沖縄の京都、読谷(ヨミタン)を歩く  3

 桑原政則   読谷村のページ   
地図【読谷は那覇から30キロ、車で1時間の所です。】 沖縄の京都 読谷を歩く 目次      沖縄を歩く


〇沖縄にもあるSuicaカード: 比嘉徹(とおる)(#38,2004年5月22日)

読谷出身、1961年生まれの比嘉徹(とおる)社長は、沖縄版Suicaカードの普及を強力に推進しています。



比嘉徹(とおる)レイメイ社長。レイメイにて


SuicaとはSuper Urban Intelligent CArdの略です。

*Suica JR東日本
*スイカってなに?イラスト版


比嘉徹(とおる)社長は、那覇市IT創造館にスイカの沖縄版を導入しています。ここでは、Edyとよばれる多機能ICカードが、 自動販売機などの電子マネー、部屋のカギ、パソコンのキー、出退勤カードを兼ねます。




ICカードでサンピン茶を購入する比嘉社長

Edyとは、Euro, Dollar, Yenの略でしょうか? 沖縄ではA&W、 Jimmy、AM&PM、那覇市役所が採用しています。 郵貯もエディ(Edy)を乗っけました。

沖縄は銀行が3行で少なく、島なので統一したサービスができ、キャッシュレス生活がもうほんのそこまで来ています。米粒ほどのICチップは携帯電話に組み込むことができます。ICカードは、沖縄の経済社会システムをもうすぐ一新します。

*Edy ビットワレット

*Edy関連用語集

*電子マネーEdyソニーファイナンス


レイメイの知名度を上げるにあたって、比嘉徹(とおる)社長がとった戦略は、宣伝費をかけないことでした。

パブリシティに主眼をおきました。Publicityとは新聞などのマスコミに自社を無料で取り上げてもらうことです。そのために賞を取ることに全力をあげました。賞を取れば、知名度と信頼度があがり、無料の宣伝活動となるからです。

この戦略の結果、レイメイの製品の質は高くなり、システム開発に高い独創性が認められるようになりました。


1991年の創立ですが、はやくも1997年、流通システム大賞(日刊工業新聞社)を受賞しました。

1998年 県より中小企業製品開発補助金の交付を受けました。

1999年 伊敷豊『沖縄のオンリーワン企業』(ボーダーインク社、著者:)にて紹介されました。

2000年 「第1回ビジネスオンリーワン賞・サービス業等部門」を受賞しました。

2001年 「中小企業研究センター賞」を授賞しました。


レイメイのニュースでは、マスコミとの深い関わり合いを知ることができます。



レイメイ入り口の授賞額とパンフレット


比嘉社長は、人の話を最後までゆっくり聞く大物タイプです。1年間無休で、ただただ緻密さを要求される仕事を軽々とこなしている沖縄には希有な存在です。

休日は読谷での家族サービスが何よりの楽しみのファミリーマンです。

* レイメイ
社名の黎明とは、夜明けのことで、英語ではdawn[ドーン]といいます。

*レイメイのホームページ

*比嘉徹 Google




那覇市IT創造館。新都心天久(アメク)にあります。那覇新都心は、国際通りの上の方にあります。→那覇市全体図



那覇市IT創造館のインターネット体験コーナー。ここでは飲食自由です。水物をこぼしても、落としても動じないノートブックを使用しています。(メモ:電話で機種を確認)


〇POS(ポス)を使えばまだまだ伸びる沖縄の企業: 比嘉徹(とおる) (#39、2004年5月23日)

沖縄県はIT立県をめざしています。IT立県とは、コールセンターなどのIT企業をよびこむこととIT技術の成果を沖縄から発信することです。

コールセンター誘致による雇用は大きく伸びました。

*沖縄県コールセンターのリスト

しかし、IT技術の成果の発信はまだまだこれからといったところです。


その中で、レイメイはPOSシステムで健闘しています。

POS(ポス)とは、「販売時点管理=Point Of Sales」システムのことです。

コンビニのレジがPOSです。物を売った時点で、在庫管理、受発注管理、複数の店舗の販売動向、天候と売り上げ比較などができます。


「パソコンでレジもできないか」という相談を受けたのをきっかけに、パソ・ポスの開発に成功しました。

Windows環境のパソコンでレジができます。1台でレジ処理、仕入れ、在庫、売り掛け、顧客管理ができます。

*ビッグバンーPOS


いままでは、店がPOSにあわせていたのを、店にPOSをあわせるシステムにしました。大手は製品化まで半年から1年かかりますが、レイメイでは個々の顧客の要望に応じて、情報を調理更新しています。時代の流れは速く、小さい会社だからできることです。

税金関係の書類にも活用できるので、2重の手間暇をはぶくことができます。


東京や福岡にも支社がありますが、万一トラブルが発生してもリモートメンテナンスで対応することで、ハンディキャップを克服しています。


このPOSをたとえば、ヘアサロンは次のように活用しています。

お客様のヘアスタイル、髪質、来店履歴を入力しておきます。速く正確な対応ができます。

さらに、喜んでくれる話題、趣味、避けるべき話題も入力することができます。こうして、売り上げを大幅に伸ばしている店があります。


屋台や野外販売でも使える「ポケットPOS」も製品化されています。価格は従来の3分の1の45万円です。

*ポケットPOS


顧客第一主義は、口だけではなく、ITを活用することから始める必要があります。


〇トコヤさんは待ち仕事から予約ビジネスへ :Kiroro(#40、2004年5月26日)

人口3.7万人の読谷村には約30件の理容店があります。乱立気味という声も聞かれます。

*読谷のヘアサロン Yahoo!電話帳


POSを使えば、楽な経営ができます。

お客様のヘアスタイル、髪質などを入力しておきます。写真を撮っておくのも一法です。

そのお客さんの来店間隔を、2週間、3週間、4週間などと記しておきます。都合のよい時間帯も入力しておきます。

前号で述べたように、喜んでくれる話題、趣味、避けるべき話題も入力します。


こうしておいて、2週間前と前日に電話します。

「15日の木曜日3時にお待ちしています。ご都合はいかがですか?」

お客さんを待つのではなく、指名するのです。お客さんはみずから予定を組む必要がないので、助かります。


こうすれば、週休2日制を敷いても客数は減りません。

月1回は週休3日にすることもできるでしょう。

予約ビジネスの誕生です。



予約制のキンパリにて。2000年。「きろろ」のお父さんをはじめは、お兄さんだと勘違いしました。Kiroroは読谷高卒です。


アメリカではお医者さんはグループを組んでいるので、1ヶ月間も休むこともあります。自分の患者はその間他のお医者さんに預かってもらうのです。

この方式で行けば、2週間の休みも取れるようになります。


人間は500万年前に誕生しました。今から約1万年前1万年をかけて、農業革命をおこないました。

1750年から工業化による産業革命を遂行中です。ほとんどの国ではまだこの段階にあります。

2000年からは一部の国では、情報革命に突入しました。今はお金儲けの源泉は、物をつくることでなく、知識をつくりだすことです。

時代は、農業社会→産業社会→知識社会へと進んでおり、知識社会への革命はは2050年には終わっているという予測もあります。

*知識社会のページ


理容店のPOSは知識産業のシンボルです。だれでもトコヤさんにはやっかいになるものです。トコヤさんのPOSで知識産業の真価を体感でき、「自分の所でも使おうか」となり、地域の底上げにも役立ちます。


