★あいうえお順索引
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桑原政則
宿泊
- ヴィラ・シャローム 都屋422 098−831−6777
- うふにし ペンション。波平845−5。098−958−6880
- 沖縄残波(ざんぱ)岬ロイヤルホテル
地上13階 客室数501室。ホテルの目の前には、エメラルド色のビーチが広がり、東シナ海に沈む夕日はみもの。
- 残波の里 民宿。宇座673−4。098−958−0384
- ビーチロックハウス 都屋20 098−956−5301
- 民宿 何我舎(ぬ〜がや)。波平知花昌一&洋子
- ホテル日航アリビラ
スペイン赤瓦屋根にホワイトの壁の外観。客室のバルコニーからはオーシャンビューが楽しめるAlivila(alivio+vilaの造語、くつろぎの別荘)です。クルージング、各種マリンスポーツが楽しめます。
- まーみなー歌声ペンション
- ローヤルホテル:本島中部宿泊リスト
地図
統計データ
リンク集他
読谷村の概要
沖縄縄本島中部の西海岸にあり、山、森、海、岬、ビーチ、港、川があり、マチ全体が博物館のようです。沖縄の京都です。座喜味(ざきみ)城跡、残波ビーチ、やちむんの里、
むら咲むら、象のオリ、集団自決のチビリガマなどの戦跡など見るところが多くあります。
村の半分がアメリカ軍基地で、村役場を飛行場の中に建てました。
村の産業は養豚、サトウキビ、イモ、菊、ジャガイモ、メロン、スイカです。紅イモ菓子は全国的に有名です。小菊は県内で大きなシェアをほこっています。
琉球王府時代は長浜港を中心に南蛮貿易が盛んに行われました。戦前は読谷山(ユンタンザ)とよんでいました。村の東側は比謝川に向かって傾斜する丘陵地です。西側は石灰岩台地です。
国道58号が縦貫しています。国道58号線は、鹿児島市から那覇まで、海を越えて続く国道です。
人口は4万目前ですが、村民はソンであることを誇っていて、町に変更しません。
見どころ
座喜味城跡・歴史民俗資料館・美術館、残波岬・残波ビーチ、 むら咲むら、やちむんの里、象のオリ・チビチリガマ、 読谷村飛行場・村役場・掩体壕(えんたいごう)・野球場
、伝統工芸総合センター、泊城公園(沖縄戦上陸の碑、特効艇跡、ビーチ)
特産品:焼物、花織、オキハム、ガラス工芸、紅イモ、ポーポー
赤犬子(あかいんこ)宮
赤犬子は琉球三線(さんしん)音楽の開祖といわれています。楚辺にお宮があります。旧暦9月20日にアカヌクー祭が開かれ、3月4日の三線(さんしん)の日には三線と舞踊が奉納されます。
掩体壕(えんたいごう)
読谷村役場近くに。
座喜味城跡
OCVB。読谷村の小高い丘に建つサンゴ石灰岩の切石(きりいし)積みの城址。1420年頃読谷村の按司(あじ=大名)護佐丸(ごさまる)によって築城されました。沖縄最古のアーチ型の石造門が残る城跡公園です。世界遺産に指定されています。
座喜味グスクは読谷村中央にあり、標高127メートルあり、那覇や離島が遠望できます。沖縄戦では、日本軍の高射砲陣地となり、戦後は米軍に接収されたため、破壊削平されたところが多くあります。
黒糖の里
サトウキビから黒糖をつくる工程の見学。無休。8時半〜5時半。親志。098−958−4005
残波岬 残波ビーチ
東シナ海に突き出た岬で、北面は30メートルの勇壮な断崖絶壁で波が水しぶきをあげます。磯釣りポイントともなっています。南面はサンゴ礁が広がる砂浜海岸で海産物の宝庫です。磯釣りやダイビングのポイントでもあります。
沖縄残波(ざんぱ)岬ロイヤルホテル 、ゴルフ場、残波ビーチがあり、強大なシーサーが目印の「残波岬いこいの広場」は、レジャー用の総合公園です。水曜休み。090−958−0038
読谷の砂丘は、米軍基地建設のため大量の砂が採取されたため砂の量は少なく、植生も豊かではありません。
尚巴志の墓
尚巴志は沖縄を統一した王で、その墓が伊良皆にあります。
伝統工芸総合センター
花織の制作過程を見学できます。読谷村独自の技法で制作するので、読谷山花織(よみたんざん はなおり。)といいます。読谷山花織は14世紀後半に南アジアから伝えられました。人間国宝与那嶺
