| 映画づくりよもやま話 :中村幻児 |
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| *ロード88 : 予告編 は画像の下の数字をクリック 中村 幻児 『映像クリエイターの創造学』 映画づくり よもやま話: 中村幻児 |
| ◆製作費の調達がプロデューサーの第一の仕事 (#1,2004年9月8日) | |
| ▼ 「ロード88/出会い路、四国へ」は平成15年10月24日にクランクイン。11月27日に四国の撮影は終了。12月に入ってハワイ・ホノルルマラソンの場面を撮り終え、全撮影が終了した。撮影日数は長いような短いような36日間だった。 ▼ そもそもこの映画は、平成12年ごろから実現するまで約3年間、製作費を調達するために奔走したが資金が集まらず、七転八倒の日々が続き、何度も諦めかけたがどうしても諦めきれず、共同脚本の映像塾シナリオ科出身の梅村真也と、五反田の焼鳥屋で何十回も自棄酒を飲み、何十回もシナリオを推敲し練りあげた企画だ。監督歴三十年の意地をかけて必ず実現するぞ、と親子ほど年齢の違う梅村君に熱く語るが五里霧中を漂っている状態だった。 ▼ 見通しはゼロ。資金が集められなければ映画はできない。このときは監督ではなく、プロデューサー兼シナリオ担当で、別の人間が監督をすることになっていた。なぜ私が監督をしたのか、その経緯はあとの項で書くとする。 ▼ プロデューサーのいちばん重要な仕事の一つは製作費の調達。シナリオライターは内容の充実した脚本を書くことである。これが簡単のようで、なかなか難しい。私はこの二つの仕事を兼任しているが、出口の見えない忸怩たる思いが2年も続いており、意地で強がっているものの若干弱気になっていた。 ▼ 四国霊場八十八ヵ所が舞台で白血病の少女が主人公のこの映画は、暗くて重いテーマという先入観がある。資金調達でいちばん困難だったことは、この先入観との戦いだった。いかにこの映画が素晴らしく、意義のあるテーマであるかをを笑顔を絶やさず説明するのだが、色よい返事は皆無だった。 *ロード88 : |
![]() 映画「ロード88」について話す中村幻児 2004年8月27日、高田馬場にて ![]() ロード88のポスター ![]() 中村監督と出演者(村川絵梨、小倉久寛) |
| ◆モチーフはお遍路と白血病 (#2,2004年9月16日) | |
| ▼ お遍路と白血病がモチーフの映画が「ロード88」である。 ▼ 素直に考えれば無理もない。決して明るく、楽しいイメージをもつ人はまずいない。お遍路に興味をもつ企業の偉い人も、骨髄バンクのドナー登録キャンペーンのための社会的意義を理解してはくれるが、いざ出資となると二の足を踏む。 ▼ 友人知人の伝手の伝手をたどって随分交渉したが、まったく手詰まり状態であった。シナリオもできるだけエンターテインメントに仕上げようと、さまざなアイディアを出すが、いまいちピリッとしない。泣きと笑いと感動の映画にするためには何かが足りない。何が足りないのか分からない。予定していた監督はすでに諦めていたのか、アイディアどころかシナリオの内容に触れようともしない。 ▼ 細部に渡って問題点を探り出し、点と点を結んで流れをつくり、複数の主役たちのそれぞれの糸を手繰り寄せ、絡み合わせて太い糸に束ね、大きな感動を導きだす方法を見つけたが、すでに企画がスタートしてから2年も経っていた。 ▼ しかし、忘れもしない平成15年の7月。映像塾の講師で撮影監督の高間賢治が映画に出資したい会社があるという朗報が入った。 ▼ ポストプロのIM社だった。この会社はすでに第一作目の映画を製作し、次回作の企画を探していたところだった。やっと幸運の女神が微笑んでくれると、心踊る思いでIM社のプロデューサーに会いに行ったのであるが、いつものように暗い、重いと言われるかも知れないと、それなりの覚悟はしていた。 |
![]() ロケ風景 1 ![]() ロケ風景 2 ![]() ロケ風景 3 |
| ◆すったもんだの実現過程 (#3,2004年9月23日) | |
