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タイを歩く 問題 (この下)
桑原政則のコラム
キーワード:
暁の寺 アユタヤ エメラルド寺院 クルンテープ シャン族 上座部仏教 スコータイ チェンマイ チャオピヤ川 チワン族 ドーイステープ ナムプラー バンコク
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タイ系諸族は中国南部を故地とする。紀元前後より漢民族の圧迫を受け、波状的に何百年にも渡り、徐々に南下拡散をし始めた。現在中国では広西チワン族自治区、雲南省などに住む。
10世紀には、さらにインドシナ半島をめざし、ホン川、メコン川、サルウィン川の河川に沿って、扇形状に歩を進めた。13世紀には、蒙古の□軍による南中国遠征によりインドシナ半島への進出に加速がかかり、今日見るようにベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー域に分布するようになった。
《A》 元
タイ系の諸語は、北は中国南部から、東は中国の□□島、西はインドのアッサム、南はマレー半島にいたる東南アジア大陸部一体に分布する。タイ系の諸語間の相違は、ロマンス諸語(French, Italian, Spanish, Portugeseなど)とほぼ同じである。近隣のベトナム語、クメール語、ビルマ語などの主要言語が、一カ所に集中するのと好対照をなす。 →タイ系諸語の分布範囲
《A》 海南
□□山脈の西側に住むタイ諸族(シャム、ラオ、シャン)を西方グループとし、東側に住むタイ諸族(黒タイ、白タイ)を東方グループとするならば、両者の違いは次のようになる。
| 文化圏 | 宗教 | 親族組織 | 男女関係 | 居住地 | |
| 西方グループ | インド | 仏教 | 双系的 | 平等 | 平地 |
| 東方グループ | 中国 | 呪術 | 父系的 | 男権的 | 山地 |
西方グループの平地タイ族は、豊かな自然と役畜利用による平地水田工作をいとなみ、高い生産力を誇る。団結誇示の必要もないため、社会的紐帯、文化的結合はルースである。氏族や同族も必要とせず、先祖に対する関心もうすい。家族は、夫婦と子からなる核家族を基本とする。人間関係においても、タテの関係はこのまず、ヨコのルースな関係、個人主義をこのむ。生活の中心は、安定した持続的な農耕、家事労働が占め、したがって女性の地位は高い。
《A》 安南
これに対して、山腹などに追い上げられている東方グループの山岳タイ族は、陸稲耕作や焼畑耕作などによる貧しい経済環境、たえまない異民族との対立、種族の分裂崩壊といったきびしい事態に直面している。したがって、その文化社会は、鉄の団結を必要とし、また他から自己をきわだたせる必要上、文化的特異性と排他性を濃厚に持つ。固い文化、□□崇拝、伝統の尊重、強固な生活信条、狂熱的な呪術、特異な服装、独特の習俗といったものが必要なわけである。
黒タイ、白タイなどという名称も、その服装に由来するものであり、特異な服装はみずからを他と峻別し、アイデンティティを高めるためのものである。このような社会においては、武力闘争、経済戦争の、あるいは氏族組織のリーダーとして男性が選ばれるのが当然である。労働は男に重点がおかれ、また指揮系統明確化のために、親族組織は単系の男性型を取る。
《A》 祖先
中国には、チワン、プーイ、トン、パイイ、スイ、ムーラオ、マオナン、リーのタイ系諸族が住む。これらをあわせると、55の少数民族6000万のうち、2000万を数える。中国では漢族に次ぐ、人口を占める。チワン族は、少数民族中最大の人口1500万を数え、中国南部に広西チワン族自治区を治める。太平天国軍に多数参加した。歌垣で有名である。チワン族は、漢字では□族と記される。
《A》 壮
歌垣は、男女の集団による求愛、道楽を目的とする歌のかけあいである。農閑期に、男女が3〜5 人の組を作り、歌いかける相手を選び、歌のやり取りをする。一人が声高に歌い、他が唱和する。これは、歌による集団見合いというべきもので、わが国にも奈良時代に見られた。タイ系の△△△族の住む中国の広西壮族自治区は「歌海」と呼ばれ、広西の歌の数は石ころよりも多い、と呼ばれる。多いときには、2万人、3万人の男女が丘に集まる。
《A》 チワン
タイ系の△△△族は、上ミャンマーの同名の州に住む。ミャンマーでは、ビルマ族、カレン族につぐ人口を占める。△△△族は、7世紀頃からミャンマーに侵入、13世紀末にはビルマ族のパガン朝を倒し、2世紀間にわたり、ミャンマー中部地域を治めた。シャム族、ラオ族、チワン族と共に、タイ系諸族の雄である。