私は、沖縄ではタクシーを頻用しますが、「話、情報を仕入れるため」ってことが大いにあります。

トコヤさんも休みをいっぱい取って、旅行に行ったりして、新しい情報をお客さんに伝えていけば、喜ばれるでしょう。

トコヤさんは情報提供業、咄家(はなしか)でもあるのです。

知識社会の一員に早くなったほうが、おいしい果実を味わい、ラクをすることができます。


*理容業ならびに全理連の将来像に関する提言  全国理容総合研究所

*理容店経営の統計調査 全理連

*ほった理容プリペ−ドカ−ド


〇トコヤのコンビニ QB House (#41, 2004年6月2日)

2004年5月28日、秋葉原デパートのQB House(キュービー ハウス)に行ってみました。

トコヤのチェーン店です。全国に226店舗を展開しています。

*QB Houseのホームページ


散髪代はポッキリ1000円です。自分でできるシャンプー、シェービングは、ナシです。10分少々ですみました。

*QB Houseの設備と道具【画像】


女性理容師にお話を聞きました。

「1日11時間労働です。13時間働いている人もいます。

固めて休みをとれるから、この方がいいです。

1日40人ほどをお相手します。」


2003年9月22日には、Wall Street Journalに"Japanese Chain's Barbers Cut to the Quick"と題してとりあげられました。


毎月55万人が利用しています。1店につき円筒型のボックスを約4席備えています。1ヶ月4000人のお客様をこなします。

ふつうのトコヤさんの客数は250人です。16倍の生産性です。


お店は沖縄にはまだありませんが、シンガポールにはあります。香港、タイ、マレーシア、台湾への出店計画もあります

老舗(しにせ)のお寿司屋さんが、回転寿司にとってかわられるこのごろ、トコヤさんも工夫を、個性を出すときに来ています。


〇観光振興に本腰で取り組む読谷村 (#42, 2004年6月7日)

2004年4月、読谷村観光協会ができました。
1999年11月設立の読谷村商工会の観光部会が発展的に解消して成立したものです。

おめでとうございます。



読谷村観光協会の設立総会。壇上は安田村長

*読谷村観光協会設立総会 読谷村商工会


ここで観光関係のデータをあげてみます。

世界の外国旅行者数は、2000年の7億人から2020年には16億人に倍増すると、WTOは予測しています。

外国旅行者数
1970年  1.6億人
2000年  7億人
2010年 10億人
2020年 16億人

*WTO(The World Tourism Organization)世界観光機関

飛躍的な進展を続ける観光産業は、現在では世界全体の総生産の10%以上を占め、2億人の雇用を有する世界最大の産業になっています。


日本では、2003年度からVJC(ビジット・ジャパン・キャンペーン、Visit Japan Campaign)を実施し、2010年には訪日外国人旅行者数を現在の倍の1000万人と見込んでいます。

*小泉内閣の『観光立国行動計画』。2003年1月策定


これを受けて、沖縄県は、県の予算総額3%減の中、観光リゾート局の予算だけは2割以上もふやしています。

*平成15年観光収入 観光リゾート局
*沖縄県観光振興基本計画 観光リゾート局


読谷村観光協会の設立は、時宜を得たものです。「新しい有望な事業はトップ直属」が原則です。本腰を入れた行政の積極的な理解と財政支援をえて、読谷観光が順調に発展することを祈念します。

観光収入の波及効果は、実数の2.5倍といいます。

*主要観光施設における入込客数の推移 読谷村役場

観光は、実は平和と表裏一体の関係にあります。観光振興は読谷にもっともふさわしい事業です。




読谷村老人クラブ連合会の不戦の碑

世界に 知らさびら
戦争世ぬ  苦りさ
いちゃし 忘りゆが  命(ヌチ)ど宝

平和憲法や 定みてやあしが
護ていかすしや  人ぬ心

忘て忘ららん  戦争世ぬ哀り
又と無んぐとに  平和御願げ

【メモ:
諸外国語での発信も、いずれ望まれるところです。これからは、常に外国人を意識する必要があるでしょう。

平和は世界にアピールしたほうがよろしいです。異国で自国語に会うと、足が地につく思いになり、印象も強いものです。】




*沖縄県の観光協会
伊江村観光協会
石垣市観光協会
糸満市観光協会
いらぶ観光協会
沖縄市観光協会
宜野湾市観光振興協会
久米島観光協会
竹富町観光協会
本部町観光協会
名護市観光協会
那覇市観光協会
宮古観光協会
本部町観光協会


【ここしばらく、読谷観光について筆を進めます。
次は、〇柳田国男が望む読谷観光のあり方】


〇柳田国男が望む読谷観光のあり方 (#43, 2004年6月8日) 愛村

近代 西欧文化 横光利一『旅愁』
    封建 儒仏文化 吉川英治『宮本武蔵』    
    古代 土着文化 中里介山『大菩薩峠』      

〇柳田国男が望む読谷観光のあり方 (#43, 2004年6月8日) 愛村

1957年、桑原武夫は日本文化を三層に分け、それぞれの層を代表する小説を挙げました。

    1. 西洋の影響下にある表層
    2. 封建的サムライ的な中層
    3. 土着文化の古層

*桑原武夫
*中里介山『大菩薩峠』全38巻のテキスト版、青空文庫
*cf.鶴見太郎『民俗学の熱き日々』中公新書、2004年、pp120-121


日本の土着文化にクワ入れをし、研究し続けたのが日本民俗学者の創始者 柳田国男(1875〜1962)です。沖縄学の父 伊波普猷(いはふゆう)は柳田国男の弟子筋にあたります。

*柳田国男の略歴
*柳田国男
*柳田国男関係の画像Google
*柳田国男の著作  Amazon


柳田国男の著作の中で一番読まれているのは、岩手県遠野市に伝わる説話・民間信仰を書きつづった『遠野物語』(1910年)です。『遠野物語』は、いまだにマチおこしの主役です。
語り部による遠野の昔話を聞くこともできます。

*遠野市 遠野の観光は左下「観光情報」をクリック。
*語り部による遠野の昔話


民俗学(folklore) とは、かつては「郷土研究」と称していました。民間伝承の調査を通して、身の回りの生活世界を見直す学問で、柳田国男が体系づけました。民族学(ethnology )と区別するため、フォークロアの民俗学といいます。


今、柳田がふたたび脚光を浴びているのは、地方の時代だからでもあります。

彼は、1921年には沖縄を旅しました。沖縄を古代の日本を映す鏡だと考えていました。後に南島談話会をつくり、沖縄学のレベルアップをはかりました。

1950年には、「教育勅語」は「愛国」はあっても、「愛村」がないからダメだったと指摘しました。


柳田国男が生きていたら、日本文化の3層の中でも特に古層をしっかりもっている読谷を沖縄の代表選手に選ぶでしょう。

そして、歴史、自然、環境を大事にし、しっかりした地域個性をもっている読谷に、ミニ東京化ではなく、今ある個性をさらに磨くように激励するでしょう。


この10数年来、日本は国際化の号令のもと、「終身雇用」などの制度をすててきました。今、終身雇用はやっぱり日本社会にあった大事な制度だということが再認識され始めました。安易な国際化、ミニ東京化がきびしい批判のもとにあります。


