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頭は聖域
 
 タイ人にとって、頭は身体の最重要部位、聖域であり、
頭にはクワン<魂>が宿っている と考えられている。クワン<魂>が、頭に鎮座ましますかぎりは、人は健康で、活力に富み、幸せである。しかし厄介なことに、 クワン は、思春期の乙女のごとく 感じやすく移り気 で、自分の主人が驚いたり、嘆いたりして喜怒哀楽をあらわにすると、ただちにつむじを通って 体外へ遁走 してしまう。クワンが体外に逃亡すると、人は元気がなくなり、悪運、病気にみまわれる。あまりに長くクワンが戻らないと、死に至ることもある。
頭の中には、クワンが
 
 体外に逃亡し、大気中を逍遥しているクワンをよびもどすには、
クワンが平静になり戻ってくるのを静かに待つ か、今はあまり行われないが、儀式により帰還を願うしかない。 出征兵士に僧が聖水をかける光景をよく目にするが、これは仏教本来のものではなく、クワンに対する鼓舞激励、悪運厄除のためのものである。
贈り物とは、クワンへのささげ物のこと
 
 贈り物のことを、タイ語でコーン・クワン(物・クワン→クワンへの捧げ物)という。これは、クワン召喚の祈願式のあとに、くばられた物に由来する。
クワンは敏感
 
 この養いがたきクワンは、だれかが自分の主人の頭にさわっただけでも、あわてふためく。したがって、タイでは幼児の
頭を、かわいいからといってなでたりしてはいけない 。クワンが敏感に反応するからだ。ただ、自分の親や幼児が尊敬している人なら話は別だ。 他人の髪についているほこりをとるときでさえ、タイ人は当人に一言わびてからでないと、その動作に移らない。

 日本では、気軽に相手の頭をたたいたりするが、タイ人には蛮行とうつり、タイ人がたたかれたとすれば、ひどい侮辱、屈辱を感じるであろう。

 日本人のなかには、枕を足でさわったり蹴ったりする者がいるが、タイ人は、クワンに対する配慮から、枕を丁寧にあつかう。
頭に関するいろいろな語が
 
 タイ人が、いかに頭を自己の最重要部位として意識しているかは、語彙の上からもいえる。一般に、どの言語でも、重要と考えるところやものには、特別の名称を与えたり、いろいろの名称を与える。

 たとえば、米はアメリカでは重要ではないのでrice1語ですまされてしまうが、日本人にとっては重要な作物であるので、<苗、稲、米、御飯、飯、ライス>など様々な言い方で表される。

 タイ語では、毛はコンと呼ばれる。コンは人間の毛や動物の毛をさす。ところが人間の髪の毛のみは特別の言葉で、
ポム とよばれる。髪の毛に対置される陰毛はモーイとよばれる。また、ものを洗うのはラーンであるが、髪の毛を洗う場合のみは サッ という特殊用語を用いる。さらに<頭>は、普通ホアと呼ばれるが、特別の場合には、パーリ語起源の シーサ を用いる。
<私>は、もともと<髪の毛>という意味

 ところで、<私>を意味するタイ語の男性自称詞はポムであるが、これは<髪の毛>という意味から派生したものである。ポムはもともと今では古語となったクラウ・カポム<わが束髪>に由来する。このクラウ・カポム<わが束髪>は、タイ・タウ<あなたの足下>と対概念をなす。

 
自己の最高部位<わが束髪>を相手の最低部位にあたる<あなたの足下>に等置 することにより、自分を卑しめ、<あなたの足ほどの価値しかない卑しきわが束髪→卑しき私>の意味に転用したものであろう。
ポムの代名詞への転移は、最近のこと
 
 ポムの代名詞への転移は、比較的最近のことである。
 タイ諸語の中で、ポムを有するのはタイ国タイ語だけである。ラオス、ベトナム、中国、ミャンマーでなされるタイ語にはこの形式は見出だされない。ブラッドレー師のDictionary of the Siamese Language(1873)には、ポムに<私>の意味をまだ付与していない。

