コラム:沖縄を歩く #1

コラム:沖縄を歩く #1の目次です。   沖縄を歩く 総目次  

はじめに

  1. 2002年12月、石垣島を初訪問しました。那覇から日本トランスオーシャン航空(JTA=Japan TransOcean Air)で1時間です。沖縄本島とは東京ー三重県ほど離れています。最近まで島民には交通手段は小舟しかなく、ために沖縄本島とは、言葉も文化も隔たったものがあります。
  2. この隔たりを表すには、ことばでは不充分で、どうしても画像の助けが必要だと感じ、石垣市についたその晩に、覚えず第1稿を携帯電話を使ってインターネット上にアップロードしました。こうして誕生したのが八重山列島をはじめとする「沖縄を歩く」です。

おわりに

このコラムには、思い過ごし、誤解があると思います。また、失礼の段は、ご海容願えれば幸甚です。ウチナンチュー、シマナイチャー、ヤマトの方々からのご指摘、ご教導を、お待ちします。ホームページ作成に当たり、多方面のみなさまの画像を参照しました。参照した画像については画像下にURLを示し、以下のメールを関係者にお送りしました。年月がたつに従い、書式、書き方がちがい、矛盾するところもありますが、あえてそのままにしました。

-----画像転載について(文例)
画像転載のおねがい

「突然のメールで失礼いたします。桑原政則と申します。リンクを貼らせていただき、画像を 転載させていただきました。もしご迷惑なようでしたら、メールをいただけますでしょうか。削除させていただきます。
桑原政則のホームページは右です。 http://www.aoikuma.com/

リンクのページは右です。 http://www.aoikuma.com/onkangaepg.htm                                             

よろしくお願い申し上げます。     

(In English)

This is a letter to ask your permission to use your map or picture for my webpage.  If this is a problem, please contact me.  I will delete it from my site.  Thank you in advance.

 http://www.aoikuma.com/
                                                        

 2002年11月 桑原政則  
ご意見→kuwabaramasanoriABCDE@nifty.com (ABCDEを削除して送信してください。迷惑メール対策です。)

 

◆人は沖縄で、なぜほっとする?  :ユッタリ文化    (#0023, 2003年01月)
 

沖縄文化は、東南アジア、中国、日本とのチャンプルー(ごったまぜ)文化 です。

チャンプルー(ごったまぜ)文化の中で、強いのが東南アジア文化要素です。

沖縄は、日本でただ一人亜熱帯圏文化圏にあり、東南アジアとの交流も深く、風俗にしても、食べ物にしても、人にしても東南アジアと似通うものが多く見かけられます。

海も空も川も土といった自然も身近にあります。

一口で言うと、ヤマトのキチキチ文化に対して、東南アジア、沖縄はユッタリ文化です。

ヤマトから沖縄におりたつと、なぜかほっとするのは、このためでしょう。ユッタリ生きるのが、豊かでしあわせな生活なのだと実感されます。

やさしい文化とやさしい人に、人はいやされます。沖縄の優位性は「いやし」にあります。「灯台もと暗し」で、地元はいいところに気づきにくいものです。沖縄は、イヤシ文化をもっと大事にした方がいいでしょう。

 

沖縄文化は、東南アジア、中国、日本とのチャンプルー(ごったまぜ)文化 

プロトとは「原」のことです。ゲンは「現」「元」も想起させ誤解を招きやすいので、プロト(proto)としました。

沖縄にエキゾチシズムを感じるのは、東南アジア要素が豊富でもあるからです。


「強みの上に築け!」(ドラッカー、『経営者の条件』ダイヤモンド社)

「成果を上げるには、利用できるかぎりの強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自分自身の強み、を使わなければならない。強みこそが機会である。強みを生かすことが、組織の特有の目的である」。

この強みは、自分ではなかなかわからないことが多いようです。人からいわれて、またよそへ出かけてみて自分の強みがわかるものです。

また長所はどんどん伸ばしても、短所は直そうとしないでそのままにしておいた方がいい場合もあります。沖縄もその良さである人間にやさしい風土を生かし続けてもらいたいものです。

◆沖縄人の移住ルートは、九州→ 奄美→久高島 (#0022, 2002年12月)


琉球開闢(かいびゃく)の神は、アマミキョです。奄美大島(アマミオオシマ)の人々も自分たちをアマミキョの子孫だと称しています。アマミとは海部(アマベ)の変化形です。キョは人のことです。海人(海の人)をウミンチュといいますが、キョとチュは同根です。アマミキョは、「海部(アマベ)の人」のことです。

大分県に北海部(キタアマベ)郡、南海部(ミナミアマベ)郡があります。

*<追記>北海部(キタアマベ)郡は大分市に、南海部(ミナミアマベ)郡は佐伯市に合併しました。2005年9月

『おもろ』(沖縄の万葉集)によると、久高島(クダカジマ)、知念村(チネンソン)の順に国王が行幸したとあり、アマミキョの人々は、奄美大島を経て、久高島(クダカジマ)、知念村に上陸したと推測されます。

*沖縄では、市町村の村はソンとよびます。

沖縄人は、奄美大島→ 久高島(クダカジマ)→ 知念村を経て、その後、玉城村(タマグスクソン)にグスクを築いてそのなかに居を構えました。

グスクとは、御スクのことです。スクはヤマトでは、シキです。シは住む、キは囲いの中のことで、城壁のある高いところのことです。敷島といえば、奈良県の天皇の宮のあったところで、今では日本の別称です。