泉下で柳田国男は読谷観光の行方を見守っています。




インドネシアのバリ島は古いものを大切にして、かえって観光客をふやし、土着文化の層を厚くしています。

*神楽(かぐら)、バリ、読谷では、観光が伝統文化をバージョンアップ




〇なぜ、沖縄にイヤシがあるの? :柳田国男の神概念 (#44, 2004年6月9日) 渡具知の墓地

柳田国男は、「霊」を次のようにとらえていました。

人の魂は、死後は墓の中にあるが、33年たつと、「ご先祖」になり、付近の山の神、田の神となり、1年に数回里へおりてくる。神は、人の世と往還し、身内のように人と接する。(柳田国男『先祖の話』)


墓前で、家族や親戚がそろってお供えの料理をいただくシーミーにこのことがよく表されています。

*シーミー(清明祭) OCA
*シーミー 【画像】


これを要するに、沖縄の生活世界では、幽明(あの世とこの世)の境が薄いということです。

沖縄で時間がゆっくり流れるのは、生きている間にできなかったことはあの世でやればよいからです。


池上永一『夏化粧』(文芸春秋社、2002年)では、あの世とこの世は行き交うことができることが当然のようにえがかれています。


沖縄社会の特徴は、   
  • 幽明の境があいまい
  • プロアマの境があいまい
  • 公私の境があいまい   
  • 上下の区別があいまい
ということです。

ヤマトのキチキチ社会に対するユッタリ社会の特徴です。

(これは、生活社会のことで、ビジネス社会では、どこでもキチキチ社会です。東京では、生活社会でもキチキチです。)


ここにイヤシの源泉があります。人が沖縄で、ほっとし、くつろぎ、いやされるのは、このためです。


あまりイヤシが過剰の場合には(テーゲー度が高すぎる場合には)、模合(もあい)と字(あざ)で結束をはかります。

*模合(もあい) OCA


いま、現代社会では何もかもが細分化、分断され、職場ではテクノストレスが蔓延しています。

*テクノストレス

人が、沖縄にイヤシを感じ、求めるのは当然のことでしょう。





お墓から見た読谷の海
お墓は海を向いているのが多いです。ニライカナイ信仰と関係づける人もいます。渡具知ビーチから日没(サンセット)は感動ものです。




テントを張るための留め金
先祖との交流は、長時間にわたるので、雨や日差しをさけるために、テントが必要になります。  



中国への思い入れが深い沖縄人  
祖先は「阮」氏であることの銘が


(合掌  (._.)    )


〇ウワイスーコー(三十三回忌)とチビチリガマ (#45, 2004年6月11日)

読谷の関係住民が、下嶋哲郎さんにチビチリガマの集団自決について、重い口を開いたのは、ウワイスーコー(三十三回忌、<終わり+焼香)のあとでした。人は死後33年たつと墓を出て、神になります。

1978年以降、沖縄の浦添市、糸満市などあちこちで悲劇が語られ始めたのは、ウワイスーコーをおこなってからのことでした。

*チビチリガマとシムクガマ
*洗骨 OCA
*下嶋哲郎『沖縄・チビチリガマの“集団自決”』岩波ブックレットNo.246 1992.3



チビチリガマ
折り紙の束がるところが入り口。1945年4月2日、米軍の上陸を迎えて、この自然壕のなかの139名のうち82人が「集団自決」をとげました。49人が未成年者でした。沖縄戦は、1945年4月1日米軍の読谷への上陸からはじまりました。



チビチリガマの歌

【メモ:
願いや決意はわかりやすい発信が大切です。小中学生にもわかるような訳、解説がほしいものです。】

チビチリガマの歌 (金城実  小室等)
*チビチリガマの歌 李政美 mp3

1 戦世(イクサユ)ぬ 哀(アワ)り
<イクサユヌ アワリ>

 物語てぃ 賜(タボ)り
<ムヌガタティ タボリ>

 童(ワラビ)孫(ンマガ)世(ユ)に 
<ワラビ ンマガ ユニ>

語てぃ 賜(タボ)り
<カタティ タボリ>


2 波平(ハンザ)チビチリや
<ハンザ チビチリヤ>

 私達(ワシタ)沖縄(ウチナー)世ぬ 
<ワシタ ウチナーユヌ>

心肝(ククルチム) 痛(ヤマ)ち 
<ククルチム ヤマチ>


3 泣ちゅさ  沖縄
<ナチュサ ウチナー>

 泣ちゅな  チビチリよ 
<ナチュナ チビチリヨ>

弥勒世(ミルクユ)  願(ニガ)てぃ 
<ミルクユ ニガティ>

物知らし所 チビチリヨー  
<ムヌシラシ ドゥクル チビチリヨー>
 
(一部、意味を取りやすくするため、文字を改変しました。)


【メモ:
チビチリガマ付近では、ご先祖のためにも生活排水対策が望まれます。】


(合掌  (._.)    )


〇沖縄人は日本から南下して来たの? :羽地朝秀、伊波普猷と読谷村渡具知の土器 、源為朝
(#46, 2004年6月14日)

琉球王朝の摂政の羽地 朝秀(はねじ ちょうしゅう)は、琉球最初の歴史書『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』を1650年に編集しました。

このなかで、沖縄人の祖先は日本から渡ってきたものであると唱えました。琉球王朝を開いた舜天(しゅんてん)を源為朝の子であるとする貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)を開陳しました。


この「日琉同祖論(にちりゅう どうそろん)」によって、羽地 朝秀は「古琉球」から「近世琉球」への転換をはかろうとしました。

*羽地 朝秀=向象賢
羽地 朝秀(はねじ ちょうしゅう 1617-1675)の唐名は、向象賢(ショウ ジョウケン)です。歴代の王は「尚」姓ですので、向象賢(ショウ ジョウケン)は、自分の姓を、王にはばかって「尚」から2画を削り取って「向(ショウ)」としました。欠画(けっかく)といいます。


沖縄学の父 伊波普猷(いは ふゆう)も、『古琉球』(1911年)で沖縄人南下説を展開しました。

*沖縄人の移住ルートは、九州→ 奄美→久高島
*伊波普猷文庫目録


1975年、読谷村渡具知(とぐち)で、爪形文(つめがたもん)土器が発見されました。

*爪形文土器 【画像】
*【メモ:要 渡具知の現場写真】

これにより、沖縄の先史時代は、数千年も古くさかのぼることになりました。今から7000年前に、沖縄人が住んでいたことが実証されました。


渡具知の爪形文(つめがたもん)土器の出現で琉球人南下説は不利になりました。

なぜなら、いまから、7000千年前、つまり紀元前5000年に日本人が大挙 琉球に渡来することは、ありえないからです。


*爪形文(つめがたもん)土器は、読谷村歴史民俗資料館で実見できます。

【メモ:渡具知 東原(アガリバル)遺跡は、重要な観光資源です。】



*為朝伝説

源為朝は、流刑地の伊豆大島を脱出し、運を天にまかせて今帰仁(なきじん)の運天港に流れ着きました。

その後、妻子を残して旅立っていきました。妻子は為朝の帰りを浦添(うらそえ)の牧港(マチナト)で待ち続けました。遺児は、のちに琉球王朝を開いた舜天王になりました。



運天港

*運天港の位置 右上
*沖縄本島の中の運天港 ほぼ中央


*18000年前の港川人は、現代沖縄人とは関係ありません。ジャワのワジャク人に似ています。
馬場悠男「港川人はどこから来てどこへ行ったか」2000年1月22日、『公開シンポジウム 海上の道 再考』沖縄国際大学
*港川人 【画像】

