波新書、1999年 |
![]() 小畦川の多自然工法 赤丸の部分には木のヤグラが埋め込んであります。高さは家ほどもあります。 水草も生え始め、魚も鳥も集まるようになりました。手前のコンクリートの部分は、従来のコンクリート工法。いずれすべての川が緑でおおわれることが期待されます。 ![]() 河川敷の中の木 川中の木も切られることなく、保存されるようになりました。「まちと水辺に豊かな自然を」と五十崎(いかざき)の住民が声を上げ、国を動かした成果です。 *多自然型工法 【画像】 *多自然型護岸工法 . *ARCS TECHNICAL REPORT No.8-1多自然工法の歴史。近自然工法とは多自然工法のことです。 *多自然型川づくり 国交省 |
| ◆霞ヶ関駅の怪 (#13,2004年10月28日) | |
? 川越市駅から霞ヶ関駅へ向かう途中、なぜ急カーブするの? ? 的場(まとば)にあるのに、なぜ遠くの霞ヶ関という地名から駅名をえらんだの? ? 交番の横に枕木が塀になっていて、そこの路地だけがまっすぐなのはなぜ? ![]() 鶴ヶ島駅← 霞ヶ関駅← 川越市駅← 川越駅 |
| ▼ もともと埼玉の霞ヶ関駅は「的場(まとば)駅」になるはずでした。的場にあるからです。 しかし東京からのゴルファーにわかりやすいようにと、「霞ヶ関カンツリー倶楽部」の名をとって、「霞ヶ関駅」にしたのでした。 *霞ヶ関カンツリー倶楽部 *外出時に Yahoo!路線で「霞ヶ関ー羽田空港」を検索しようとすると、東京の霞ヶ関か埼玉の霞ヶ関かたずねられ、毎回余分なクリックを強いられるのは、このためです。 ▼ また駅の所在地ももっと東(地図の上)よりでしたが、ゴルフ場に少しでも近づけようとしたためにひん曲げました。 ▼ 電車が川越市駅を過ぎ、入間(いるま)川をわたると急に横揺れがはげしくなるのは、このカーブのためです。 ▼ 霞ヶ関交番の横の塀は、枕木でできています。交番横の路地だけが、まっすぐです。ここに軽便鉄道の線路が通っていたからです。 *霞ヶ関駅前地図 ▼ その昔、入間川の砂利を沖縄に軍用空港をつくるために運んだ跡です。沖縄の読谷(よみたん)飛行場の建設には、ここからの砂利も使われました。 *読谷飛行場 【画像】 *川越も読谷もイモで有名です。それ以外に、上のようなつながりもあります。 *嘉手納飛行場の砂利は多摩川から運び出されました。 |
![]() 霞ヶ関駅前駅前通り 駅は、向こうに見える自動車の左側 駅前にはファーストフード店、コンビニ、居酒屋チェーン店、パチンコ店が乱立しています。これらの業種は、マチづくりに関わりません。 |
![]() 霞ヶ関交番横のまくら木の塀 ![]() ここだけまっすぐな路地 この路地の道だけが直線です。その他の駅周辺の路地道は曲がりくねっています。 |
| ◆川越から間近に見える富士山(#14,2003年11月4日) |
![]() 小畦(こあぜ)川からの富士山 からりと晴れあがると、富士山の白い勇姿にであうことがあります。 *駅から富士山の見える東武線の駅 |
| ◆ダイダラボッチのトゲでつくられた刺橋(とげばし) (#15,2004年11月11日) | |
| ▼ 小畦(こあぜ)川にかかる刺橋(とげばし)は、ダイダラボッチのトゲでつくられました。 *小畦川【地図】「川越市」の上 ▼ 昔、ダイダラボッチ(大太法師)というでっかいカミサマがいました。茨城県の筑波山から富士山までたった36歩で歩くことができました。 *ダイダラボッチ 【画像】 ▼ ある時、ダイダラボッチが小畦(こあぜ)川を通りかかったとき、足にトゲがささってしまいました。痛くて前へ進めないので、土手に腰をおろしてトゲを抜きました。ダイダラボッチ(大太法師)の抜いたトゲは小畦川の中にささったままでした。 ▼ そのころ小畦川は、曲がりくねって流れも速く、川を渡ることができませんでした。村人が橋をかけようと杭を打っても、すぐに流されてしまいました。 ところが、ダイダラボッチ(大太法師)のトゲはいっこうに流されません。村人達は、大勢でおそるおそるトゲをクイにして橋をかけました。いざ工事に取りかかると、万事うまく運び、橋は立派に完成しました。 ▼ 村人たちは大喜びで、ダイダラボッチ(大太法師)の神に感謝し、橋の名前を刺橋(とげばし)と名づけました。 ▼ また、ダイダラボッチ(大太法師)がわらじのドロを落としたところは、立派な丘になり洪水の時の避難場所や農作業時の休憩場所になりました。 cf.新井博『川越の民話と伝説』(有峰書店新社、1990年) |
![]() 刺橋(とげばし) ![]() ![]() 団らん中のしらさぎ一家 |