知念村(チネンソン)の近くに佐敷町(サシキチョウ)があります。「狭シキ」が語源で、土地が狭いグスクということでしょう。

cf.
伊波普猷『古琉球』岩波書店

比嘉 康雄『日本人の魂の原郷  沖縄久高島』 集英社新書、2000

岡本太郎『沖縄文化論―忘れられた日本』中公文庫、1996


*久高島は、12年に一度の大祭「イザイホー」で有名です。
久高島【画像】

 

アマミキョは、奄美大島をへて久高島(クダカジマ)に

 

アマミキョは、久高島(クダカジマ)から、知念村(チネンソン)に上陸し、玉城村(タマグスクソン)におちつく

◆中国領になっている尖閣諸島        (#0021, 2002年12月)
 

2002年12月26日、オレゴン州の卸売りスーパーコストコー(COSTCO)を訪れました。地球儀が山積みになっていました。尖閣列島をさがしたら、尖閣列島の中心島の魚釣島(うおつりとう)が、Diao Yu Daoと中国領になっていました。

「中国が不法に日本周辺の大陸棚調査を急いでいるのは、中国の大陸棚として認めさせるには二〇〇九年までに海底の地質調査のデータをそろえて国連大陸棚画定委員会に申請し、勧告を受ける必要があるからである。

したがって、日本は全力を傾注して中国艦船による日本の経済水域の侵犯を阻止すべきである。」(名渡山兼治、『琉球新報』2002年12月3日)

政府が施政権の行使をおこたり、毅然とした姿勢をとらずにいると、かえって隣国とのあいだに将来に禍根を多く残すことになるでしょう。

日本海が「東海」に

1992年、旧知の先生をソウルの大学の研究室に訪ねました。うしろの韓国製の地図では、日本海が「東海」と記されていることを知らされました。


*日本海呼称問題について

*「日本政府は、魚釣島、北小島、南小島の三島の民有地を借り上げていたことがわかった。領有権に毅然たる姿勢を示すためと思われる」(沖縄タイムス2003−1−3)

コストコーに山積みの地球儀

石版を貼り付けた手製で150ドル。中国製

魚釣島がDiao Yu Daoに

この地球儀では魚釣島は、Diao Yu Dao(釣魚島)となっており、中国領土です。アメリカで世界で大量販売されています。既成事実の積み重ねがおこなわれている1例証でしょう。

沖縄が「Ryukyu」、つまり日本領になっていません。

◆尖閣諸島の重要性       (#0020, 2002年12月)

排他的経済水域とは、日本が自らの意志で石油などの海底資源や漁業資源などを管理できる範囲で、陸から200海里(370km)の範囲を結んだ線の内側をいいます。この領海内では、外国船舶を拿捕(だほ)できます。

日本は、排他的経済水域(EEZ)では世界で6番目に大きい国です。日本周辺の大陸棚は、ガス、原油、マンガン、コバルトなどの宝庫といわれています。

日本の排他的経済水域(EEZ)

ライトブルーの部分。濃いブルーは領海
www.thr.mlit.go.jp/.../river-hp/ kasen/study/umi/umi04.html


1960年代になり、海底石油の探鉱技術は飛躍的な発 展を遂げ、領海権が問題になってきました。

1997年ごろから中国は地震探測船を釣魚島沿岸に派遣し、98年に は井戸の試削をおこないました。中国は日本の許可なしに日本の水域で、資源探査をおこなっています。

2000年だけでも、1500隻以上の中国艦船が、排他的経済水域を侵犯しました。



日本の水域近くの中国の平湖油田

天然ガスがここからパイプラインで上海に送られています。
http://www.chunichi.co.jp/ anpo/0809.html

*尖閣諸島の領有権についての基本見解 外務省

(「自衛隊を誘致したい与那国島」の一部を改稿しました。)

尖閣列島の位置

尖閣列島は、石垣市に属します。

 


中心島は下の魚釣島(ウオツリトウ)。 第十一管区海上保安本部   

尖閣列島の島々

魚釣島(ウオツリトウ)、久場島(クバジマ)、大正島(タイショウトウ)、北小島(キタコジマ)、南小島(ミナミコジマ)

*尖閣諸島第十一管区海上保安本部  

古賀辰四郎の碑文。石垣港にて

1896年、古賀辰四郎は、尖閣列島開拓の認可を受け、大正の中ごろまでカツオブシ工場を操業していました。碑文には「戦後古賀家の遺産は遺言により、埼玉県の実業家栗原國起がこれを継承」とあります。現在、魚釣島の持ち主は、埼玉県の栗原和子さんです。

*
石垣市や沖縄県庁のページには、尖閣列島の重要性についてのくわしいページがないようです。台湾、中国と仲良くしたいとの思いからでしょう。日本政府の毅然とした態度が必要です。

◆離婚率ナンバーワンをほこる沖縄        (#0019, 2002年12月)


