タイ紀行

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桑原政則の広場

交通違反ではなく、風紀違反

「ピーッ」。交叉点を横切ろうとしたとき、笛がなった。おまわりさんが自転車のわれわれをよびとめているのだ。緊張する。心当たりがなく、はじめての土地だけになおさらだ。自転車から降りて、近づいていくと、「二人乗りはいけない。知らないのか」と、かなりの剣幕だ。 

ここは、マレーシアの近く、南タイのナコンシータムマラートでのできごとだ。学生の私と同行の女子学生は、ここの図書館へ行く途中だった。

「知らない。しかし、だれでも二人乗りしているではないか。それに、宿屋の主人も、二人乗りはかまわないといって、この自転車を貸してくれたんだ。近くにサムロー(輪タク)がなく、しかたがなかったんだ」とこたえると、「ここはタイだ。タイの法律では二人乗りはいけないことになっている。どこから来た?」「東京から」「東京でも二人乗りはだめなんだろう。ここでも同じだ。降りて帰りなさい」という。 

外国人にやさしいタイ人から、こんなにきつい態度にでられたのははじめてだ。宿屋にかえって、主人にさきのことをうったえると、「二人乗りは禁じられているけれど、べつにかまわないですよ。だが、このような田舎では、男と女の相乗りは遠慮したほうがいいですよ」とさとす。なるほど注意してみると、男女の相乗りはみられない。 

「ははあ,すると,かれはわれわれを交通違反でなく,風紀違反で説諭したの

だな。むべなるかな、ここはタイだ」と悟る。 

 

タイ人のきびしい男女間のモラル

まったく、タイ人の男女間のモラルは徹底している。東洋的公序良俗なのだ。国際都市クルンテープ(バンコク)でも、手をつないでいるアベックはまずみられない。肌を触れあうということは、愛よりも性欲を表現するいやらしい行為と考えられているからだ。 

 

裸は自分でも、恥ずかしい

この国には、日本のような風呂がないので水浴びをするが、一人っきりのときでも、女性は衣服をつけたままで身体を洗う。自分で自分の裸をみることでさえ恥ずかしいのだ。川で洗濯しているのかなと思って、近づいていったら、入浴の最中だったことがある。 

この国の死亡率の高さも、病気になっても、身体をみせるのが恥ずかしくて医者にいかないことも一因だとされている。タイの道徳水準は高い。俗に、この国にはケンカ、立小便、酔っ払いがいないといわれているが、この人口5万にもみたないへんぴなナコンシータムマラートにしてもそうだ。

 

高い道徳水準

交通道徳にしてもそうで、クルンテープ(バンコク)では、東京と違って鉄道列車や利用しうる市内電車がないため、ラッシュアワーは車のはんらんで、とくに皮肉にもクルンテープでいちばん古いニューロードは、狭いため、その混雑ぶりは東京なみだが、やけつくような暑さの中で、タイ人はおとなしくルールを守っている。かれらは静かなる威厳と優雅なていねいさをもっている。 

 

運動会のときにしか走らない?

タイ人は,生活が容易なため,楽天家でゆったりしている。アメリカナイズされたフィリピンのマニラでは、われわれは自身をなんとなく田舎者くさく感じるものだが、この国では逆の印象を受ける。 

タイ人の歩き方は、ゆったりしていて、日本人ふうに歩くとタイの男もどんどん追いぬいてしまう。だからこの国の女性と歩くとジリジリしてくる。遅く歩くのは苦痛をともなうものだ。タイ人は運動会のときにしか走らない、といった人がいるが事実そうだ。オリンピックのこの国の陸上競技の成績をみたらわかる。牧歌的なのである。 

 

気候風土に適した歩き方

しかし考えてみると,タイ人の歩き方はその気候風土に適している。われわれのように足ばやに歩いたら、発汗で疲労が多い。しかもゆったりしたお国がらなので、急ぐ用も多くない。きびしい時間の観念はない。田舎では、「明日、夕方お宅にうかがいます」これで、ことたりるのである。何時といいもしなければ、ききもしない。 