今回のコラムの参照文献



  • 柳田国男『海上の道』岩波文庫、1978年。柳田国男の南島研究の集大成
  • 伊波普猷『古琉球』岩波文庫、2000年。初版は1912年
  • 安田喜憲『古代日本のルーツ 長江文明の謎』青春出版社、2003年
  • 梅原猛、藤村久和『アイヌ学の夜明け』小学館ライブラリー、1994年。
    アイヌ学の関係者は、沖縄に興味をもっています。縄文時代の人たちの形質を多くとどめているからです。顔の彫りが深くて、毛深く、身体に比し手足は短い方です。耳あかがしめっているのが特徴です。

*メモ:姓について
  • 柳田国男によると、鈴木とは「稲の穂」のことです。(p.258) 。烏紋
  • 伊波普猷によると、沖縄では雷が鳴ると「桑原、桑原」などと唱えるのは、ムカーシ雷があばれたあげく、桑の木に落っこちたが、クワは堅く、挟まって死んだことに由来します。(p.46)


〇沖縄人は、北上してきた :柳田国男と長江文明 (#47, 2004年6月16日)
(改訂:2005年9月17日)

日本人北上説をとなえたのは柳田国男です。日本人は南方から潮流にのって渡来したとする学説です。

島崎藤村の「椰子の実」も、柳田国男の『海上の道』にヒントを得て、つくられました。

*「椰子の実」のいわれ
*椰子の実 【音楽】


しかし、稲作文化は朝鮮半島を経由して日本に伝来したという考えが定着していたので、柳田の北上説は人気がありませんでした。


*石田英一郎「永遠の日本人  日本民族文化の起源論によせて」『石田英一郎全集 3』1970年
*高宮広土「植物遺体からみた海上の道説:再考」2000年1月22日、『公開シンポジウム 海上の道 再考』沖縄国際大学
「沖縄諸島における米作りは8ー10世紀である。」
「日本最古の水田耕作の跡は鹿児島などの南部九州ではなく、北部九州で発見されている」


ところが、読谷村の渡具知(とぐち)に紀元前5000年には、日本人が住んでいました。

また、紀元前6000年には中国に世界最古の長江文明が存在したことが、最近わかりました。

*沖縄人のルーツは長江文明


長江文明の地(長江下流)は、越(えつ)とよばれました。ここから西に、南に移住した人たちは、タイ人やベトナム人となりました。

ウチナーンチュ(沖縄人)は、ベトナムやタイの村に行くと故郷に帰ったような郷愁をおぼえるといいますが、同じ文化を受け継いでいるからでしょう。


越の人が黒潮に乗って、たどり着いたのが越前(福井)、越中(富山)、越後(新潟)です。

*安田喜憲『古代日本のルーツ  長江文明の謎』青春出版社、2003年



黒潮。黒丸の部分がは越。ベトナム(越南)は、越の南にある。



また、秦(しん、前771-前207)の時代には、中国ではタカラガイが最高の財貨でした。タカラガイを求めに黒潮に乗って日本へきた人たちもいるでしょう。

タカラガイの北限は、太平洋岸では福島県、日本海側では新潟県です。このとき、おそらく、稲の種子ももって来たと思われます。

*タカラガイ 【画像】


長江から琉球へも移民がありましたが、稲作はおこないませんでした。

人口も少なく、おそらく数千人単位だったでしょう、豊かな狩猟、漁労、採集生活をおくることができたので、手間暇のかかるイネを栽培する必要はありませんでした。



それでは、伊波普猷(いは ふゆう)の説得力のある南下説を、どうとらえたらいいのでしょうか?


〇「琉球人東進・北上南下説」 (#48, 2004年6月21日)

(改訂:2005年9月20日)(2006年7月)


柳田国男は、『海上の道』【Google】で琉球人北上説をとなえました。

しかし、柳田の薫陶をうけた伊波普猷(いは ふゆう、1876〜1947)は、日本人は朝鮮半島経由で渡来し、九州から南下したのが琉球人になったとしました。

両者は主張を変えず、晩年には不仲になりました。


1921年、比嘉春潮(ひが しゅんちょう、1883〜1977)は、柳田国男に出会い、師事しました。

比嘉春潮は、伊波普猷に兄事していました。1947年伊波普猷が波乱の生涯を閉じたのは、比嘉春潮宅においてでした。

* 比嘉春潮旅研


比嘉春潮は、日本人は柳田の言うように、越(エツ、南中国)から北上したとしました。

「紀元前アジア大陸の南島沿海地域に住む百越族中の一小族が、宝貝の魅力に誘われて琉球列島中の南の或る島に来た…」
(比嘉春潮『沖縄の文化』)。

さらに、はるか下って、倭人の一部が伊波普猷の言うように南下し琉球人に合流したと唱えました。

琉球人は北上し、南下した、というわけです。


しかし、地図を見てください。黒丸で囲んだ越は、琉球へ東進したのです。



琉球人の東進コース


琉球人は、越から東進し、日本本土へ北上し一部は再び南下しました。

わたしは、「琉球人東進・北上南下説」とよんでいます。


1951年、日本は、対日講和条約により、沖縄を分離する形で、独立しました。柳田国男の『海上の道』の論文は、1950年から5年間の間に書かれました。 柳田国男は、日本人に「沖縄を忘れるな」という意味をこめて、『海上の道』を上梓(じょうし)したようです。

*福田アジオ「解説」『柳田国男全集』ちくま文庫、1989年


〇古きを大切にする読谷村:方言のホームページ (#49, 2004年6月23日)


読谷は古いものを誇りにするマチです。沖縄県市町村ホームページのトップページをくらべてみるとわかります。キャッチフレーズでウチナーグチ(沖縄語)を使っているのは、読谷村と伊良部町だけです。

沖縄は、日本文化の古層を写す鏡でもあります。ウチナーグチを大切にするマチは、今後ますます魅力的な存在になっていくでしょう。

*ウチナーグチ「窓口でも大丈夫」/職員対象に方言講座/読谷村役場琉球新報1999-5-3

市部
那覇市市民が市役所を利用するためのマニュアルホームページ
石川市沖縄の中心地〜みほそのまち 石川市
具志川市
花と緑にあふれた町、EMの町、闘牛の町
宜野湾市行政、市内タウンガイド、イベント等の情報をタイムリーに更新。
平良市海のまほろば・ふれあいランドひらら
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〇風水が息づく読谷村 1 (#50, 2004年6月26日) ヤナカジ、蔡温、首里城
(沖縄は、 6月20日にツユがあけました。沖縄のツユあけ時は、関東ではツユ本番となります。)


沖縄を訪れる中国人は、石敢当(いしがんとう)、シーサー(獅子像)、ヒンプン(屏風)、ウチカビなど自国と同じものに出会い、なつかしさをおぼえるでしょう。沖縄では、中国と同じく、生活は旧暦で流れています。