| ▼ 高間賢治氏に連れられ、プロデューサーのS氏とW氏に面談した。 ▼ 企画書とシナリオを提示し、簡単にストーリーを話した。第一印象はまずまず。偶然にもS氏は四国出身。W氏は徳島でお遍路の取材をした経験の持ち主。思った以上に話が弾んだ。何よりもデジタルシネマで全国の公共ホールで上映をしたいと提案したところ、さすがにコンピュター・グラフィックスを手懸けている編集スタジオである。デジタルシネマの将来的展望など共通の認識が多く、これまで企画を持ち込んだどの会社よりも、理解度や反応が違っていた。 ▼ 結局、検討して後日返事をもらうことになったが、期待が大きいほど失望も大きいので、過剰な期待をせずに返事を待つことにしたのである。 ▼ 返事は一週間もしない内にきた。実現に向かって具体的に検討したいので、再度来社して欲しいとの返答だった。「ロード88」はこのときから大きく実現化に向かって動き出したのである。 ▼ しかし、当初の監督予定だったY氏と私の関係は最悪の状態になっていた。 ▼ 半年ほど前の平成15年の12月。ある忘年会の席上で、私たちが書いたシナリオが納得いかないので自分の書いたシナリオに戻したいと、一方的に決別宣言をしたのである。何と身勝手な男と頭に血が昇ったが、「どうぞご自由に。但し、我々が書いたシナリオは自分たちが映画化する」と極力冷静に対応した。 ▼ 映画が実現しないのは中村たちのシナリオが悪いから、と痺れを切らしたのかも知れない。お互いが納得できない共同作業は最悪である。後日、原作名表示でY氏とは和解したが、忘年会の一件がなく、あと半年も我慢をしていれば、間違いなく「ロード88」は彼が監督をしていただろう。 ▼ 運がいいのか悪いのか、人生はまったく分からない。一寸先は闇である。 |
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| ◆ ついに映画化、決定(#4,2004年9月30日) | |
| ▼ 具体的に検討したいという返事を聞いて、その夜は緊張して眠れなかった。こんな気持ちになるのは何年ぶりだろう。監督デビュー以来かも知れない。 ▼ 1971年、日活が起死回生の窮余の策でロマンポルノ路線に転向。翌72年に日活の下請けプロダクションで、ある監督のピンチヒッターとして幸運にも監督デビューができたのだが、今思えば、映画が何たるかまるで分からず、有名監督たちの映画の真似をしながら夢中で撮った。あのときも、嬉しさと緊張と不安で眠れなかったことを鮮明に覚えている。 ▼ 映画を撮ることが容易でない現在、独立プロで1億円以上の予算がかかる映画の製作費の調達は困難である。幸運に製作できても、宣伝や配給経費を含めて資金を回収しなければいけない。その作品の出来、不出来によって資金回収も大きく左右される。それだけに監督に課せられた責任は非常に重い。 |
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| ◆製作予算は1億5000万円が目標 (#5,2004年10月7日) | |
| ▼ 「ロード88」は、白血病の少女が生きている証を得るために、四国八十八ヵ所お遍路の旅に挑むロードムービー。残された日々を悔いなく生きようとする少女・明日香のひたむきな姿に、旅で出会った大人たちも癒され、再生していく姿を描くストーリーである。 ▼ 適合するドナーが見つからなければ余命わずか、と医師から宣告された明日香は無謀にもスケボーでお遍路の旅に出る。四国1400qを一周する旅は彼女にさまざまな出来事と出会いをもたらせた。 ▼ 芸を披露し、お金を稼ぎながら自転車で八十八ヵ所を巡るというテレビの企画に復活を賭けるお笑い芸人の勇太。犯罪に巻き込まれて帰郷し、偶然出会った明日香に亡き娘の姿を重ねる中年男の伴野。それぞれ苦悩を抱えた3人は旅を通じて心を通わせ、生きる勇気を得ていく。 ▼ 死の恐怖に耐えながら懸命に生きようとする明日香に、元人気漫才師の自尊心が邪魔して腐っていた勇太が新しい芸に目覚める。警察と犯罪組織から追われ、自殺を図ろうとしていた伴野は生き方を悔い改め、再生の道を探りはじめる。 ▼ しかし、明日香がお遍路に挑んだ理由は、幼い頃に生き別れた母に会うというもう一つの目的があった。 白血病の少女・明日香・・・・・村川絵梨(新人) 元人気漫才師・勇太・・・・・・小倉久寛 中年男・伴野・・・・・・・・・長谷川初範 ▼ 「ロード88」は尖った映画でも変化球の曲球映画でもない。泣きと笑いと感動の映画三大テーマを織り込んだ直球勝負の映画にしようと企画した作品である。1200年も前に弘法大師空海が拓いた苦行、危難の八十八ヵ所霊場を巡る話に小細工は無用と考えたからだ。 |