貞が中心となり復興をはかりました。高志保。土日休み。8時半〜5時。098−958−4647
象のオリ
象のオリとは、直径200メートル、高さ28メートルの円柱型アンテナのこと。米軍施設。波平。→ 楚辺通信所
瀬名波通信施設
米空軍の西太平洋の電波の傍受分析をおこなう海外放送情報サービス沖縄ステーションが駐屯しています。面積は0.6平方キロ。
楚辺(そべ)通信所
象のオリを中心として航空機、船舶の軍事通信の傍受分析をおこなっている通信施設。米軍はキャンプ・ハンザとよんでいます。近接のトリイ通信施設とコンピュータで連結しています。象のオリと駐車場以外は黙認耕作地となっています。
面積は0.5平方キロ、2002年現在の地主数は453人で年間賃貸料は3.4億円。
チビチリガマ
1945年4月2日、米軍が読谷海岸に上陸しました。上陸地点近くの波平(なみひら)区の住民140人のうち85人がこの避難壕で死亡しました。83人は集団自決しました。うち10歳以下の子供が33人もいました。2人は米軍に殺されました。ガマ内は墓なので立ち入りは禁止です。粛々ととむらうのが礼儀です。
宙吹(ちゅうぶ)きガラス工房 虹
廃ビン利用につきものの気泡をあえて取り入れた泡ガラス作品の製作工程の見学。素朴な風合いが特徴。稲嶺盛吉(いなみねせいきち)氏の工房兼ギャラリー。座喜味。日曜休み。9時〜6時。098−958−6448
泊城公園
沖縄戦上陸の碑、梵字碑、特効艇跡、美しいビーチ
トリイ通信施設
西太平洋における最重要の戦略通信施設で、戦略関係の放送、通信、暗号を傍受分析しています。陸軍特殊部隊のグリーンベレーも配備されていて、海兵隊と違い関係者の知的レベルは高いです。正面ゲートに大きな鳥居が二本立つのでこの名があります。福利厚生娯楽施設が完備しています。
長浜ダム
1995年に完成した沖縄本島最大の農業用ダムです。
花織の里→伝統工芸総合センター
比謝橋
読谷村と嘉手納町の境をながれる比謝川にかかる橋。有名な遊女「よしや」がおさない頃那覇へ売られて行く途中、比謝橋でよんだ歌が残っています。「うらめしいなあ、比謝橋は。情けのない人が私を遊郭に売り飛ばすためにかけておいたのでしょうか」。『ペリー艦隊日本遠征記』にも詳細に報告されています。
比謝川は、読谷村の東を流れ、南境から東シナ海に入っていきます。比謝、比嘉とは東のことです。
むら咲むら
15世紀頃の琉球の町並みを再現。芸術村では、やちむん、琉球ガラス、黒糖工場、三線工房、藍染めが体験できます。波平。無休。9時〜6時。098−958−1111
やちむんの里
読谷村は、やちむんの村で、40あまりの窯元が散在しています。もともと読谷では、1670年前後に喜名焼きといわれる読谷独特の焼き物が焼かれていました。1972年金城次郎を迎え、またその後の米軍不発弾処理場撤去闘争の中から軍用地の跡地利用としてのやちむんの里が生まれました。
共同売店では、窯元制作の読谷壺屋焼きを販売しています。喜名。9時半〜5時半。098−958−4468。
読谷村共同販売センター:
やちむんと花織り、紅イモの展示と販売。親志。木曜休み。9時なみ6時。098−958−1020
読谷補助飛行場
読谷村の中央に位置する2平方キロの飛行場。現在は使用されていない。フェンスがないため、施設内への出入りは自由で、サトウキビやサツマイモなどの耕作が黙認されています。これを黙認耕作地といいます。
1944年建設の「沖縄北飛行場」を米軍が接収し、読谷補助飛行場としたもので、1972年の日本復帰以前には、訓練による死亡事故や家屋損壊事故が多発しました。
読谷村役場
基地内の役場。
読谷村立歴史民俗資料館
珍しい村立の民俗資料館。 歴史民俗中心の資料を展示。座喜味城址公園入り口。9時〜5時。月曜休み。098−958−3141
読谷村立美術館
歴史民俗資料館に併設。座喜味城址公園入り口。9時〜5時。月曜休み。098−958−2254
瀬名波通信施設:2002年現在の地主数は384人で年間賃貸料は3.5億円。
トリイ:2002年現在の地主数は957人で年間賃貸料は13億円。
読谷補助飛行場:2002年現在の地主数は227人で年間賃貸料は1億5000万円。用地が旧日本軍買収の国有地であったため、所有権帰属問題が発生しています。