沖縄の離婚率はこの16年間、全国一です。沖縄には、東南アジア要素が多分にあることを考えると、不思議ではありません。

1963年、峰島丸という貨物船で訪越しました。買い物、食事にしょっちゅうベン・タイン市場を訪れました。

そのうち中央市場で働いているのは、女性ばかりであることに気がつきました。男たちは、市場のまわりでとぐろを組んで、将棋やばくちをして遊んでいました。

夫婦げんかを実見しましたが、妻が夫を家から路上に連れだし、大声でわめき散らしていました。道行く人たちに夫が悪いことを見てもらうためでしょう。

ベトナムでは女性がしっかりしています。ベトナム女性と結婚した日本人は、ベトナム恐妻会をつくってひっそりと暮らしています。

行政が自分を守ってくれず、男もあてにならない農業社会では、女は強くなるものです。

*近藤紘一『サイゴンから来た妻と娘 』(文春文庫)にベトナム女性のしたたかさがたっぷりと描かれています。

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 沖縄では、男ではなく女が地縁・血縁ネットワークを仕切っています。女に経済力がつくと、夫へのガマン度は下がり、離婚率は上がるものです。

ヤマトのキチキチ文化に対して、沖縄や東南アジアはユッタリ文化です。沖縄は、離婚率も失業率も全国一ですが、離婚しても失業してもあっけらかんとしているように見えます。

石垣市の公設市場前

ボクシングの元世界チャンピオン具志堅用高の母親がはたらいていたところです。沖縄は、食べ物も市場も、極彩色(ごくししょく)で、ベトナムなどの東南アジアとよく似ています。

ホーチミン市のベン・タイン市場

敷地は1万u。生きた鶏やアヒル・生肉・魚介類、野菜、雑貨、家電、食器、化粧品、貴金属、花、食堂がそろっています。

 

ベン・タイン市場の果物屋コーナー

*ベトナムに関する必読文献

司馬遼太郎『人間の集団について―ベトナムから考える』中公文庫。
桑原武夫激賞の第1級文明論です。

 

 

*沖縄のオバァ

上の商品の写真をとらせてもらったら、女主人はお礼だといって大きなドラゴン・フルーツを2つくださいました。

すると、近くの途上でぶらぶらしていた中年男性が、「家内の写真もとってあげてくれ」と言い寄ってきました。それが、左の写真です。2002年12月1日は、日曜日で市場は休みでしたが、路上でがんばっていました。

*沖縄のオバァについての本

『沖縄オバァ烈伝』双葉社、2000 

『続・沖縄オバァ烈伝 オバァの喝!』双葉社、2001

◆沖縄に残る古い和語:  東風(こち)    ( #0018, 2002年12月)

901年、九州に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)は、次の有名な歌をよみました。

    東風(こち)ふかば、

      匂いおこせよ梅の花、

    主(あるじ)なしとて春な、わすれそ


意味は次の通りです。

京の都の梅の花よ、東の風が吹いて春が来たら、その香りを遠く離れた九州の私の元まで届けておくれ。
主人が居なくなったからといって、春を忘れてはいけません。(そして花を咲かさなくなってはいけませんよ。)

この東風(こち)という古語は、沖縄に残っています。

沖縄本島の南部にある東風平(コチンダ)がそれです。東風が吹く地域という意味でしょう。方向の東を意味するならば、アガリ原とでもなっていたはずですから。

辺境から世界がよく見えると言いますが、沖縄を通して日本の古い姿を確認できます。

 

菅原道真リンク集 

菅原道真公・年表

 

天神様、学問の神様  菅原道真(すがわらのみちざね)
www.butsuzou.com/jiten/ tenjin.html

 

東風平の位置は、「 西原町は、「にし原町」にした方がよい」の項を参照してください。

《Memo》

菅原道真と怨霊(おんりょう)信仰

日本社会は、外国との戦争をほとんど経験しておらず、離れ小島の農耕社会であるので、古い習慣を多く残しています。怨霊( revengeful ghost) 信仰もそうです。

神社にまつられている神は、うらみをのんで死んでいった人が多いです。

道真を朝廷から追放した藤原時平は39歳で死に、保明(やすあきら)親王も21歳でなくなり、国内は飢饉疫病が続きました。

天皇は、これは道真の怨霊の仕業と考え、怨霊を鎮めるために北野神社をつくりました。

 
◆西原町は、「ニシ原町」にしては?     (#0017, 2002年12月)


沖縄ではニシは、北のことです。「ニシ原」は首里王府、那覇の北の方角にあるので、その名がつきました。

ここで北とは、民俗方位(=沖縄の生活方位)のことで、磁石の方位では北東のことです。冬は北東の季節風が吹くので、北東が<北>になりました。冬の吹きはじめの風をミーニシ(新北風)といいますが、北東の風です。

地図から、ニシハラは、那覇の北東にあることがわかります。

夏は南西の季節風が吹くので、南西が<南>になりました。夏の盛りの風をマハエ(真南風)といいますが、南西の風です。沖縄の家は、南西を正面にして、建てられています。

ニシハラには、まずいことに西原という漢字をあててしまいました。「ニシ原」に改名したほうが、実状にあっています。「ニシ」なら、「ああ、カタカナだから沖縄の古語なんだな」との連想がききますから。

先日、西原町出身の大学生に会いました。大学で沖縄県人会会長をしています。私が「ニシハラは"西の原"と書くけど、意味は北の原だよね」と言いましたが、初耳だとのことでした。地名を無理矢理にあて漢字で表すのは、考えものです。

