コラム:沖縄を歩く #2

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コラム:沖縄を歩く #2の目次です。   沖縄を歩く 総目次 

◆石垣空中空港  (#0024,2003年01月30日)

 

元海軍飛行場の石垣空港に飛行機が着地すると、乗客は前につんのめり、オーバーヘッドビン(頭上の棚、overhead bin)の荷物は前方にすべっていきます。滑走路が、2000メートルはほしいところ、1500メートルしかないので、急停止せざるをえないのです。

滑走路には急ブレーキのタイヤのあとが何十本も黒々と残されています。

新石垣空港の建設予定地はは、20年間におよぶ紆余曲折(うよきょくせつ)、喧々愕々(ケンケンガクガク)たる論争の末、2001年に決まりました。

が、実現までにはまだまだ年月がかかるようです。新空港は「新石垣空中空港」のままで、乗客は着地時、前につんのめりの滑走路に悩まされることになるでしょう。(2003130)



新石垣空港の必要性 石垣市商工会



新石垣島空港予定地

http://www.pref.okinawa.jp/airport/index/is/isigaki00.htm



石垣市役所内の新空港建設推進課

http://www.pref.okinawa.jp/airport/index/is/isigaki00.htm

 

赤土流出によるサンゴ礁や絶滅危ぐ種のコウモリに大きな影響を与えるとして、建設に反対する土地共有地主は、359人に増えたとのことです。(『琉球新報』2003年1月4日)

 

 


◆沖縄へは週刊誌がいいおみやげ    (#0025,2003年01月)
 

今日2003年1月30日は木曜日です。『週刊文春』『週刊新潮』の発売日です。

週刊誌は沖縄へは船便で送られるため、那覇での発売は4日遅れの翌週月曜日です。石垣島などの離島ではさらに遅れます。そのため週刊誌は沖縄へのいいギフトになります。

あげる人がいなければ、飲み屋さんにおいてくれば、喜ばれます。その場で一気に話に花が咲きますし、お客さんとなじみになります。

週刊誌、雑誌、書籍は、「高くてもいいから飛行機で早く」というわけにはいきません。法律(再販制度)で全国同一料金と決められているため、船便で送るしかないのです。

ただ、沖縄人はあまりこれらの週刊誌に目を輝かせることはないです。読み慣れてないこともあり、読まず嫌いということもありましょう。沖縄人は『沖縄タイムス』『琉球新報』しか読まず、週刊誌の広告はこの二紙にはほとんどないからです。また電車もないので中吊りをみるチャンスもないからです。(石垣島、晴れ、21時現在 17度)

 

 

(アクセス不良のため後日掲載)

2 石垣空港:

『週刊新潮』2003年1月30日号

1 羽田空港:『週刊文春』『週刊新潮』2003年2月6日号、Newsweek 2月5日号  

 

(携帯電話でのアクセスのため後日掲載)

3 与那国空港:

『週刊新潮』2003年1月23日号

 


◆沖縄の難読地名  (#0026,2003年02月)

沖縄の代表的な難読地名をあげてみました。ウチナンチュ(沖縄人)には、当たり前の読み方ですが、なれない人にはフラストレーションを招きがちな読み方が多々あります。まずは下の地名には慣れておく必要があります。

本土にも難読地名はあります。2002年12月各駅止まりでで成田空港まで行きました。「酒々井(しすい)」という駅がありました。我孫子(あびこ)も千葉県です。埼玉には越生(おごせ)というのもあります。わたしの親戚は、埼玉県の幸手市香日向に住んでいます。サッテ、カヒナタです。 

東江 アガリエ 東は「アガリ」
西表     イリオモテ 西は「イリ」

上江洲

ウエズ
我如古 ガネコ
喜屋武 キャン
金武 キン

城間

グスクマ 城は「グスク」
来間 クリマ

慶佐次

ゲサシ
東風平     コチンダ
瑞慶覧 ズケラン
勢理客 ジッチャク
北谷     チャタン

中城     

ナカグスク 城は「グスク」
今帰丹     ナキジン
南風原      ハエバル
為又     ビイマタ

平安名

ヘンナ

山原

ヤンバル
饒平名 ヨヘナ

読谷    

ヨミタン

 


◆サンゴが泣いている石垣島:『美味(おい)しんぼ』  (#0027,2003年02月)


1991年『美味(おい)しんぼ』第28巻をアメリカでよみました。「長寿料理対決」で沖縄が主題でした。

 

ある晩、サンゴの精が栗田ゆう子の夢枕に立ち、涙ながらに訴えます。

  「助けて…」

  「石垣島を助けて…」

  「この美しい石垣島が、破壊されてしまう… サンゴが死ぬ…」

  「お願い… 石垣島を助けて…」

? 「 サンゴを助けて…」

 