われわれは,タイ式歩行法を採用することにした。ところがやってみると、これがまたむずかしい。腰を回転させるようにして、いつのまにか足をだすその微妙な歩き方は、ちょっと日本人にはマスターできない。ただ女性が手ぶらで歩く姿は、魅力的ではない。波のまにまにただよっている感じだ。前に進むのか横へ行くのか、一瞬判断に苦しむ。夢遊病者のようだ。 

 

ほほえみは社交道具

子供はおとなしく、人なつっこい。中タイの古都スコータイの北にあるシーサムロン村を訪れたとき、わずか1日間で村の子供全部と知り合いになり、方言採集の仕事が大いにはかどった。われわれがほほえむと、かならずほほえみを返す。べつに意味はないのだ。それでもお互いに親近感を感じ、もう友だちになったような気持になる。わけもなくほほえむことができるというのは、東洋人の特権だと思う。誇るべき便利な社交道具だ。 

 

大声を出して笑わない

失笑をかったとき手でロをおおうのは,日本人とよく似ている。しかし、かれらはほほえむのである。笑うのではない。この国の人は大声をたてて笑うことをしない。笑いは声にださない。どなった大声をたてて笑っているのは、外国人か日本人だ。国は豊かでなくとも、それに特有の悲惨さやあせりがなく、じつにゆったりとして礼儀正しくおとなしい。 

 

バス強盗

とはいっても,恐ろしい面もある。ラオスヘの連絡ロノンカイヘ行くバスの中で、いやというほどバス強盗の話をきいた。この国の遠距離バスは、道路がよく、途中人家が少ないので100キロ以上の猛スピードで走る。途中さえぎるものといったら水牛の群れぐらいのものだ。かれらには警笛もおどしもきかないので、ゆうゆうと通りすぎるまで待つよりない。衝突したら横転確実だ。 

田舎のこういったバス路線には、停留所がないので乗客はどこでも降りられる。いわば乗り合い超大型タクシーといえる。乗りたいときには手をあげて待っていればよい。それで運転手が車をとめると何人かが乗る。乗ったとたんにかれらは強盗に早変わりして、ピストルをつきつけながら、乗客の荷物・携帯品をごっそりちょうだいというわけだ。 

それらしき男だと用心して、運転手がとめないことがあるので、女をたたせておいて、男たちが草むらに待機していることが多い。ピストルは、タイのへき地では相当にまでまわっているようだ。われわれの運転手が急に車をとめて、ズボンのポケットからやおらピストルをとりだし小鳥を狙撃したことがあるが、かれらはピストルを日常の携帯用具としている。この種の事件は、新聞にのることはまずない。日常茶飯事でニュースにならないからだ。 

これらの犯人のなかには、タイ人の他に、この国に散在する少数民族もいるという。 タイには30種族30万人の少数民族がいる。メオ族のように、アへンの原料ケシの栽培に従事して、かなりの生活を享受しているものもあるが、一般にかれらは社会と隔絶していて、自分たちは虐げられていると考えて国家を意識しない。 

 

タイ人として生活する日本人

この少数民族の中に、大東亜戦争時に敗戦を予想して軍を抜けでて、いまはタイ人として生活している日本人もいるという。われわれはそんな一人に会った。いまは中国人を装っており,名前も中国名にかえている。ある日、われわれは彼にあった。 

こういった境遇の日本人には、医者になっているものが多い。日本人の普通の医学的知識が、中央タイのスコータイ近くの小村では、そのまま通用するのであろう。タイ人は身なりに関してはきれいずきな国民だが、その衛生観念は高いとはいえない。たとえば、チャオプラヤー川(メナム川)流域では、村落は運河にそってあるのだが、かれらはそこの水を飲み、そこで排泄し、水浴する。 