*西原町の沿革 西原町役場

*真南風(まはえ)プラス沖縄観光情報 Webサイト。(財)沖縄観光コンベンションビューロー



<まとめ>
  • 「にし原」は首都の<北>にある所という意味

  • 沖縄での生活方位の<北>は、実際は北東のこと

  • 南風原(ハエバル)は南風の吹く原、東風平(コチンダ)は、東風の吹く平という意味です。

(地図はFLand-Aleを加工。メルカトル図法)

 

 


* 漢字漸減論

漢字文化圏からはたいしてノーベル賞を出していません。漢字交じりの文は早く読めると言いますが、なくても慣れれば速く読めるものです。 

英語でもインド語でもインドネシア語でもドイツ語でも、漢字交じりの文と同様に、斜め読み、速読ができます。漢字は徐々に100年計画、1000年計画で廃止すべきです。

韓国も北朝鮮もベトナムも廃止しました。 人間は保守的で、大学生に漢字の漸減論を言いますと、反対します。一度築いたものはこわしたくないようです。

「美(ちゅ)ら島」などはいけません。沖縄の子供に余分な負担をあたえるだけです。

また、このように「あて漢字」をふやすと、漢字が疲れ切ってしまいます。中国では読みは一通りしかありません。韓国、ベトナムでもそうです。日本では「生」は20通り以上ものよみがあります。訓はひらがなにしましょう。

「挨拶」の「挨」も「拶」も訓読み(=意味)がわからないので、アイサツと書いても抵抗がなくなり、いずれ「挨拶」という漢字を追放できるようになります。

「西」とは、イニシ(去)で、出発点のこと    (#0016, 2002年12月)


琉球語を含む日本語では、「ニシ」とは、イニシ
()のことで、去った所を指します。

日本人は大陸を去って、日に向かって、つまりヒンガシ(日向→)に進みました。

琉球人はその昔、九州を去って、南に向かいました。沖縄ではニシが北を意味するのは、北の九州を去ったからです。

言語学者 金沢庄三郎は沖縄民族南漸(なんぜん)説をとなえました。柳田国男は日本民族北上説をとなえましたが、この方角考からは、金沢庄三郎に軍配があがります。

cf.
関係コラム:沖縄人の移住ルートは、九州→ 奄美→久高島

 <Memo>
そういえば、イニシエとは、「昔」のことです。

 


ニシとは、イニシ所=去ったところ=出発点のこと

日本人は西からきて、沖縄人は北から来たことが上からわかります。沖縄のニシは、実際には北東です。
(FLand-Aleを加工。メルカトル図法)

◆西表は、なぜイリオモテと読む?        (#0015, 2002年12月)


沖縄では、
 東、西を、 アガリ、イリ
とよびます。

したがって、西表はイリオモテです。太陽が西に入って沈むので、西はイリです。

*西表島オールリンク集

*東は、太陽があがってくる方向なので、アガリです。東江は、アガリエと読みます。




西表島(イリオモテジマ)

沖縄本島に次いで2番目に大きい島です。島全体がジャングルでおおわれ、多雨多湿なので、イリオモテヤマネコなどの動植物の宝庫です。
www1.ocn.ne.jp/~umihe/ iriomotekankou4.htm

鬱蒼(うっそう)としたジャングルにおおわれている西表島

village.infoweb.ne.jp/~takkuns/ tipsyaeyama.htm

西表島だけに住むイリオモテヤマネコ

www.asahi-net.or.jp/~dp7a-tnkw/ yamaneko.html


◆自衛隊を誘致したい与那国島      (#0014, 2002年12月)

  

与那国島の位置


1972年、沖縄は日本に復帰しました。翌1973年、与那国町議会は政府に、「与那国島に自衛隊を配備する」よう要請しました。今から30年も前のことです。それ以降くり返し陳情していますが、政府は与那国島への配備を見送っています。

*与那国などの先島(さきしま)では、沖縄本島とちがい、日本軍へのアレルギーがすくないです。



2002年4月、与那国町長は「有事関連法案は当たり前のことで、遅きに失した」と述べました。武力攻撃事態へ対処しようとする有事関連法案は、沖縄県民の神経を逆なでするものと、一般には考えられています。しかし、与那国では有事関連法案をほしくてたまりません。


与那国島から台湾までわずか110キロあまりです。中国は台湾に向けて350基以上のミサイルを配備しています。台湾有事のさいには与那国島も、巻き込まれることになるでしょう。


1996年の台湾海峡危機に際し、中国は与那国島からわずか60キロの漁場にミサイルを撃ち込みました。


与那国島の空半分は台湾のものです。与那国島を東経123(イチ・ニ・サン)度線が縦断しています。123度線から左側は台湾の防空識別圏(ADIZ)になっています。自衛隊機などは、台湾側からしばしばスクランブル(緊急発進)をかけられるといいます。

*ADIZ =Air Defense Identification Zone 防空識別圏

123度線より左は台湾の防空識別圏(ADIZ)http//www.pref.okinawa.jp/airport/index/
yn/yonaguni00.htm


<Memo>
背筋が寒くなる与那国空港の実状です。 ↓

離着陸は台湾の管制下です。2000メートルは必要な滑走路が1500メートルしかありません。燃料補給施設もなく、引き返しができません。南風による強い乱気流が発生します。しかし管制通信官はいません。