また、海原雄山は、 石垣島リゾート開発のボスである政財界の大物に向かって激怒します。

  「きさまごとき、リゾート開発などとぬかして、国土を食い荒らして、浅ましく肥え太った寄生虫になにができるか、やってみろ!」

  「石垣島を人体にたとえよう。」

  「島のあちこちにリゾートをつくり、観光客をできるだけ多く受け入れるために、海を埋め立ててまで新空港をつくる…」

  「これは人体にたとえれば、精力剤をぶち込むようなものだ。

清涼剤は、短期的には効果を発揮する。

人を煽り立て、駆り立て、活動を活発にする。

しかしそれは往々にして人体に必要以上の無理をさせる。体力を消耗させる。

副作用もある。心臓、腎臓、肝臓など大事な臓器を損傷する。結果として健康を損ない長生きはできない。」

 「石垣島も同じことだ。30年、40年後には貴重な自然を破壊してつけが回ってくる。無理がたたって、体中がボロボロになった醜悪な老人のようなものだ。」

 「浮気な観光客がどうしてそんな姿の石垣島に出かけようか?そんな石垣島を待つのは破滅だ」

 

沖縄のサンゴ礁は世界中でも貴重な宝物で、竜宮城伝説はサンゴ礁の美しさの連想から生まれたといわれます。

 
 

画像(後日)

『美味(おい)しんぼ』第28巻「長寿料理対決」に登場する沖縄料理名【別項に】

エラブ海ヘビ(イラブ) 豆腐ヨウ シンジ料理 苦菜(ンジャナ) 切り干し大根と昆布 足テビチ トゥヤシー・グスイ フーチバ(ヨモギ) 山羊料理 泡盛寒天 海仁草(ナチョーラ) 燻製のイラブ ソーキ・ソバ ゴーヤ・チャンプルー 白イカのスミ汁 ツノマンの刺身 ツナラーの葉  烏骨鶏のスープ フカヒレ入りスッポン鍋 豆苗 ニンニクの芽 栗飯 ツバメの巣  般若湯 ミミガー  アシテビチ  クースー

 

 


 ◆沖縄人は東南アジアにむいている  :沖縄食 、国際会議   (#0028,2003年02月)

沖縄は、気候、食べ物、日常生活の面で、東南アジアに違和感なく住むことができます。

特に、ヤマトンチュにくらべて、つよいのが食事の面です。


東南アジアで日本人が楽しく暮らすためには、クリヤーしなければならない食べ物が3種あります。

     ニンニク  
    とうがらし  
    香菜(こうさい)


です。ウチナンチュ(沖縄人)は日常これらに接し、口にしているので、問題ありません。


さらに、東南アジアでは、肉といえば、豚肉やその内臓ですが、これもウチナンチュ(沖縄人)の好物とするところです。

沖縄は、いわば東南アジア文化圏ですので、ウチナンチュは東南アジアで楽しく暮らせます。


東南アジアからみると、沖縄はいとこのような身近な存在です。

沖縄で国際会議をもよおしたら、飛行時間、亜熱帯の気候、同種の食べ物、ゆったりした人間・生活・文化の面で、アジア人は、東京よりはるかに気安く参加します。

2003年1月21、22日に、「日本・アセアン シンポジウム」が、沖縄で開催されました。太平洋 島サミット、国連アジア本部などどんどん沖縄に来てもらいたいものです。

【追加】

  • 時間がユッタリ流れる。
  • 男逸女労
  • 中国の影響が強い。
  • ユッタリ文化:キチキチ文化
  • アニミズム
  • 家族主義
 

那覇の農連市場

農連市場内部  

農家がつくったものを、市場に卸すのではなく、自分で値付けをして対面販売する市場。朝は3時頃から始まり、朝7時にはもうピークが過ぎ閑散としてしまいます。ここが地元の人の行く市場で、牧志公設市場は観光客が行くところです。えqq

joe.ash.jp/travel/loca/ tyurasan_okinawa.htm


境の壁に泣く与那国島  (#0029,2003年02月)

 

日本最西端の与那国と台湾間はわずか110キロです。晴れた日には台湾が見えることがあります。

かつては、与那国にアジアに近い特徴を生かした交易ルートの要衝でしたが、沖縄の本土復帰後は完全にへき地にされれてしまいました。

今、台湾から与那国に至る物資の流れは、

    台湾→ 神戸→ 那覇→ 石垣→ 与那国

となっています。このため物価は原価の3倍にもはね上がります。

国境のために、おそろしいほどの不利益を与那国島はこうむっています。与那国島を台湾、中国、韓国、東南アジアに開港する日が待たれます。

(与那国島、2003年02月1日、 旧正月、21度)

日本最西端の与那国島

http://www.town.yonaguni.okinawa.jp/yona_new/location.html

 


10年ほど前、友愛グループに招かれて、訪台しました。友愛グループは、知る人ぞ知る世界一高水準の外国人による日本語研究会です。(友愛グループ 宮崎正弘)

会の翌朝、会長の陳絢輝はじめ幹部の方々と台北のホテルで雑談をしました。談たまたま終戦直後の話におよびました。さぞ不便だったでしょうね、とたずねましたら、「そうでもなかったですよ。与那国から密輸品がどんどん入りましたからね」ということでした。日本の雑誌も本も与那国経由で自由にみることができたそうです。

