1990年代初頭にアメリカで日本のlanguage spirit(言霊)について話す機会がありました。そのとき、参考にしたのは井沢元彦『逆説の日本史』(小学館)、岡崎久彦『反映と衰退とーオランダ史に日本が見える 』(文春文庫)などでした。下は、そのときの原稿を、井沢元彦を主として、まとめなおしたものです。筆者(桑原)と意見がちがうところもありますが、あえて訂正しませんでした。
日本社会は、外国との戦争をほとんど経験しておらず、離れ小島の農耕社会であるので、ふるい習慣をそのまま残していることが多い。言霊(おんりょう、language spirit)信仰もそうであり、怨霊( revengeful ghost) 信仰もそうである。
コトダマは、かつて日本を滅ぼしかけました。今も日本社会に根深く巣喰っています。日本再生のためには、コトダマについて正しく認識し、コトダマ病を克服することが必要なようです。
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どこの国にも言霊はあるが、特に古代より日本人には、言霊信仰が強い。日本は離れ小島であり、外国との交流や戦争をほとんどしなかったので、古い習慣がそのまま残った。
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これにくらべて、異民族との交流、外交、戦争が頻繁な国にあっては、□□を必要とするので、言霊を信仰するようなことは、自然に少なくなっていく。
* 日本文明と西欧文明の平行進化論 【図解】
《A》論理
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言霊(ことだま、language spirit)思想とは、ことばには霊力がそなわっており、「あることばをとなえると、その内容が実現する」とかんがえることである。
言霊思想は、△△△△△の一種である。△△△△△とは、人間以外の動物や植物にも霊魂があると考える多神教である。
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一般に△△△△△は原始宗教の特質であるが、現代の仏教、キリスト教、イスラム教においても,その基層部分には濃厚に見られる。
《A》アニミズム
▼柿本人麻呂『万葉集』
「敷島のやまとのくには、言霊のたすくる国ぞ、まさきくありこそ」
注)まさきく=さいわいで
▼山上憶良『万葉集』
「そらみつやまとの国は、天皇(すめかみ)のいつくしき国、言霊のさきはふ国」
注)いつくしき=霊威が盛んに発揮される
▼紀貫之『古今和歌集』
「やまと歌は、力をも入れずして、天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ□□をもあはれと思はせ、男女の仲もやわらげる」
《A》鬼神
忌みことば(taboo word)は、縁起の悪い言葉を使うと、不幸な事態が訪れるという言霊思想に由来する。どこの国でも、忌みことばはある。
古代ゲルマンの世界にも言霊思想はあった。ハムレット(Shakespeare作、1600年執筆)の、
”I will speak daggers to her”(ことばの短刀をあびせてやろう)
には、ことばが短刀となって相手の胸を突き刺すとのイメージがある。
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ゲルマン社会で、熊が bearになったのは、熊は、beaverと同様、危険な動物としてタブー視されたため、間接的に「茶色いもの」とよんだところからきた。
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日本の場合には、忌みことば(taboo word)はいちじるしく多く、言い換えがさかんである。
| 4 | 死 | 特に病院では、4号室、4階はない。 |
| 櫛 | 苦死 | 贈り物として不適切 |
| 塩 | 死 | 花柳界などでは □〇□と言い換え |
醤油 |
死 | □ |
| 葦 | 悪し | 〇〇 |
| 猿 | 去る | △△公 |
| スルメ | する | 〇〇〇〇 |
*葦(あし、よし)
「人間は考える葦(あし)である。」パスカル
「葦(よし)の髄から天のぞく」
日本人は、天皇を名前で読んだりしない。
実名と本人は同一のものなので、みだりに実名をあかすと、攻撃の目標になったりするからである。実名そのものが当人の分身なのである。
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「社長」、「先生」、「先輩」にたいしても同様である。これはタイなどの東南アジアでもそうである。タイ人は王様の□□を知らない。
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中国では□□回避を避諱(ひき)といい、皇帝の名前の場合、国民に一切その字を使わせなかった。
また、中国の子供はいまでも、父親と同じ名前は用いない。兄弟では1字を共有することが多いが、親子ではいけない。
《A》実名
豊臣秀吉は、子どもに棄丸(すてまる)、拾丸(ひろいまる)などという悪名をつけた。
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韓国には「廬泰愚」という大統領がいた。
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かつてのタイでは、よその赤ん坊を「なんと、みにくいの!」といってほめた。タイでは、人の呼び名に「かえる」とかの動物名を今でも用いる。