与那国空港へのジェット機就航計画について(緊急の要請) 日本乗員組合連絡会議



与那国空港は、日本のではなくて台湾の防空識別圏にあるのです。管制通信官はいなくて、那覇からのリモコンに頼っています。距離的には、三重県の飛行場が羽田の管制に頼っているようなものです。

燃料補給施設もないので途中で引き返すこともできません。与那国町は再三、国に見直しを要請していますが、壁は厚くなしのつぶてです。

台湾のクリアランス船でうるおう石垣島   (#0013, 2002年12月)


台湾ー中国間の貿易は、国交がないので、石垣港経由でおこなわれています。石垣港を利用するクリアランス船は2001年には2000隻以上を数えています。クリアランス船とは、沖合に停泊し書類だけの通関手続きをする船のことをいいます。

*クリアランス(clearance)とは、「通関手続, 出入港許可」のことです。

しかし、年間2億円以上にものぼるこの棚ぼた財源も、中国と台湾がWTOに加盟したことで 、将来消滅するおそれがあります。

密入出国もクリアランス船を介しておこなわれることがあり、1993年には、中国の福建省から、石垣港、台湾を結ぶルートが摘発されました。

cf.

中嶋博行『第一級殺人弁護』講談社、1999
中国密入国者をあつかうスネークヘッドとクリアランス船の関係について。

莫邦富 『蛇頭 スネークヘッド』 新潮文庫、1999。生々しい密航の実態


石垣港沖合のクリアランス船。2003年1月

台湾ー石垣ー中国ルート


密航事犯発生状況   (第十一管区海上保安本部)
◆八重山列島は、南西諸島>琉球諸島>先島(さきしま)諸島にある (#0012, 2002年12月)

南西諸島の島々は、卒業アルバムの欠席者の写真のように別枠で片隅におかれるので、位置関係が地図帳からはつかみにくいものです。

*日本地図沖縄は九州の上。MapFan

南西諸島は、九州と台湾の間にあり、このなかに日本の本州がすっぽり入ります。南西諸島は、鹿児島県の薩南諸島と沖縄県の琉球諸島からなります。


琉球諸島は、 沖縄諸島と先島(さきしま)諸島からなります。先島とは、本土から最も離れている島々という意味です


先島(さきしま)諸島とは、宮古列島、八重山列島、尖閣(せんかく)諸島のことです。ハワイ、フロリダ半島突端のマイアミと同緯度にあります

八重山の石垣島から宮古までは、大阪 〜 名古屋の距離です。鉄道、飛行機のない時代にはふつうの人は往来することができませんでした。言葉も文化も、青森と鹿児島のようにことなります。

*沖縄の地図 Mapion

◆人頭税(ニントウゼイ)に260年以上苦しめられた先島(サキシマ)の人      (#0011, 2002年12月)


2002年11月八重山列島の石垣市で人頭税(にんとうぜい)シンポジウムが開かれました。今年は人頭税が廃止されて100年になります。宮古、八重山の人は、人頭税という重税に260年以上も苦しめられました。人頭税は、貧富や田畑の面積に関係なく、15歳から50歳までの島民の頭数によって一律に課税されました。

1609年、薩摩の支配下に入った琉球政府は、財政に困り、先島(さきしま=宮古、八重山)の人だけに重税を課しました。この税があまりにも過酷だったので、家族がふえると人頭税もふえるので、堕胎(だたい)間引きなどの人減らしが各地でおこなわれました。

女は役人の妾や旅妻になり苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)をのがれたりしました。役人との間に男児が生まれると、その子は士族になることが許されました。

農民の食事は海水で味付けしたイモだけでした。人頭税の免除される50歳には道を歩くにも杖をつかねばならないほどよぼよぼの老人になっていたといわれています。(谷川健一)

明治になっても、琉球支配層はこの根こそぎの収奪システムを維持し続けました。

廃止されたのは明治も36年たった1903年のことでした。
    那覇出身の城間正安(ぐすくませいあん)と
    新潟県出身の中村十作(じゅうさく=10番目の子供)
との運動によるものでした。

*十作は、10番目の子供という意味です。

先島(さきしま)、つまり宮古、八重山の人は、沖縄諸島へ出かけるとき「オキナワへ行く」と言い、オキナワのことをかつて「悪鬼納」と記しました。先島では自分たちとは違うクニととらえています。先島と沖縄には、まだ大きな亀裂、深い断層があるようです。

人頭税廃止100周年記念碑。平良(ひらら)市鏡原(かがみはら)
左が城間正安(ぐすくませいあん)、右が中村十作(じゅうさく)

旅立つ日の早朝訪れました。11月に建立されたばかりなので、誰にきいてもわからず、タクシーの運転手さんは郷土史家の先生のうちに駆け込んで、やっとサトウキビ畑の中から探し当ててくれました。

cf
.谷川健一『沖縄 その危機と神々』講談社学術文庫
伊波普猷『古琉球』岩波文庫

宮古島、平良(ひらら)市の人頭税石(Poll Tax Stone)