《A》 シャン
シャム族(タイの首都圏を中心とするタイ族)は、タイ系諸族の中で中国から最も遅れて南下を開始した。メコン川沿いに下り、ラオ族の占拠地を越え、チャオプラヤー川に進出した。クメール族の支配地だった中部タイの△△△△△を占拠し、インドシナ半島に初めてタイ族の王朝△△△△△朝を1220年ごろにたてた。スコータイ朝は、やがて南におこったアユタヤ朝(1350-1767) に併合された。アユタヤ朝は、ミャンマーと40回以上もの戦争を行なった。アユタヤ朝がミャンマーに滅ぼされると、バンコクにラタナコーシン朝(1782- )が立ち、現在に至った。
《A》 スコータイ
東北タイの住民は、ほぼタイ系の△△族がしめる。東北タイは、人口、面積ともにタイの3分の1を占めるが、水利に恵まれず、干ばつや飢饉にしばしばみまわれる。習俗も中部タイのシャム人とは異なる。中部タイのうるち米に対し、モチ米を常食とし、手で食べる。 東北タイにも豊かな文化があるにもかかわらず、タイとの戦争に破れた△△人の子孫であり、またタイの貧困地帯であるために、住民は差別されがちである。バンコクのお手伝いさんやタクシー、サムロー(三輪タクシー)の運転手は東北タイの出身者が多い。かれらは、背が低く、色も黒いのが多い。
《A》 ラオ
タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスの人々が、信奉する宗教は□□□仏教である。□□□仏教は、タイをはじめ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、スリランカで信奉される。この人たちは小乗仏教ということばをきらう。
《A》 上座部
バンコクのチャオプラヤー河畔にあるワット・アルンは別名□の寺ともよばれ、三島由紀夫の小説の題名にもなった。
《A》 暁

…正式の僧侶になりました。(1972年)
黄衣をまとった僧は朝早く□□(僧が鉢をもって食のほどこしを受けること)にでかける。僧は家の前などで飲食物を用意して待ち構えている人々から□□を受ける。 この時僧は礼もいわず、頭も下げず、そうするのは一般の人の方である。僧に飲食物を提供することにより、一般の人は功徳(くどく。仏からのめぐみ。ごりやく)を受けるからである。 □□で得た飲食物は寺へ持ち帰り、皆で分けて食べる。僧の食事は朝と昼、あるいは派に寄っては朝だけ、である。その後は一切食べ物を口にしない。 タイでは男子は原則として一生に一度は出家して仏道に入るものとされている。普通は結婚前に1週間から3か月ぐらいの仏門に入り、還俗(げんぞく。僧が俗人に戻ること)してからは元の職場に戻る。この間役所や会社からは給与は支給される。結婚前に出家するのは、功徳が両親に向かうからである。既婚で出家した場合は、功徳は妻に向かう。
《A》 托鉢
white elephantとは、英語で、「金のかかる厄介物」「その効用に比して途方もない出費を必要とする所有物、金のかかる厄介物」という意味である。そのいわれはつぎのとおりである。
象はタイでは、日常生活ばかりでなく、重要な戦争にはなくてはならぬもので、勝敗の分かれ目は象部隊の活用如何にあった。象には王様が乗るので、高貴な動物とされている。
タイには「エラワンホテル」という有名なホテルがある。エラワンとは、「インドラ神が乗る三頭の象」のことである。エラワンホテルの一隅にあるエラワンは、特に霊験あらたかであるとされ、訪れる人が絶えない。
象のなかでも、とくに白象は王者の象徴で、神聖視される。白象には偉大な王の霊が宿るとされる。白象は、他の象と区別して、チュワックと特別の名前で呼ばれる。「白象勲章」という勲章もある。 白象の飼育には莫大な経費を必要とする。
昔、タイの王様が、有力な家臣にこれを贈った。家臣は、王様からの賜り物だから大切にしなければならず、しかし世話するには膨大な経費がかかり、破産してしまいそうになった。
王様の狙いは、実は有力な臣下を破産させるのが目的であったという。 こういうわけで、white elephantとは、「費用や手数がかかるばかりで、得にならない持て余しもの」をあらわすようになった
シャモは、日本で改良され闘鶏用のニワトリで江戸時代のはじめにシャム(タイ) から渡来したのでこの名がある。首が長く姿勢が立っていて肘は太く精悍(せいかん)な容姿をしている。
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