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これらは、□□に命を取られないための措置である。□□は、かわいいかしこい子どもを好んだ。
《A》悪霊
大国主命(おおくにぬしのみこと)は、出雲(島根県)を手中にしたあと、鳥取、兵庫、北陸、長野まで勢力下におさめた文字通り大国の主であった。「命(みこと)」とは、高貴な人に対する尊称である。
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ところが、神の世界(高天原=たかまがはら)に住んでいた天照大神(あまてらすおおみかみ)がやって来て(=天孫降臨)、国を全部譲れとせまった。
オオクニヌシはあらがい、オオクニヌシの次男は、戦いを挑んだが負け、諏訪湖まで逃げ、永遠に諏訪から出ないことで許しを得た。
諏訪大社はオオクニヌシの次男をまつる神社である。
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オオクニヌシはアマテラスに破れ、「現世から退き、あの世(霊界)のことをする」ことになり、死んだ。
□□〇などもあの世の領分だから、これ以降、出雲大社は□□〇の神様として有名になった。
*戦いで勝ったアマテラスがまつられずに、負けたオオクニヌシがまつられているのは、怨霊(おんりょう)信仰に起因する。
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アマテラスは、女神で皇室の祖先神とされている。日の神として伊勢神宮にまつられている。イザナギノミコトとイザナミノミコトのあいだにうまれた。
*天照大神 【画像】
《A》縁結び
出雲大社は、出雲を中心とした地方を治めた大国主命(おおくにぬしのみこと)をまつる神社である。しかし、多くの謎を秘めている。
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「雲太、和二、京三」(うんた、わに、きょうさん)とは、平安時代の日本の三大建築物を意味している。

*出雲大社のホームページ
《A》大仏

出雲大社本殿平面図
出典: 神話と自然のさと大社町へ
ようこそ の画像に赤を追加
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オオクニヌシは、参拝者にそっぽを向いてすわっている。参拝者に向き合っているのは、△△△△△側の5体の神である。なぜか。
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それは、表向きにはオオクニヌシをまつることにして、人々を△△△△△側の神々に礼拝させるためのシカケである。
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これら△△△△△側の神々(御客座五神)は、大怨霊オオクニヌシが地上に降りてこないように見張る看守である。
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出雲大社は、オオクニヌシの霊魂を地上にださせないようにするための牢獄なのである。
《A》アマテラス
オオクニヌシが西を向かされているのは、西が日の沈む方向であり、□の国の方向であるからであろう。
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アマテラス側としては、オオクニヌシには、生き返ってもらいたくなく、またこの世にたたりをもちこんでほしくないので、西を向いてもらっているわけである。
《A》死

向きが逆のしめ縄
出典: 出雲大社 SPM
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ふつう、しめ縄のない始めは、社殿からみて左である。日本では古代から左の方が上位である。
左大臣は右大臣より偉いので、天皇からみて天皇の左側に座る。出雲大社ではしめなわの張り方が反対となっている。
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日本では、死者に関係する物は、向きを逆にする。
《A》左前
出雲大社での拝礼は「二礼、△拍手、一拝」である。
ふつうは、「二礼、二拍手、一拝」である。これは、なぜか。
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それは、オオクニヌシが「死(=四)の国の王」であるからである。
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オオクニヌシにこの世に戻ってはだめなのだ、そのかわり丁重にまつるから、ということを、何回も何回も自覚させるために、アマテラス側が人々に死(シ)拍手を打ち続けてもらうようにしたのであろう。
《A》四
出雲大社の神官(しんかん)は、現天皇家と先祖が兄弟である。
アマテラスは、長男には家督を譲り、次男は出雲大社の神官にした。現代の神官は第82代にあたる。
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なぜアマテラスは、次男を神官にしなければならなかったか。それは、激しい怨念を抱いて死んでいったオオクニヌシのたたりをおそれ、丁重にまつるためである。