高さ140センチあまりの石柱で、背丈がこの石に達すると税が課せられた、と伝えられています。

www.minsah.co.jp/ jofugunbou.htm

宮古、八重山の麻製の上布(じょうふ)は、人頭税として納められました。役人の品質検査がきびしかったので、上品な洗練された織物として今に至るも珍重されています。

《Memo》

来間泰男は、「人頭税は過酷だったのか」(『琉球新報』2002−12−30)で次のように述べています。

「沖縄本島は土地を基準に課税されたが、先島地域では土地や生産力を計量できなかったので、人の頭数で課税された。課税の実態は、本島も先島も差異はなかった。」

◆石敢當が多いのは、路地が複雑に入り組んでいるから    (#0010, 2002年12月)


石敢當(いしがんとう)は、ほぼ日本全国でみられますが、とくに沖縄に多いです。シーサーと同じく魔よけです。

道を駆け抜ける悪霊(あくりょう)は、曲がるのが苦手で、丁字路や三叉路に家があるとさっと入ってきてしまいます。

石敢当(いしがんとう)は、入ってこようとする悪霊に「石に敢(あ)えて当たれ」、そして「くだけ散れ」、と命じているようです。

沖縄の路地は複雑に入り交じっているので、丁字路や三叉路が多く、そこら中に 石敢當(いしがんとう)がみられます。路地はよそからのクルマも入りにくいので、村人の生活空間となっています。

*石敢當は、架空の人物名であるとの説もあります。

 

◆シーサーは沖縄顔     (#0009, 2002年12月)


沖縄のシンボル、シーサー(獅子)は魔よけです。屋根の上、建物の玄関口、村落の入り口などに鎮座(ちんざ)まします。

悪魔を追い払う責任があるので、怖い顔をしています。獅子の顔であるはずです。

しかし、よく見ると、ウチナーンチュ(沖縄人)の顔です。マユが濃く、彫りが深く、いかめしい目をしています。そして、どことなく愛嬌とやさしさが感じられます。

いかつい顔のウチナーンチュ(沖縄人)に話しかけてみてください。とろけるようなエミがかえってきます。

*シーサーは英語では、lion-dogといいます。 

*沖縄シーサー図鑑 いろいろな表情のシーサーたち

*シーサー探検隊シーサーの由来

*石垣島閑話>シーサー探検隊。石垣島のシーサー

ホテルのキードロップにもシーサーが

「キーはこの中へ」の表示が見えます。平良市西里、ホテルニュー丸勝

シーサーのループタイ

沖縄で最高峰の於茂登岳(約500メートル)にある 於茂登(オモト )トンネルのシーサー

沖縄では、高くそびえている地形を岳(タケ)とよび、山地や草木が生い茂っている平地を山とよびます。石垣島

このページのためにシーサー顔を快くつくってくれる 「もともりや」のマスター

やっぱり似ています。石垣市大川
◆やぎ汁は単なるスープではない      (#0008, 2002年12月)


栄福食堂のおすすめは、トニーそばの他にやぎ汁です。山羊の肉は肉の中で一番高いので、「ヤギジル」は、1000円もしたりします。しかし単なる汁ではありません。お椀ではなくて、どんぶりに入っています。

具は山羊の肉の他に、豆腐、かまぼこ、タマゴ、何種類もの野菜がたっぷりと入っています。さらにどんぶりいっぱいのごはんもついてきます。

疲れたときなど力をつけるために食べます。濃厚な味で、熱いうちに食べないと油が分離します。

味噌汁(ジル)も同様です。「味噌汁(ジル)がなぜ600円もするの?高いなー」と言って、ヤマトンチュ(大和びと)は注文を控えがちですが、山羊汁(ジル)と同様、どんぶりいっぱいの具とどんぶりいっぱいのごはんがついての値段です。

「所変われば、品変わる」の好例です。

山羊じるだけで、おなかいっぱい


 ◆「遊び」が「勉強」に、「勉強」が「仕事」に:トニーそば    (#0007, 2002年12月)


石垣市の栄福食堂のあるじは、トニーこと赤木圭一郎の大ファンです。赤木圭一郎を偲(しの)ぶ会にもかかわっています。

ここではトニーそばが名物です。

V6がお忍びできましたが、ファンに見つかり交通整理の警官が出動することもありました。

あるじは全国の同志と遊んだり、勉強したりして交流を深めています。

「遊び」が「勉強」に、「勉強」が「仕事」に なっている好例です。

赤木圭一郎を偲ぶ会



《Memo》
赤木圭一郎が1961年に帰らぬ人となったとき、私は江東区深川門前仲町にいましたが、きのうのことのようです。


トニーそばが名物の栄福食堂。石垣市



トニーそばのオーナー通事 国浩(トウジ  クニヒロ)

労働のみの地獄船といわれたまぐろ船に 25年間乗り、 40カ国を回りました。 ブエノスアイレスに 2年滞在したことも。 大西洋を6回往復し、大西洋の男といわれたそうです。野口英世を尊敬し、アフリカのガーナ沖を航海したときは感激しました。8人兄弟の長男。調味料ピパジの売り出し許可を2002年取得しました。先祖は通訳をしていたのでしょうか。

店内は赤木圭一郎一色

ファンは永遠に偲ぶために墓まで作り直しました

旅の思い出日誌

トニーそば

◆ファーストネームに音読みが多い:具志堅 用高     (#0006, 2002年12月)