![]() ▼ さらに、重要なポイントになるのが般若心経の「色即是空 空即是色」についてだが、シナリオを創っていく過程で、「空」の偉大なる哲理に悩まされることになる。 ▼ 約束の日、弾む気持ちを抑えながらプロデューサーを訪ねた。 ▼ 話は具体的な予算からスケジュールに至るまでトントン拍子に進む。製作予算は1億5000万円が目標。状況によっては1億円でも可能。しかし、その会社が出せる資金は3000万円。あとは数社から募るが、その目安はあるとのこと。 ▼ シナリオに関しては概ねOKが出たが、数ヶ所の疑問点を指摘された。ようやく映画が実現できる入り口に立った。決定稿に向けて、いくつかのハードルを越えなくてはならないが、全身から闘志が湧いてきた。これまでの苦労は一遍に吹き飛んだ。 |
| ◆般若心経に苦闘 (#6,2004年10月14日) | |
| ▼ 「般若心経」の解説本を買って読んではみるがよく分からない。 ▼ 当然のことだが、にわか勉強で理解できるはずもなく、しばし頭を抱えて立往生してしまった。ドラマにどう反映させればいいのか方法論が分からない。 ▼ シナリオの中で、空海や般若心経に一切触れないでお遍路の話は成り立たない。しかし、どう織り込むかが問題だ。「ロード88」は開祖を讃える宗教映画ではない。仏教や空海の教えを説く必要はないが、だからといって避けては通れない。 ▼ 煩悩の中で生きている人々が、背負った悩みや苦しみをお遍路となって、四国八十八ヵ所を巡礼して何を得ようとしているのか。根幹に関わる重大なテーマが大きく立ち塞がったのである。 ▼ そもそも「色即是空」「空即是色」とはどういう意味なのか。 ▼ 直訳すれば、色即是空とは「形があるからこそ、実体がない」ということ。空即是色とは「実体がないからこそ、形がある」ということ。「形」とは物質的世界のことで、「空」とはすべての存在の原点、と解説されている。 ▼ 実体がないということは、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志も知識もない。目も耳も鼻もなく、心も、形もなく、あらゆる領域がない、ということ。あまりに哲学的過ぎて、俗世の私たち常人にはまったく分からない。 ▼ 般若心経の解説本を何冊も読んではみるが、分かったようで分からない。漠然と意味を理解しても、ドラマの中に具体的に反映させなければ意味がないのである。さり気なく自然に、かつ易しく表現できる方法はあるのだろうか。 ▼ 自我は無我だ(色即是空)。その無我こそ自己だ(空即是色)。という解説もあったが、ますます底無し沼でもがくような感じで、夢の中にも般若心経の読経が聞こえてきた。しばらくの間、この謎めいた文言に悩まされることになる。 |
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| ◆求道者としての明日香 (#7,2004年10月21日) | |
| ▼ 「般若心経」の般若とはバーリ語(南方仏教の聖典用語)でパンニャーといい、音訳して般若(知恵の意)と言う。この知恵を中心に説かれたお経が「般若心経」で、般若の心を学ぶということだ。 ▼ さて、その「心」だが、人間の心ほど掴みどころも、拠りどころもない矛盾と不条理の世界である。また蜃気楼のように実体が在るようで無い。しかし、無いとは言えない。在るようで無く、無いようで在るのが人間の心なのだ。 ▼ その心は「空」である。空とは現代人のもつ共通の悩みで、実体のない、ひたすら懐疑と無関心の間を揺れ動き、自己保身と自己弁護の鎧でガードする存在。 ▼ つまり、自己を冷静に、理性的に見つめることもなく、見直すこともできない虚しい存在であるならば、自我(エゴ)は無我でしかない。 ▼ だからこそ本質的な自己を見つけなければ、煩悩の渦の中で苦悩する我々が救われることはない、ということだ。現実の表層的な苦難の否定はニヒリズムに陥る。現実を素直に受け入る冷静なる寛容と知恵によって乗り越えなくては未来は開けない。せつなさや空しさからくる心の痛みに対する自覚。その痛みを認識できなければ人は救われないのだ。 ▼ 幼いとき生き別れになった母への恨み。白血病に冒された死の恐怖。神や仏にすがりたいと希求する気持ちをどうシナリオに反映しればいいのか。 |
![]() ![]() ▼ 主人公の明日香に、自分を見つめ直す試練を与え、本質的な自己に触れさせることで、弘法大師の大きなの世界が描けると、確かな手応えを感じた。やっと見い出した結論は、明日香は苦悩を背負った菩薩(求道者)になることだった。 ▼ つまり、お遍路しながら空海の導きによって自我から解放され、自由を獲得し、無意識的に超越できた存在として主人公の明日香を位置づけた。だからこそ明日香は未来に向かって再生できたのである。 |
| ◆明日香に菩薩を見いだす勇太 (#8,2004年10月28日) | |
| ▼ 人気漫才コンビ『ホタルゲンジ』が解散し、ひとり取り残された勇太は、仕事がなく自暴自棄の荒れた生活をしている。絶頂のころの贅沢な生活や、奢りと高慢さを捨てることができず、今や飛ぶ鳥も落とす勢いの人気タレントになっている昔の相方に、嫉みや恨みを抱えていた。 ▼ かつて勝者だったプライドを支えに虚勢を張っているのが勇太。しかし実体は、敗者の悲哀を隠しながら嘆きと苦悩の生活。過去の栄光が忘れられず、現在が見えない。現在が見えないから未来も見えない。自分を見失っているので、自らを見つめることも、見直すこともできない。 ▼ 見回せば多々あるケースである。バブル経済が破綻した後も、拝金主義者の亡霊たちは彷徨い、疲弊し、人間性を失っていく姿をたくさん見てきた。 ▼ 人気挽回のためのテレビ番組も、「二流の芸人がやる仕事」と投げやりな勇太を目覚ましてくれたのは他でもない、白血病の少女・明日香である。 ▼ 般若心経の中に「五蘊皆空(ごうんかいくう)という語句がある。この五蘊とは人間の心身を形成する五つの要素で、色(肉体)・受(感覚)・想(想念)・行(心の作用)・識(知識)の五つをいい、蘊は集まるという意味である。 ▼ 般若心経は、この五蘊もすべて「空」であると一刀両断で切り捨てる。我々の肉体も感受性も知識も自我も幻影にしか過ぎない。その「空」を後生大事に守っていても人々が救われることはなく、何の価値もない。 ▼ 真の価値や救いとは、「空」であることを実感し、自分の内なる世界を見つめ、自らをつくり、見い出ださなければ、価値を生み出すことも救われることもない。 ▼ 勇太は、明日香(菩薩)という存在に触れ合ったことで己れを見つめ直し、見失ったものを自覚するようになっていく。 |
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| ◆明日香を同行二人(どうぎょうににん)の心で励ます伴野 (#9,2004年11月4日) | |
| ▼ 経営が苦しい自動車修理工場の経営者・伴野は、裏組織と組んで盗難車を改造し販売をしていたが、娘が白血病で亡くなったこともあって、犯罪組織と手を切りたいと思っていた。すでに妻は長年の心労から亡くなっていた。 ▼ 伴野は、一人娘の死によって生きる気力もなく、妻子のいる世界へ自分も旅立ちたいと考えるようになっていた。愛する妻子の喪失からくる空虚感。深い悲しみと刹那地獄で苦しんでいた。 ▼ 自業自得とは言え、喪失感と寂寥感でいたたまれず、実家の墓に納骨したら自殺しようと、故郷の高知へ向かったのである。 ▼ 痴呆症の父親の面倒を見ながら細々と暮らしている妹も、離婚した夫の借金返済のため苦しい生活を強いられていた。 ▼ あるとき、伴野は町の食堂で明日香に出会ったことが切っ掛けで、お遍路に同行することになり、再生への道を探ることになる。 ▼ 「同行二人(どうぎょうににん)」とは弘法大師空海と一緒という意味で、すげ笠や白装束にも印されているが、別な意味もある。私たちの心の中には欲望と感情のままに揺れ動く自我と、本質的(本来的)な自己の二つの自分が存在している。これも同行二人である。 ▼ 自我の強さによって自己を見失えば、孤独や心の飢餓に襲われる。本来の自己を取り戻すことが真の自由と慈悲の世界にたどり着くことができる、と「般若の心」は説く。 ▼ 妻と娘に先立たれ、自らの生命を断ち切ろうとしている伴野は、娘と同じ白血病で死に直面している明日香に「生きるんだ」と励ます。自殺しようとしている人間が生への尊さを諭すのである。矛盾するようだが、そうではない。 ▼ まさに、伴野の中にある「同行二人」の本来の自己がそう言わせたのである。また、そのことによって伴野自身も目覚めたということである。 ▼ この世の森羅万象すべてが「空」であることを自覚し、素直に受け入れことで、未来への価値を自らが創りだす「般若の心」とは、そういうことなのだ。 ▼ 276文字が語る「般若心経」のほんの一部を噛った程度に過ぎないが、シナリオの方向性や人物設定はこうして決めていき、演出プランの前提にした。 |
![]() ![]() ![]() ![]() ロード88 のReview(映画評) Japan Times 2004-11-3 (写真提供:桑原政則 ) |
| ◆白血病を背負って未来への希望や勇気ある挑戦へ (#10,2004年11月11日) | |
| ▼ 白血病を扱った映画は過去に何本もある。大概の主人公は病魔に冒され死んでいく。観客の涙を誘い、ラストは悲劇で終わる。「ロード88」では絶対に主人公は死なせない、と最初から決めていた。 ▼ 確かに白血病は難病の一つだが、最近では骨髄バンクの活躍でドナー登録も増えて、多くの人の命が助かっていることも事実である。ドナー登録者が30万人になれば、もっと多くの人の命が救える。ちなみに現在の登録者数は約19万人だ。 ▼ この映画は、骨髄バンクのドナー登録者を増やすためのキャンペーン映画として企画した作品なので、主人公が死ぬことに違和感があった。元気に生還することでドナー登録が増えると確信して書いたシナリオである。 ▼ 観客に対して、白血病の悲劇性と同情を誘い、ドナー登録に協力を求める方法もある。しかし、元気に生還する主人公の姿に共感することでドナー登録の積極的な参加を願ったのである。 ▼ 前述したが、お遍路と白血病で死んでいく少女のストーリーでは、本当に暗くて重い悲しい映画になっていまう。未来への希望や勇気ある挑戦に、私たちの心が癒され、慈悲の心が生まれる。 ▼ 元気で聡明な少女が、一番札所の霊山寺から八十八番札所の大窪寺まで、スケートボードに乗って完走する。しかし、その少女は白血病に冒され余命僅か。5歳のときに生き別れた母親を慕って、最後の別れを告げにお遍路の旅を決意する。 ▼ ドラマの悲劇性は少女の死ではなく、少女の背負っているものに重点を置き、表面では気丈に明るく振る舞うことで、陰に隠れている苦悩や悲しみを浮き彫りにする構成にしたのである。 ▼ 自分を捨てたと母親を憎んでいた少女が、勇気を出して母親を訪ねるが、少女が我が子であることに気づかない。少女は失望感とショックで狼狽える。母親は再婚しており、腹違いの女の子がいた。しかし、少女は涙を堪えて耐えた。 ▼ 娘であることに気づかぬ母親に少女は、「頑張ってください」と告げて、その場を立ち去る。母親に抱いていた憎悪も何故か消えていた。生きて会えただけでも幸せと感じるようになっていた。 ▼ 現実を素直に見つめ、素直に受け入れる。その厳しい現実に憤ることもなく、感謝する心をもった少女。その少女が我が子と知った母親と八十八番札所で再会したとき、少女は「生んでくれてありがとう」と涙をこぼして感謝する。 ▼ 少女は八十八ヵ所霊場をお遍路する中で、「般若の心」を体現していた。と同時に少女と出会った人も、少女に導かれるように再生への道を探り当てるのである。 |
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| ◆脚本づくりは足で歩いて、目で確かめて (#11,2004年11月18日) | |