戦前、与那国の小中学校の修学旅行先は台湾でした。また、台湾へ出稼ぎにいく島民も多くいました。台湾と与那国は親戚のつきあいをしていました。

いつか訪れたいとおもっていた念願の島が、与那国島です。

 

 


 

 

東アジア海底文明

右をエディット  http://www.ocvb.or.jp/ja/archives/yonaguniundersea/images/map_asia.gif

 *与那国島海底遺跡文献

与那国島海底遺跡潜水調査記録:  海底遺跡の写真、地図

美ら島物語 与那国島海底遺跡


1986年、アラタケ キハチロー氏は1万年以上前に建設された与那国海底遺跡(Yonaguni  Undersea Ruins)を発見しました。4大文明は5000年前に発生しましたが、与那国海底遺跡は、それよりはるか昔の1万年前以上の文明の痕跡といわれています。


1万年以上も前は、海の水位は今より40メートルも低く、沖縄、台湾、また中国の長江文明圏は、ひとつであった可能性があります。台湾でも海底遺跡は見つかっています。

竹内均『ニュートン』編集長は、「海面上昇の結果、海底遺跡人は青森県の三内丸山などへ移住したのではないか」と想像しています。



あと数十年もすれば、与那国の海底遺跡は、世界最古の文明として世界の文明史を書き換えるかもしれません。

そうなれば沖縄の地域おこしの花形は、与那国海底遺跡がになうことになるでしょう。海底遺跡は、神の最大最高の与那国へのプレゼントです。2006年には、与那国空港も2000メートルの滑走路が使用開始となります。

新嵩喜八郎氏と。同行のダイバーは、全国津々浦々から三々五々集まった女性ばかりでした。(写真掲載は承諾済みです。)

翌々日、与那国を一周しました。自転車で一人旅している人を時折見かけましたが、ほぼ女性でした。女性のゲンキ印が目立ちます。

海底遺跡の位置図

海底遺跡は空港の反対側、島の東南にあります。

www.churashima.net/shima/yonaguni/ x_20020125/02.html

 

ダイビング船

海底遺跡にはこのようなクルーザーで、左図の西崎あたりから20分かけて出かけます。


ベストセラー『神々の指紋』で有名な作家グラハム・ハンコックも10回以上訪れています。
Graham Hancockの公式サイト
(英)  日本語サイト 

世界的に有名なダイバーで100メートルを素潜りした、故ジャック・マイヨールもここを愛しました。Jacques Mayolの公式サイト(英)  日本語検索→ ジャック・マイヨール

 

 

 

 

与那国海底遺跡に関する文献(出版年逆順)  (#0031,2003年02月)
 

『シンポジウム 琉球弧と海底遺跡をめぐる話題』琉球大学、沖縄地学会、2003

クォーク編集部『海に沈んだ超古代文明』講談社、2002

木村政昭『海底宮殿  沈んだ琉球古陸と失われたムー大陸』実業之日本社、2002
(註:この本が、最もわかりやすく網羅的です。図解が多く、索引があるので助かります。)

木村政昭編『琉球弧の成立と生物の渡来』沖縄タイムス、2002

木村政昭「海底遺跡の調査・研究」『地質と調査』2001

Masaaki Kimura et al, "Research for submarine ruins off Yonaguni, Japan", Bulletin of the Faculty of Science, University of the Ryukyus, No.72, 2001

上間清「与那国島の海底”遺跡”にかんする一考察:建造過程の視点から」『月間地球』2000

木村政昭『沖縄県海底遺跡の謎』第三文明社、2000

吉村作治監修『沈黙の古代遺跡 エジプト・オリエント文明の謎』講談社、2000

木村政昭他『与那国海底遺跡潜水記録調査』ザ・マサダ、2000

福本潤「沖縄海底の遺跡様地形の調査と行政対応の研究」『月間地球』2000

Masaaki Kimura、"Paleogeography of the Ryukyu Islands", Tropics, 2000

木村政昭、新嵩喜八郎、琉球大学海底調査団「与那国島海底の遺跡様地形の調査・研究」『月間地球』1999

南山宏編著『海底のオーパーツ 超古代の文明の遺跡が海に眠っている!』二見書房、1997

石井輝秋『与那国海底”遺跡”の地質学的意義』二見書房、1997

木村政昭『太平洋に沈んだ大陸:沖縄海底遺跡の謎を追う』第三文明社、1997

坂口拓史『与那国海底にムー文明の巨大遺跡を発見した』たま出版、1996

木村政昭『ムー大陸は琉球にあった!』徳間書店、@@


与那国海底遺跡の立体模型と水中写真  (#032,2003年02月)
(改訂:2005年9月12日)