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ここから、オオクニヌシは残虐な殺され方をしたことが分かる。
これ以降日本の歴史においては、「和」を守ることが、重要になった。
オオクニヌシのような大きな犠牲者を出せば、その□□のために、どこかに出雲大社のような大きな社を建て、自分の子孫にそれを守らせるなどの莫大な犠牲をはらわねばならないからである。
《A》鎮魂
日本の最高神はアマテラスであり、□□神である。
*cf.日の丸、初日の出
雲は、太陽の光をさえぎる邪魔者であり、死の象徴である。雲とは、オオクニヌシのことでもあろう。
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高貴な人が死ぬことを「雲がくれ」というのもこれと関係があるであろう。
《A》太陽
陰暦の十月のことを神□月(かんなづき)という。これは全国の神々が出雲の国に集まり、地方では神様不在となるからである。
1年に1回、全国の神が集まり、オオクニヌシを中心に、恋愛や目に見えない「かくれた神事」について協議するのだといわれる。
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反対に出雲では、諸方から神々が集まるので、「神在月」という。
《A》無
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かつては、疫病、飢饉、地震、洪水、噴火などの厄災があると、それは君主の責任とされた。これを、天人(てんじん)相関説という。
これらの災厄は、王者が、神や□□(怨みを抱いて死んだ人の霊)を丁重にまつらなかったから、たたられたのだとされた。
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だから、君主にとって神や霊をまつることが、第一の義務であった。「政」とかいて、「まつりごと」と読んだのはこのためである。政治とは「神や霊をまつること」であったのである。
まつりをおこなってきたにもかかわらず、厄災がおこった場合には、君主に徳がなかったことになる。
《A》怨霊(おんりょう)
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「卑弥呼」は当て字である。ヒミコに「卑(いやしい)」という字を当てたのは、中国である。ヒミコは実名ではない。
というのは、名前は、本人そのものであり、名前がわかれば、名前に呪いをかけて殺すこともできると考えられていたので、王の名前はみだりにあかすことはなかったからである。
*紫式部や清少納言の実名がわからないのは、女性保護のためであった。
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ヒミコとは、「日の□□」、太陽に仕える女性であり、また同時に神の化身であった。
なお、古代において、鏡を大切にしたのは、鏡は、丸くてきらきら光るので、太陽の象徴、神と考えられたからである。古代の墓や古墳で鏡が重要な副葬品となっているのはこのためである。正月の鏡もちも、金属鏡をかたどったもので、ここに神が降りてきてやどると考えられている。
《A》御子
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邪馬台国があった3世紀と、大和朝廷が成立した5世紀、この間の4世紀は何の記録もなく「謎の4世紀」とよばれている。
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しかし、大和朝廷の成立に関する重要な神話は、邪馬台国での実際の事件を題材にしていると思われる。つまり、邪馬台国は大和朝廷の源流であり、アマテラスとは□□□のことであるともいわれている。
《A》卑弥呼
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邪馬台国は、狗奴(くな)国に破れ、しかも太陽の帝国である邪馬台国に皆既日食がおこった。248年9月5日のことである。卑弥呼は敗北の責任と皆既日食のために処刑されたと考えられる。
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その頃の考えである天人(てんじん)相関説では、すべての大きな厄災、□□□□は王者の責任であるからである。王者の霊力が衰えたから敗北し、天変地異が生じたのである。
霊力の衰えた王は殺され、新しい生命力のあふれた王ととりかえられた、というわけである。
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皆既日食の年月日
《A》天変地異
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かつて日本人はみずからの集団の名を「ワ」とよんでいた。ワとは、サークル(circle)をあらわす大和言葉で、漢字で書けば□とか輪になる。
古代日本人は、周囲に濠をめぐらした□濠集落に住んでおり、自分たちの集落、つまりクニのことをワとよんでいたと思われる。
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このワに、中国人は「倭」という字を当てた。中国人は、中華文明圏にない周囲の国には悪字を当てる癖があり、倭には「みにくい」という意味もある。
