新潟県のページです。
新潟を歩く 桑原政則のブログ
(2000年11月)
長岡市は東京駅から新幹線で100分です。金曜日は東京から長岡の自宅へ帰る乗客で新幹線は座れません。人口は微増中で20万です。1961年地下水利用による全国初の無雪都市となりました。
戊辰戦争(1868)で河合継之助(つぐのすけ)が武装中立を守ったがために、薩長に街を徹底的に破壊されました。第2次大戦でも山本五十六の出身地のせいか空襲にあい、全焼しました。
長岡では継之助(つぐのすけ)の評価は相半ばしております。
長岡人は、新発田市(しばた)の人との結婚を今でも許しません。戊辰戦争で長岡藩を裏切ったからです。小学校の修学旅行は今でも当時同盟関係にあった隣の会津だとのことです。このことを調べたくて、司馬遼太郎の『峠』(新潮社、上下1302ページ)を忙中読み返しました。…。ありました。下巻の546ページです。長岡藩と同盟関係にあった新発田の藩が土壇場で薩長の手引きをし、そのために長岡藩の敗戦が決定的になったとのくだりです。
(2000年11月)
長岡は質実剛健の気風で知られています。戊辰戦争の戦火で、長岡は廃虚と化しました。藩士たちは、 食うや食わずの生活をおくっていました。長岡藩の窮乏を見かねてある藩から救援米百俵が贈られてきました。
小林虎三郎は「この百俵の米は文武両道に必要な学校の設立にあてる」と言い、新生長岡のため、百俵の米を売却しました。この故事は山本有三の戯曲『米百俵』により知られることになりました。英訳もでています。長岡には、「米百俵 」の精神は今に脈々として生き続けております。
(2000年11月)
五十六(いそろく)は父が56歳のとき生まれました。日本、ドイツ、イタリアの三国同盟に最後まで反対し続けました。連合艦隊司令長官として太平洋戦争の指揮をとり、搭乗機を撃墜されて戦死しました。
五十六は、石油の重要性に開眼し、ワシントンの日本大使館に駐在しているあいだ石油問題に取り組み、メキシコまで油田の調査に出かけました。
戦場におもむいた若人をうたった歌です。
「益荒男(ますらお)の行くてふ道を ゆききわめ わが若人ら 遂にかへらず」
長岡は田中角栄の選挙地盤でした。角栄も五十六を習ってか、輸送、燃料の重要性に気づき、アメリカのみに頼っているのは危険だと、ソ連のウランにも目をつけました。これがアメリカの逆鱗に触れ、ロッキード事件を意図的におこされつぶされました。
雪国の人は輸送手段の確保に心を配ります。佐川急便の創始者佐川清も新潟県生まれです。
(2000年11月)
新潟市の人口は日本海岸最大で80万人です。県民の3人に1人は新潟市民ということになります。
新潟市は国際都市でもあります。東港は、北朝鮮の船を唯一受け入れている港です。墓石を満載してきます。この墓石なしで日本では墓石産業はなりたちません。
東港はまたロシアの船でいっぱいです。シベリアから大きな原木、天然ガスを運んできます。 アエロフロートは、新潟からハバロフスク、 イルクーツク、 ウラジオストクへ直行便を出しています。
新潟市は大阪に次いでコリアンが多い町です。韓国領事館があります。大韓航空が週4日ソウルへ飛んでいます。 飲屋街ではコリアンやロシア人の女性が働いている姿をみかけます。
(2000年11月)(2006年4月18日)
「新潟市郷土資料館」(いまは閉館)に入りました。背丈ほどの竹をたてに割り、乾燥させて文字を記したものを「柱かけ」といいますが、それが新潟県指定文化財になっておりました。次のようなことが昔のことばでかかれてありました。
「用事があっても早く起きるようなことはするな。
暇があってもこつこつ働くようなことをするな。
金は恋のために使い、宝は酒に使え。…」
そうです。地元の人にいわせると、新潟市はあそぶ街です。飲み屋が3000軒あります。それも市内一円どこにでもあります。町中が歓楽街です。1坪空き地があったら、新潟市民は飲み屋を始めます。
「杉の木と男は新潟では育たない」といわれます。米がうまく、魚が新鮮で、酒が上等で、女性が従順でつくすので、男は飲んで遊んでふぬけになるからです。天領だったせいで、お上まかせでのんきな土地柄です。『堕落論』(新潮文庫 ) の著者 坂口安吾はこの地の人です。