ホテル入船のフロントのカウンターにある模型を元に作成しました。

実物は東西250メートル、南北150メートルの大きさです。

1万年前に地球温暖化により氷が溶け、海面が上昇したことにより、海に没しました。

メインテラスのあたりは、あざやかに人工の幾何学的な直線でいろどられています。

それぞれの階段は、遺跡の上部とつながっています。

与那国海底遺跡は、250×150メートル

遺跡は、水深25メートルの所に1万年以上にわたり眠り続けています。

海底遺跡のアパーテラスのあたりです。遺跡の神々しさ、雄大荘厳さにうたれているところです。

岸壁には人工のクサビ穴が散見されます。全容をとらえるには、スキルアップし、何度も潜降する必要を感じました。

 

1枚の岩を二つに割った2枚岩です。高さ7メートルあります。

(2003年1月31日。ダイバー:桑原政則、撮影:新嵩喜八郎)


海底遺跡へのダイビング手順  (#0033,2003年02月)


前日は早寝:

船は潮が荒く、波が高いところも通ります。前の晩はアルコールを抑え、しっかり睡眠時間をとり、体調を万全にしてのぞみます。

ブーツ:

ブーツを履いてから、フィン(fin、足ひれ)をつけます。

ウエイト(右図):

体が浮かないように、ウエイトをつけます。

空気タンク(右図):

空気タンクは10キロほどもあり重いので、陸上、船上では、子供を背負う姿勢をとります。

手袋:

岩に潜む生物にさされないように手袋をつけます。

息の仕方:

息を止めた状態で、海面に浮上すると、肺が過剰膨張するので、水中では息は常に長 〜 くはき続けることが必要です。

耳抜き:

気圧は10メートル潜降するごとに、1気圧ふえるので、鼓膜が内側に押されます。耳に圧迫感を感じる前に、こまめに耳抜きをします。つまり、レギュレーター(regulator)から空気を吸い、指で鼻をつまみ、「フンッ」といきおいよく耳の中に空気を送ります。

マスク(下図):

マスクには目と鼻を入れます。髪の毛が入らないように注意します。

マスククリア:

マスクに入った水を水中で抜き出すことを会得しておく必要があります。このことを、マスククリアといいます。レギュレーターから空気を吸い、マスクの上部を押さえ、鼻から空気をゆっくりと出します。意外に難しいです。マウスピースを口でくわえているので、鼻に空気を送りにくいからです。

エアチェック:

水中では、残圧計(ゲージ、gauge)をときどきチェックして、タンクの空気残量を確認します。この確認のことをエアチェックといいます。

ハンドシグナル:

水中での合図の仕方も知っておく必要があります。まだ統一規格がない由。

ウエイト

ウェットスーツには浮力があるので、ウエイト(weight)を着用します。ウエイトは体を沈めるための鉛のおもりです。体重の10分の1が目安です。

7〜10キロが普通です。



空気タンク

空気タンクは10キロほどあり重いので、陸上では赤ちゃんをおぶうように前屈みで歩きます。






マスクをかぶるときは、髪の毛が入らないように
左は祖納(ソナイ)のなんた浜にて

与那国には、祖納(そない)、久部良(くぶら)、比川(ひかわ)の3村があり、祖納が中心地です。「なんた浜」は祖納港にある唄によくうたわれる浜です。Googleで「なんた浜」を検索すると350件以上ヒットします。

なんた浜の歌

「波の花咲き 船足軽(かろ)く

片帆チラチラ 月風のせて

黄金白金 くだくる波に

ゆらるる夢は あのなんた浜

あのなんた浜 イヤホー あのなんた浜」


なんた浜は、冬は北風のため海が荒れ、出入りがむずかしくなるので、西の久部良港を使います。なんた浜の位置は下のページの下部に。

与那国島のページ


佐藤栄作の沖縄返還がロシアを崩壊にみちびいた #0034,2003年02月)


共産主義国家同志の中国とロシアは国境問題で争っていました。

アメリカは、ベトナム戦争を終結したくもあり、中国とロシアの分断作戦に出ました。キッシンジャーは毛沢東と周恩来に、中国ロシア国境に集結している膨大なロシア軍の写真を見せました。その写真は人工衛星でとったものでした。

毛沢東と周恩来は、ロシア軍の巨大さに驚くと共に、アメリカのスパイ衛星の技術の精巧さに圧倒されました。

中国は、ロシアを捨ててアメリカをとる覚悟をここで決めました。

ときの首相 佐藤栄作は沖縄返還をニクソンに執拗に願い、許されました。

中国は、中国に向けた核兵器基地である沖縄が日本に返還されることになったとき、アメリカをさらに信頼しました。沖縄が日本に返還されることにより、沖縄には中国向けの核兵器がなくなり、中国向けの武器配置は廃止され、沖縄は中国をターゲットにしなくなるからでした。

日本は非核国家で、軍事関係に関しては中国のいいなりになりますから。

こうして、ベトナム戦争で弱っていたアメリカは、沖縄返還をダシに、中国を自陣営におびき寄せることに成功しました。そしてロシアを1991年崩壊に導きました。

キッシンジャーが1973年ノーベル平和賞をもらったあと、キッシンジャーの強烈な推薦で翌1974年 佐藤栄作もノーベル平和賞を受賞したのは、このような経緯がありました。