| ▼ 製作費が集まらず、2年間も徒労のときを過ごしていたが、突然降って湧いたように資金が集まり、制作準備は8月から。撮影は10月下旬に決定。撮影期間は約30日間。製作予算は1億3000万円。シナリオもほぼ固まり、メインスタッフが決まり、キャストが徐々に決まっていった。 ▼ まず最終稿を仕上げる前に、シナリオ・ハンティングで四国に入る。これまでのシナリオは、旅行雑誌やお遍路本を参考に書いていたが、この目で確認しながらのシナハンは実りが多い。実際の土地の距離感や、空気感、生活感などは、その場に立ってみるとイメージが随分と違う。改めてシナハンの大切さを実感した。 ▼ 共同脚本の梅村真也は、勤め先の会社を休んでの参加。まだプロのシナリオライターではなく、某テレビ制作会社の契約社員。彼は映像塾の卒業生だったが、在塾中のシナリオゼミから「ロード88」に参加している。 ▼ あれから3年間もこの映画に関わりをもち、稿を重ねること数十回。よく辛抱してここまで漕ぎ着けたと、感慨深いものがある。 ▼ そもそも「脚本」とは足の本と書く。足で歩いて、目で確かめて、状況や行動や心情をさまざまな角度から検証していく作業が大切である。短期間で四国四県を回る慌ただしいシナハンだったが、得たものは想像以上に大きい。 ▼ 真夏の強い日差しの中、朝から夕方まで寺巡り。それにしても四国は広い。全部の寺や町中を見るには時間や日数が足りない。結局、事前にチェックしておいた寺を中心に見て回り、ビデオカメラに撮るのだが、どの寺も同じような印象になって記憶が曖昧になっていく。 ▼ 駆け足で四県を回ったが、どの寺が何県で、どの町がどの県にあったか、ビデオと地図で確認しないと区別がつき難い。予算や撮影日程、俳優のスケジュールから検討して、空港や宿泊先から移動できる範囲は限られてくる。 ▼ 第一回目のシナハンは寺院と観光地を中心に、二回目はメイン・スタッフで編成し、シナリオで設定する生活空間を中心にロケハンした。各県のフィルム・コミッションや観光課の方々が案内してくれる場所はどうしても有名な観光地になる。 ▼ 生活の匂いのする雑多な場所は、車移動のときに偶然通りかかる寂れた町に興味がいってしまう。その場所で生活する人にとって何の変哲もない町の方が、我々にとって面白い空間なのである。 |
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| ◆撮影には臨機応変の対応も大切 (#12,2004年11月25日) | |
| ▼ ××寺近くの道、とシナリオに設定しても、その寺の近くの道が絵(画)になる場所とは限らない。監督やキャメラマンは画になる空間を必死で探す。 ▼ 従って、寺に直結する道路のように映っていても、実際は5キロも離れている場合がある。モンタージュすることで何の不思議も感じないが、その土地の人が見れば変だと思うかも知れない。 ▼ 「ロード88」でも高知県の設定にになっているが、実際は愛媛県で撮ったシーンが数ヶ所ある。当然はっきり場所が分からないように撮影するが、スケジュールや天候の関係で止むを得ない場合と、その方が映ったとき画になると判断する場合がある。 ▼ ロケハンでいい場所を探しても諸般の事情で撮れない場合は、その場所に似たところやそこに代わる場所を探して撮影する。止むを得ない事情で撮った場所が、たまたま夕陽が美しく、計算以上の効果をもたらすこともある。 ▼ 今回の映画でも朝から霧がかかり、撮影を中止にすべきかどうか制作部と助監督が結論を出せず悩んでいたときがあった。私は撮影を強行するように指示したのである。その日予定のシーンは霧の中でも成り立つシーンである。むしろ、その方が雰囲気が出て面白い。さらに、滅多に本物の霧の中で撮影できるチャンスはない、と判断したからだ。 ▼ ロケハンのときとまったく違う情景だったがシナリオをその場で直し、霧が漂う情景を取り込んだシーンに変更。結果は、充分に納得いく画が撮れたのである。 ▼ 「ロード88」は23日間でお遍路するという設定になっている。雨の日や夕景の設定はシナリオにあったが、霧の日の設定はなかった。霧のシーンが入ることで雰囲気が出て画が広がったのである。 ▼ シナハンやロケハンの大切さと同時に、撮影時の状況によって臨機応変に対応するテクニックも大事なのである。 |