病気にならないほうが異常ともいえる。だから、そんなところへいった日本人が重宝がられるのも道理だ。若干の薬の知識があれば、ふつうの軽い病気は投薬でなおせる。あとは経験と書物により腕をみがけば、りっばな医者として通用する。われわれの会った元日本人も、話のようすからすると、そんな日本人だった。この地方ではいっぱしの名士のようであった。 

 

戦争の悲哀

この地に終戦後日本人が訪れたのは、われわれがはじめてという。そうだろう。こんなへんぴな田舎に日本人がくるわけがない。かれは20年ぶりに同胞に会うわけである。どんなに感激したことだろうか。つもる話がありすぎて何から話したらよいのかわからないという表情だ。 

話をしている最中でも、われわれの身体服装、挙措動作からいまの日本をかぎとろうとして、懸命になっている。われわれとの対話には、個人的なことは興味がなく、われわれの一言一句、一挙手一投足を遠く市本に結びつけている感じだ。20年ぶりで日本語を話して、思わず日本名をもらしてしまったぐらいだから、よほど興奮していたのだろう。 

しかし、その人は自分の感情を思い切りロにだせない。前歴ゆえに、日本人だと名乗れないからだ。大声をだして叫びたいのを無理におさえている苦しさが顔にある。汗をびっしょりかいている。その人は日本人であって日本人ではないのだ。もはや日本では死者なのだが、それにもかかわらず生きつづけなければならないのだ。その悲哀苦衷は察するにあまりある。 

その人は日本語を忘れていなかった。でも、もう日本人ではない。ものの考え方、生活、人生観がすでに日本人のものでない。われわれと話していて、その人もそれをいたく感じたようだった。その人にとって、20年前の日本だけが唯一の日本なのだ。 

日本を忘れて、この地方の人望家として活躍しているその人に、日本をもちこんでしまったわれわれは、すまない気でいっばいだった。別れぎわのさびしげな表情をみて、「正直いってあなたは日本人なんでしょう。帰らないんですか。日本はあなた方をあたたかく迎えますよ」とロにでかかったが、「いまの日本は、この人には外国でしかありえないのだ。たとえ帰っても、後悔になやまされるだけだ」と思いなおした。私は帰国するや、その人が医学用語を調べるためにほしいといっていた英和辞典をさっそく送ってあげた。  

 

東北タイの反政府感情

東北タイからの帰路、私はこの地方の貧しさをクルンテープ(バンコク)行きの列車の中でまのあたりに体験した。東北タイは、中央政府の行政が行きわたっていないこの国でいちばんの不作地域、未開発地域である。風雨をしのぐだけの家とはよべないあばら家には、家財道具はまずない。何十年働いてもこの状態はかわらない。 

この貧弱な台地に住む人々は、一般国民生活からの遊離を感じており、そのアンチ・クルンテープ感情はするどい。政府はクルンテープ(バンコク)および他地域だけをえこひいきしていると感じている。いまこの国は戒厳令下にあるのだが、そんな状況のもとで痛烈な政府批判をやる。だいたいここの住民は、もともとラオス人で言語もラオス語に近い。政府が東北タイだけをなおざりにしているとの意識は強く、反政府感情は強い。 

 

あどけない少女たちの運命

列車がナコンラーチャシマを通過するとき、一人の男が5、6人の少女をつれて乗りこんできた。われわれのそばにくると、男はどっかと腰かけたが、少女らはとみると、座席があいているのにもかかわらず、かたまって通路に座りこんでいる。 

少女らの年齢は15、6歳で(タイ人は見た目より3歳若く見える)、まだどことなく子供っぽさが残っている。かげりがあるが,その澄んだ目はきれいだ。みすばらしい服装のせいかもしれないが、動作はものうげでけだるそうだ。いやにふけてみえるときがある。互いに話をするでもなく黙々としているが、かといって不安そうなそぶりはみえない。つれの男にいっさいをまかせきっている顛だ。得体のしれない一団である。 