佐藤栄作の沖縄返還が契機でアメリカは中国を味方に付け、ロシアをつぶすことができたのです。イダイな佐藤栄作がノーベル賞をもらうのは、当然のことでした。ノーベル平和賞はほかの賞とはちがって、スウェーデンの政府が決める政治的な賞です。

アメリカのロシア崩壊政策がなければ、沖縄の日本返還はまだまだか、あるいはないものだったでしょう。1972年の沖縄返還はアメリカの世界政策の一環でなされたのであって、それ以外ではありません。

この間の事情は、若泉敬の『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋、1994 年)。副島隆彦『属国・日本論〔改装版〕』五月書房がくわしいです。

(在米中です。大まかな筋になります。次のアメリカの戦略は、沖縄の基地を捨てさることです。アメリカはいよいよ沖縄を不要としています。2003年2月14日)

 



www-hoover.stanford.edu/.../ diplomacy/kissinger.html






www.fujifilm.co.jp/photosalon/backup/2204/
images/sugao.jpg


与那国に関する文献 出版年月:降順 #0035,2003年02月)


(与那国海底遺跡関係は省きます。)

木村政昭編『琉球弧の成立と生物の渡来』沖縄タイムス、2002年

与那国町『与那国町勢要覧』与那国町、2002年

井上史雄、篠崎晃一 、小林隆() 『編琉球方言考 7 先島(宮古・八重山他)』ゆまに書房、2001

美峰『日本最西端与那国島 沖縄探検シリ−ズ  海底のロマンス』 美峰、 2001年

石原 昌家『空白の沖縄社会史―戦果と密貿易の時代』晩声社 、2000年

原知章『民俗文化の現在―沖縄・与那国島の「民俗」へのまなざし』同成社、
2000年

法政大学沖縄文化研究所沖縄八重山調査委員会『沖縄八重山の研究』相模書房、2000

沖縄マリン出版『ダイビングポイントマップ no.7(与那国編)』 沖縄マリン出版 、2000年

岸本葉子『異国の見える旅―与那国、舞鶴そして……』小学館文庫、1998

池間苗『与那国こどば辞典』自費出版、1998年

与那国町『与那国 (写真集)』与那国町、1997年

宮城政八郎『与那国物語日本最西端・台湾の見える島』ニライ社(新日本教育図書)、 1993年

楠山忠之『日本でいちばん南にあるぜいたく』情報センター出版局、1993年

比嘉康雄『神々の古層12 マチリ〔与那国島〕』ニライ社(新日本教育図書)、1992年

立松和平『与那国』ソニ−・マガジンズ、 1992

三木 健『八重山研究の人々』ニライ社(新日本教育図書)、1989

立松和平『砂糖キビ畑のまれびと 沖縄・与那国への旅 』ちくま文庫 、 1988年

渡部忠世 , 生田滋 ()『南島の稲作文化―与那国島を中心に』法政大学出版局、1984

岩瀬博 『与那国島の昔話 南島昔話叢書 』 同朋舎、 1983年

西浦宏己、石牟礼道子『与那国島西浦宏己写真集』葦書房、 1979年

司馬遼太郎『街道をゆく 6 沖繩・先島への道』朝日文芸文庫、1975

深作光貞『海上の道 他界への道』世界思想社、1975

池間栄三『与那国の歴史』自費出版、1959年

本橋成一、坂田明『老人と海 与那国島―本橋成一写真録』  

吉川博也『与那国―島の人類生態学    環境と人間の科学 (6)


ヤマトとは、異国のこと:読谷村にて、韓国と台湾 #0036,2003年02月)

ウチナーンチュ(沖縄人)は、よく「ヤマト」と言うことばを使います。ヤマトとは、愛憎ないまざった異国のことです。沖縄には日本政府派遣の沖縄大使がいます。

2000年6月、沖縄の京都、読谷村(ヨミタンソン)を訪問しました。読谷村は村全体が博物館です。琉球王府時代には南蛮貿易を盛んにおこないました。

読谷村(ヨミタンソン)では、村の半分が米軍基地になっています。役場の建物は基地の真ん中に威風堂々とそびえたっています。米軍基地の中に役場をたててしまいました。

村役場(ソンヤクバ)を訪れた人は、おぼえずシャッターを押してしまいます。それほど威風堂々としているからです。

読谷村(ヨミタンソン)役場で古い『村勢要覧』をみかけました。ウチナーンチュが「ヤマト」にどんな思いをいだいているかをよくあらわしています。ここには村歌が掲載されていました。日本政府のことを大和(やまと)政府といっています。