*ウチカビ:紙銭(しせん)。<打ち紙
*逆に、ヤマトンチュが沖縄に異国情緒をおぼえるのも、これらを見たときです。


石敢当、シーサー、ヒンプンは、風水思想によるもので、ヤナカジをさける装置です。これらの装置は不安の多い現代、ますます盛んになってきています。

*ヤナカジ:悪い霊気。<いやな+風


風水思想とは、環境が人間に強い影響をおよぼすとする「環境学」です。集落、建築物、墓などにも関連します。

沖縄の家屋、墓地は今でも、後ろが高くて、前が低い「後高前低(こうこうぜんてい)」地形を理想とします。


首里城は、風水思想に基づいて、自然の地形にあわせた曲線とカーブからつくられました。やさしい感じがするのはそのためです。

*首里城 Wonder沖縄


琉球政府は風水学を国家運営のバックボーンとするために、風水留学生を派遣していました。

*小熊誠「近世以降における沖縄と中国の海上の道」2000年1月22日、『公開シンポジウム 海上の道 再考』沖縄国際大学


1750年首里から名護への遷都問題が起こったとき、蔡温は風水理論から、首里の方が適当であるとして、遷都論者を論破しました。

蔡温はまた植林奨励策をとりましたが、ツボにあたる地域に植林することによって、山中の気が漏れるのを防ぐためでした。


1609年の薩摩の侵攻以降、風水は無視されてきています。

しかし、読谷村には、中国生まれの風水思想が強く生きています。【以下次稿】


*追加:2004年7月29日

風水で普天間基地の移転先候補嘉手納弾薬庫を廃案に
[筑紫哲也の多事争論かわら版]/「切り札」/山内流「基地と風水」論 <1998年2月1日>


〇風水が息づく読谷村 2  (#51, 2004年6月29日) 村の指針

読谷村には、中国生まれの風水思想が強く生きています。

読谷村の地形は、中国へ飛び立つ鳳(おおとり)の姿です。


残波岬が頭になります。

口にはサンゴの花蔓(はなかずら=花のつる草)をくわえています。

座喜味城、多幸山、読谷岳が羽です。

鳳の画像→読谷村づくりの目標


読谷村の目標は下の通りです。

ゆたさある  風水(フンシ)

優(マサ)る  肝心(チムグクル)

咲き誇る(サチフクル)  文化(ハナ)や

村の(ヌ) 指針(ミアティ)


<1. 豊かな環境(自然=外なる自然)

   2. すぐれた心 (人=内なる自然)

   3. 咲き誇る文化( =文化) こそ

      村の目標である。 >

外なる豊かな自然と内なるすぐれた自然で咲き誇る文化をつくりあげましょう、ということです。


中国人は読谷風水村に強い興味を覚えるはずです。


近代日本の社会システムは40年が1サイクルとなっています。今は文化大国をめざしています。

        目標
1 明治維新(1868年) 日露戦争(1904年) 軍事大国
2 日露戦争(1904年) 第2次大戦終了(1945年) 軍事大国
3 第2次大戦終了(1945年) プラザ合意(1985年) 経済大国
4 プラザ合意(1985年) 2025年 文化大国


日本は、いま風水学(環境学)を必要としています。

中国もいずれそうなります。読谷を参考にできます。


読谷には中国要素、中国人ツーリストを引きつける要素はまだまだあります。



〇風水が息づく読谷村 3  (#52, 2004年6月30日) 読谷の中国要素、戦跡
(明日より7月です。…)


中国人の億元長者は1000万人います。沖縄に訪れる日も近いでしょう。


「風水による村づくり」の他に、読谷の中国要素はまだあります。

  • 座喜味城
  • 泰期(たいき)の進貢船
  • 読谷祭
  • 唐名入りの墓
  • 唐人無縁佛之墓
  • 比謝矼(ばし=橋)のデイゴのヒンプン(屏風)

▼座喜味城

   風水学からの説明があれば、興味はさらにますでしょう。

*座喜味城 【画像】

▼泰期(たいき)の進貢船

*泰期(たいき):中山王の察度(さっと)とともに中国の正史に出てくる沖縄史上最初の人物で、読谷出身。1372年中国へ渡った。

*進貢船:進貢のために中国に渡った船。

▼読谷祭



*読谷祭

▼唐名入りの墓

*唐名入りの墓【画像】→なぜ、沖縄にイヤシがあるの? :柳田国男の神概念

▼唐人無縁佛之墓



唐人無縁佛之墓

中国人は、手厚いしていただいてと、ありがたく感じるはずです。

▼比謝矼(ばし=橋)のデイゴのヒンプン(屏風)
【メモ:要画像】



さらに、沖縄戦を知らない中国人は、戦跡にショックを覚えるはずです。沖縄の犠牲と現状におもいをはせるでしょう。
  • 飛行場の中の役場
  • 義烈空挺隊玉砕之地碑
  • 象のオリ
  • チビチリガマ
  • 米軍上陸の地碑
  • 掩体壕
  • 嘉手納弾薬庫

また、人口4万の村が歴史民俗資料館、美術館を有することに学習意欲をそそられるでしょう。福祉、老人会など中国が学ぶところはたくさんあります。


いずれ、中国語のホームページも必要でしょう。外国人用のホームページはえてして、日本語のホームページの翻訳版になりがちですが、中国人がつくるオリジナルなものがいいでしょう。

ターゲットはまず、中国のプロの観光関係者です。どこを訪れるかは、まずプロが決めるからです。


観光案内も中国語のものがほしいです。『読谷村の戦跡めぐり』(読谷村役場、2003年)などの抄訳なども役立つでしょう。

*読谷村の戦跡めぐり Web版


平和を何よりも希求する沖縄人が外国人に自分たちの歴史と経験を発信することは、効果的です。

観光学とは、高度に平和学でもあります。




*読谷満喫の1日コース よみたんガイド事務所

*読谷村宿泊施設一覧 読谷村役場




〇沖縄にほしい多国語表示 (#53,2004年7月7日)

日本人は、アメリカのシアトルやマレーシアのクアラルンプール空港におりるとほっとするといいます。日本語のアナウンスがあったり、日本語の表示があるからです。


観光を柱にする沖縄には、外国語にも配慮をしてほしいものです。


ユイレールの駅には、「足元注意」「降りる方がすんでからご乗車ください」などの日本語はあっても、外国語はありません。

ヤマトにはなくても、沖縄には英語、中国語簡体字、中国語繁体字、韓国語があれば、ツーリストの心根(こころね)に訴えるところ大です。



日本人以外には無関心の注意事項
美栄橋駅プラットフォーム

事故があったら訴訟ものです。




また、駅名アナウンスに日本語、ウチナーグチ(沖縄語)、英語、中国語、韓国語があれば、それだけでエキゾチシズム(異国情緒)豊かな風景になります。

*ゆいレール


那覇の観光案内板には、英語、中国語繁体字、韓国語が付されていて、重宝します。中国語の簡体字もほしいところです。



長崎県は中国人観光客を呼び込もうと猛烈なキャンペーンを展開中です。中国には億元長者が1000万人います。

*外客を呼び込め 西日本新聞

沖縄には、なすべきことがまだまだあります。■





中国語簡体字もほしい案内板

那覇のパレット久茂地付近にて。




不戦の誓い

この他に読谷にはいろいろ碑があります。翻訳がほしいです。子供たちの勉強にもなり、視野が広くなり、学力向上への踏み台にもなります。

情報は世界へ発信する時代になってきています。


 