| ◆「九里よりうまい13里」って? (#16,2004年11月13日) | |
| ▼ 「九里よりうまい13里」という江戸時代のキャッチコピーの心は 栗よりうまい ということです。 何が栗よりうまいかといえば、13里です。 ▼ 13里とは、川越のことです。江戸から川越までは13里(52キロ)あるからです。つまり、川越イモは栗より甘くてホクホクしてうまいですよ、という意味です。 ▼ また 九里+四里(より)=13里 との かけことば にもなっています。 ▼ 川越イモは江戸のファストフードでした。 サツマイモは、新河岸川を通り江戸へ下っていきました。 帰りの船には石焼きイモの屋台で出た灰や、糞尿のような肥料が積まれていました。 環境にやさしい資源のリサイクルがおこなわれていました。 |
▼ 1937年、300年にわたる新河岸舟運(しゅううん)は、陸上交通網の発達に太刀打ちできず、幕をとじました。 *新河岸舟運 *新河岸川舟運史年表 *新河岸川の位置 【地図】河川局 *川越イモ 【画像】 * 斉藤貞夫『武州・川越舟運―新河岸川の今と昔』さきたま出版会、1990年 *大久保洋子『江戸のファーストフード』講談社選書メチエ、1990年 |
| ◆童謡「とおりゃんせ」は、なぜコワーイ? :三芳野神社(#17,2004年11月14日) | |
| ▼ 「通りゃんせ」は江戸時代の遊び歌です。 こども二人が腕を高く上げてアーチをつくり、「通りゃんせ」をうたいます。この歌を歌いおわったときに、アーチをくぐった子が鬼になるという遊びです。 ▼ この歌の発祥地は、川越市の三芳野(みよしの)神社だといわれています。 *三芳野神社の位置 ▼ 川越は、江戸の北の守りであり、豊富な物資の供給地だったため、天領になり、有力な大名が殿様になりました。そのため川越城の警備は厳重でした。三代将軍家光も川越で生まれました。 ▼ 天神様(菅原道真)をまつる三芳野神社は、その川越城内にあり、4つの門をくぐって行く必要がありました。年に1回だけ入ることができました。 子どもが7つになるとお参りする習慣がありました。昔は幼児死が多く、7歳まで育つのは僥倖(ぎょうこう)でもありました。それで感謝をこめ、さらに学問の神さまの天神様(菅原道真)に行く末をたくしたのでした。 *沖縄に残る古い和語: 東風(こち)桑原 *菅原道真リンク * 昔は、お城をまもるために川の堤防の高さもたがえていました。洪水時には、東京国際大学側に流れるようになっていました。 ▼ 年に1回ようやく城内に入ったものの、見張りの監視の目は鋭く、キョロキョロまわりを見回そうものなら、「何をしている。さっさと歩け」と庶民はどやされました。 これが ♪行きはよいよい 帰りはこわい になったものです。 |
![]() 「♪行きはよいよい 帰りはこわい」 ∇ 「通りゃんせ」 uta_l.wav/1,027KB 通(とお)りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細道じゃ 天神(てんじん)さまの 細道じゃ ちっと通して くだしゃんせ ご用の無いもの 通しゃせぬ この子の七つの お祝いに おふだをおさめに まいります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ *英訳 *川越の100冊(本の中の川越) *川越観光スポットの位置 |
| ◆『伊勢物語』のなかの川越 (#18,2004年11月15-2日) | |
| ▼ 800年代に成立した伊勢物語には、三芳野についての項があります。 ▼ 1 昔、ある男が武蔵の国までぶらぶら歩いて行きました。 2 そしてその国の女に求婚をしました。 3 父親はちがう男と結婚させようと言ったけれど、母親は高貴な人に執着していました。 4 父親は普通の人で、母親は藤原氏だったからでした。 5 それで(母親は)高貴な人に、と思ったのでした。 6 (母親は)この婿の予定者に(次の歌を)詠んで渡しました。 7 この女の住む所は入間郡の三芳野の里です。 ♪ 三芳野の 田の面(む)の雁も ひたぶるに 君が方(かた)にぞ よると鳴くなる <三芳野の田の面にいる雁も、 (何かがあるとひたすら 一方へ寄っていきますが、そのように私の娘も) ひたすらあなたの方へ 心を寄せていると申しているようです。> ▼ 8 婿の予定者は返しました。 ♪わが方に よると鳴くなる みよし野の たのむの雁を いつか忘れん <私の方に心をよせると言ってる 9 と詠んだことだった。京をはなれた他国においても、やはりこのような(風流じみた)ことはやまなかったのでした。 |
∇伊勢物語 第十段目 1 むかし、おとこ、武蔵の国までまどひありきけり。 みよし野の たのむの雁も