「(前略)
アメリカ軍にも大和政府にも
「読谷村の主人公は読谷村民だ」と
訴え続け、戦い続けた村民の勝利だ。
(後略) 」


ここでは、大和(やまと)政府とは、自分たちを抑圧し続けている外国政府といった意味合いが感じ取れます。

村役場会館の歌もあります。ここでも大和政府は敵です。


「(前略)
苦難・抑圧の歴史の中にあって
二つの大国(日米)を相手に
主体的・創造的・具体的に
闘い抜いた村人たち万歳


戦争のために
奪われた土地を返せ
米軍のパラシュート
演習をやめよ
(後略) 」

読谷(ヨミタン)の人は戦争時には大和からスパイ嫌疑を掛けられて殺されました。第2次大戦のとき、米軍はこのあたりから上陸したのですが、勇敢に戦い、殺されました。

また、読谷村役場のあるところにあった部落の人は、1945年4月3日83名が集団自決を強いられました。50名ほどは18歳以下の子供でした。

このことがわかったのは、1983年のことです。あまりにかなしい出来ごとなのでずっと村民は伏せてきたのです。【ウワイスーコー後だから?】

戦後はずっと基地の町として、戦争のお手伝いをさせられています

 


威風堂々の基地内の読谷村役場
http://www.okinawa-marathon.com/cities/10yomitan.html






よみたんまつり 2002年12月




読谷村の基地
下に詳細があります。
読谷村内の米軍基地位置図 読谷村役場


下嶋哲朗『チビチリガマの集団自決―「神の国」の果てに』凱風社、2000

読谷村のページ 桑原政則


(帰国後、チビチリガマ の写真)
韓国と台湾


2003年2月13日、アメリカへ来る機内で隣り合わせになったのが、上品な韓国人の中年女性でした。しかし、どうしても日本人には屈折感があり、一挙手一投足が気になるようでした。こちらがコニャックのクルボアジェ(Courvoisier)をオーダーすると、負けじと「カミュを」と張り合ってしまうのでした。

コリアンは「イルボン(日本)」と聞いたとき、「タイ」、「フランス」とはちがって、胸が騒ぎ万感がこもってしまい、「恨(ハン)」があらわれてしまいがちです。

到着の空港では、わたしへの迎えはないことになっていました。すると、見ず知らずの台湾女性が声をかけてくれ、迎えの車に同乗させてくれました。迎えにきてくれた方を「いとこ、技術者」 と日本語で紹介してくれ、なごやかな雰囲気が一気に醸成されました。

こうして、コリアンとの間にはわだかまりが、台湾人との間には「やすらぎ」の心が累積されていきます。私の大好きなコリアンとは、おおきな溝が立ちはだかったままです。歴史は時に重く、見知らぬ個人の関係もアプリオリに規定します。

琉球王国400年の子孫ウチナーンチュ(沖縄人)が、「ヤマト」というとき、台湾人が「日本」というときのようにはいかないようです。


沖縄では、村はすべて「ソン」 (#0037,2003年02月)
(改訂:2005年9月13日)

読谷(よみたん)は、ソン(村)であって、ムラではありません。読谷の人は「ソンでは」「ソン役場では」というような言い方をします。沖縄の京都、読谷村の人口は37000を数えます。しかし、誇り高き読谷村は、ソンを町にすることは考えていないようです。 → 「市町村の姿」 - 沖縄県 読谷村

沖縄では、すべての村は、ソンです。鳥取、山口、香川、宮崎でもすべてソンと読みます。

全国都道府県別「町村」読み方分布図



                 
沖縄の難読村名

北中城村、玉城村の「城」は、グスクと読みます。


沖縄の24村

粟国村   アグニソン 
伊江村 イエソン
伊是名村 イゼナソン 
伊平屋村 イヘヤソン
上野村 ウエノソン
大宜味村 オオギミソン
大里村 オオザトソン
恩納村 オンナソン
北大東村 キタダイトウソン
北中城村 キタナカグスクソン
宜野座村 ギノザソン
具志頭村 グシカミソン
国頭村 クニガミソン
座間味村 ザマミソン
玉城村 タマグスクソン
多良間村 タラマソン
知念村 チネンソン
渡嘉敷村 トカシキソン
渡名喜村 トナキソン
中城村 ナカグスクソン
今帰仁村 ナキジンソン
東村 ヒガシソン
南大東村 ミナミダイトウソン
読谷村 ヨミタンソン 


沖縄市町村位置図桑原政則

沖縄県のクリッカブルマップ
Mapion



「アサ! 朝だよ」 :与那国小学校の学習研究会(#0038,2003年02月)
 
2003年2月、与那国の中心地祖納(ソナイ)にある与那国小学校の学習研究会(昔の学芸会)にお招きいただきました。

台湾に近いので、ごらんのように、舞台装置は台湾の影響が強く見られます。ひらがなはありません。ここの学校では、かつては修学旅行には台湾へ行っていました。

1学年1クラスで15名程度からなります。20年前の恵子さんのお子さんたちの時は、1クラス30人はいたとのことです。

与那国町も、盛時は12000名の人口がありましたが、いまでは1800人となっています。

 





*Olympus のCamedia C-730の望遠を初使用。望遠レンズは使わない方がよろしいです。

左の舞台では、家族がおじいさんを「アサ、アサ!」と起こしていました。「アサ、アサ!」とよんでも起きないので、孫の一人が大声で口元で「朝だよ」とさけびました。場内は大爆笑でした。