男は本を読んでいるのだが,少女らにたえず視線を向けている。監視しているふうだ。列車がとある小駅でとまると,男はカウトムを買いあたえた。カウトムとはタイふうのおかゆだ。少女らはよほど空腹だったとみえて、ほおばるようにして、それをたべてしまった。かの女らからほほえみがもれたのは、このときだけであった。 

少女らは、食べ終るとまたもとのけだるそうな無口の一群にもどってしまった。ときどきはわれわれに視線を向けたり、車窓の景色をみたりするが、すべてになげやりな態度がみえる。 

この一種異様光景に目をうばわれていたわれわれは、近くのタイ人に小声で、かの女らはいったい何なのだ、どこへ行くの、ときくと、こともなげに、「カリー(売春婦)だよ」という。かの女らは、クルンテープに売春婦として売られていくのだ。 

この東北の貧困地帯が,メイド,売春婦の供給地帯だとは知っていた。がそれにしても、このあどけない少女たちがそうだとは。「どうしてかかの女らは、こんな運命になってしまったのだ。だれの責任なのだ!」一瞬胸の中がもっていきようのない怒りで充満する。かの女らが無知なるゆえになおさらだ。かの女らを好奇心で見ていた自分たちが、なんの手立てもできない自分の存在が腹立たしくなる。 

この少女たちは何も知らないのだ。いや働かねばならないことを知っているだろう。それが苦しい仕事だってことも。が夢にえがいた「神の都」(バンコクのタイ名クルンテープの意味)でまさか、そんな仕事が待っていようとは、想像だにしていないだろう。

 

やさしさは無気力、絶望の裏返し

私は、はじめにタイ人はおとなしく、やさしい。またタイは食物の豊富をゆったりした国だ、牧歌的な国だ、と並べたが、一歩農村地帯、それも東北地帯のへき地に足をふみ入れると、これには大いに留保が必要だ。 

毎年洪水、干ばつに悩み、金貸しからしぼれるだけしぼられる農民が、勤勉で快活でいられるはずがない。かれらのおとなしい、やさしいという性質は、無気力、絶望の裏返しにすぎなかったのだ。それがあまりに板についてしまったら、わからないだけなのだ。 

 

怠け者であることが唯一の抵抗

タイの歴史は,移動と征服のそれである。あの強大なモン帝国とクメール帝国を押し分けて、現在の地に居を構えたかれらを、おとなしい、やさしいだけで表面的に規定できるであろうか。なるほど、ここは居食住が簡便な熱帯だ。屋根と腰まきがあればなんとか生きていける。だから、かれらはなまけ者になったんだ、という人もある。しかし,これも疑問だ。かれらは働いても働いても結果は同じだということを生活体験から知っているので、仕事をしないだけなのだ。 

金を貯えるゆとりもないから、農閑期に借りた借金のかたとして青田買い的に収穫物をもっていかれる。あとは何も残らない。豊作でも不作でも同じだ。いくら働いても同じなのである。こんな状況で,だれがまじめに働くか。なまけ者であることが唯一の抵抗なのだ。 

金貸しから200パーセントの利子をとられても、「あの人はいつもお金を貸してくれるやさしい人だ」と感謝するほど無知なかれらの、抵抗とはいえない抵抗なのだ。どうだかあやしいものだが、今春には年間続いた戒厳令にも終止符がうたれ、腐敗軍政も民政に移管されるという。 

 

期待される農業政策

この国は農民が国民の8割強をしめる農業国だ。しかし国には真の農業政策はなく、政府は農民に搾取以外の何もしておらず、国民の一割しか住んでいないクルンテープにばかりカを傾注している、農民は思っている。タイはクルンテープのためにあり、クルンテープは華僑のためにある、といわれるゆえんである。当然、逆転すべき関係である。 

豊かな平野と気候条件はそろっているのだから、政府の適切な指導と政策一つでただよえる無知な農民はめざめることができるのだ。農民のための農民中心政策が新しい民政に期待される。漂える民は、海図と羅針盤を手にしたときはじめて、前進することができるのだ。 

 

(Source:桑原政則「おおいなるゼロの国=タイ」『時』1965-2)