ボクシングの元世界チャンピオン具志堅 用高(グシケン ヨウコウ)は、石垣市の英雄です。素朴な人柄で、どこへでても八重山口でしゃべります。そんな具志堅 用高を沖縄人はほこりに思っています。

*海人(ウミンチュ)である父の仕事をきかれ「海を歩いています」と答えた有名なエピソードもあります。 


ヤマトでは、偉くならないとファーストネームは音読みになりません。
    松本キヨハルが松本清張(セイチョウ)に、
    佐藤ヒデサクが佐藤栄作(エイサク) に、
なるには、何十年もかかりました。 

(こんな苦労をしなくてもいいようにと、私はタイ生まれの長男に公、次男には雄とつけました。タイ語は1音節語なので、短くコー、ユーとしました。公も雄も音読みする文字です。)


中国の影響が強い沖縄では、最初から音読みの名前を付けることが多いようです。


▼東京まで3日間の長旅でバテた具志堅

具志堅 用高は、風呂屋の手伝いをしながら沖縄水産高校に通っていました。2年の時に、山形のインターハイに出場しました。船で東京まで丸3日間の旅で、試合前に既にクタクタで敗北しました。

3年生の時全国制覇し、那覇の国際通りに何万人もが栄光をたたえるために出迎えました。



2002年11月、○○玄誠(ゲンセイ)という方から突然電話がかかってきました。名前から推して、その筋らしい容貌を想像しましたが、はるばる読谷(ヨミタン)でお会いしてみるとひょうひょうとたやさしい方でした。

具志堅 用高 記念館。石垣市

「カンムリ ワシ(冠鷲)」の異名通りの風貌

特別天然記念物に指定されている八重山地方のカンムリワシ。

www.churashima.net/ word/28.html

幼児も海人(ウミンチュ)が好き。石垣

Tシャツ屋どっと混む おきなわ系アーティ
ストのデザインをメインにユニークな商品
を取り揃えている店。


早稲田大学元総長の大浜信泉の記念館

具志堅 用高とならぶ石垣市のヒーロー。先島(離島の離島)出身者らしい人生訓が掲げられている。

「人の価値は生まれた場所によって決まるものではない。いかに努力し、自分を磨くかによって、決まるものである。」

石垣からは、学者が多く生まれています。

名前に音読みが多い沖縄人【別項に】

阿波根 昌鴻(アハゴン ショウコウ ) 乞食行進は島ぐるみ闘争の発火点となる。伊江島に反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそが宝)」を建設

伊波 普猷(イハ フユウ 1876-1947) 沖縄学の父

宜湾  朝保(ギワン チョウホ 1823-1876)  幕末琉球の政治家、文人

仲宗根 政善(ナカソネ セイゼン  1907-1955)『沖縄今帰仁方言辞典』、ひめゆり学徒を引率、手記をあらわす。

羽地 朝秀(ハネジ チョウシュウ 1617-1675)近世琉球の基礎を築いた政治家。唐名は向象賢(ショウ ジョウケン)

東恩納寛惇(ヒガシオンナ  カンジュン  1882-1963)「歴代宝案」の研究者。歴史家

比嘉 春潮(ヒガ シュンチョウ  1883−1977)  沖縄歴史研究家

外間守善(ホカマ シュゼン )「おもろそうし」研究の第1人者。

屋良 朝苗(ヤラ チョウビョウ 1902−1997) 復帰(1972年)後初の沖縄県知事

「安里屋(あさどや)ユンタ」にはマレーシアのにおいが      (#0005, 2002年12月)
 

日本で一番知られている沖縄民謡は、「安里屋(あさどや)ユンタ」です。ユンタとは「詠み歌」のことらしいです。

マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ〜。

「安里屋ユンタ」は、竹富島(たけとみしま)の安里屋の美女クヤマが、琉球王朝の官吏から現地妻になるよう強要されるが、それを断ったという事実を元につくられました。

宮古島、八重山の人々は稀代の悪法である人頭税(にんとうぜい)で、首里王朝から260年以上も搾取され続けられました。竹富島は八重山列島の石垣島のすぐ下にあります。  (この下の地図を参照してください。)

インドネシア語、マレーシア語では、マタハリは「太陽」、チンダは「恋する」です。「お日様が神様に恋をした」と、真偽はともかく民間伝承は解釈します。

*マレーシア語記憶術

沖縄は、東南アジアとの豊かな交流を誇っています。すでに16世紀には、本土よりも早く、マレーシアのマラッカとの交流をはじめています。沖縄と東南アジアとの関係は深く、古いものがあります。 


*竹富島周辺地図
http://www.pref.okinawa.jp/hwdpd/guidemap/eria_map
/img/taketomi_kohamajima.gi
f

<Memo>
マタハリヌ チンダラ カヌシャマヨ〜は、「去りゆく、愛(かな)しき人」の意らしいです。ともあれ、台湾にはマラヨ・ポリネシア系の人々が今も10族住んでおり、その昔与那国島ぐらいに渡るのは、彼ら海人(ウミンチュ)にはたやすいことであったでしょう。



竹富島の美女クヤマ

石垣市のライブハウス「安里屋」

八重山列島は歌が盛んなところです。

沖縄本島全部が軍事空域:  嘉手納ラプコン        (#0004, 2002年12月)