アサとは、与那国のことばで「おじいさん」のことでした。おばあさんは「アブ」です。与那国のことばは、沖縄本島では通じません。薩摩弁と青森弁の違いのようなものです。

町のことば、伝統、風習をまもろうと子供たちも、工夫をこらします。


与那国中学3年 16名も応援にかけつけました。幼稚園も入れると10年間同じクラスで学んだ仲間同士です。

与那国島には、高校がないため、この中学3年生は、あと2ヶ月で親元を離れ、500キロ先の異国、文化も風習もちがう沖縄本島の高校へ学びの旅に出ます。卒業後も島には過疎で仕事がないため、大半はもう戻れません。

親御さんたちにとって見れば、下宿に送り出す費用も大変でしょうが、手塩にかけた子供たち、次代の与那国の文化をになう子供たちが、こんなに早く郷里を去ってしまい、帰ってこないのは両腕をもがれる思いでしょう。

この学習研修会は、生徒、アサ(おじいさん)、アブ(おばあさん)、ご両親が輪になり手をつないで会場を何回も回って、有終の美を飾りました。

アサ、アブはいずれ他国へとられる孫の手の感触をいつまでもいつくしんでいました。

与那国中学では、アサ(おじいさん)、アブ(おばあさん)が、生徒に郷土芸能を教えています。

アサ、アブは、いずれこの子らが困難にあったとき、アサ、アブの手ずから伝える与那国魂が、艱難辛苦を乗り越える礎(いしずえ)になることを、信じ切っています。


 
八重山列島は、石垣市、竹富町、与那国町からなります。与那国町ではこの3市町が合併するかどうかに関し、中学生の意向を取り入れることにしています。離島の悲哀を一身に受ける中学生にとっては、当然のことでしょう。

今、情報化の時代で、アメリカなどでは、遠隔教育が大はやりです。与那国に高校の分校をつくるのは難しくないはずです。

現段階では、町に何よりブロードバンド(はやいインターネット)が必要です。私は与那国では、携帯電話で自分のホームページをエッチラオッチラで更新します。世界のマスコミが与那国へ取材に来て、望むのはブロードバンドです。

*
光ファイバーの研究でトップレベルの琉大の波平宜敬(なみひらよしのり)が、与那国の出身とは、皮肉なことです。

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沖縄は東アジアの中心にあり、東南アジアにも近い (#0039,2003年02月)
(改訂:2005年9月15日)

沖縄中心の東アジア、東南アジアの南北逆転地図をえがくと、沖縄が距離的に東南アジアに近く、東アジアの中心にあることが見て取れます。ふつうの地図では、日本の辺境にあるがために、アジアの辺境にされてしまっているのです。

東南アジアの人々が、会議は冬は寒風吹きすさぶ東京ではなくて、近い沖縄でおこないたいと思う理由がわかります。物価も安いですし。

また、沖縄は、東アジア5カ国、中日韓朝台の中心にあります。まとまれば東アジアは、米、欧に対抗できる一大勢力圏になります。

この脅威の東アジア(中・日・韓・朝・台)を分割支配するためのカナメ(要石、key stone)の位置に沖縄が位置しており、アメリカが沖縄をはなさないわけがわかります。


 

アジアの南北逆転地図 (沖縄中心)

 

ペリー上陸の碑
 那覇

ペリーをうやまう沖縄

アメリカはペリーの時代から、沖縄の戦略的価値を見抜いていました。ペリーは1853年(明治維新は1868年)来沖し、計5回にわたって訪れています。日本が、開港を拒否した場合、代替地として琉球の要港を占拠するつもりでした。強行的に首里城に入城したこともありました。

そのペリーをなぜか、ウチナーンチュは、うやまっており、石碑も那覇に建立されています。石碑には「琉球人の繁栄を祈り 且つ琉球人とアメリカ人とが常に友人たらんことを望む」とのペリーのオオウソがしるされています。

2003年はペリー来航から150年、沖縄のマスコミにはペリー批判の論調はありません。

*ペリー関係文献:
外間政章訳『ペリー提督沖縄訪問記』
ウィリアムズ,S.W.『ペリー日本遠征随行記』雄松堂、1970


沖縄男性の短命化は夜のユンタクにも原因が (#0040,2003年02月)

沖縄男性の平均寿命が26位に転落しました。夜の飲みながらの長〜いユンタク(おしゃべり)も関係しています。

生活時間は、90分(1時間半)を一コマ、ワンユニットとしてなりたっているものが多いようです。大学の授業、会議時間は90分です。2時間のテレビドラマも実質は90分です。サッカー、コンパ、パーティも、二次会も、結婚式も実質90分です。小中学校の授業は、半コマ45分です。

睡眠時間も、90分の倍数の6時間、7時間半がよいとされています。もっともアインシュタインは7時間半+1時間半の9時間が睡眠時間でした。

外でのお酒、食事も一コマ、1時間半がよろしいようです。

ウチナーでの夜のユンタク(おしゃべり)、飲み会は、一コマでは、終わりません。食事をとってから泡盛をきこしめすので、腰が落ちつき、3コマ、4コマ(6時間)と続きます。