わが方によると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れん 9 となむ。人の国にても、猶かゝることなんやまざりける。 *岩波書店『新日本古典文学大系・伊勢物語』*『伊勢物語』の武蔵野 *伊勢物語と川越 |
| ◆2004年は、家光が川越で生まれて400年目 (#19,2004年11月15日) | |
| ▼ 2004年は、家光が1604年に川越で生まれて400年目にあたります。喜多院を中心に生誕400年記念事業がいとなまれています。 三代将軍 家光(1604-1651)は幕藩体制の完成者です。 *喜多院 ▼ 喜多院には家光を育てた「春日局化粧の間」があります。春日局は家光の乳母で、家光を将軍に押し立てた立役者です。 *春日局(かすがのつぼね) ウィキペディア *春日局 【画像】 *川越めぐり/本丸御殿/喜多院/三芳野神社 * 義経、伊勢物語、太田道灌、江戸城、家光などを通して歴史を実感できる学生諸君はしあわせです。北海道出身のある人が言っていました。 「藩、武士、寺、城とかが、北海道では遠い宇宙の出来ごとのようで、どうしても歴史が好きになれませんでした」 |
![]() 喜多院正門 ![]() 喜多院境内 2004年11月14日 ![]() 家光生誕の間 |
| ◆義経に関係する河越館と顔振(かあぶり)峠 (#28,2005年2月4日) | |
| ▼ 大河ドラマ「義経」がはじまりました。 *大河ドラマ「義経」 NHK ▼ 川越近辺は、義経に関係するところが2カ所あります。 〇河越重頼の娘は義経の正妻:河越館跡 〇義経が振りかえりながら登った顔振(かあぶり)峠 *「河越」は江戸時代から「川越」になりました。 ▼ 河越重頼(しげより)は、源頼朝が挙兵したとき、今の横須賀市を攻略したりして、鎌倉幕府から重く用いられるようになります。 頼朝は、川越のある武蔵一帯を検地し、広大な肥沃な平野であることから重要視します。武蔵の国は武士の発祥の地でもあります。 このとき、頼朝は都幾川村の慈光寺に銅鐘を奉納しています。 *都幾川・慈光寺について |
▼ 頼朝は、京都にいる義経の妻に、重頼(しげより)の17歳の娘をすすめ、媒酌(ばいしゃく)もしました。頼朝が媒酌したのは、北条時政とこのときだけです。美人画から抜け出たような義経の妻は、京姫といわれました。 ▼ 頼朝はのちに義経を追討します。義経、京姫一行は、奥州平泉まで逃げます。 この間、疑心暗鬼にかられた頼朝は、河越重頼(しげより)を誅します。 のちに、頼朝は義経は無実であったことを知り、没収した領地を遺族に返しました。 |
| 〇川越の中の沖縄【画像】 (#29,2005年2月17日) | |
| ▼ 川越にも沖縄があります。画像で紹介します。 写真を撮るときには、お店の人にことわったほうがよろしいです。ホームページに掲載しますというと、OKです。業者を警戒しています。したがって、ベレー帽をかぶったりして業者らしくない服装をします。 ![]() 泡盛の品ぞろいも豊富です。酒屋さんにて 「残波(白)」の一升瓶2500円 ![]() 川越の石敢当(イシガントウ) 欄干のたもとに沖縄名物の石敢当(イシガントウ)という文字がかすかに見えます。3年ごしで発見しました。小畦川の八幡橋にて。 ![]() ゴーヤー 5センチほどのゴーヤーがなっていました。ゴーヤーブームにのって植えたのでしょうが、今回は残念賞です。徐々に腕は上達していくでしょう。 2004年夏 |
![]() 沖縄食品コーナー。食材市場にて 沖縄食品には不自由しません。豆腐ようもあります。 ![]() チラガー(面皮)も ![]() 人口30万の川越にも沖縄物産店が |
| 〇小畦川(こあぜがわ)の桜で英気をやしなう (#31,2005年4月10日) | |
| ▼ 家の近くの小畦川(こあぜがわ)の桜は満開です。 澄んだ川には鯉が泳ぎ、水鳥が遊び、せせらぎが聞こえます。 ▼ 1週間は月曜からではなく、日曜からはじまります。 散歩がてら、花見をし、弁当を楽しみ、ゆったりとすごし、明日の英気を養うのは日曜の正しい過ごし方です。 お金をかけ、長時間かけ、ディズニーランドへでかけ、並び、ぐったりして帰るのは、日曜には避けます。 ▼ 日曜は半日は娯楽、半日は明日からの仕事の準備にあてたいものです。こうすると月曜が楽しくなります。 *小畦川の位置 livedoorマップ 小畦川 川の名は流れる (#1,2004年7月7日) ![]() |
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