 このように、ポムの代名詞へ転移が言語学的には最近のことであるにもかかわらず、それが<髪の毛>という意味から派生したことを意識するタイ人は少ない。実際現代のどの辞書を見ても、<私>のポムと<髪の毛>のポムを同音異義語として扱っている。両者において意義の懸隔がはなはだしすぎるからであろう。
五体投地礼
 
 かつて、タイには五体投地礼というものがあった。貴人に挨拶する時は、自分の五体を投地して、頭を地につけ、相手の足元と同じレベルに置くことにより敬意を表した。

 クラウ・カポム<わが束髪>とタイ・タウ<あなたの足下>の関係も、この
五体投地礼の言語化 といえよう。 
タイ国王の正式名
 
 タイ国王の正式名は、プラバート・ソムデット・プラチャオ・ユー・ホアであるが、直訳すれば、<
われらが頭上にまします全知全能のかしこきおみ足 >となる。これもポムと同様に、自己の最高部位を王の最下位に対置することにより、王の対する最高最大の尊称としているわけである。
私=かしこき御み足下の塵埃
 
 タイでは現在でも、王族に対しては宮廷語を用いることになっているが、国王に対し、<私>と表現する場合には、タイ・ファー・ラオ−ン・ツリ−・プラバ−ト<かしこき御み足下の塵埃(じんあい)>となされる。国王に対しては、足どころでなく、国王の足の下のちりやほこりと自己を等置するわけである。

 日本では、手紙で「足下」と脇付けをすることがある。「山本 一郎様 足下」などとする。これは、自分の手紙を相手の足下にお届けするということで、差出人が自分を卑下し相手を敬っていることを表す。タイ人の考え方と共通するものがある)。
足は、いやしいもの
 
 このように、タイ社会にあっては足と言うものは下賤なるゆえ、
足を使ってなにかをすることは、この社会ではタブー である。近隣のあるインド人の家庭で幾ら相応の給料でメイドを迎えても、彼女らが日ならずして、次々とやめていくという光景を実見したことがある。

 カースト制度を背景にしたこのインド人家庭では、子供までもが、メイドさんになにかを足で指図することがあり、タイ人の彼女らには耐え難かったのである。
足を組むのは失礼

 足に関してさらに言及するならば、タイではドアや冷蔵庫を足で開閉するのはタブーである。プー・ヤイ
<えらい人>の前で足をくむのは無礼 である。足が高くなり、また場合によっては、爪先で人を指してしまうからである。また一般にタイ人は、土足で他人の家に上がったりはしない。農村に行くと、階段の上がりがまちに足洗いが備えてある。
「がんばれ」は、「チャイジェン(冷静)」という

 タイ人の尊ぶ資質の一つにチャイ・ジェン<心・冷→冷静な心>というのがあるが、これも感じ易きクワンを思んばかってのことであろう。「がんばれ」にあたるタイ語はチャイ・ジェンだが、ボクシングのような熱気のあるスポーツにおいても、「チャイ・ジェン!チャイ・ジェン!(冷静に、冷静に)」と声援を送る。
上品とは、つねに冷静なこと

 人はすべからく、僧侶のごとく
感情を押さえた平静心を もたねばならず、大声で叫んだり、笑ったりしてはならない。奇声蛮声、呵呵大笑はクワン逃亡の原因となる。上品なタイ家庭の食事風景は、通夜のように静かである。
静かにゆったり

 立居振舞にしても、日本の皇族のように、
静かにゆったり が要件である。歩く時も、せかせか歩いてはならない。タイ人は、幼児のときから、馬のようにせかせか歩くな、「象のようにゆったりと歩きなさい」と教えられる。象は、タイ人が尊敬する動物でもある。

 タイ人にとって、その日を平穏に無事に過ごすことが、ユー・ジェン・ペン・スック(有・涼・存・幸→涼しく幸せなこと)、すなわち安穏幸福なのである。また、このような冷静な動作が、また暑熱の気候を和らげる手段でもある。

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