翌日には、きっちりビジネス時間が待っているので、10分の誤差も許されません。生活時間はウチナー(沖縄)式でゆったり、ビジネス時間は時間厳守となると、睡眠不足、運動不足、ストレス過多となってしまいます。

東京では、生活もビジネス時間で処理されます。ウチナーでは生活時間とビジネス時間は別です。

ともあれ、夜のユンタク(おしゃべり)時間を一コマでもへらせば、食べ過ぎ、アルコール、運動不足、喫煙の問題も改善されます。睡眠もふえ、朝の散歩もでき、ストレスも減り、生活にゆとりもでるでしょう。いやでも長生きするでしょう。




宮古島 平良(ヒララ)市の 西里(イリザト)

平良には人口の割に異常に飲食店が多くあります。飲食店街 西里(イリザト)は平良市内の西にあります。

ここ宮古地方では、オトーリ(演説付き回し一気飲み)が有名です。2002年12月夜8時、西里(イリザト)を、オトーリの現場を一瞥(べつ)したく訪れました。

しかし、街を歩いている人は誰もいませんでした。食堂のおばさんにきいたら、イリザトの夜は9時から始まり、朝方終わるとのことでした。夜が長いせいで、人が集まるのは10時過ぎです。活況を呈するのは零時をまわってからです。                                        




宮古人は酒豪で有名です。長いユンタク(おしゃべり)でならしています。



西はイリ



9時にならないとオープンしない西里(イリザト)

左の写真で、わずかに見えるタクシー「でいご」は、この日2002年12月1日開業で、私が初乗りでした。人口4万に満たない平良(ヒララ)には、タクシー会社が15社もあります。(→ 平良のタクシー会社 )。しかし、「充分やっていける」と若い運転手さんは鷹揚にのたまわっていました。

というのは、宮古の人は歩かないからです。道を長々歩いたりすると、翌日「あの人、きのう道を歩いてたわよ」とうわさになるそうです。

宮古列島のページ


沖縄の基地はなくなる? (#0041,2003年02月)
 
2003年2月13日、成田空港で日高 義樹の『アメリカの世界戦略を知らない日本』を拾い読みしました。概略次のようなことがしるされていました。

・ アメリカは軍事技術で他国に圧倒的大差を付けたので、同盟国との連携による封じ込め政策は廃棄し、アメリカ一国による敵陣営への先制攻撃戦略に切り替えた。

・ アメリカはイラク戦に際して、日本の科学技術、後方支援を求めていない。在沖第海兵師団も移動させない。日米軍事同盟も重要視していない。

・ アメリカはいずれ北朝鮮を直接支配し、在韓米軍、在日米軍を駐留させるであろう。ロシアをおそれる中国はこの事態を歓迎するであろう。

・ アメリカは軍事独裁国家中国を最も危険な国だと見ており、決して許さない。中国の軍事力はアメリカの潜水艦一隻にもおよばない。

・ 元の西ドイツ国民4000万の半分の2000万人が社会主義者であり、東ドイツ国民2000万と合体して、今のドイツを社会主義国にしてしまい、経済活動を失速させている。フランスも社会主義国になってしまった。

・ 今のユーロに将来はない。ヨーロッパ全体が社会主義の重みで沈みつつある。NATOは、19カ国から26カ国になったが、ドイツと同じように社会主義化するだろう。

・ 21世紀は、石油地帯を有するロシアが台頭して来るであろう。


北朝鮮の崩壊後、沖縄、韓国の米軍を、北朝鮮に移し、ロシア、中国、日本、韓国ににらみをきかすというこの指摘は、信憑性はともかくとして、ユンタク(おしゃべり)のよきテーマでありましょう。



在朝米軍基地(予定?)

在日米軍基地と在韓米軍基地を北朝鮮に移行の計画があるという


中国について 

・ 中国の兵器は古く、二流国である。ITの時代、中国の軍事力はなきに等しい。

・ アメリカは中国のどの都市をも崩壊できるミサイル潜水艦を中国沿岸に実戦配備する。

・ 中国の経済は模倣経済にすぎない。第二の日本にはなれない。

・ 中国はあと20年で解体する。

アメリカの新兵器

スパイ衛星、通信衛星、無人偵察機、パームCP、精密爆弾、C17輸送機、精密都市地図地図、ミサイル潜水艦 


対イラク戦争世論調査

Time2003年3月3日号に対イラク戦争に関する世論調査の結果が報告されています。

国民全体の半数以上が賛成、共和党支持者の7割以上が賛成です。20台の若者の6割以上が賛成です。

65歳以上の高齢者は反対が賛成より多く、
民主党支持者は半数が反対です。


日高 義樹
アメリカの世界戦略を知らない日本人―「イラク戦」後、時代はこう動く

日高 義樹は、ハーマン・カーンが創設したブッシュ政権よりのハドソン研究所(Hudson Institute)に属します。ハドソン研究所は、ダグラス社出資の軍事戦略研究機関ランド・コーポレーション(Rand Corporation)から派生しました。

【感想:日高の予測は雑駁すぎるようです。】