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のちの日本人は、意味の悪い倭をやめて、ワという音のなかから自分たちの国を特徴付ける理念をもつ「和」にした。
《A》環
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日本列島には、ワ(村=国)が分立していた。これらのワは次第に統合して行き、やがて独立国家共同体をつくるようになった。独立国家共同体の盟主は、〇〇〇部族(今のロシアのようなもの)であった。
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そこで、国号を「和(クニという意味)」の集合国家なので「大和(大国、国々の集まり)」とし、よみかたは盟主国の名をとって「〇〇〇」としたものであろう。
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これは、旧ソ連の独立国家共同体を、盟主の名をとっては、ロシアとよぶようなものである。
《A》やまと
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藤原不比等(ふひと)は、自らの権力を確立するため、娘の光明子(こうみょうし)を聖武(しょうむ)天皇の妃にした。さらに、妃から皇后に昇格させようとした。
昇格運動の中心となったのは、藤原不比等の4人の息子たちであった。
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長屋王(天武天皇の孫)はこれに反対した。もともと、皇后は皇族出身でなければならないという不文律があり、光明子を皇后にしてしまうと、聖武天皇に万一のことがあった場合、皇族出身でない光明子が天皇になってしまうことがありうるからだ。
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藤原一族は、長屋王を国家反逆罪にし、729年長屋王一族を全滅させた。
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長屋王の死後、国家や藤原一族に次々と不幸がおそった。
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人々は、これらの一連の災厄を、長屋王の□□と受けとり、死者には霊があり、たたるものだとする□□信仰はますますさかんとなった。
《A》怨霊
▼ 天神様の菅原道真(すがわらのみちざね)
明治天皇は天皇の位を受け継いだが、即位式をおこなったのは、崇徳(すとく)上皇の霊を讃岐から京都にもどしてからであった。
保元の乱にやぶれた崇徳(すとく)上皇は、舌先を食い切って、流れる血潮で呪詛(じゅそ)の誓いを記した。崇徳上皇は皇室にとっての最大の怨霊であった。
*崇徳上皇ゆかりの地
坂出市
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和は日本で一番大切な徳目である。しかし、和は儒教の重要徳目である
仁・義・礼・智・信
のなかに入っていない。
このことは、和は儒教精神とはかかわりのないことを示し、日本が儒教国でないことを意味する。
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和がなによりも大事なことを聖徳太子(574ー622)は知っていたからこそ、「和をもって尊しとなす」と十七条憲法の第1条においたのであろう。
和とは、「□〇〇〇至上主義」で、古代から現代に至るまで、日本人の最大の徳目である。日本人は、いまだに「和人」である。
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| 憲法の条項 | 象徴するもの | 建物 |
| 第1条 「和を大切にせよ」 | 和 | 出雲大社 |
| 第2条 「仏教をうやまえ」 | 仏教 | 東大寺 |
| 第3条 「天皇の命令にしたがえ」 | 天皇 | 御所 |
《A》話し合い
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都市といえば、城壁で囲まれているのが普通である。物資、富、女性、子供など略奪の対象となるものがあるからである。
中国の□□も城壁で囲まれた都市であった。しかし、□□を手本にした平安京には城壁がなかった。
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もともと「城」とは、万里の長城の例でわかるように、町や都市などををとりまく大きなぶあつい壁や土手のことである。
しかし日本では、「荒城の月」からわかるように、castleの意味にかえてしまった。
《A》長安
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792 年、桓武(かんむ)天皇は、正規軍を廃止してしまった。ために平安京は荒れ放題となってしまった。
そこで、検非違使(けびいし)が治安を担当することになった。しかし、検非違使は令外の官(りょうげのかん。律令の外の官)で、いわば陰の存在であった。
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武士は死、血に関係していたので、ごみ、カビなみにあつかわれた。平忠盛が武士として始めて、昇殿を許された時、□□人は闇討ちにしようとした。なぜ□□人が、武士をきらったかといえば、武士は人間の死に関係したからである。(では、動物の死に関係したひとたちは?)