〇観光学を支える学問群 (#54,2004年7月14日)

観光とは、「光を観る」ことです。光とは、その土地のすぐれたもののことです。提供する側としては、すぐれたものを発掘し、育て、磨きをかけ続ける必要があります。

*1930年、鉄道省に観光局が設置されました。日本での「観光」という語の正式な採用のはじまりです。


観光学とは、「観光に関する事柄を研究する学問」です。

日本では立教大学に1998年観光学部が誕生しました。

* 立教大学観光学部


まだ新しい学問分野ですので、 歴史学、地理学、社会学、民俗学、統計学、心理学、経済学、経営学、言語学、情報学、平和学などの多くの学問の助けを借りておこなう学問です。これを学際的学問といいます。



観光の盛衰は、沖縄では特に平和と直結しています。下のような事件が起こると観光は衰退します。観光の敵は、戦争です。観光学が世界平和学であるともいわれるユエンです。

2001年  アメリカ同時多発テロ
2002年  バリ島テロ事件
2003年  イラク戦争、新型肺炎(SARS)



観光は、政治や経済、社会と関連があるので、観光学を学ぶためには、理論ばかりでなく、社会の動きを肌で、現地で学ぶことが必要です。



沖縄にも「観光学」のめばえが。

大阪明浄大学 観光学部。那覇市バスターミナルにて

観光学を支える学問群



〇白旗を幕府に送りつけたペリー (#55,2004年7月21日)

*Yahoo!トピックスの 世界遺産をながめていたら、下の記事が目にとまりました。

読谷村が喜名番所の復元へ 観光案内や休憩施設に 琉球新報

予定を変更して、ペリーについての辛口コラムをものします。


ペリー(1794―1858)は、二人の兄共々海軍軍人でした。海軍の造船所長として、最初の蒸気船フルトン号を建造し、アメリカ海軍の近代化の基礎を築くのに貢献しました。生粋(きっすい)の軍人だったことがわかります。

*ペリー 【画像】Matthew Calbraith Perry

1953年、東インド艦隊司令長官としてアメリカ東海岸を出発、アフリカを回り、8ヶ月をかけて浦賀に入港しました。

*ペリーの航路図
*東インドとは、かつて東南アジアをも含む地域をさしました。東南アジアという名称はありませんでした。


このとき、大統領の国書と共に2本の白旗を幕府に送りつけました。「開国に応じないならば、戦争だ。降伏したければ、白旗を掲げよ」との暗示です。これを砲艦外交といいます。

*松本健一『白旗伝説』講談社学術文庫


翌1954年には江戸湾の水深を無断で測量しました。これは戦争の予備行為です。

ペリー来航の大義名分は、日本の文明化でした。アメリカは理念に基づいた国家ですから、常に大義名分を必要とします。真の目的は、日本を鯨油の基地、中国貿易の中継地にすることでした。

*ペリー提督(横須賀市立図書館)


ペリーに屈服して、開国を強要させられた日本は、以降今に至るまでアメリカに対しては、ハイベイ心をもつに至ります。

表は「拝米(アメリカに迎合)」で、裏は「排米(アメリカを憎悪)」です。


那覇にはかつて、ペリー町がありました。「マレーの虎」山下奉文を連想させる山下町を改名したものでした。これなど拝米の一種でしょう。

下田市の黒船祭は、アメリカに迎合した植民地根性丸出しの恥ずべきイベントだと言う識者もいます。

*黒船祭 下田市


日本のとるべき道は、「自分たちのおこないを正当化しないと成り立たない」アメリカに、盟友として、広島原爆をはじめとして、沖縄基地の現状に、しつっこく、何度でも、何回も、「おかしいよ」と言い続けることです。

*先頃なくなった原爆投下パイロットは、「正しかった」と言い残して往きました。アメリカ大統領は市民殺害に謝罪をしていません。
長崎に原爆投下の米空軍パイロット死去(ロイター) (



*カーチス・ルメ イ
その東京大空襲の実行者、また原爆投下の責任者だったカーチス・ルメ イ大将に対して、日本政府は、1964年勲一等旭日大綬章を贈っています。拝米の最たるものです。(早乙女勝元『東京大空襲』岩波新書) 。

カーチス・ルメ イの筋書きに従い、米軍は下町を四辺に結び、ナパーム弾を投下、火の壁を造り、四角形の中に百万発の焼夷弾を投下し、業火で焼き尽くしました。30万家が焼失し、死者は10万人、100万人が罹災しました。私の家も焼けになりました。寸前に私は2つ上の兄と三重県に疎開(田舎に避難)させられました。

東京はまだ「東京大空襲博物館」を建てる許可をいただいていません。3月10日は「東京大空襲慰霊祭」ですが、人口に膾炙(かいしゃ)していません。

*東京大空襲
*東京大空襲・戦災資料センター



沖縄はヤマトから捨て石にされました。アメリカからは軍事上の要石(かなめいし、key stone)に仕立て上げられました。ペリーがその昔画策したことでした。

心しないと、両政府は沖縄を「捨て石+要石」にして中の栄養分を吸い取り、、いずれ軽石としてほおむりさるおそれがあります。政府に善意を期待することはできません。



ペリー上陸の碑
 那覇の泊港近く

下には、「琉球人の繁栄を祈り、かつ琉球人とアメリカ人とが常に友たらんことを望む。」と記されています。単なる外交辞令です。絹の手袋の中身は、鋼鉄のコブシです。

外交官でなく、軍人ですから、当然のことでしょう。孫子を待つまでもなく、「戦わずして勝つ」が戦争の要諦です。日本が開国しなかったら、沖縄はアメリカの植民地、軍事基地になっていました。



*沖縄は東アジアの中心にあり、東南アジアにも近いの中の「ペリーをうやまう沖縄」


〇復元される喜名番所(きな ばんしょ): 番所亭(#56,2004年7月28日)
*喜名の番所が復元されることになりました。

喜名番所の復元へ
琉球新報社


那覇から北に向かって歩くと日没頃、喜名に着きます。また、北の名護から向かうと日没頃、喜名に着きます。

喜名は南部の平坦地と北部の山岳地の接点にある要衝でした。このため、喜名に番所が置かれるようになりました。

*沖縄県地図 読谷は、国道58号線の那覇と名護の中間地点に。Mapion
*読谷詳細地図 読谷村役場右の喜名小学校が目安。Mapion


番所とは、通行人の見張り所です。今の移民局、イミグレーション(出入国管理所)です。公設の連絡事務所で、これがのちに役場になります。


喜名には、道路元標(げんぴょう)があります。

*喜名の道路元標 【画像】

道路元標は、道路の主な経過点を表示する標識です。1919年に各市町村の中心地に1個だけ設置するものとされました。読谷では喜名がその栄誉を担いました。


かつては、読谷のセンターであり、村役場もここにありました。1897年、番所は役場に改称されました。

郵便局も、村で最初の小学校もここに設置されました。ペリー一行もここに立ち寄りました。

*喜名小学校

国道58号線の東側が米軍に接収されているため、住民は東側に移住しています。■


*喜名とは「新地」の意味

喜名とは、焼き畑によって開墾した所のことです。ウチナーグチ(沖縄語)では、チナーです。

知名(知念村)、屋慶名(ヤケナ、与那城村)も同類です。


喜名の沖縄そば店の番所(バンジュ)亭は、若い人が好みそうなヤマト風の味をだしています。




喜名の番所亭(バンジュテイ)