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| ◆絶妙だった三宅裕司のシナリオ変更 (#13,2004年12月2日) | |
| ▼ シナハンやロケハンの結果、最終稿へ向けて部分改稿をするが、変更ヵ所は撮影場所や日程調整によるものだけではない。 ▼ シナリオのイメージからキャスティングするのが本来なのだが、出演可能な俳優は一番手から三番手くらいの候補をあげる中で、必ずしも本命の俳優が出演するわけではない。ある役がA俳優ならば、相手はB女優よりもC女優の方がぴったりくる場合とか、A俳優スケジュールが合わず、別の役に回って貰う場合もある。 ▼ 出演料が折り合わない場合もある。共演者が気に入らず、俳優の変更を要求する場合もある。ときには、シナリオの台詞変更を条件に出演を承諾する俳優もいる。 ▼ その都度、プロデューサーやキャスティング担当が交渉し、妥協点を見出だして出演者が決まっていく。今回は三宅裕司(特別出演)が演じる交番のシーンで、台詞の変更を要望してきた。 ▼ スーパー・エキセントリック・シアターの主宰者である三宅氏はコメディを得意とする演出家兼俳優である。その三宅氏がシナリオの台詞をベースに面白いギャグを東京からファックスしてきた。愛媛のホテルで原稿を読んで、私は思わず吹き出した。ほんの短い台詞だが、やり取りが抜群に面白い。 ▼ 交番のシーンは現場で考えることになっていたが、何本もレギュラーを抱え超多忙にかかわらず、出番の数日前にきっちり台詞を決めてきたのである。改めて笑いはセンスだな、と脱帽したが、他の共演者もシナリオにない面白いアクションで応じたのである。台詞で笑わすギャグと、動きで笑わすギャクが上手く噛み合い、絶妙なシーンに生まれ変わったのだ。 ▼ 俳優は自分の役だけ突出して目立ってもよくない。シナリオ全体の中で柔と剛、静と動のバランスが重要であり、当然演出する側もその匙加減を誤ると悲惨な結果になる。 ▼ 今回のような映画の「笑い」は本当に難しい。基本的にはコメディーではない。重くて暗いテーマを抱えながら、それを前面に押し出さず、明るく軽快にドラマを進行させ感動にもっていく映画である。 ▼ 笑顔の裏にある悲しさ。悲しみの先にある喜び。「笑い」が媒介しながら人間の本来的な生き方や慈愛や歓喜を感じさせるために、どんな演出法がいいのか。その匙加減が大変に難しい。表裏のバランスがよくないと失敗する。 ▼ 白血病の少女は死の恐怖を忘れるために必死の笑い。落ちぶれ芸人は笑えないから歪んだ笑い。嘘の笑い、無邪気な笑い、冷酷な笑い、苦痛の笑い、狂気の笑いなど、「笑い」が見せる表情や心情は幅が広く、奥が深い。 |
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| ◆ロード88 の写真集 その1 (#14,2004年12月9日) | |
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| ◆ロード88 の写真集 その2 (#15,2004年12月16日) | |
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| ◆ロード88 の写真集 その3 (#16,2004年12月23日) | |
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| ◆ロード88 の写真集 その4 最終回 (#17,2004年12月30日) | |
| ▼ (中村幻児監督は、現在 日中合作映画を撮影中です。撮影後にまたコラムをおねがいします。桑原政則) ![]() ![]() ![]() ![]() |
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