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cf. 朝鮮半島は、2000年のあいだに数百回の攻撃を受けた。
《A》雲上
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戦争中、日本は、「鬼畜米英」「□□語追放」とさけび、竹槍でB29を落とす訓練をした。アメリカは、敵の研究が必要と考え、日本研究、日本語学習を奨励し、日本の暗号の解読をおこなっていた。
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日本史を治と乱の時代に分けるとすれば、
平安、室町、江戸、現代
が治の時代である。この時代には人は平安貴族の安逸をむさぼる。
鎌倉、安土桃山、明治
が乱の時代で、人は鎌倉武士のように臨戦態勢の状態にあった。
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しかし、現代は治の時代ではなく、乱の時代であることを認識する必要がある。
《A》敵性
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ここ5000年間の世界の歴史とは戦争の歴史である。戦争は国家があるから起こる。
普通は、戦争をやるのが、王者や貴族の大事な仕事である。これをnoblesse oblige(ノブレス オブリージュ)という。高い身分にともなう義務と責任のことである。
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平和とは、戦争や武器によってつくり出すものだという考える。したがって、peacemaker(平和を作り出すもの)という英語の意味は、△△△△のことである。
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しかし、日本社会は、有史以来、外敵の侵攻を考える必要がなかったので、防衛に無関心であり、軍人嫌いの風潮が連綿として続く。貴族は和歌をよむことで、言霊により戦争に勝てると、本心から考えていた。
《A》ピストル
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石器時代には何でもかでも石でつくっていたわけではない。
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青銅器時代には、青銅器は一般庶民の手にできるものではなかった。
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兵器を、石器時代には石で、青銅器時代には青銅器で、鉄器時代には鉄でつくっていたから、□□区分の基準とした。
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同様に、原子力時代とは原子力を兵器とする時代である。
《A》時代
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一神教では、殺人を犯しても、それが神の命令である限り、〇〇〇を恐れる必要はない。
神の命令は正義であり、正義とは人間が決めることではなく、神が決めることである。
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一神教には、悪霊や〇〇〇など存在しない。したとしても、それは、神に向けられ、神が始末することである。
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しかし日本では、悪霊などを退治してくれる絶対神などいないので、個々の霊は復讐する、たたると考えられ、〇〇〇を恐れねばならない。
それゆえ、和の世界では、怨念の発生するような争いはしてはならず、これが和を大事にする原因となった。〇〇〇に対するおそれが、和を生み出した。
《A》たたり
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聖徳太子は、和が日本社会の最も重要な規範であるとした。このことは今も変わらない。
和とは、□〇□〇がすべてであり、□〇□〇をもって決めたことが、たとえ間違いであっても、正しいとされる。和とは、process(過程)であって、result(結果)ではない。processが第1で、resultは二の次なのである。
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太平洋戦争も、ヒットラーのような独裁者によってではなく、政府上層部の□〇□〇によってなされた。
そしてみんなでずるずると時勢に押し流されて決めたことなので、誰も戦争の自覚がなく、責任の自覚もなかったのは、このためである。
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和の世界では、□〇□〇がすべてで、□〇□〇をこえる規範はなにもない。だからみんなが善意をもって□〇□〇で決めたことは、「みんなが決めたことだから」と絶対の価値を持つ。
《A》話し合い
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ある会社で、売り上げの悪い外交員を罰するための決議が全員一致でなされた。それは、全員の前で裸踊りをする、というものであったという。これは、全員一致の決定だから、民主主義的決定であろうか。
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そうではない。
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一つには、外部の法的規範、憲法の定める基本的人権(人が生まれながらにしてもっている、譲り渡すことのできない権利)を無視している。
二つには、罰則が事前に決められていない、つまり□□法廷主義でないからである。
《A》罪刑
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話し合い至上主義は、外部の法的□□を認めず、ムラでの話し合いの合意を重んじる。
政治家が選挙区や社会のために汚職をした場合、確信犯(道徳的・宗教的、政治的確信に基づいて行われる犯罪)になるのは、ムラの論理が第一と考えるからである。
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会社ぐるみの汚職にかかわった社員が、自分はまちがっていないと確信し続けるのも、同様である。
《A》規範
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日本では、話し合いで決めたことが一番である。というのは、それ以上の規範や原理がないからである。
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キリスト教国、イスラム教国などの一神教の国では、たとえ全員が一致して決めたことでも、つまり和による全員一致の話し合いで決めたことでも、変更できない神の掟、絶対理念、規範がある。この絶対理念、規範を破るような変化は、たとえいかに不便であろうと時代に合わないものであろうと、なされないものである。
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しかし、和の社会では、全員が賛成すればファシズムにでも、民主主義にでも何にでもなることができる。
だから江戸の封建社会はたちまちのうちに明治の近代社会になった。
英国公使のパークスによれば、
「明治維新はヨーロッパなら、百年はかかるだろう」
改革であったが、1日で終わってしまった。
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明治に□□毀釈(きしゃく)の令がでると、日本有数の古刹(こさつ)である奈良の興福寺の僧は、昨日まで拝んでいった仏像を叩き割り、風呂の焚き付けにしてしまった。
僧は、いとも簡単に、仏道から神道に乗り換えた。
神、仏よりも、話し合いの結果の方が大切だったからである。また戦前の天皇制国家があっというまに、民主主義国家になったりするのも同工異曲だ。
《A》廃仏
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日本の議会での議事進行順序は次のようである。
ここには討論も、審議もない。議会とは、話し合いの結果の発表の場にすぎない。なぜこうなるのか。
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日本人は、和を大切にし、戦いをきらう。
討論とは、言葉による戦い
であるから、公開の席ではそれを避ける。
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というのは、公開の席で争えば、ことばには霊があるので、□□が発生し、和が乱れるからである。したがって、□□が発生しないように、あらかじめ密室の話し合いで決めておくわけである。
《A》怨念(おんねん)
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「お米を食べる時は、お百姓さんに感謝して、手を合わせましょう」とよくいわれる。
では、次のようになぜならないのであろうか。「肉を食べる時は、動物を殺してくれた人に感謝して、手を合わせましょう」。
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□□は、意外なところから生まれる。
《A》差別
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自衛隊は、憲法ではみとめられておらず、令外(りょうげ)の官であり、税金泥棒あつかいされている。憲法第9条は次のようにいう。
「前項の目的を達成するため、陸海空軍は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」(憲法第9条)
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戦後の日本は自衛隊と在日米軍によって守られたにもかかわらず、平和憲法によって守られた、という考えがある。これは、平和を唱えれば平和が達成できるという言霊思想、
平和□□主義であり、神風よ吹けと念じれば神風が吹くという神風主義である。
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戦争が悪いとするならば、では、ナチスを倒した戦争は、軍隊は? アジア諸国の独立戦争は?アメリカの第二次大戦での戦いは、と問わねばならない。
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日本の無謀な戦争は、苛め抜かれて来た軍隊の暴走によってなされた。
暴走を防ぐには、自衛隊を軍隊とし、法律でがんじがらめにし、暴走できないようにしておく必要がある。軍隊の必要性を認めておかないと、いざというときに、反動は大きなものになる。
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健康維持のためには医学部が必要なように、平和維持のためには軍事学部、軍事研究が必要である。
自衛隊も部落も、ともに私生児あつかいするのは、不当である。自衛隊嫌いと部落差別とは底流でつながっている。
《A》念仏