フェーレーそば750円

フェーレーとは、山賊のことです。その昔、よく出ました。

*番所亭 美ら島物語
*番所亭 真南風プラス


〇観光学が含む学問  (#57,2004年8月4日)

観光学は、研究対象がいくつかの学問領域にまたがっているので、学際的(interdisciplinary)学問といわれます。


観光学には、以下の研究分野があります。

観光開発論
観光学概論
観光環境論
観光経営論
観光経済学
観光言語学
観光行政論
観光行動論
観光交通論
観光社会学
観光事業論
観光情報論
観光心理学
観光人類学
観光政策論
観光地域論
観光地理学
観光統計学
観光文化論
観光民俗学
観光立地論
国際観光論


読谷には、
    観光平和論
    観光芸能論
    観光郷土史
    観光言語学(英、台、中、韓、沖)
も必要です。

日本には、観光学を教える学科が20ほどあります。うち観光学部を有する大学は、
    立教大学
    札幌国際大学
    大阪明浄大学
の3つです。

まだ、どの大学も幅と深みに欠けています。観光客誘致に関する学問、、国際性のある学問も足りません。

「観光」関係の大学の学科


ハワイ大学の観光産業学科は、充実しています。学生は800時間のインターンシップ(実務研修)を要求されます。

*School of Travel Management, University of Hawai  学部教育 (英)


〇「旅行」ではなく「旅」の時代 (#58, 2004年8月11日)

旅行といえば、「 団体旅行」がイメージされます。仲間と計画を立てて○○旅行会社主催のもと、観光地を巡るといった趣です。


旅は、「ひとり旅」というフレーズがあるように、一人で無計画にふらっと出かける趣があります。松尾芭蕉の『奥の細道』が旅を彷彿(ほうふつ)させます。


農耕民族で封建制にあった日本人は、「ひとり旅」をあまりしませんでした。

*三木清「旅について」『人生論ノート』新潮文庫

楽しみのための旅は、お伊勢参りなどの信仰の旅が許されるようになってからはじまりました。これを口実にして娯楽的要素が加わりました。


このような歴史的背景があるため、教養を高め、見聞を広めるとかの学習目的を立てないと、いまでも旅に出にくい風潮があります。

今でも親は、大学生の子供が「見聞を広めるために海外をふらっと歩く」というと反対します。大学などの海外サマースクールには、ゴーサインをだします。前者の方がはるかにためになるにも、かかわらずです。


フランス語のバカンス(vacance)は、語源はバキュームカーのvacuumと同じで、「真空」ということで、旅先で何もしないことです。英語ではvacationです。

このような仕事を離れて、心身を空っぽにすることで、人間性を回復をはかるための旅は、日本ではこれからです。


団塊の世代が、旅をし始めました。

この人達は、しっかりした目的を持って、個人行動をすることが好きです。



読谷村の亀甲墓(かめこうばか)

亀甲墓は、エキゾチシズムに訴えます。





ヨーロッパは地域個性を大事にします。バスク地方はバスク語を話します。アンダルシア地方では、アンダルシア語を話します。ガリシア地方はガリシア語を話します。それぞれの地方には、しっかりした地域文化があります。

こういった地域個性があるところが人をひきつけるようになります。


国際化、グローバライゼーションとは、実は「アメリカの力と論理で、世界をアメリカ化すること」です。地元にしっかり脚を据えて、国際化、ミニ東京化に抗し続ける必要があります。

戦後、相撲は、アメリカ女性に失礼だから、ふんどしを短パンにしてちょんまげもやめるという論議がありました。相撲がほろびるところでした。

方言をしゃべる人が多い村ほど、健全で、長生きの村になっています。ウチナーグチ(沖縄語)と標準語の切り替えで、頭が活性化するからです。

方言は地域文化の中心です。マチを個性化することは、日本の多様化にも寄与します。


マチをミニ東京にするのではなくて、東京を田舎にすることが次代の要請です。


〇沖縄中部地区13市町村のホームページ (#59,2004年8月18日)

沖縄中部地区13市町村のクリッカブルマップです。

市町村名をクリックすると、ホームページが表示されます。


ホームページをくらべてみてください。

  • トップページに音楽があるのは困ります。
  • トップページに動画が表示されるのも、困ります。
  • トップページが印刷できないのも困ります。フレームのためです。

いずれWeb格付け(ホームページ評価)をおこないます。


〇台頭してくるソーシャル・ツーリズム:ツーリズムの種類 (#60,2004年8月25日)

ツーリズムには、以下のような種類があります。
  • アグリ ツーリズム  
  • エコ ツーリズム :ecotourism 
  • オールタナティブ・ツーリズム(もうひとつの観光)
  • ギャンブル ツーリズム  
  • グリーン ツーリズム
  • サスティナブル ツーリズム:sustainable tourism 持続可能な観光
  • サポーティング ツーリズム  
  • ショッピング ツーリズム  
  • スタディ ツーリズム  
  • 戦場 ツーリズム  
  • ソーシャル ツーリズム
  • パッケージ ツア
  • ヘリテイジ ツーリズム  
  • マス ツーリズム  1970年の大阪万国博覧会が巻く開き
  • ルラル ツーリズム
【メモ:さらに説明を追加】

ソーシャル・ツーリズムとは、社会的弱者が参加できる観光のことを言います。身体や経済が原因で、観光旅行に参加できない人を、公共団体などが支援する観光のことです。

具体的には、休暇手当支給、各種の割引措置、安く泊まれる宿泊施設の提供などがあります。


国民宿舎、国立青年の家、公営ユースホステルもこれによって整備されました。

西欧では、盛んですが、日本ではまだまだです。


読谷には、ソーシャル・ツーリズムを提唱、実行する力と資格があるようです。

今後かならず台頭してきます。


*フランスのソーシャルツーリズム

*[PDF] 衒示的観光からソーシャル・ ツーリズムへ


〇沖縄観光学は国際平和学 (#61,2004年9月1日)

沖縄の観光は、平和なしにはありえません。


普天間基地や嘉手納基地、嘉手納弾薬庫では、無造作に汚染物質が廃棄されています。今回のヘリ墜落への対応を見ても、汚染物質への管理が十全だとは首肯できません。

    基地に捨てられた汚染物質が
    地中深く沈殿し、
    沖縄に多い鍾乳洞に流れ出し、
    いずれ海へしみ出す


ことは、充分考えられます。


そのとき、沖縄観光は壊滅です。汚染物の海と観光は相いれません。

*米軍へ入りが国際通りに墜落しても、同様です。


沖縄からの平和の発信が、日本国内に対してばかりでなく、近隣諸国に対しても、必要です。

日本政府は外圧に弱いので、アメリカだけでなく、近隣諸国へも、沖縄基地の不必要性を、左からも右からも発信を続ける必要があります。
 

トピックス
沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落

墜落事故写真 、 
宜野湾市地図 ドーナツのマチ宜野湾(ぎのわん)市。;
普天間飛行場の位置【地図】

普天間基地移設問題
Yahoo!トピックス ;

cf.低く哀しい沖縄の空:嘉手納空軍基地
沖縄本島全部が軍事空域: 嘉手納ラプコン 桑原政則


トピックス
>米軍ヘリ墜落 :

沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故写真集事故写真集
沖国大(おきこくだい)のすぐうしろが普天間基地 5秒後、写真右下マークをクリックで拡大


普天間基地移設問題Yahoo!トピックス


基地汚染 Google


〇滞在型観光と周遊型観光:四国のお遍路 (#62,2004年9月8日)

西欧人が聖地巡礼をするときは、目的地へ向かって寄り道をせず一直線に向かいます。

時間が許す限り、聖地に滞在します。

欧米の観光も、寄り道なしの滞在型観光が主です。


日本では、お伊勢参りの例を見てもわかるように、多くの箇所を巡り歩くのが特徴です。

日本の旅行も、したがって、周遊型になっています。


9月4日、早稲田大学の国際会議場で「情報文化学会」が開かれました。

巡礼に関する研究発表が4件もありました。



第12回 情報文化学会 早稲田大学


10年ほど前から巡礼が密かなブームになっています。

    老人ではなく、若者
   
信仰心からではなく、自分探しのために
   
車を乗り継いでではなく、歩いて
の、巡礼です。

*cf.浅川泰宏「メディアに見る巡礼の現在的状況:歩き、若者、接待のトライアッドと巡礼のルネッサンス」


「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産となりました。巡礼がさらに盛んになりそうです。

紀伊山地の霊場と参詣道 【地図】


折しも、中村幻児監督の四国のお遍路をえがいた「ロード88 」が上映されます。

四国八十八でアマゾンでは90件以上の書籍がヒットします。

*ロード88
予告編
は画像の下の数字をクリック

*司馬遼太郎の『空海の風景』は、司馬遼太郎のベストワンです。『坂の上の雲』よりも、すぐれています。


日本人は、歩いてめぐるコースが好きです。読谷にも、ぶらり読谷村といったコースもあります。嘉手納、北谷とも連携してさらに魅力的なコースを編み出すことが期待されます。

若者は、歩きたいのです。


*四国八十八ヶ所霊場めぐり

*巡礼のリンク Yahoo!

*巡礼に関する本


〇「来た、見た、知った、また来たい」: 旅のことわざ (#63,2004年9月16日)

「若いとき、旅をしないと、年とってからの物語がない。」


「人は国外へ出ると、個人以上のものになる。

国家と民族を我が身にたずさえていくからです。


「他国を見れば見るほど、故国を愛するようになる。」


「世界は偉大な図書館である。故郷はその1冊にすぎない。」


「観察力に欠ける旅人は、翼のない鳥のようなものである。」

観察力をつけるには、植物でも、言葉でも食べ物でも、何かに興味を集中することです。


「着くことよりも楽しい道中がよい」

旅の楽しさは、結果よりも、見知らぬ土地の風景や食事、未知の人々との出会いになどの道中にある。


「 旅に出ると性格が表れる 」

短気な者はより短気に、ずぼらな者はよりずぼらになります。制するものがなくなるからです。


「三人旅の一人乞食」
3人で旅をすると、誰かがわりをくう。


「田舎の3年、都の昼寝」

風雲急を告げる幕末、薩長土の武士浪人は京都で昼寝をしながら、他藩のもの達と世間話をするだけで、世界の様子がわかりました。激変する時代には、行動が、旅が大切です。

*《 コンピュータ 田舎の1年 都の昼寝
Googleで検索していたら、1995年の自分の句に出会いました。この世からこのファイルを削除しようと思いましたが、時代の証人になると思い、このままにします。


「イチャリバ、チョーデー」
<行き会えば、兄弟>

出会いと人のつながりを大切にする沖縄ならではの言葉です。開放的な親しみやすい沖縄の一面をあらわしています。


「来た、見た、知った、また来たい」

これは、ことわざではありません。観光の要諦です。

読谷への旅人が、

「来た、見た、知った、また来たい」

と思うのは、物ではなく人との出会いで「イチャリバ、チョーデー」の心を感ずるときです。


〇人材育成が急務の観光業 (#64,2004年9月23日)

『週刊 エコノミスト』2004年9月7日号に
「本格的観光立県として歩み始める沖縄」(南敦子)が掲載されています。要旨を紹介します。



沖縄県の観光客数は、
    2003年508万
    2004年525万人(目標)
で、順調な経過を示しています。
2011年には、650万人をめざしています。


沖縄観光は、1972年の復帰以来以来沖縄の重要産業に位置づけられていて、2003年には3800億円を稼ぎ出しています。


沖縄ブームの背景には、
    ゴルフの宮里藍
    インディーズなどの音楽
    健康食品
    NHKドラマ『ちゅらさん』
などのオキナワが人びとに取り入れられたことがあります。


今後の課題としては、多様な選択肢を提供することです。

「リゾートウエディング」では、年間5万組の海外挙式のうち、1万組を沖縄に取り込むことを考えています。

「エコツーリズム」では、「見たい、学びたい」という要求にこたえられるようなプログラムを開発します。

「健康保養型観光」では、生活習慣病などが治るような体にいい観光を提供します。


沖縄本島の西海岸40キロに主要ホテルが林立していますが、40キロを結んだ健康リゾート構想もあります。

個人旅行の時代です。また、リピーターは6割にのぼります。ますます多様性が求められます。



観光業は、サービス業です。読谷でも人材育成が急務でしょう。

住む人の笑顔、親切、もてなし、やすらぎ、落ち着き、輝いている子供、一芸の人、やる気のある青年、村をよく知る人、学識ある人もキーワードです。








海、山の幸の店「あじつぼ」

マスターはホテル仕込みの一流のシェフで、厨房はいつもぴかぴかです。

寿司、地元の豚料理やオリジナル料理もあります。天ぷら寿司に病みつきになる人もいます。

ツーリストは二日目には、ホテル外で食事をとりたがります。観光客が退屈しないような、食事どころが多いことが読谷の魅力となっています。

飲食業はツーリズムを支える重要な柱です。地元の理解とサポートも欠かせません。

*あじつぼ


【メモ:画像
抗菌防虫効果のあるサンニンをおいてあるネタケース。写真のとりなおし】


〇軍事空域は観光に有害:横田空域、嘉手納ラプコン(#65,2004年9月30日)

横田空域とは、伊豆半島から新潟県にいたるまでの1都7県にまたがる軍事空域です。

羽田から西日本に向かう飛行機は、いったん南進し太平洋に入ります。西進することが許されていないからです。

首都圏の空は、日本のものではありません。


首都県人3000万が、このことに無関心な限り、沖縄の軍事空域にも、沖縄の軍事基地にも無関心は続くでしょう。


下の石原慎太郎のページに横田空域の立体図があります。

*横田空域の立体図 石原慎太郎
*横田空域俯瞰図

*東南アジアには、なぜか理論右翼がいません。沖縄にもいません。しっかりした理論右翼がヒダリの人の姿勢をただし、世論を啓蒙します。沖縄にも理論右翼がそろそろ登場しそうな気配があります。


観光と軍事は両立しません。

ドイツのフランクフルト空港は、軍事空域を撤廃させました。

横田軍事空域と沖縄の軍事空域(嘉手納ラプコン)の撤廃をシンクロさせる必要があります。




*低く哀しい沖縄の空:嘉手納空軍基地(#0002, 2002年12月)

*沖縄本島全部が軍事空域 嘉手納ラプコン  (#0004, 2002年12月)


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