小沢昭一に『美人諸国ばなし』(新潮文庫 ) があります。美人は日本海側では、秋田、新潟、石川、京都、島根と県を一つおきにとびこえて生まれます。新潟美人は、信濃川、阿賀野川という川のきれいな水で育つのでしょう。水が化粧水となるからでしょう。そういえば、美人の産地は、きれいな水を必要とする織物の町でもあります。
新潟市には、芸子専門学校があり、いま80人が学んでいるそうです。新潟の女性は口が堅いので、芸子に最適とのことです。
新潟市のうわさ Chakuwiki
(2000年11月)
新潟市はカミとシモに別れています。ことばも違うと地元の人は言います。神社に向かう道を「通り」といい、、横に走る走る道はどんなに広くて立派でも「小路」といいます。
古町(ふるまち)が銀座です。江戸時代に江戸の吉原、京都の祇園につぐ指折りの歓楽街でした。「新潟ブルース」に万代(ばんだい)橋とともにうたわれています。
新潟市には雪はそれほど降りません。佐渡島が屏風(びょうぶ)になってくれてるからです。とはいえ年25億円の除雪費用を計上しているそうです。
(2000年11月)
新潟市の銀座にあたる古町(ふるまち)で「どんどん」というお祭りをやっていました。屋台のそばと焼き鳥がおいしかったので、たずねたら、黒川村役場からの出張サービスだとのこと、早速黒川村へでかけることにしました。
新潟駅から南イリノイ大学のある中条(なかじょう)まで列車で1時間北上し、中条駅からバスで1時間乗りました。日本一豊かな村だそうです。若い人も多く過疎問題がありません。
伊藤孝次郎さんは1955年より村長をしています。75歳で海軍経理出身だそうです。採用辞令を渡した新入りの役場職員が今では退職する年齢に達しています。 (^^ゞ
30年間にわたり役場職員を1年間ヨーロッパの酪農場などの施設に派遣しています。外にでて日本をみ、自分の村をみるようにとの材育成計画からです。
黒川村や役場にはひっきりなしに見学者が訪れます。村長に翌日会いに出かけましたが、アポをとるのに2ヶ月かかるとのことでした。役場職員は民間発想で腰が低いです。帰りがけに村役場の玄関をみたら「今日の視察団予定」の看板がかかっていました。
胎内(たいない)パークホテルにとまりました。1,2階が農林水産省の研修機関で、3,4階が国民宿舎です。公共機関からの補助をうまくつかってホテルを経営しているわけです。10年前から県外ナンバーの車も多くなりました。
事業はほとんどが村営です。以下のようなことがセールスポイントです。
4冊本の『黒川村村誌』が出版されています。
(2006年4月23日)黒川村は、いまは胎内市となっています。
(2006年4月25日)
佐渡島は全島で佐渡市となりました。本土から35キロのところにあります。新潟港から両津(りょうつ)港までジェットフォイル(高速水中翼船)で1時間で行くことができます。1601年に相川の金山が開発され、江戸幕府の直轄領となりました。順徳天皇、日蓮、世阿弥などの流刑地でもあります。観光は、流人文化史跡、鉱山遺跡、海岸景勝地からなっています。
佐渡島 佐渡汽船
(2006年4月27日)
湯沢はリゾートマンション密集地で、一時は東京都湯沢町と言われるまでにマンションが乱立しました。観光客は最盛時は1200万人でしたが、2005年には600万に減少しました。東京から新幹線で90分です。川端康成の小説『雪国』の舞台として有名です。
湯沢は、新潟県中越地震 の風評被害 で観光客が大幅減少しました。地震の時の震度は4という軽度で被害はありませんでした。観光客は7割減となり、大きなホテルも倒産しました。しかしマスコミは連日不通箇所を新潟ー湯沢と放送室続けました。人々は湯沢も地震の被害にあったのだと思いこみ、湯沢への旅を中止したのでした。
湯沢町と新潟県は湯沢町を冬のディズニーランドにしようとしています。ターゲットには韓国、中国、台湾などの観光客も含んでいます。ルートは、新潟空港→ 新潟市→ 湯沢→ 東京ディズニーランド→ 成田空港です。湯沢には30以上のゲレンデがあるので、ゲレンデごとにマスコットやイメージキャラクタを変え、一種の雪のディズニーランドにしようというわけです。
湯沢は群馬県と長野県の県境にぐんと半島のように下に突き出た地域で、新潟県の最南端に位置します。東京から行くと、新潟県の玄関が湯沢です。
コシヒカリは、谷川連峰の雪解け水と養分たっぷりの土壌に、魚沼盆地独特の昼夜の気温差によって生まれます。
人口9000人ですが、他の市町村とは合併をしません。
リンク集はこの上、「アクティビティ」を参照してください。