嘉手納ラプコンは、嘉手納基地を中心に半径80kmの円筒状の空域を管制下においてい、沖縄本島をすっぽり覆っています。この空域では、米軍の飛行を妨げないように制限されます。


沖縄本島の空は米軍のもので、那覇空港が自由に使える空域は、半径5キロ高度わずか600メートル以下の超低空の地点点だけです。


実は東京を中心とする空にも米軍の広大な軍事空域によって制限されています。日本政府もドイツにならって、自主性を取り戻すべきです。

*ラプコン(RAPCON)とは、Radar APproach CONtrolのことです。

*嘉手納ラプコンのさらに詳細な図。→ 嘉手納ラプコン




嘉手納ラプコンにおおわれている沖縄本島

http//www.scopenet.or.jp/main/
products/scopenet/vol16/sni/okinawa.html

◆「沖縄」がなぜウチナー?       (#0003, 2002年12月)
 

ウチナーとは、琉球語で「沖縄」のことです。 
ウチナーグチとは、沖縄口、つまり「沖縄のことば」のことです。 
ウチナーンチュは、「沖縄の人」のことです。ンが「の」、チュが「ひと」です。 
海人は、ウミンチュといいます。海の人で漁師のことです。

又吉栄喜が96年に芥川賞を受賞したとき、石原慎太郎は、「ウチナーンチュとかソトナーンチュとかいう区別はないのだ」といいましたが、ウチナーンチュを「内のひと」と誤解していたようです。 沖縄文学は沖縄社会にこだわります。個人にこだわるようになるには、まだ時代が熟していないようです。

沖縄語には、母音はa i u の三つしかありません。 eはiに、oはuにかわります。(フィリピン語も母音は三つです。)

e → i
o → u (エイ、オウとおぼえます)

okinawaは、ukinawaに変わります。またkiはchiに変化します。したがって、okinawaは、uchinaa「ウチナー」となります。

チバリヨーは、 千葉良という人名と誤解している人がいました。 「おきなわ」がウチナーになるように、「気張れよ」もチバリヨーとなります。kiがchiになる例です。

http://www.kotobuki-nn.com/cd.htm

低く哀しい沖縄の空:嘉手納(かでな)空軍基地       (#0002, 2002年12月)

羽田空港を飛び立った飛行機は、3時間後那覇空港に向けて着陸態勢に入ります。超低空飛行なので、眼下には真っ青な海を眺めることができます。「あっ、波も船も見える」と喜ぶ観光客がいます。


しかし、これは航空会社の景観サービスではありません。600メートル以上は、アメリカの軍事空域なので、飛べないのです。

東アジア一といわれる 嘉手納空軍基地は、那覇の北20キロにあり、嘉手納飛行場から半径約90キロ以内の空は、嘉手納と普天間基地の米軍機を優先するため、嘉手納の米軍が航空管制を敷いています。


一日150便もの民間機は、米軍機に注意をはらいながら、風のつよい日、雲で視界がきかない日、台風の日でも、ストレスいっぱいの危険飛行を強いられています。昨2001年も自衛隊機とのニアミスがおきました。

事故がいつ起きてもおかしくないのが、沖縄の空です。


*米軍基地 那覇の北に普天間飛行場と嘉手納飛行場があります。

*Kadena Air Base(英) (イーグルが大空に飛び立たんとする猛々(たけだけ)しい画像が消えました。2004年8月)




沖縄本島の中の嘉手納町。嘉手納町役場

*嘉手納町案内 【地図】83%が軍用地です。

◆八重山列島は、沖縄本島とは文化も言葉もちがう      (#0001, 2002年11月30日)
 (2006年5月30日)
八重山列島は、琉球列島の最南に位置しています。八重山列島の中心の島は石垣島です。石垣島は、台湾の台北より南にあります。日本最西端の与那国島(ヨナグニジマ)は、那覇とは400キロもはなれています。東京から三重県の距離です。その昔、往来の手段はなく、沖縄本島とは文化も言葉も別のものになりました。

また、 八重山列島の石垣ー東京は2000キロ離れており、八重山人には東京は、台湾よりも、マニラよりも遠くにあります。   沖縄県の地図のページ 

今日、石垣空港からバスに乗りました。 乗客は私一人でしたので、運転手さんはいろいろ話してくれました。石垣島に生まれて八重山便を使い、那覇の学校では沖縄語を覚え、そして日本語も小さいときから使っているそうです。

石垣島の西にある与那国の人は与那国の言葉を話しますから、その昔、石垣島で勉強や生活をするとなると八重山便を習い、さらに沖縄本島では沖縄語(那覇の言葉)をならい、また日本語を習ったものでした。こんなところに離島の人々のハンディキャップがあります。

八重山島列島(石垣、与那国)のページ

台北より南にある八重山列島  (正距方位図法、FLand-Ale)

八重山列島、石垣島の石垣港。2002年12月

 

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cf.

伊波普猷『古琉球』岩波文庫、2000:イハ フユウは沖縄学の父。本書は1911年(明治44年)初版発行。 伊波普猷略年譜 

さいが族『読めば 宮古!』ボーダーインク、2002

ナイチャーズ、垂見健吾他『沖縄いろいろ事典』

南島地名研究センター『地名を歩く』ボーダーインク、1991

琉球新報社『沖縄人国記』琉球新報社、1999

地図作成ソフト FLand-Ale: